熱砂の薔薇[２]






「ガウリイ、何か喰えよ」
「ほっといてくれ。今、お前と話したくない」
「リナを流砂から救えなかったことは、本当に反省してる。頼むから何か食べてくれ。そんなに思い詰めた顔で、何も喰わないんじゃ、お前の方が先に参っちまうよ」
　ガウリイは、気のなさそうな顔で、焼いた羊肉を取った。
「もう、俺は誰にも遠慮しない。リナにも」
「ガウリイ……」
「保護者なんて返上だ。次にリナに逢えたら、はっきりと伝えるよ。好きだって」
「すまなかった、ガウリイ」
　学生は離れていった。ガウリイは肉を口にした。味がしなかった。


　リナは、ベッドに腰掛けた。アラブの民族衣装をまとった幼い少女が、リナの髪を櫛で梳いた。パラパラと砂が白いベッドに落ちた。王と呼ばれていた男が、笑みを浮かべてリナを見ている。
『本当に、小さな声しか出しませんでしたね。我慢強い女性は好きです』
『それはどうも』
『チャイでもお持ちしましょうか』
『あ、いえ、おかまいなく……』
　しかし目の前の男はベルを鳴らし、女官に飲み物を持ってくるように言いつけた。
『片手だけで、飲めますか？』
『はい、大丈夫です』
　運ばれてきたチャイは熱かった。涼しい部屋の空気にすこし肩口の冷えていたリナは、左手でカップを取った。飲もうとして、その熱さにびくりと左手が震える。
『つ……っ』
　チャイは、僅かに零れて、リナの白いパジャマに染みを作った。
『熱かったですか？　やはり、左手だけでは飲みづらそうですね。僕が手伝いましょう』
　王はするりとベッドのリナの隣に腰掛け、カップを持った。ふうふうと息を吹きかけ、茶を冷ます。
『さあ、どうぞ───』
男は、自分の口にチャイを含んだ。怪訝な顔をするリナに、口づける。
「───！」
　とても甘い、馥郁たる香りのチャイが、口に流れ込んでくる。リナは、少し眉根を寄せて、それを飲み干した。
『では、もう一口』
　男が言うのを、リナは必死で制した。
『喉は渇いていません。もう結構です』
『顔が赤いですね。熱でも？』
　言って、リナの前髪をかき上げ、額に触れる。
『熱は、無いようですね』
　その手は、滑るようにリナの髪を一房絡めた。男はその髪に口づける。
『紅茶の色ですね、貴女のこの柔らかな髪は』
『あ、あのっ……！』
　リナは、男の肩を必死で押して、自分から離れさせた。
（王、とか呼ばれてる割に、単なるセクハラ男じゃない、こいつ〜）
『おや、貴女の綺麗な髪に触れさせてはいただけないのでしょうか？』
　リナは話題を変えようと、声を上げた。
『あの！　私、大学の合宿で来ていたんです。事故で、こちらにお世話になってしまいましたが。どれくらい眠っていたのか分からないのです。今日は何日なのですか？』
『ヒジュラ暦でよろしいですか？』
『あ、いえ、できたら西暦でお願いします』
　男は少し考えて、答えた。
『八月の、２７日ですね』
『あたしが事故に遭ってからは』
『三日が過ぎています』
　リナは、顔色を変えた。
「大変！　教授や皆に連絡しないと。家にも。もう合宿期間は終わってるわ」
『おや、ゼフィーリア語ですね』
「えっ？」
「ならば、貴女の国の言葉でお話ししましょう」
「ゼフィーリア語がお出来になるのですか？」
「ええ。何度か公式訪問したこともありますよ」
「あなたは……一体」
「僕ですか？　───ゼロス＝メタリオム。この国のスルタンであり、カリフでもあります」
「スルタン（世俗君主）……カリフ（宗教的君主）。つまり、この国の王……」
「ええ、そうです。ゼロス、とお呼びください」
「メタリオム、ということは、ここはメタリオム・アラブ王国なのですね」
「ええ、そうですよ」
　ゼロス＝メタリオム王はリナの前に膝を折った。
「僕は───そしてこの国は、貴女を歓迎します」


「教授！　リナを置いて帰るんですか。レスキュー隊、帰してしまっていいんですか！」
「しかたないだろう、ガウリイくん。もう帰国予定日は過ぎているのだ。これ以上の予算は大学側でも用意できない」
「なら、大使館に頼んででも！」
「もちろん、大使館にはリナくんの捜索を続けてもらうように頼むよ。しかし……君も、見ただろう。あの砂で埋まった隧道を。それでも、君は……」
ガウリイは、決然と肯いた。
「リナは、死んでなんかいません。絶対に」
　発掘隊は空港へ向かった。ガウリイは、窓際の席に座り、じっと外を眺めていた。やがて飛行機は離陸し、眼下に砂漠と岩山が拡がった。
　遠い砂漠の向こうに、緑多き宮殿が見える。
「なあ、あのお城みたいなのは何だ？」
　ガウリイは隣の学生に尋ねる。
「ああ、あれか。たぶん、メタリオム・アラブ王国の王宮だよ」
「ふうん……」
　ガウリイは、見るともなく、その宮殿を見つめ続けた。


「あの、歓迎はありがたいのですが、あたしはあたしの国に帰らなくてはなりません。とりあえず、電話をかけさせていただけませんか？　大学のものも、家族も、心配していると思いますので」
「電話ですか。いますぐ持ってこさせましょう」
「いえ、あたしの身につけていたウエストポーチの中に、携帯電話があったはずです。あのポーチを渡して下さい」
「はい、すぐに。ユディトさん」
　ユディトと呼ばれた、リナの髪を梳いていた少女は、弾かれるようにベッドから立ち上がり、ゼロスの前に立った。
『この方の、お荷物を。分かりますね』
　少女は肯いて、走っていった。
「さて。失礼ながら、お名前を伺ってもよろしいでしょうか？」
「あ、あたしったら、自分の名前も言っていなかったですね。リナ＝インバースといいます」
「大学生とのことですが、どちらの大学ですか？」
「ゼフィーリア大学です」
「これはこれは。才媛でいらっしゃる。専攻は……考古学、ですね」
「そうですけど、なぜ……」
「ゼフィーリアからはるばるこの地方までいらっしゃるということは、やはり発掘が目的でしょうからね」
　少女がリナのウエストポーチをもって帰ってきた。
「あ、あたしのです。良かった、ちゃんとあって」
　リナは、携帯電話を取り出し、開いた。液晶画面が衝撃でひび割れている。スタートボタンを押し続けたが、電源は入らなかった。
「どうやら、それは壊れているようですね」
「ええ。参ったなあ、教授の電話番号、この携帯の中にメモリーされていたから、覚えていないわ」
「とりあえず、普通の電話でご家族に連絡を取ってみては」
「電話をお借りします」
　さっきの少女が電話を持ってきて、電話線を部屋のプラグにつなぐ。リナは、国際電話の番号を押した。呼び出し音が鳴り続ける。リナの家族は、電話に出なかった。
「おかしいなあ、うちは商店だから、必ず誰かが出るはずなのに」
　リナは、ガウリイの携帯番号にもかけてみた。延々と鳴り響く呼び出し音。祈るような気持ちで聞き続けたが、呼び出し音は途切れることなく続いた。
「つながらないのですか？」
「ええ。また、時間を改めてかけてみます」
「焦ることはないのではないですか？」
　ゼロスは、リナの瞳を見つめた。
「その腕が治るまで、この国でゆっくりしていらしたらどうでしょう」
「お気持ちはありがたいのですが、やっぱり皆を心配させるのは……」
「大丈夫です。この国にはゼフィーリアの大使館もある。そちらを通して、貴女のご家族や学校に連絡を取っていただくことにしましょう。貴女は、右腕だけでなく、全身を打撲されている。長時間の飛行機には耐えられないでしょう。宮廷医がいいというまで、貴女はこの王立病院にいらして下さい。では、僕は政務があるので、これで」
　ゼロスは、もう一度リナの髪に口づけると、病室を出ていった。リナの髪をとかしていたユディトも、リナに恭しく一礼して出ていった。
　アラベスク模様が彫り抜かれた天井を眺める。
「こんなところでくつろいでて、いーのかなあ……」
　そっと、白く包帯が巻かれた右腕に触れる。
「心配してんだろうな、あのクラゲ」
涼しい空気をはきだすクーラーのもと、リナはもう一度、眠りに落ちていった。

いい匂いで目を覚ました。
「夕食ですよ、リナさん」
　ゼロスが、簡易テーブルを広げてパイプ椅子に腰掛けている。テーブルの上には、二人分の食事。
「あ……あ、あ、あの、王様」
「はい？」
「王様がこんな病室で食事をとっていいんですか？　もっと、こう豪華絢爛で……」
　ゼロスは、くすくすと笑った。
「貴女は、わが国の大事なお客様です。お食事を一緒にさせていただく、こちらの方が恐縮していますよ。それから、僕のことは『王様』などではなく、ぜひ『ゼロス』とお呼び下さい」
「一国の王様をそんな……」
　ゼロスは、テーブルに置かれたリナの片手を掴んだ。
「貴女の甘い声で、名前を呼んで欲しいのです。許して下さいますね」
「は……はい。それじゃ、……ゼロス」
　ゼロスはにっこりと微笑んだ。
「何でしょう」
「あたし、今右手が使えないけど、左手でご飯を食べるのは、この国では許されないのではなかったですか？」
「敬語も結構ですよ。……そうですね。確かに左手で食事をするのは戒律に反します」
「じゃあどうすれば」
「そのために、僕は来たんですよ。貴女にご飯を食べさせるために」
　ゼロスは、皿の上の肉を器用に切り分けた。フォークに刺す。
「さあ、お口を開けて下さい」
「あの……恥ずかしいんですけど」
「僕の前で恥ずかしがる事なんて何もないんです。さあ、どうぞ」
　リナは、おずおずと口を開いた。小さく切った肉が放り込まれる。複雑な香料の匂いが鼻に抜ける。
「美味しいですか？」
「ええ。とても」
「良かった。次はスープを飲みますね」
「あ、あのっ！」
「はい？」
「昼間のチャイのように、口移しは、止めて下さいね」
「ああ、気になりましたか、あれ」
「気になるというかなんというか……」
（ファーストキスだったんですけど、あれ）
　リナは、続きの言葉を口に出せずに頬を染めた。
「分かりました。じゃあ、スープです。口を開いて……」
　温かなスープがスプーンから口に流れ込む。こちらも、香料が効いていて美味しい。リナの味わったことのない、異国の味付けだった。
「次は何を食べますか？」
「王……ゼロスは、何も食べないの？」
「貴女の食事がすんでからいただきます。貴女が美味しく食事をしてくれることが、僕にとって何よりの喜びですから」
「それはどうも」
　リナは遠慮しながら、肉や野菜を少しずつ食べさせてもらい、スープを飲んだ。
「あの……もう、お腹いっぱい」
「本当ですか？」
　本当は満腹にはほど遠かったが、近くで顔をじっと見つめられながら食事をするのは落ち着かなかった。その優しい手から食べ物を与えられるのも。
「ゼロスも食事して……ください」
「敬語はいいですってば。じゃあ、いただきますね」
リナは、ふと窓の外を見た。地平線まで続く砂漠に、ぎらぎらと紅い夕陽が落ちていく。
「……夕陽が、気になりますか？」
「空が、まるで炎のように赤い……太陽は、容赦なく輝いている。ゼフィーリアでは見られなかった景色」
「僕は、この夕陽が好きですよ。そして、貴女の瞳も同じ色だ」
「えっ……」
「ガーネットの瞳。夕暮れの色でもあり、暁の色でもある。僕は、貴女のその瞳に、何よりも魅せられているのかもしれません」
「ゼロス……」
「僕は父王が亡くなって以来、慌ただしく即位し、女性の顔をじっと見ることすら出来なかった。父のハレムを引き継ぎましたが、顔を出している暇もなく。でも、今、こうして貴女が側にいる。貴女は僕の運命の人かも知れませんね」
「あたしは、旅人よ」
「リナさん……」
　リナの瞳は強かった。
「いずれ、この国から去る存在。ゼロス、あなたにそう言われることは嬉しいけど、あたしはあなたの運命の人ではない……と思うわ」
「運命は与えられるものではない。つかみ取るものです」
　ゼロスはそう言って、黙って食事を続けた。




あきらめない（あきらめの悪い？）ガウリイ、そして怪しすぎるゼロス国王。流浪流転のリナちゃんの運命は。文中のカッコは、「」がゼフィーリア語、『』がアラビア語となっています。それではこれからもよろしくお願いします。
リナに惹かれていくゼロス。それが、リナちゃんをとんでもない境遇へと引っ張っていきます。






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