十日物語…５

十日物語…五日目

「リナさん」
「リナさん、じゃないわよ。早くここから出して。これ以上、ガウリイを心配させられない」
「ガウリイさんのために、出ていきたいんですね」
「……絡むわね」
ゼロスは、指を振る。
「残念ながら、貴女をここから出すわけにはいきません」
「どうしてよ！」
つかみかからんばかりの彼女を、ゼロスは軽く受けとめる。
「もう忘れましたか？　僕は、貴女を殺さなくてはならないんですよ？」
「じゃあ、何だってこんなまわりくどいことを……殺すのも閉じ込めるのも同じだわ。戦いましょう。あたしだってそう易々と殺されはしない」
ゼロスは、ため息をつく。
「自信家ですね。はっきり言って、貴女と僕では実力が違いすぎる」
「それを言うなら、シャブラニグドゥとあたしたちだって、実力は違いすぎたわ」
「そうですね。貴女には計り知れない底力がある。でも、僕と戦っても、貴女は勝てないでしょう」
リナは、怪訝な顔をする。
「なぜ、言い切れるの」
「貴女は、もう知っている存在を殺したくないと思っているからです」
リナは黙った。彼女の頭の中に、辛い想い出が蘇ったことが、ゼロスにはありありと分かった。
「それが、たとえ貴女の敵となった僕であっても。違いますか？」
リナの沈黙は続く。深紅の瞳はうつむいて、柔らかな髪が落ちかかる。
「……違わないわ」
ようやく、その一言を絞り出す。
「たとえ、さんざんあたしたちを振り回した、性格の悪いあんたであっても、もうあたしは誰にも死んで欲しくないの」
「嬉しいですね、貴女からそう言う言葉が聞けるなんて」
「自惚れないで。『誰にも』ってことなんだから」
ゼロスは、リナに一歩近づく。
「でも、僕は貴女を殺してしまいますよ？　それでいいんですか？　僕なんかに殺されて。きっと、ガウリイさんも、他のお仲間も、悲しむでしょうね」
「それは……」
あげた瞳は見開かれた。ふさがれる唇。リナの瞳を底までのぞき込む、アメジストの瞳。冷たい、体温のない舌が、リナの舌に絡まる。
（やめて……）
リナは、飛びそうな理性を掴むために、ゼロスのマントを掴む。
（恋愛感情がないのなら……殺すつもりなら……）
唇が離れる。唾液が糸を引いて、切れた。
「どうして……なぜキスをするの」
「秘密です」
「なぜ、殺さないの。今の間合いとあたしの迷いがあれば、簡単に殺せたはず」
初めて、ゼロスの目に迷いの光が生まれた。リナはそれを見逃さなかった。
「言って。なぜ、殺さないの……」
「殺したくないからです」
「……」
「僕の長い生で初めて生まれた感情。僕は、貴女を殺したくないんです。それが、いったいどういうことなのかも分からないのですが……」

☆　☆　☆

「殺したくないって、どういうこと？」
「貴女が世界からいなくなると思うと、何か苦しくなるんです。貴女が死ぬときは僕の手にかかって欲しいとずっと思っていました。でも、殺せない。手が震える。僕の……存在がおかしくなる。貴女は、僕にどんな魔法をかけたんですか」
リナは、うつむいてしまったゼロスをじっと見つめた。
「それは、恋っていうんじゃないの？」
「違います」
「愛っていうんじゃないの」
「違う！」
聞いたことのない、ゼロスの怒鳴り声。
「僕は、魔族だから……そんな感情を持ったら滅ぶより苦しいはず。僕は、リナさんを、愛してなんかいない！」
リナは、ゼロスの顎に指をかけ、その乱れた黒髪を細い指で梳く。
「だって、いまあんたは苦しんでるじゃないの」
ゼロスは、自分の禁断症状を解く麻薬を求めるように、リナの唇にもう一度唇を押しつけた。柔らかなリナの髪に手を入れ、逃れられないようにして。そして、そうしてしまった自分を恥じるように、突然唇を離す。
「違うんです……」
リナは、戸惑っていた。自分の目の前の男は、確かに自分を愛してくれている。けれども彼は、それを認めたら激しい業火に身を焼かれることになる。
「分かったわ。あんたが違うって言うんなら、違うんでしょう」
なぐさめに満ちたリナの言葉も、また別の方角からゼロスを痛めつけた。
「ここは、貴女の想像通り、僕が創り出した異世界。といっても、ちゃちなものですが」
「確かにちゃちね。無限に拡がる河で世界を分断して、登場人物といえば同じメッセージを喋るばかり。子供のお遊戯会なみに、ちゃちだわ」
「世界を創り出すのは、大変なんですよ。分かって下さい」
「分かりたくもないわ。ここから出して。ガウリイが心配している」
その時、リナは喉元に冷気を感じた。黒い錐の先端が、ぴたりと喉に向いている。
「ガウリイさんの名前を出さないで下さい。本気で殺します」
嫉妬という感情を知らない哀れな魔族は、そう言って錐を引っ込めた。
「あたしを殺せ、という命令が出されているんでしょう？　あたしをここにかくまうのは、命令違反じゃないの？」
「まあ、違反といえばそうですね」
「あんたの上司にはなんて？」
「リナさんは見つからない、と。世界のどこにもいない、もしかしたらもう死んでいるのかもしれない、と」
「ばかばかしい。そんな嘘が通用するわけないじゃない。死ぬまであたしはここにいなきゃいけないわけ？　日干しの魚も、塩漬け肉も、もう食べ飽きたわ。ここで生きるのは、あたしにとって死んでるのも同じこと。死んでるみたいに生きたくない」
「……」
ゼロスは、うつむいて黙った。
「貴女に、死んで欲しくない。僕の思いは、それだけです」
「あ、待ちなさいよ、ちょっと……」
ゼロスは、空間に消えた。
「新鮮な食べ物を持ってきます」
その声は、リナの頭の中に響いた。
「こっから出せ！　こんちくしょー！」
リナは怒鳴って、そして黙った。
「どうにもならないことを叫んでも、お腹減るだけよね、全く」

五日目です。愛を知らない魔族が誰かを愛したら、どのようなことになるか考えながら書きました。それでは後五日、おつきあいいただけると嬉しいです。