西の塔の姫君…１




「竜破斬（ドラグ・スレイブ）！」
メタリオム軍の一部が吹き飛ばされる。
「弓隊、前へ！魔術隊、弓隊に浮遊（レビテーション）をかけて！城壁の上に上げるのよ」
強弓を構えた弓隊が、城の外壁に上に次々に現れる。矢の雨を浴びせかけられて、メタリオム国軍は後退した。
「魔術隊、黒妖陣（ブラスト・アッシュ）を！剣士隊、城壁の外へ出て！」
城の外壁の端にある砦。その上から、甲冑に身を包んだ紅茶色の長い髪の少女が城を守る兵士に指示を出している。
「剣士隊、ひるまないで！魔術隊、魔風（ディム・ウィン）で剣士隊をサポートして！槍隊、出て！」
メタリオム軍は、じりじりと押される。しかし、メタリオム国の魔術隊が城壁の弱いところを狙った。
「炸弾陣(ディル・ブラント) ！」
城壁の一部ががらがらと崩れる。そこから、メタリオム国軍が入り込もうとする。
「槍隊、城壁の破れたところをカバーして！魔術隊、覇王氷河烈（ダイナスト・ブレス）を！」
砦の上で指示を出し続ける少女を、遠くからオペラグラスで、ゼロス＝メタリオムは見守っていた。
「勇ましいことで。でも、あの美しさには惹かれますね……」

「駄目です、リナ姫様。城の中に入り込まれます！」
「剣士隊、城壁の壊れたところに集中して！魔術隊、炸裂陣（ディル・ブランド）を！弓隊、城の中に入り込んだ敵方の兵士を狙って！」
リナの声は戦場に凛と響いた。だが、インバース国の劣勢は明らかだった。敵の兵士は、倒しても倒しても後から続いてきた。
「くっ、何て大軍なの……！」
メタリオム国の兵士は、宮殿の入り口にたどり着いていた。
「弓隊、宮殿の入り口の兵士を！」
「リナ姫様、敵味方が入り乱れていて、無理です！」

「そろそろ行きますか」
ゼロス＝メタリオムは、黒毛の馬に跨ると、インバース城へ向かっていった。

「インバース国王、降伏してもらおう！」
国王の謁見室にまで、メタリオム国軍は入り込んでいた。王妃が国王に取りすがる。
「どうか、どうか命だけは……」
「甘いな、王妃よ。これは戦争だ。ここまで入り込まれた貴女たちの負けだ……！」
「お願い、夫を殺さないで！」
「心配召さるな、王妃よ。貴女もすぐに後を追わせて……」
「ちょっと待って下さい」
黒い、絹糸のような髪を肩で切りそろえた、身なりのいい男が入ってきた。
「ゼロス王子様……！なぜこのような所に！」
「あなた方の命は、助けてあげてもいいですよ。もちろん、インバース国はメタリオム国の属国になることが条件ですが」
「そのような辱めを受けるくらいなら、我々はここで死を選ぶ……！」
「おやおや、命はもっと大事にするものですよ。属国になるとはいえ、インバース国は存続させてあげるわけですし。悪い条件ではないと思いますよ」
「う……うむ」
「その代わり」
ゼロスは唇を人差し指で押さえた。
「あの、勇ましいお姫様をいただきましょう」
「な……っ！リナのことか」
「ほほう、リナ姫とおっしゃる……」
ゼロスは笑みを深くした。
「もちろん、僕の……このメタリオム国のゼロス第一王子の正室として迎えさせていただきますよ。悪い条件ではないと思いますが」
「ばかな……！リナをお前などに渡せるものか……！」
「お嫌だというのなら、ここであなたがた二人を殺して、その後にリナ姫にひどい目にあってもらってもかまわないのですよ？」
「く……っ！」
国王は黙った。
「どうです？決意はつきましたか？」
「わかった……リナをあなたに託そう。しかし、あの子も不必要な辱めを受けたら自害するように教育してある。けっしてあなたの思うままにはいかないぞ……！」
「分かって頂ければいいんです。それでは、リナ姫をここへ」
「頼む」
兵士の一人が、砦への階段を上っていった。やがて、甲冑に身を包んだリナが、謁見室に姿を現した。

「お父様、お母様！我々は、最後の一人まで戦おうと決意したではありませんか！」
「しかし、お前を思うままにされると言われると……仕方がないだろう」
「あたしは、いつでも自害する覚悟は出来ています！」
「リナ」
王妃が言った。
「生きて……生きてちょうだい。貴女はまだ若いのよ。この先、どんな幸運が貴女を待ち受けていないとも限らないわ」
「敵の手に落ちて、幸運だなんて！」
「リナ姫」
ゼロスが恭しく頭を下げる。リナは、汚いものを見るような目つきで、ゼロスを見た。
「リナ姫が、僕の元に来て下さらないと言うのなら、この場で貴女のお父様とお母様には死んでいただくことになりますね」
「…………！」
「そして、インバース国は跡形もなく滅ぶ。貴女は、兵士たちの慰み者になるか、いかがわしい宿に売り飛ばすか……とにかく、僕の好きなようにします」
ゼロスは、リナに近づくと、リナの細い顎を持ち上げて深紅の瞳を覗き込んだ。
「これでも、僕に逆らいますか？」
「……わかったわ」
「何が、分かったんですか？」
「あんたのものになる。これでいいんでしょう！」
「いやあ、物わかりのいいお姫様で助かります」
ゼロスは、リナの身を包んだ甲冑を撫でた。
「この勇ましい姿もいいのですが……僕の正室になるには、それなりの格好をしていただかなくてはなりませんね。着替えてきて下さい」

淡いブルーのドレスを身につけたリナは、ゼロスの馬車に乗せられた。門まで、国王と王妃が見送ってくれた。
「リナ、すまない。お前を、人身御供にしてしまって……」
「リナ、どんなときも希望を失わないで。私たちはいつでも貴女のことを想っているわ」
「お父様、お母様」
リナは、馬車の窓から、両親にキスをした。
「お別れです」
御者が馬に鞭を当てた。馬車は走り出した。小さくなっていく馬車を見て、王妃は国王に取りすがって泣いた。
「リナに……どうかリナに幸運を」
国王は、暮れゆく空に向けて、リナのために祈った。

「おやおや、こんな物騒なものを持っていたんですね」
「く……っ！放して……！」
「放したら僕が殺されてしまいますよ」
太ももにベルトで止めてあった短剣を、リナはゼロスに向けた。だが、その細い手首はあっさりと掴まれてしまった。
「勇ましいお姫様ですね。まあそんなところに僕は惹かれたわけですが」
宝石で飾られた短剣は、走る馬車の窓から捨てられた。
「貴女が砦の上で部隊を指揮していたとき……あの時から、僕は貴女に魅せられたんです」
「馬鹿なことを……！」
「本当ですよ。自ら危険なところに立ち、兵士たちを勇気づける。こんなお姫様を他に僕は知りません。それに、あの竜破斬（ドラグ・スレイブ）」
そっぽを向くリナの顎を捕まえて、無理やり自分の方へ向かせる。
「あれは、貴女が放ったんですね？素晴らしいことですよ。一国の王女があの魔法をマスターしているなんて。おかげで、こちらの軍には相当の損害が出ましたが」
「あたしは、決してあんたの思うままにはならないわ。覚悟して置いて……！」
「ええ。あっさりと僕のものになるような貴女なら、最初から欲しがったりはしませんよ」
馬車は、埃を蹴立てて、メタリオム国領へ入っていった。

「母様、ただいま帰りました。お喜び下さい、わが軍の勝利です」
「ご苦労であった、ゼロス……」
玉座にゆったりと腰掛けた金髪の美女───メタリオム国の女王ゼラスは、息子の戦果をねぎらった。
「ところで、そこで後ろ手に縛られている美しい女性は……？お前の慰み者として連れてきたのか？」
「いやですね、母様。この方はインバース国の第二王女リナ＝インバースさん。もっとも、もうすぐリナ＝メタリオムと名乗っていただくわけですが」
「ほほう、お前の正室に。しかしそれなら、なぜ縛っているのだ？」
「まだ僕に逆らう気が満々と残っているようですからね。しばらくは、あの西の塔の部屋で養生していただきます」
「西の塔の部屋？いままでお姫様暮らしをしてきた女の子に耐えられるかな？」
「心配いりませんよ母様。リナさんは甲冑を着て、軍の指揮をとっていたほどに勇ましい女性ですから」

ゼロスに、抜き身の剣を背中に突きつけられて、リナは螺旋階段を上った。
「ずいぶんと……登らせるじゃない。この先に、何があるって言うの？」
「牢です」
「……！」
「もっとも、身分の高い人専用に作られた牢ですから、設備は整っていますよ。ちゃんと湯も使えます。貴女が、僕の妃になる決心がつくまでは、そこにいてもらいます」
「それじゃ、あたしは一生をその中で暮らすわ」
「強情ですね……着きました」
鉄格子のドアが開く。中は、それなりに設備の整った、綺麗な部屋だった。天井から紐が下がっている。
「メイドを呼びたいときにはこの紐を引いて下さい。僕は貴女のためならば、どんなものでも用意させますよ。では、ごゆっくり」
鉄格子は閉められた。ゼロスの足音が遠のいていった。リナは、窓に駆け寄った。嵌殺しの硝子窓から覗く風景は、リナが軍の指揮を取っていたあの砦よりも高かった。鉄格子を掴んで揺らす。びくともしない。部屋の中を見て回る。クローゼットを開けると、リナのサイズにぴったりのドレスが１０着近くかかっていた。パジャマも、バスローブも揃っている。
「馬鹿にして……！ぜったいに、あいつの思うとおりにはならないわ」
夜がふけ、部屋の中が暗くなった。リナは、枕元のランプに灯を入れた。疲れていた。ドレスを脱ぎ、用意されたパジャマを着て、リナはベッドに潜り込んだ。眠りはすぐに訪れた。


「リナ様、お目覚めですか？朝食を持って参りました」
リナは、既に目を覚まして着替え、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「リナ様？」
黒髪を一つの三つ編みにまとめた可愛らしいメイドが朝食を乗せたトレイを持って、リナに近づく。と、リナは不意に立ち上がって、トレイの上のフォークを手に取った。メイドの腕を掴む。朝食のトレイががしゃんと音を立てて床に落ちる。リナは、メイドの腕をひねりあげると、フォークを首に突きつけた。
「降りなさい！」
フォークが、メイドの柔らかな皮膚にめり込む。メイドは、鉄格子を開け、一歩一歩階段を下りていった。リナも、メイドの腕を掴み、首筋にフォークを当ててそれに続く。長い階段が終わり、廊下に出た。
「あのゼロスとかいう奴はどこにいるの？」
「王子様でしたら、いまは食堂で朝食を取っておられます」
「なら、そこに案内しなさい！」
メイドは、ゆっくりとリナを食堂へ導いた。
「もっと速く歩きなさい！」
フォークを首にめり込ませる。メイドは、無表情のまま、歩く足を速くした。
「こちらが、食堂になります」
「開けなさい」
メイドが片手で扉を開く。広い食堂では、ゼロスと女王ゼラスが朝食を取っていた。
「おや、何の騒ぎですか」
「王子様、リナ様が……」
リナは声を張り上げる。
「ちょっと、あたしを自由にしないって言うのなら、このメイドを殺すわよ！あたし本気よ！」
「朝から元気がいいですね、リナさん。おはようございます」
「何がおはようございます、よ！このメイドの命が惜しくないの！」
「貴女に比べれば、メイドの一人や二人。どうぞ殺して下さい」
唇に指を当てる。
「出来るものならね」
「く……っ！」
リナはフォークに力を込めた。その時だった。捻りあげていたはずのメイドの手が簡単にほどかれ、リナはくるりと宙を舞うと地面に叩きつけられていた。メイドは、懐から小さなナイフを取り出すと、リナの首筋に当てる。
「さあ、お立ちください」
完全に形勢は逆転した。リナは、言われたとおりに立ち上がった。首筋のナイフは、きらりと冷たい。
「牢に戻っていただきます、リナ様」
「ご苦労でした、シェーラさん」
ゼロスは何事もなかったかのように微笑んでいた。
「その様子では、リナさんの朝食はめちゃくちゃになってしまったのでは？リナさんを牢までお送りしたら、朝食のおかわりを持っていってあげてくださいね、シェーラさん」
シェーラと呼ばれたメイドは、隙を見せずにリナの首にナイフを押しつけ、塔の最上階までリナを連れ戻した。
「リナ様、僭越ながら、私に逆らわない方がよろしいかと。それでは代わりの朝食を持って参ります」
シェーラが姿を消すと、リナはドラグ＝スレイブのカオスワーズを詠唱し始めた。
「黄昏よりも暗きもの、血の流れより紅きもの……」
自分の手の中に、力が集中していくのが分かる。
「ドラグ＝スレーイブッ！！」
その力をまともに受けた壁や窓は、全く無傷だった。リナが呆然としていると、シェーラが朝食のおかわりをもって入ってきた。
「それと、この牢には魔法結界が張ってあります。どんな魔法で逃げ出そうとしても無駄ですからね。念のために言っておきますが、封除（アンロック）の呪文も効きませんから。それでは、ごゆっくり」
リナは、出された朝食に手をつけなかった。時計が朝の九時を指す頃、シェーラがトレイを下げに来て、全く手のついていない朝食を見てクスリと笑った。

昼食。夕食。リナは、手をつけようとはしなかった。食事が冷めるに任せて、ただ窓の外を見ていた。シェーラは、何も言わなかった。だまって、冷め切った食事を下げた。

３日目。朝食を運ぶ音が聞こえてきた。リナは、パジャマ姿のままで、ぼんやりとそれを待っていた。現れたのは、シェーラではなくゼロスだった。
「おはようございます、お姫様。いえ、僕の妻となる方」
リナは、だるそうにゆっくりと振り向いた。
「何をしに来たのよ」
「決まってるじゃありませんか。僕の妻ともなるべき方が、ここ３日間何も食べていない。夫として気になるのは当然でしょう？」
「だれが夫よ。まったく、嫌になっちゃうわね」
その時、リナのお腹が盛大に鳴った。リナは、顔を紅くして目を背ける。ゼロスの持ってきたトレイの上には、美味しそうな朝食が二人分、山盛りに置いてある。
「さ、意地を張らずに食べて下さい。体をこわしますよ」
ゼロスは、ポタージュをスプーンにすくって、リナの顔の横に差し出した。リナは、それを手で払いのけた。スプーンが床に転がる。
「ハンスト、ですか……でも、お腹空いたでしょう？さっきの貴女のお腹の鳴る音、しっかり聞きましたからね」
「……余計なお世話よ。その残りの食事を持って、どっか行って」
「そうはいきません」
ゼロスは、リナの肩に手を回した。
「僕の未来のお嫁さんが、こんなところでやせ細っていくのを、黙って見過ごすわけにはいきません」
「ねえ、ちょっと」
リナはいらいらした声で言った。
「その、妻となるべき方、とか、未来のお嫁さん、とか、そういう言い方止めてくれない？あたしは、全然そんなものになるつもりはないんだから」
「そうですか」
ゼロスは、平然として言った。
「それでは、貴女のお父様とお母様の立場が、危うくなりますね」
「……！」
「それに、貴女も」
紫の瞳が深紅の瞳を覗き込んだ。




軍の指揮を取るリナちゃんがけっこうお気に入りです。牢屋に閉じこめられたリナちゃんにどんな試練が待ち受けているのか……それでは、続きもよろしくお願いします。



ヨロイを着たリナちゃんって、きっとすごく凛々しくて可愛いと思うのです。


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