熱砂の薔薇[４]
『王よ』 『なんですか？ ジナティさん。僕は、見てのとおり、たまった書類の整理で忙しいんですが』 『あの……祭礼を汚したあの娘を、なぜ後宮などに入れられるのです』 『僕があの娘を気に入ったからです。何かおかしいですか？』 『王が小さくあられたころ、私が呼んで聞かせたこの国の伝説を、覚えていらっしゃいますかな』 『さあ。山ほど聞かされましたからね。一つ一つは覚えていませんよ』 『「紅き瞳の魔獣が神を汚すとき、この国に破滅が訪れるであろう」……』 『ああ、それなら覚えていますよ。それが何か』 『あの娘の瞳。禍々しい赤。そして、あの娘は神を汚して現れたのです。……不吉な娘です。早々にこの国から追いだした方が』 『ジナティさん』 ゼロスの強い口調にジナティは気圧された。 『そんな迷信に捕らわれて、リナさんを手放す気は、僕には少しもありません。第一、リナさんは魔獣ではなく、美しい女性ではありませんか』 『魔獣は、魔獣のすがたをとって現れるとは限りません。王を誘惑し、堕落させれば国は滅ぶ。悪魔の思うつぼです』 ゼロスは乱暴にペンを置き、ジナティを振り返った。 『僕は確かにリナさんに惹かれています。あなたはそれを堕落だというのですか』 『王よ、あなたは女という魔物の恐ろしさをまだご存じない。いずれ、私の言っていたことが正しかったと分かる日が来る』 ゼロスは、立ち上がって部屋を出ていこうとした。しかし、ジナティは柔らかくそれを制止し、自分が部屋を出ていった。 次の朝。この上なく美味しい朝食が済むと、フィリアが訪ねてきた。 『おはようございます、リナさん。後宮での一日目はいかが？』 『フィリア。あなた、ゼロス…王の、愛人の一人？』 『違いますわ』 フィリアは、あっさりと否定した。 『私は前王の４人目の妃。今は、このハレムを管理するためにここにいます』 『フィリア、夕べ、あたしたちは友だちになるって言ったわよね』 『ええ。どうかなさって？』 『あたしの、本当の友達として答えて欲しいの』 『えっ？ ここが王の後宮だと知らずに？』 『そうよ、フィリア。あたしは、てっきり客用の部屋か何かだと思って……後宮だなんて、ちっとも聞かされていなかったわよ』 『……リナさんは、外国の方よね？』 『ええ。ゼフィーリアから、大学の合宿でダルフィン・アラブ共和国まで来てたの。流砂に巻き込まれて国境を越えてしまったらしいんだけど』 リナは、今までのいきさつをフィリアに話した。 『腕が治るまでゆっくりしていけばいい、って言われて。大使館からは何の連絡も無くて。ゼフィーリアに連絡が取れないって……』 フィリアは首をかしげ、あごに指を置いた。 『確かにおかしいですわね、それは……私も外国人で、私の祖国を訪問された前王に見初められてこの国に来たんですけど、母国と連絡が取れない、ということは一度もなかったわ』 『まさかゼロスは……』 『じゅうっぶん！ 考えられますわ』 フィリアは語気を強めた。 『第一、ゼロス王は、私どうも虫が好きませんの。いつもにこにこしているけれど、腹の底では何を考えているか分からないし……自分がこうと決めたら、絶対に気持ちを変えない我が儘なところがあるし。運転手も付けずに自分で大きな車を乱暴に運転して、全く王宮の人々の心配を省みないし。全くもって前王とは大違い！ ああ、あのにやけた顔を思い出すだけでむかついてきましたわ！』 さすがにリナが止める。 『ちょ、ちょっとフィリア。あたしはあたしの国に帰れればそれでいいの。それにあいつ、結構優しいところもあるわよ』 『いーえ、あの王を信用してはいけないわ！ その優しさだって、リナさんをこの国に引き留めておくための策略の一つだとすれば？』 『う……ん。そうかも知れない』 『目には目を、策略には策略を。リナさん、パスポートは持ってて？』 『ええ。ウエストポーチは今でも手元にあるし、その中にパスポートも』 リナは、ポーチを開け、ポケットにパスポートがあることを確認した。 『よかった。あのヘンタイ国王に取り上げられてなくて』 『フィリア、だんだん表現がきつくなってるんだけど』 『ていうか、あなたがそんなに彼をかばっていいのですか？ 拉致監禁されているのはあなたなのに』 『……』 『私に策があります。今夜は、着替えず、寝ないで待っていて』 『策、って……まさか、フィリアまで危ない目に遭うようなことじゃないんでしょうね』 フィリアはにっこりと微笑む。 『まあ、うまくいっても、いかなくても、私は今の立場を追われるでしょうね』 『フィリア……！』 『いいのよ。ゼロス王は私には執着はないみたいだし。まさか死刑にはしないでしょうし、いいとこ母国へ強制送還でしょう。私にとってはそれでちっとも構わないわ』 『夜に逃げ出すのね。行き先は？』 『ゼフィーリア大使館。中へ逃げ込んでしまえば、もう安全よ。夜は、後宮から女が逃げ出さないように見張りが立てられるけど……』 『どう、するの』 『まあ、私の日頃の行いがよかったってことね』 フィリアは自慢げに言い、リナは首を傾げた。 美味しい夕ご飯がすんでしまうと、リナは黄昏ゆく湖を眺めた。湖の彼方に、沈む太陽。 『ガーネットの瞳。夕暮れの色でもあり、暁の色でもある』 あのときゼロスが言った言葉を思い出して、リナは赤くなった。 「まあ、お世辞だったとしても、嬉しかったかな」 もし今夜の脱出がうまくいけば、二度と逢えなくなるゼロス。 「寂しくなんて、ないわ。あたしをだましてこんなところに閉じ込める奴なんて」 その時、ドアが丁寧にノックされた。 『フィリア？』 リナは扉を開けた。途端に抱きしめられた。 「リナさん、逢いたかった」 ゼロスが、リナの身体を強く抱きしめた。 「折れそうに細いですね、貴女の身体は」 リナはその腕から抜け出そうともがいたが、ゼロスはリナを簡単に抱き取ってしまい、部屋の中に入るとドアを閉めた。 「放して！ 何をする気？」 「国王が自分のハレムに来て、何かおかしいですか」 リナは、必死でゼロスの腕をふりほどくと、平手打ちをした。 「何がハレムよ！ 確かにあたしはこの国にとっては招かれざる客なのかもしれない。でも、あたしに何の説明もなく、後宮に入れるなんて酷すぎるわ」 リナは後ずさる。その足首の鈴が涼やかな音を立てた。 「そのアンクレットは僕の所有の証。リナさん、僕を受け入れて下さい。貴女の望みなら何でも叶える。貴女の気に入らない者がいれば、その人間を殺しましょう。だから……」 ぱこぉぉぉん。いい音がした。 『フィリア！』 『リナさん、大丈夫？』 『何とかね』 『いたたた……』 夕食の食器で殴られたゼロスが、頭をさする。 『これはフィリアさん。リナさんにご用事ですか？』 フィリアは柳眉をつり上げた。 『ご用事もなにも。ゼロス王、あなた、どういうつもり？ 嫌がる女の子に破廉恥な真似をしようとするなら、私が相手になりますわ』 『だから、あたしは女の子って歳じゃないって……』 リナの弱々しいつっこみは無視される。 『フィリアさん、気のせいか、何か僕を目の敵にしてませんか？』 『ああら、気のせいじゃないわよ。あなた、前王に比べると、もう最低の男ね。ああ、私も故郷へ帰り時かしら』 『そうかもしれませんよ、フィリアさん』 フィリアはゼロスを睨む。そして、リナへ視線を向ける。 『この、』 ぎゅうっ、とリナを抱きしめる。 『可愛くて可哀想なリナさんを無事に故郷に帰すまでは、私がリナさんを守りますからね！ ……とりあえず、出ていって下さい』 『貴女がいくら僕の父の妃であったとしても、今の王は僕ですよ？ 僕に命令を下せる人間が、この国にいるとは思えませんね』 『ふーん。前王がおっしゃっていたわ。国の中の全てに君臨するのが王だが、この後宮の中を支配できるのは私だけだと。ここはあなたのものであって、あなたのものではない場所。私の言うことは聞いていただきますわ。リナさんを放して。ここから出ていって下さい』 ゼロスは、肩をすくめた。 『はいはい、分かりましたよ。僕はここを出ていく、それでいいんですね。ふう、僕のための後宮だというのに、なぜ僕が遠慮しなくてはならないんでしょうね』 『あなたが尊敬に値する国王だと皆に認められたら、私もうるさく口を出したりは致しませんわ。今のあなたにリナさんは任せられません』 ゼロスは、黙ってリナの部屋を出ていった。 『ありがと、フィリア。助かったわ』 『これが見つからなくて良かったわ』 フィリアは、大きなバッグを提げていた。 『男物の服？』 『今夜の脱出に使うのよ。夜の街を女二人で歩いていたら、あやしすぎるものね』 冷たい空気と満天の星空が支配する夜になった。リナは、フィリアの言うとおり、男物の服に着替えた。鈴の鳴るアンクレットは、フィリアによって、厳重に布でくるまれた。 『それでも鳴ってしまうでしょうけど……出来るだけ静かに歩いて下さいね』 長身のフィリアには男物の服がよく似合った。髪は、結い上げられている。リナには、かなりだぶだぶだった。髪は、今ひとつ右手の不自由なリナには上手くアップに出来なかった。櫛を持ったフィリアが、丁寧に髪を結ってくれた。 『ありがと、フィリア。何もかも任せちゃって……』 『いいのよ。私たち、お友達でしょう？ それに、あのゼロス王の鼻をあかしてやりたいのよ、ほんとのところ』 『見張りは？』 『私の薬入りのチャイで、眠らせてあるわ。当分は静かにしてるでしょう』 『薬なんて、どっから手に入れるのよ〜。第一、この男物の服は？』 フィリアは、口に手を当てて小さく笑った。 『この宮殿で１０年も暮らしてるとね。何とでもなるものなのよ』 二人は、夜の廊下に滑り出た。しゃらん……とリナの足首の鈴がくぐもって響く。 『気をつけてね』 『分かってるわ』 涎を垂らして眠りこけている番兵の短銃を奪うと、『こっちよ』とフィリアが先に立った。 宮殿の入り口まで、誰とも出会わなかった。 『他の部屋に見張りはいないの？』 『見張りがいるのは後宮の入り口だけね。他にももちろん衛兵が立ってるけど、いない道を選んで進んでるから』 『流石ね、フィリア』 『だてに１０何年ここの王宮に住んでるんじゃないわ』 『１０何年？ じゃあ、フィリアが王様に見初められてきたのは……』 『１３の時よ』 『ひえええ、前王ってロリコ……』 『静かに。もうすぐ城の出口よ。そこには衛兵が二人いるわ』 『どど、どーすんのよう』 『強行突破、しかないわね』 フィリアは銃を構えた。 『ま、まさか……あたし、人殺しはちょっと』 『銃はしっかり持ってるわね。あなたもやるのよ』 『そ、そんなー……』 フィリアは出口に立つ衛兵の一人を、思い切り銃床で殴った。 『フィリア！』 『何者だ！ この……』 『リナさん、あなたがやるのよ！』 リナも見まねでガツン、と思い切り衛兵の頭を殴った。二人とも、気を失ったらしい。フィリアが懐からガムテープと布きれを出して、衛兵を後ろ手に縛り、さるぐつわを噛ませた。 『これで時間がかせげるわ』 『フィリア……なんか、慣れてない？』 夜のとばりの中に駆け下りながら、フィリアが言った。 『こうして、王宮を抜け出すのは二度目だから』 フィリアに追いついて、リナはさらに訪ねる。 『一度目は？』 『ここに来たばかりの頃ね。前王の３人の妃から苛められて。どうしても故郷へ帰りたくなって、真夜中に脱走したの。もちろん、あっという間に衛兵に捕まっておしまいだったけど。……ふふふ、今夜はそれのリターンマッチよ。あれから十数年、知恵もついた、身分もついた。リナさんは、私が確実にゼフィーリア大使館に逃げ込ませてみせるわ』 二人は声を殺して語り合いながら、綺麗に整備された歩道を駆けていった。 『フィリア。まだなの？ 遠いの』 『もう少しよ。見える？ あの大きなビル。あれの３階にゼフィーリア大使館が入ってるわ』 『独立した建物じゃないのね』 『オアシス───あの湖を囲んで作られた都市だから。狭いのよ。あのビルには、上から下まで様々な国の大使館が入ってる。一種の治外法権地帯なのよ。三階までは、非常階段で上るわよ。リナさん、疲れない？』 『国に帰るためだもの。大丈夫』 『無事にゼフィーリアに戻れたら、ゼロス王の奴を訴えなさいな。いい薬になるでしょう』 非常階段の金属を響かせないように、リナたちは三階まで登った。 『もうすぐよ』 フィリアは、ドアを開けた。そして絶句した。二人に向けられた、数多くの銃口。その後ろにひかえる、闇色の王。 『そう来ると思っていましたよ、フィリアさん』 『リナさん！ 大使館に駆け込んで。銃なんて撃てるものですか。早く！』 リナは駆け出そうとした。 『おっと』 ゼロスが腕をフィリアに向ける。銃口は、揃ってフィリアに狙いを定める。 『リナさん』 ゼロスは、笑みを深くした。 『貴女がそれ以上動いたら、フィリアさんがどうなるか……分かりますね？』 リナは立ち止まった。 『銃を捨ててください』 リナの手から、短銃が滑り落ちる。床をくるくる回る銃を、ゼロスが拾い上げた。 『リナさん！ 諦めないで！ 大使館へ……』 フィリアの柔らかな胸に長銃の先が突きつけられる。 『……できない。できないわ、フィリア』 『リナさん……』 『女の子同士の逃亡ごっこは楽しかったですか？ それもここでゲーム・オーバーです。さあ、夜の空気は冷たくて体によくない。王宮へ帰りましょう。あなた方のいるべき場所へ』 『何が……何がいるべき場所よ！』 リナが叫んだ。 『あたしはゼフィーリア人よ。あんたにいつまでも閉じ込められる筋合いはないわ。この……』 ウエストポーチを探る。 『パスポートが、それを証明してくれる』 ゼロスは、つと手をのばして、パスポートを奪った。 「あ……」 『こんなものがあるから、リナさんはいつまでも自分の立場を理解しないんですね』 ポケットからライターを取り出して、パスポートに火をつける。リナは、床に捨てられたパスポートの火を消そうと両手で叩いたが、炎の勢いは強かった。やがて、リナの手は、黒い消し炭を空しく叩くだけになった。 『ひどい……ひどいわ、ゼロス。何で、こんなこと……』 耳元で、正確なゼフィーリア語がささやく。 「貴女は、僕のものだからです」 「……！」 一瞬平手打ちをしそうになって、その手を下ろす。 「お願い、フィリアをとがめないで。全部あたしのためにしてくれたことなんだから」 「貴女が、その責を引き受けますか？」 「……何でも、言うことを聞くわ。だから……お願い」 「何でも、ですね。はっきり聞きましたよ」 リナは絶望の中で言った。 「王宮に帰りましょう。あたしの……いるべき場所へ」 オリジナルキャラ・ジナティは、決して悪い人ではないと思うのですが、リナちゃんにとってははた迷惑な人です。燃えるパスポートは、ある少女漫画のワンシーンをやってみたくて、ちょっと。何の漫画か分かった方は、掲示板でばらしてやって下さい。 「ジナティ」と言う名前は、アラブ系のニュースサイトで一番に目に付いた名前から取りました。現存するジナティさん、すみません……。 
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