熱砂の薔薇[６]







　相変わらずすれ違う車は少ない。道路に沿って、磨き抜かれた低い鉄柱が並んでいる。
「ゼロス、あれは何？」
「地下にパイプラインが通っているんですよ。我が国の産する石油と天然ガスを運ぶためにね。出来るだけ人家の近くには通さないようにしたんですけど、ここは、ちょっと」
「石油、に天然ガス、か。メタリオム・アラブ王国がお金持ちになるわけよね」
「もう少しで着きますよ。貴女の喜びそうな場所」
「どんな所かしら」
「霊廟です」
　ゼロスは先に車を降り、リナが降りるのに手を貸した。秋の真昼。砂漠は熱に包まれる。だが、ここはひんやりとした風が吹いてきて涼しかった。
「……水？」
「そうです。リナさんの部屋から見えるあの湖から、水を引いてきているんです」
「……って、ずいぶん車で走ったわよ？」
「パイプラインと同じ。地下を通ってるんです」
蒼穹を映す水の色は、空と同じに蒼い。そこに浮かぶように、美しい建物があった。
「綺麗ね」
「僕の高祖父にあたる人が、妻のために立てた墓です」
「高祖父……おじいさんの、おじいさんか。でも、まるで昨日出来上がったみたいに綺麗だわ」
「高祖父は、代々の王の墓に葬られました。最期まで、ここに埋葬して欲しいと願っていたようですが」
「王の地位っていうのも、大変なものなのね」
　水の上を吹き渡る風は冷たく、ゼロスはリナの華奢な肩を抱き寄せた。
「僕は、貴女が欲しい」
「ゼロス……」
「王の地位を捨ててもいい。貴女と同じ墓に葬られたい」
「えらくまた、抹香臭いプロポーズね」
「受けていただけますか？」
「今は……まだ、駄目。考えさせて。あたしの中では、あんたは依然として卑劣な誘拐魔なんだから」
　ゼロスは、抱き寄せる手を強くする。リナがよろけると、しゃらん……と鈴が鳴った。
「考えさせて、ということは、僕にも少しは可能性がある、ということですか？」
「さあてね。教えてあげない。秘密よ」
　リナは片目をつぶって、唇の前で人差し指を振った。

　太陽が沈みつつある。車のエアコンを全開にしても、まだ熱い日光が二人を照らす。
「今日は、満足していただけましたか？」
「まあね。興味深い発見がいろいろとあったわ。でも、このことをレポートにして大学に提出したりしてはいけないんでしょう？」
「ええ。そうされると困りますね」
「うう、欲求不満がつのるわ」
　リナは足をぱたぱたさせた。その幼い仕草に、ゼロスは我知らず微笑む。
「他に、行きたいところはありませんか。どんな所でもお連れしますよ、この国の中なら」
「行きたいところ……」
　リナはハッと頭をあげた。
「あたしがこの国に入り込むきっかけになった、あの礼拝所。あそこに行きたいわ」
「でも、あそこは半分砂で埋まってしまって……」
「あたしは考古学をやってるのよ。砂を掘るのなんて慣れてるわ。今まで忘れていたけど、あそこにはとても貴重な発見があったの。あの石壁の一部でも見つかれば……」
「分かりました。今日はもう陽が落ちつつありますので、またの機会でいいですか？」
「ええ。絶対に連れていってね」
「じゃあ、僕は車を置いてきます」
　駐車場に行くと、人影があった。
『ジナティさん。こんなところで、何かご用ですか』
『王よ！　私が手塩にかけて育ててきた王よ！』
　ジナティの瞳は真剣だった。
『なぜ、国務をおいてまで、あの娘に、忌まわしい娘に入れ込むのですか！　思い出していただきたい。あの娘は、この国を汚してしまう赤い瞳の持ち主。今、王が政務を怠りがちなのが何よりの証拠』
『ジナティさん。何度も言っているように、僕はあの娘を手放す気はありません。彼女の心は、次第に僕に傾きかけている。幸せな未来が僕にあるというのなら、僕はそれを彼女と共に掴みたい。それがいけないことだと言うんですか？』
『……王は、すっかりあの忌まわしい娘の魔力の虜になっている。嘆かわしいことだ』
　ゼロスは、ジナティに詰め寄った。
『これ以上、リナさんを侮辱するなら、僕にも考えがありますよ』
　そしてふいと後ろを向いて駐車場を後にする。
『どんなお考えか、聞かせていただきたいものですな！』
　ジナティの怒鳴り声を背に、ゼロスは振り向かずに歩いた。


『え？　ゼロスがテレビに？』
『そうなのよ。これは極秘情報なんだけどね』
『フィリア、どこでそんな情報仕入れてくるのよ』
『後宮の主はこの私。任せていただきたいわ』
『何のテレビに出るのよ。まさか、世界のハンサムな王様１００人とかじゃないでしょうね』
『あら、リナさんはゼロス王のことをハンサムだと思ってらっしゃるの？』
　リナは、赤面する。
『いや、そーいうわけじゃ、ないんだけどね……』
『そんな呑気な取材だったらよかったんだけどね……核問題よ』
『核兵器……この国も、所有しているの？』
『私の知る限りでは、所有してはいないわ。もっとも、軍備は相当なものがあるけど』
『で、何でそのことをあたしに？』
『チャンスじゃない』
『何の？』
『あなたもテレビになんとかして写るのよ。取材に来るのは共同通信社。当然、ニュース映像として各国で流されるはずだわ。ちらりとバックに写れば、あなたのご家族や友人が気づくかも知れないわ』
『なるほどね……でも、そんな記者会見場、あたしなんかがふらふら入っていいわけないでしょう』
『そこでまた男装よ。あなたがここに来たときに着ていた服、まだ持ってる？』
『クリーニングされて、クローゼットの奥にしまってあったはずだわ』
『それを着て。帽子もある？』
『ええ』
『髪を帽子の中にたくしこんでいって、テレビに写るところでそれを外すのよ。それで誰かが気づくでしょう。国際的に助けを求められるかもしれない。そうなれば、いくらわがままなゼロス王も、あなたを手放さざるを得なくなるわ』
　リナは、ため息をつく。
『そううまくいくかしら』
『あなたらしくないわね。チャンスは、すべて使わなきゃ。取材は今夜よ。王宮内、謁見の間。ああ、その足首の鈴が鳴らないように、布でくるまなくちゃね』
『後宮の表の見張りはどうするのよ』
『見張りが立つのは午後八時から。それまでに後宮を抜け出して……そうね、男子トイレの個室にでも隠れてなさい。今回はさすがに私もお供できないわ。あなたの勇気に賭ける』
『……ありがとう、フィリア』
『意に染まぬ婚約なんて、破棄しちゃいなさいな。大丈夫、うまくいくわ』

リナは男子トイレの個室に隠れて、取材が始まるという午後六時を待った。やがて、騒がしいテレビクルーたちが、トイレに入ってくるのが分かった。
「取材を許可されただけでもラッキーだな」
「この国は、外国人の取り締まりが厳しいからな」
（フィリアは、こんな国で十年以上、どんなに辛い暮らしをしてきたんだろう……）
　リナはぼんやりと考えた。そして、今はリナの脱出に力を貸してくれる彼女。
「謁見の間は禁煙らしいからな。ここで吸っておかなきゃ」
　うっすらと、煙草の煙の匂いがする。
「そろそろ行くか」
　リナはそっと個室の鍵を開け、男たちの集団に紛れ込んだ。

　謁見の間は、国王を守る兵たち、そして取材陣でむせ返るような熱気を放っていた。リナは目立たないように、部屋の隅に立つ。用心でかけた眼鏡が汗で滑り落ちてくるのを指で押さえる。
『国王様が、お出ましになります』
　兵たちは一斉に礼をし、テレビカメラが回り始めた。
　ゼロスは、いつもの黒い民族衣装に黒いターバンで現れた。そこから流れ出る、肩までで切りそろえた、闇色のつややかな髪。
『ゼロス＝メタリオム国王。メタリオム・アラブ王国が、核兵器を所有しているという報告が、国連に入ったのですが、その点について……』
　記者会見が始まる。リナは、壁づたいにそっと歩き、ゼロスの後ろを警護している兵の、さらに後ろを通り抜けた。
『我が国は、確かに軍は持っていますが、核兵器は所有していません』
　ゼロスのちょうど後ろを通り抜けるとき、リナは帽子を外した。こぼれおちる紅茶色の長い髪。兵士たちは、ゼロスとテレビクルーたちに注目していて、リナが通り過ぎたことに気づかない。
（どうぞ、映っていますように。だれか、あたしのことを知っている人が見ていてくれますように）
　リナは、まっすぐゼロスの後ろをつっきり、熱を逃すために開けてあるドアから、外へ出た。

『どう？　うまくいった？』
　部屋でフィリアが待っていた。リナは、作業服を脱いで、与えられた民族衣装に着替える。作業服を小さく折り畳んで、クローゼットの奥に突っ込む。
『分からない。でも、誰かが見ていてくれたら……』
『きっと、助けが来るわ。大丈夫よ。疲れたでしょう。チャイでも飲む？』
『いただくわ』
　季節は秋から、初冬へと移り変わっていた。温かなチャイが、緊張した身体を解きほぐした。


　ガウリイは、ゼフィーリアに帰ってきて以来、よく眠れていなかった。その日も、午前三時に目を覚ました。泣き叫ぶリナの幻を見て。
「リナ……どうしてるんだ、リナ。それとも、お前は本当に死んじまったのか？」
　テレビをつける。どの局も、天気予報か、夜景を映しているだけだ。滅多に見ることのない報道チャンネルだけが、密やかにニュースを流している。
『次は、メタリオム・アラブ王国の、核所有疑惑についてのニュースです……』
　その国の名前には覚えがあった。あの、飛行機から見えた、砂漠の国。白く豪勢な宮殿。
　画面に字幕が出る。
『我が国は、確かに軍は持っていますが……』
　その時、ガウリイは目を疑った。大学で支給される作業服を着た、小さな影が画面の奥を通り過ぎていく。そして、影は帽子を外した。こぼれおちる紅茶色の髪。
「リナ……！」
　ガウリイは、とっさにその映像を録画しようとした。だが、ニュースはすぐに次の話題に移り変わっていった。
「すみません、夜分に……ルナさんですか？」
「ええ。あなたは？」
「リナさんと大学で同じゼミにいるガブリエフといいます」
「ああ、あなたなの。リナのことを諦めていないでくれる学生さん……それで？　何かリナのことで分かったの？」
「実は……」
　ガウリイは、必死で今のニュースのことを伝えた。
「なるほど、あなたはリナを見た、と……」
「メタリオム・アラブ王国は、俺たちの発掘現場だったダルフィン・アラブ共和国のすぐ近くです。リナは流砂から助かってたんだ。どういう事情であんな場所にいるか分かりませんけれど……助けに行かなくては」
「そうは言われても、もう私たち家族は仮の葬式まで済ませたんだけど……本当に、それがリナだった、という自信はある？」
「あれは絶対にリナです。俺が間違えるわけがない」
「とにかく、そのニュース映像を見ないうちは何とも言えないわ。チャンネルはどこだったの？」
「報道専門チャンネルです。今日一日合わせておいて下さい。録画の準備もして」
　しかし、結果は芳しくなかった。その日一日、朝・昼・夕方とニュースを見つめ続けたガウリイとルナは、夜に電話で話し合った。
「メタリオム・アラブ王国の核保有問題についてのニュースは、全部静止映像だったわ。背後にもリナらしき人物はいない。あなたは、確かに動いている映像を見たのね？」
「昨夜の午前三時にはっきりと」
「そのテレビ局に問い合わせた方が……」
「問い合わせなら、とっくにしました。あのニュースに関しては、静止画像しか使っていない、ときっぱり言われました」
「そう」
　ガウリイは、受話器を握りしめた。てのひらに汗をかいている。
「テレビ局まで、俺たちをごまかして、うそをついている。俺は、メタリオム・アラブ王国へ行きます。リナの存在を証明します」
「気持ちは嬉しいけれど……あの国は、外国人旅行者を受け付けないんでしょう？　だから、発掘の時にも気をつけるようにって……」
「リナがあそこにいるんです。俺に入り込めないことはないと思います」
「ガウリイ・ガブリエフくん」
「はい」
「リナが好きなのね？」
「ええ。心から、大好きです」
「まず、王国のゼフィーリア大使館に連絡を取ってみるといいわ。無事に行けるようなら、その旨を私たちにも伝えて。私たちも、信じたくはないの。リナが死んでしまったなんて」

　ゼフィーリア大使館の返答はすげないものだった。旅行者はいかなる理由があっても受け付けられない、隣国のダルフィン・アラブ共和国で女学生が亡くなった事故は知っているが、それはこの国とは一切関係ない。
「人の命がかかっているんですよ！」
　電話口で大声を張り上げるガウリイに、これ以上話すことはありません、と電話は切れた。

　ガウリイは、旅の準備をした。ダルフィン・アラブ共和国までのチケットを取り、発掘道具と作業服を鞄に詰めた。共和国の方に宿を手配し、発掘現場までの交通路を確認した。リナと違って、アラビア語の授業のほとんどを寝てすごしたガウリイにとっては、難しい作業だったが、寝不足の頭は奇妙に冴えて、気がついたら空港行きのバスに乗り込んでいた。ガウリイは、携帯電話からリナの家に電話した。ルナが出た。
「俺は、これからあの発掘現場へ行ってみます」
「発掘現場って……レスキュー隊の方が行ってだめだったんでしょう？　あなたがいまさらいったところで……あれから何ヶ月経ったと思っているの？」
「リナはあそこで死んだんじゃない。どういう道をたどったのか知らないが、メタリオム・アラブ王国に入り込んだんだ。俺も、同じ道を探してみます」
「……あなたまで、死んだりしないでね」
「リナは、死んでいません」
ガウリイは、電話を切った。バスは、出発ロビーの前で止まった。




ゼロスなりのプロポーズ。ガウリイなりの必死の行動。リナを想って、二人はどこへたどり着くのか。文中のカッコは、「」がゼフィーリア語、『』がアラビア語となっています。
ガウリイがリナを好き、というのは私の小説ではいつものことですが、このガウリイはほんとに一途で……ていうか、ゼロスよりもいい男だろ、はっきり言って。






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