西の塔の姫君…３



コプト国から、再び王と王女が来訪した。ゼロスは、リナの塔に来なくなった。シェーラから事情を聞かされているリナは、おとなしく一人で食事をとった。
（あんなサイテー男、いない方が清々するわ！）
でも、食事の味はいつもと変わらないのに、リナは妙に食が進まなかった。
（あんな奴でも、誰かと一緒に食事するってのは、いいことなのかもね）
そして思う。
（フィリア王女とは、どんなことを話しているんだろう……）

コプト国の王は、フィリアの祖父だった。年の割には仕草も、しゃべり方もしっかりしていて威厳があった。
「ゼロス王子、突然こんな事を切り出すのも何だが、フィリアと結婚してやってはくれないかね」
「僕が、フィリアさんと、ですか……」
「メタリオム国とコプト国は、ご承知の通り交易も盛んだ。これで、王室同士が手を組めば、軍事的にもずいぶんと有利になる。お互いの国が。歳の頃もつり合うだろう。それに、あなたがこういう食事の席でフィリアに見せる礼儀正しさと優しさを見るに、あなたは決してフィリアに悪い感情は持っていないはずだ。どうかね」
「第二夫人としてなら……お迎えできますが」
「なんだと……！」
コプト国王は、ナプキンで口の端を拭うと、ゼロスに問うた。
「第二夫人とはどういうことだ。我がコプト国は、火竜王の守護する一流の国。農業生産力も、工業力も、軍事力も、けっしてメタリオム国には劣っていないはずだ。その第一王女であるフィリアを、第二夫人としてしか迎えられないと言うのか……！」
「ええ。僕には、既に第一夫人になるべき人がいますから」
「どこの国の王女だね、その方は」
「インバース国の第二王女、リナ＝インバースさんです」
「インバース国だと！それはあなたの国の属国ではないか。しかも第二王女。そちらの王女をあなたの第二夫人にするべきではないのかね」
「たしかに、常識的に考えれば、そうなりますが……僕は、リナさんに恋をしていますから」
「その、リナ＝インバースとかいう王女は、そんなに美しいのかね。このフィリアをも圧倒するほどに……！」
「リナさんは、美しく、勇ましく、誇り高い女性です。フィリアさんも、誰とも比べる事なき気品と美貌を持っていらっしゃいますが……僕が第一夫人としたいのは、リナさんだけです。そして、第二夫人を迎えるつもりは……本当はありません」
「つまり、あなたはこのフィリアでは夫人として不満というわけですな」
「まさか。フィリアさんほどの素晴らしい女性はいませんよ。リナさんと出逢う前でしたら、僕は確実に恋に落ちていたでしょう」
「つまり、わたくしは、そのリナさんという女性に劣っていますのね……？」
ずっと黙って話を聞いていたフィリアが、ぽつりとそう漏らした。
「優れるとか劣るとか、そう言う問題ではありませんよ。僕はただ、リナさんに恋をしているだけです」
「わたくしに、恋はしていただけませんのね？」
「恋というのは、しようと思ってするものではないでしょう。僕は、攻め落とされようとしているインバース城で、甲冑を身にまとい、勇ましく軍の指揮を取っていたリナさんを見て、一目で恋に落ちたんです」
コプト王が目を見張る。
「女の身でそんな……軍を指揮するなど、常識外れな。出過ぎた真似ではないですか」
「そうですか？」
ゼロスは、闇紫の瞳を見せた。
「あのりりしさ、気高さをあなた方にもお見せしたかったですよ。暮れゆく光の中で、輝く深紅の瞳、紅茶色の長い髪。砦の端に片足をかけて、凛と響きわたる甘い声で指示を出す潔い甲冑姿。フィリアさん、貴女がもし男性だったとしても、恋に落ちていたはずですよ」
「聞きたくありませんわ！」
フィリアは耳を塞ぎ、頭を振った。
「恥を忍んで言ってしまいますけど、わたくし、あなたに恋をしていたんですの。今日、おじいさまから話をしてもらったのもそのため。わたくしでは、あなたの心を虜にすることは出来ませんの……！」
「残念ながら」
ゼロスは首を振った。
「僕の恋愛の容量は、一人分みたいですね。もちろん、コプト国とは今後ともいい交易を続けていきたいと思っていますよ。これからもよろしくお願いしますね」
「こんな恥をかかされておいて、今後とも交易？冗談ではないな。今日を限りに、メタリオム国との交易は打ち切らせてもらうよ」
「あなた方の国の方が損害が大きいと思いますが……？」
「余計な心配はしないでいただきたい。帰るぞ、フィリア」
「もうこの夜中では船は出せませんよ。今日は泊まっていってください。明日の一番の船でお送りします」
「む……そうか。ならば、頼みがある」
「なんなりと」
「あなたがフィリアを拒んでまで娶りたいというそのリナ王女に会わせていただきたい。どんな女性なのか気になるのでな」
「わたくしも。ぜひリナさんにお目にかかりたいですわ」
「では、少し待っていて下さい」
ゼロスは、シェーラを呼んだ。そして、一緒に塔に上がっていった。

「わ！びっくりした。こんな遅い時間にお揃いで、何の用？」
「コプト国の王と王女が、ぜひ貴女にお会いしたいと」
リナは心の中で舌を出した。逃げるチャンスだ。
「ドレスは……どれがいいでしょうね」
「やはり、この薄緑のエメラルドを縫い込んだドレスが、一番髪の色にも映えると思いますわ」
「リナさん、着替えて下さい」
「分かったけど、ゼロスは部屋から出て」
「はいはい」
リナは、シェーラに着せ替えられ、髪を結われた。
「出来ましたわ。お美しいこと」
「おお、さすが僕のリナさんですね。見事です」
「さ、イヤリングを……」
リナは、意気込んでいった。
「じゃ、下におりましょう」
「その前に」
ゼロスは、銀の手錠を出すと、後ろ手にリナにかけた。
「な……っ！何てことすんのよ、あんたは！」
「今、『逃げるチャンスだ、らっきー』とか思ってませんでした？」
「うっ……」
「さあ、コプト国の王と王女がお待ちかねです」
「い……嫌よ。こんな恥ずかしい姿、見せられないわ」
「いいから、降りてきて下さい」
「嫌！」
「しょうがないお姫様ですね」
ゼロスは、リナを抱き上げると、螺旋階段を下りていった。
「お待たせしました。この方が僕のフィアンセ、リナ＝インバースさんです」
「ほほう……！確かにお美しい。しかし、なんですかな、その手錠は」
「このお姫様は、隙を見てはこの城から逃げ出そうとしていますからね。念のためです」
「じゃあ、この方は、あなたとの結婚を嫌がってらっしゃるの？」
「そうなりますね、はっはっは」
「さっきも言いましたけど、わたくし、あなたが好きです。愛しています。それなのに、あなたとの結婚をそんなにまで嫌がっている女性を妃に迎えるんですの？」
「今は、僕の片想いなんです。でも、必ず両想いにして見せます。そして、リナさんを妃に迎えます」
「そうですの……」
フィリアは、目を伏せた。長い睫毛が、深海の蒼の瞳を覆った。
「わたくし、今日寝る前にリナさんとお話がしたいわ。歳も近いし、こんなにお美しい方を見たのは初めてだし。よろしくて？」
「残念ながらだめですね。リナさんは、西の塔の牢に閉じこめてありますから」
「婚約者を牢に……！あなたは、どこまで本気なのですかな、ゼロス王子」
「僕も本当はこんな事はしたくないんですけどね。リナさんが僕との結婚に首を縦に振ってくれるまではこうします。ではシェーラさん、リナさんを西の塔へ」
リナは、後ろ手に手錠をかけられたまま、塔の最上階の牢へ連れて行かれた。
「それでは、あなた方を客用寝室にご案内します。今夜はお疲れになったでしょう。ごゆっくりお休み下さい」
「ええ、本当に疲れましたわ！」
「これ、フィリア」
「明日の朝は一番の船で帰らせていただきますわよ！」
フィリアは、客用寝室のドアを閉めた。

深夜。西の塔の入り口には、鍵がかかっている。フィリアは、机に突っ伏して眠っている番兵のポケットから、そっと鍵束を抜き取った。一本目、二本目……三本目で、かちりと錠が開いた。フィリアは鍵束を持ったまま、そっと螺旋階段を上がっていった。リナの部屋の前に鉄格子がある。そこにも頑丈そうな錠がかかっている。今度は五本目で、錠が開いた。フィリアは、音を立てないように鉄格子を開くと、眠っているリナに近づいた。懐から、小さなナイフを取り出す。
「覚悟！」
リナの首筋に刺されようとしたナイフは、寸前で止められた。指の長い優美な手が、フィリアの手首をがっちりと捕らえている。枕元のランプに灯が入った。
「ゼロス王子！」
「やはり来ましたね、フィリアさん。下の番兵に薬入りのお茶を飲ませたのもあなたですね？」
「ここには……鍵が」
「僕は王子ですよ？この城の全ての合い鍵を持っています」
「放して！この女は、あなたを拒んでいるのですよ？ここで死んだ方が彼女にとっては幸せなことかも知れないわ」
「痛いことを言いますね」
ゼロスは、フィリアの手首を掴む力を強くした。ぽろりと、ナイフが落ちる。それをゼロスがすかさず拾い上げる。
「わたくしを……殺しますの」
「いいえ。リナさんを殺そうとしたのは許せませんが、あなたを殺したりはしません」
「ん……なに？何なの？灯りがついて……ゼロス？フィリアさん！？」
リナがやっと目を覚ました。
「何があったの？」
「あなたには関係のないことです」
「ここはあたしの部屋よ？あたしに関係ないわけないでしょう」
「行きましょうか、フィリアさん」
「はい……」
「何だってのよ」
「リナさん、もう一度お休みなさい」
ゼロスは、鉄格子に鍵をかけた。そして、フィリアと一緒に下に降りていった。
「わたくしを責めませんの？」
「ええ。あなた個人を責めたりはしません」
「え？」
「この償いは……コプト国そのものに負ってもらうことになります」
「まさか……」
「メタリオム国は、コプト国に攻め入ります」
「馬鹿なことをおっしゃらないで！二つの国は、長年友好国としてつきあってきたではありませんか。それに、二つの国は、軍事力でも拮抗している。大戦争になりますわ。それは、決してメタリオム国の得にはならないこと！」
「コプト国の金鉱とダイヤモンド鉱は、魅力的ですね。小麦の生産高も。我が国のものに出来たら、まさにメタリオム国は無敵になる」
「……コプト国は、そう簡単には陥ちませんわよ」
「そうでしょうね。でも、リナさんがいたらどうでしょう？」
「リナさんのいたインバース国は、あなたのメタリオム国に敗れているんでしょう？彼女が何の戦力になるというんですの？」
「それは、」
ゼロスは唇の前で指を振った。
「秘密です」

「何、これは」
「我がメタリオム国に代々伝わる、魔力増幅のタリスマンです。もっとも、ここ何代かは魔力を使って戦う王族がいなかったために温存されてきましたが」
「どうやってつけるの、これ」
「僕がつけてあげますよ。まず、首に。そして、腰に。それから、両腕に」
「……何の効果も感じないけど」
「呪文が必要なんです」
「教えて」
「必要なときになったら教えます」
「何、それ」
「この城の中で使われたりしたら、非常に困りますからね」

メタリオム国軍の軍艦は、着々と出航の準備を進めていた。リナとゼロスは一番艦に乗り込んだ。
「あのねえ、王族が一番艦なんかに乗り込んでどうするのよ」
「リナさんも、インバース国では先頭に立って戦っていたじゃありませんか」
「それは、そうだけど……」
軍艦は、一番艦から次々に出航した。コプト国海軍と交戦するには後一日弱。
「嫌だかんね、ぜーったい！」
「そんなこと言ったって、船の中は狭いんだから仕方ないでしょう」
「じゃあ、あたしを連れて来なきゃいいのよ！」
「貴女は大事な戦力なんです」
「だったら、あんたと同じベッドなのは何とかしてよ！」
「絶対に手は出しませんから」
「あったりまえだー！！」
すぱこーん。リナはスリッパでゼロスの頭をはたいた。
「しくしく……僕はこれでも王族なんですよ。スリッパで頭をはたかれたのなんて初めてです〜」
「良かったわね、初めての体験が出来て。身体にちょっとでも触ったら、呪文ぶっ放すからね！」
「手錠を外しただけでも評価して下さいよ」
「海の上じゃ、逃げ場が無いじゃない」
その夜、ゼロスはリナの身体に触れないように、狭いベッドの端に貼り付いたように寝た。振り向けば、あどけないリナの寝顔。体力的にも精神的にも、ちっとも疲れはとれなかった。

「コプト海軍が見えてきたぞー！」
見張り役の張り上げる声で、リナとゼロスは目を覚ました。
「リナさん、出番です」
「え？え？何？」
「竜破斬（ドラグ・スレイブ）、使ってもらいます」
「いいけど、せいぜい戦艦一つくらいしか吹き飛ばせないわよ？」
「そこで、これが役に立つんです」
首につけた、魔血玉のタリスマンに触れる。
「僕の後について、唱えて下さい。四界の闇を統べる王、汝ら欠片の縁に従い、汝ら全ての力持て、我に更なる力を与えん」
「四界の闇を統べる王……」
「いかがです？」
「すごい……身体の中で、魔力が増幅していくのが分かる！」
「さあ、コプト海軍が近づいてきました。船首へ！そして、竜破斬（ドラグ・スレイブ）を！」
「黄昏よりも昏きもの　血の流れより紅きもの……ドラグ・スレイーブッ！」
ドオン。波しぶきが立ち上がり、雨のように甲板に降り注いだ。敵の戦艦は……消えているか、その半分を海に浸していた。
「すげえ！相手の海軍は全滅だ！このまま、コプト国に乗り込みますか？」
「ええ、お願いします！」
メタリオム国の海軍は、ぼろぼろになった帆や、海面に浮いた油のなかを進み、その日の夕方にはコプト国についた。
「馬や馬車を奪うんだ！ぐずぐずするな！」
「ねえゼロス、このまま行ったら陸軍が攻めて来るんじゃ……」
「コプト国の主な戦力は海軍です。そして、貴女はそれを竜破斬（ドラグ・スレイブ）一発で沈黙させた。もう一回、増幅版の竜破斬（ドラグ・スレイブ）を唱えれば、戦争は終わりです」
海辺の街で足となる馬や馬車を奪ったメタリオム軍は、コプト城へと向かっていた。甲冑をまとった陸軍が、その前に立ちはだかった。リナは、黒く大きい馬の、ゼロスの前に乗せられていた。手綱を持つゼロスが、リナに促す。
「さあ、増幅版の竜破斬（ドラグ・スレイブ）を！」
「わかったわ。四界の闇を統べる王……ドラグ・スレイーブッ！」
コプト国に、もはや残された戦力は無かった。




フィリアさんにまたこんな役をさせてしまいましたが、私は決して彼女が嫌いなわけではありません。信じて下さいm(_ _)m。でも、彼女にこういう敵役をさせるのは今回で最後にします。それでは、続きもよろしくお願いします。
ここの小説では、「あなたとふたりで……」で、フィリアさんに、リナを刺そうとしてガウリイを刺してしまう役をさせていますね。本来の穏やかでお茶目な彼女からはかけ離れた役です……。反省してます。


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