西の塔の姫君…４



「情けなんておかけにならないで！私と祖父を殺して下さい」
「フィリアさん、自棄を起こさないで」
「これ以上、惨めな思いをしろといいますの？」
「貴女がリナさんの命を狙ったことに対する報復は充分にしました。これ以上の犠牲を僕は望まない。コプト国は無くなります。領地は、全てメタリオム国のものにする」
「わたくしたちは、どうしろと？」
「神の国へ入って下さい」
「自害しろと？」
「いえ、出家していただきます。おじいさまは僧侶へ。貴女は巫女へ。もともと火竜王の巫女だった貴女だ。一国の王女としての仕事が無くなるだけですよ」
「ちょっと待った。その『リナさんの命を狙った』って何よ」
「ああ、リナさんには説明していませんでしたね。あの、フィリアさんと僕がリナさんの牢にいた夜、フィリアさんは貴女の命を狙って貴女の牢に入りこんだんですよ。それを僕が止めた。その報復として、僕はコプト国を手に入れることに決めたんです」
「な、何よそれ……あたしの命を狙った、という理由で国まで滅ぼすの？」
「ええ。それに見合うだけの罪だと、僕は思いましたからね」
「その手伝いを、あたしにもさせた」
「あなたの増幅版竜破斬（ドラグ・スレイブ）が無ければ、さすがにメタリオム国軍でもこうも簡単にコプト国を手に入れることは出来なかったでしょうからね」
ぱあん。リナがゼロスの頬を平手打ちにした。
「いくら……いくらあたしの命を狙ったからって、これはやりすぎよ、ゼロス。そうは思わないの！？しかも、あたしに片棒担がせて！やっぱりあんたって冷酷よ！最低よ！」
「貴女を守って、そんなことを言われるとは思いませんでしたね」
「フィリアから守ってくれたことにだけ、礼を言うわ。でも、それ以外のことは、やっぱり、あたし、許せない……！」
「どうしますか？僕を殺しますか？」
「増幅版の竜破斬（ドラグ・スレイブ）で、メタリオム城ごと滅ぼしてやるわよ」
「おっと、忘れていました」
ゼロスは、銀の手錠を取り出すと、リナの腕を掴み、後ろ手にそれをかけた。
「これは外させてもらいますね」
魔力増幅のタリスマンを外す。
「さあ、僕たちの国へ帰りましょう」
「何が『僕たち』よ！あたしはあんな国、母国とは認めないわ！」
コプト国からの帰りは、コプト国の豪華客船を奪って、ゆったりした船旅になった。リナは鍵をかけて、ゼロスの自分の部屋への進入を許さなかった。


城の西の塔。その天辺の牢で、二人は向かい合っていた。
「また、ハンストですか……」
「あたしを好きにすればいいじゃない。兵士たちに下げ渡せば？売春宿に売り払えば？」
「僕は貴女が好きなんですよ。そんなことが出来るわけないでしょう」
「あんたが、あたしを、好き……？」
「そうです。あの夕暮れの戦場で、勇ましく自軍の指揮を取る貴女を見て以来、僕は貴女に恋し続けているんです」
「そ。でも、今回のことで、あたしはあんたの妻になる気がいっそうなくなったわ」
「それじゃあ、もうしばらくここに入っていてもらうしかありませんね」
「いくらでも。おばあさんになるまで、入っててやるわよ」
「でも、食事はとって下さい……！このままでは、貴女は弱り切ってしまいます。ただでさえ、狭い部屋の中で歩いてもいないんだから」
「それが、辛いわ。あたしは、インバース国にいるときには、馬に乗って野山を走り回っていたのに。今では、すっかり足も萎えてしまって」
「それじゃ、遠乗りに行きましょう。たしかに、貴女は気分を変えるべきだ。美しい自然の中なら、貴女の心も和らぐでしょう。今は紅葉の美しい季節です。だから、ね？ご飯を食べて下さい」
「遠乗りにはいつ連れていってくれるの」
「明日にでも」
「そう……それじゃ、食べるわ」
「リナさん……！良かった。たくさん、食べて下さいね」
リナは、その日出された料理を全部平らげた。ゼロスは、一緒に食事をしながら、そんなリナを嬉しそうに見守った。


「リナさん、僕の前に乗って下さい」
「今日は、手錠を外してくれるのね」
「馬に乗るときに、手錠をしていたら危険ですからね」
二人は、城の周りを囲む平原を、どこまでも駆けた。１１月の心地よい冷たさの風が、二人の髪をなぶった。
「ここらでお弁当にしますか」
「うん。降ろして」
マットを拡げ、厨房で作ってもらったお弁当を開ける。美味しそうな料理が、いっぱいに詰まっている。
「リナさん、美味しいですか」
「ええ。どれも美味しいわ。メタリオム国の厨房は最高ね」
「良かった」
「へ？何が」
「僕の国の厨房だけでも気に入ってくれて」
「あ、あんたの国自体を気に入ったわけじゃないからね」
「分かってます」
昼食を食べ終わると、リナは立ち上がった。
「ちょっと、その辺を走ってくるわね。久しぶりの外だから」
「あ、僕も一緒に行きますよ」
「一緒に来られると困る事情があるの」
「ああ……あれですか」
「もお。いーい、しばらく、あたしについてこないでね」
リナは走り出して、茂みに姿を消した。そして、３０分経っても、一時間たっても、リナは戻ってこなかった。
「逃げられましたね……完全に」
ゼロスは、立ち上がってぽんぽんと草を払うと、歩き出した。
「リナさーん！何もしませんから戻ってきてくださーい！」
しばらく叫びながら歩いて、気づく。自分の声がすれば、リナは余計に遠くに逃げるだけだろう。ゼロスは黙って、リナの逃げていった方角を探した。
「こんな事なら、腰に縄でもつけておくべきでしたね……」
日が、暮れてきていた。

「っくしゅん！」
リナは、柔らかな落ち葉の上で、肩を抱いていた。１１月の夜は冷える。本当は、もっと遠くまで逃げるつもりだったが、途中で足を滑らせて、崖から落ちてしまった。右足を痛め、もう歩けない。とてもじゃないが崖は上れないので、城に戻ることもできない。
ぐう〜。
お腹まで空いてきた。
「こんな事なら、逃げるんじゃなかったなあ……」
リナの計画としては、近くの村まで逃げ出して、そこで何でもいいから職を見つけて、働いて暮らそうと思っていた。髪を切り、服を着替えれば気づかれないだろう。しかし、逃げた方向は、村どころか、どんどん山の中に入って行くばかりだった。引き返せばゼロスに捕まるかも知れない。自棄になって山を登っていると、草露に濡れた地面に足を取られた。
「誰かー！誰か助けて！！」
声を限りに怒鳴る。返事はない。
「誰かいませんかー！」
お腹に力が入らない。周りに何か食べられそうなものはないかと探すが、１１月の山に、そんなものはなかった。
「ゼロス……ゼロスー！助けてよ！こんな時こそ、いつもの執念深さで迎えに来てよー！」
返事はなかった。リナは、自分をいっそう強く抱きしめた。寒かった。ひもじかった。
「王子様！ここに、誰かが足を滑らせた跡があります！」
「何ですって？よし、周りをよく調べてください」
リナの頭上で、人の声がした、気がした。
「おーい、誰かいませんかー！おーい！」
「王子様、女の声がします！」
「崖を降りて、調べてみて下さい。僕もすぐ降ります」
ゼロスは、身体につけたロープを手近な樹に結びつけると、じりじりと崖を降りた。
「誰か……だれか！」
「リナさん！」
ゼロスは、思い切って身体を宙に躍らせた。意外と近くに地面はあった。誰かが、葉っぱを身体にかけて、うずくまっている。ゼロスは、腰につけたランプを掲げた。
「ゼロス……！」
「リナさん！良かった、無事で……この辺の山の中には熊も出るんですよ」
「熊……」
リナは、顔色を失った。
「大丈夫ですか？どこか怪我していませんか？」
「右足を、くじいてる。歩けないの」
「それに、熱い！熱が出てますよ、リナさん！」
「ずっと、寒かったから……」
「とにかく、見つかって良かった。上の皆さん！ロープを下ろして下さい！」
「皆が……あたしを捜しに？」
「城は総出ですよ。すみません、貴女を一人にしたら逃げ出すということくらい予想できなかった僕の責任です……！」
「何言ってるの。勝手に逃げ出して、勝手に怪我したあたしが悪いんじゃない！」
「リナさん、熱が上がります。もう喋らないで……」
何本ものロープに括られて、リナはゆっくり崖の上に上げられた。
「城に帰りましょう。熱も心配だし、足の治療をしなくてはね」
またゼロスの前に乗せられ、リナは城への道をたどった。馬の背が揺れるたび、右足が鈍くいたんだ。

「リナさん、お粥です。僕が冷ましてあげますから、ゆっくり食べて下さい」
「……ねえ」
「何ですか」
「ここは、客用寝室よね？どうしてあたしを元の牢に入れないの？」
「あそこだと、看病が大変だからです」
「だって、あたし、逃げだそうと……」
「あんな山の中に逃げて、どこへ行くつもりだったんですか」
「どこか村へ行きたかったの。そこで、髪を切って、過去を捨てて働いて暮らすつもりだったの」
「そうですか、そんな決意を……」
「でも、あの方向じゃ駄目だったみたいね」
「当たり前ですよ。あの山は、山脈に続いています。途中に村なんてありません」
「よく、あたしを見つけられたわね……」
「幸運ですよ。召使いの一人が、貴女が足を滑らせた跡を見つけなかったら、今頃貴女は凍え死んでいたかもしれません」
「幸運……か……」
（『貴女はまだ若いのよ。この先、どんな幸運が貴女を待ち受けていないとも限らないわ』）
母親の、懐かしい言葉が思い出された。
（お母様……あたし、幸運に助けられたわ）
「それにしても、髪を切って村で働く、なんて。そんなに、僕と結婚するのは嫌ですか」
「ん……分からない」
「分からない？」
「あんたはこうしてあたしを助けてくれたし……今はこんなに優しいし……何だか、あんたと結婚するのも、悪くないかな、と思えてきた……」
「嬉しいです、そう言ってもらえると。さて、右足の湿布を取り替えましょう」
「あんた……王子様でしょ。そんなこと、メイドにやらせればいいじゃない。シェーラとか」
「貴女の身体に少しでも触れられるのなら、看病も喜んでします」
「馬鹿ね」
リナは、頬を赤く染めた。
「おや？顔が赤いですね。熱はまだ下がりませんか」
リナの前髪をかき上げ、自分のおでことくっつける。
「熱は、下がっているようですね……あれ？さっきより赤くなってしまいましたよ」
「……あんたが余計なことするからよ！」
「それはすみません」
ゼロスは、にっこりと微笑んで、そう言った。


リナのために、豪華な部屋が空けられた。天蓋付きのベッド、何百着のドレスのはいるクローゼット、大きな窓から差し込む白い光。
「いいの？こんな部屋をあたしに……」
「今までの牢が、おかしかったんですよ。あなたは王子の妃となる人だ。本来なら、これくらいの部屋にすんでいてもおかしくない。ただし……」
唇を指に当てる。
「夜は、外からドアに鍵をかけさせていただきますよ」
「まだ油断はしてないってわけね」
「相手がリナさんですからね。あと、この部屋は普通に魔法が使えますが、間違っても竜破斬(ドラグ・スレイブ)で吹っ飛ばそうなどとは思わないで下さいね」
「分かってるわよ。そんな馬鹿なことしないわ」
「最近、リナさん、素直ですね」
「あの、逃げ出したとき、助けてくれたしね。それに、ずっとあたしについて看病してくれた。ゼロス、優しいのかなって、思い始めた」
「僕はもともと優しいですよ」
「言うことを聞かないと売春宿へ売り飛ばすって言ったくせに」
「あれは本心じゃないって、説明したじゃないですか」
「ふふっ。分かってるわよ。冗談よ」
「それはそうとリナさん、もうすぐクリスマスですね」
「クリスマス……？ああ、もうそんな季節か。熱だしたり、足くじいたりして、すっかり忘れてたわ」
「僕は、リナさんにとっておきのプレゼントを考えていますよ」
「困るわ」
「どうして」
「だって、あたしはあんたにあげられるようなもの、何も持っていないんだもの」
「そうでしょうか？」
「どういう意味」
「さあね」
「とにかく、あんたに何かプレゼントしたいわ。買い物に行かせて。今度は、逃げだそうとしたりしないから」
「シェーラさんを見張りにつけますよ」
「彼女ならうってつけね。あたしをくるりと投げ飛ばせるんだもの」

リナは、焦げ茶色のフードの付いたコートに身をくるむと、シェーラと一緒に街に出た。今まで来たことはなかったが、メタリオム城下町は綺麗な街だった。
「わあ、かわいいお店……！」
リナが目を留めたのは、スノードームの専門店だった。ガラスの球体の中に液体が満たされ、くるりとひっくり返して元に戻すと、ガラスの中の小さな風景に、繊細な雪が降った。
「このお城、まるでメタリオム城みたい」
「それはそうでしょう。モデルに作られたんでしょうから」
「ねえ、この大きなスノードーム、ゼロスは喜んでくれるかな？少し子供っぽいかな？」
「リナ様からのプレゼントだったら、ゼロス様は何でも喜ぶと思いますよ」
リナは、メタリオム城と城下町に雪が降る、特大のスノードームをプレゼント用に包んでもらった。
「まあ、これだけだと何だし……」
高級デパートに入って、カシミヤのマフラーを選び、やはりプレゼント用に包んでもらった。

「メリークリスマス！ゼロス」
「メリークリスマス！リナさん」
「これは、あたしからのプレゼントよ」
リナは、スノードームと、マフラーを渡した。
「これはこれは。可愛いプレゼントをありがとうございます。それでは、僕からも……」
客間のドアがさっと開いた。リナの両親が立っていた。
「お父様！お母様！」
「リナ、元気そうね。少し背が伸びたんじゃないかしら」
「リナ、お前の顔を見られて本当に嬉しいよ」
リナの両親は、リナを抱きしめた。
「どうですか？僕のプレゼントは」
「最高よ！」
「それでは、リナさんのお父様、お母様。クリスマス・ディナーを御一緒しましょう」
その日、ディナーは夜遅くまで続いた。思い出話に花が咲いた。




スノードームは私も好きです。イラストレーターの安西水丸さんが確かコレクションなさっていたような……普通、小説を書くときってもっと苦しむものですけど、この小説はすらすら書けました。それでは、続きもよろしくお願いします。
スノードーム持ってません。欲しいなあ……（それだけ）。


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