熱砂の薔薇[１]
「じゃ、今日も３班に分かれて。第１班は湖の畔を。第２班は山中を。第３班は洞窟の中を、それぞれ発掘だ。サソリや毒蛇には気をつけること。それと、メタリオム・アラブ王国の国境が近いから、くれぐれも踏み込まないように。念のためにパスポートは携帯しとるな？」 「はい、教授！」 「よろしい。作業はじめ」 リナは、口笛を鳴らして、自分が統率する第３班のメンバーを集めた。 「じゃ、みんな、行くわよ！ ……ガウリイ、パスポート持った？」 「何で俺にだけ確かめるんだよ」 「あんたが一番危なっかしいからよ。洞窟の中では、どこが国境か、分かったもんじゃないから。国境線を踏み越えないのが第一だけど、もしものときに、ね」 ガウリイは、小さな声でぼやく。 「俺は、お前が一番危なっかしいと思うぜ、リナ。発掘に夢中になると、何もかも見えなくなるくせに」 「んー、何か言った？」 「いや、何にも」 先をゆくリナの後ろで、学生の一人がガウリイに話しかける。 「おい、おまえ、リナとデキてんのか」 「デキたいのはやまやまだけど、な。今のあいつには、考古学が恋人だよ」 「ってことは、リナはフリーか。この合宿の間に、なんとか口説きたいな」 「だから、無理だって。強引にあいつをくどく気なら、俺が相手になるぜ」 「な、何だよ。お前はリナとは関係ないんだろう？」 「確かに俺はリナの恋人じゃない。だけどあいつの保護者だ。リナは今、この発掘に夢中なんだ。邪魔をするのは許さない」 男子学生は、肩をすくめた。 「へーへー。『保護者』ねえ……ミス・ゼフィーリア大の保護者だったら、大したもんだ」 「……？ リナは、そんなコンテストに出たことはないぞ」 「そりゃ、学園祭では別の女がミスを取ったさ。でも、本当にうちの大学で誰が一番可愛いかってのは、みんなが知ってることだ」 リナが振り返る。 「そこ、ぐずぐずしてないで。日が昇りきる前に、洞窟に着きたいんだから」 「わかった。悪かったな、リナ」 足を速めるガウリイに、学生はさらにささやきかけた。 「帽子の中に髪を全部たくしこんで、作業服にブーツの完全装備。でも、不思議とあの姿には可愛い色気があるよな」 「……ってるよ」 「何だ？ 聞こえなかったぞ」 （そんなことは俺が一番よく分かってるよ） ガウリイは、小さくつぶやいた。 洞窟の入り口で、リナの班は立ち止まった。 「洞窟の中は３つの道に分かれてる。二人ずつ行きましょう。あたしと……」 「あ、俺が」 ガウリイが言いかけたとき、先ほどの学生が割り込んだ。 「俺がリナ班長と一緒に行きます」 「ありがと。じゃあ、後の四人は適当に二人ずつになって。あたしたちは奥の隧道へ行くわ。手前と、右の隧道をそれぞれ発掘。よろしくね」 リナと一緒に行く学生は、ガウリイの肩に手を置いた。 「悪いね、保護者さん」 「リナに迷惑かけんじゃねーぞ」 立ち去りかけた学生に、ガウリイはもう一言かけた。 「リナを守ってやってくれ」 二つの大きな懐中電灯に照らし出されてもなお、隧道の中は暗闇に支配されている。リナと男子学生は、壁に明かりを固定し、ザックから発掘に必要な道具を取りだした。 「リナ班長。あの……」 「さ、始めるわよ。まずは昨日調べた地点まで行き、手分けして作業しましょう。何か見つかったら、互いに大声で知らせること。じゃ、あたしはあっちに行くわ。１２時にここで会いましょう」 リナは、必要なことだけ言うと、自分の道具を持って、奥へ走っていった。 「ちくしょー、口説く隙もねえな」 男子学生はのろのろと道具を持ち上げ、手近なところの土を削り始めた。 （これはあたしの勘だけど……） リナは、熱心に壁の土を掻き落とす。 （この洞窟には、何かがある。ぜったい） 外は熱砂の地獄。でもここは、ひんやりと涼しく、リナの集中力を途切らせない。 （洞窟の形、この壁。何か、人工的な匂いがする） リナはふと手を止めた。 「何……これ」 古代文字らしき模様が、リナの懐中電灯に浮かび上がる。リナは、この砂漠の発掘地域の言語には詳しかったが、その模様は今まで見たことがなかった。 「石の形が偶然、ってことじゃ、ないでしょうね」 さらに数十センチを鏝で丁寧にそぐ。 「すごい……古代文字と、近代の文字が並んで記されている。解読の鍵になるわ……！」 リナは、夢中になって鏝を動かした。足下の砂地がゆっくりと動き出したのにも気づかず。 「あ……そうだった。何か発見があったら、あいつを呼ぶんだった」 リナは、声を出そうとして、ふらついて壁にしがみつく。 「地面が、揺れてる？ あたし、目眩でもしてるのかな」 とん、とんと足を踏みしめなおす。 （地面が揺れてるんじゃ……ない。砂が流れているんだ……流砂！） 危険に気づいたリナは、声を上げた。 「助けて！ こっちに来て！」 地面に置いた発掘の道具が、ずるずると砂に引っ張り込まれていく。リナのブーツも、くるぶしまで砂に埋まりつつあった。 「お願い！ 助けて！！」 膝まで埋まったとき、一気に地面がうねり、崩れ落ちた。 「きゃぁぁ！！」 轟音が響き、洞窟の一部は砂に飲まれた。 荷物の入ったザックを枕に、気持ちよく寝入っていたリナの相棒の学生は、その轟音で目を覚ました。 「今の音……たしか、リナ班長が発掘してる方角……」 彼が焦って駆けつけたとき、リナがいるはずの隧道は、崩れ落ちてきた砂で完全にふさがれていた。 「班長？ リナ！ リナ、どこに行ったんだ！」 最悪の事態を目の当たりにして、学生の叫びは空しく響いた。 リナはきつい臭いで目を覚ました。香油に炊かれる、獣の毛皮と臓物の臭い。身体中が痛くて、何も考えられない。その時、声が響いた。 『何者だ！ 神聖なる礼拝を汚すもの！』 （あ……アラビア語。しんせいなる、れいはいを、けがすもの？ 何？ あたしはどうなってるの？） 『祭壇は砂まみれだ！ これではもう儀式は続けられない。聖なる炎も消えてしまった！』 （ぎしき……ほのお） 『死をもって償うがいい、冒涜者よ！』 鞘から剣の抜かれる金属音。リナは、必死で目を開き、異国の言葉を絞り出した。 『待って下さい！ あたしは、事故にあって……待って下さい！』 十数人のざわめく気配がした。 『女だ』 『女がこの礼拝堂に……』 『汚らわしい』 『まさに冒涜』 『殺せ……殺せ！』 剣がひたりとリナの頬に当てられた。 『女の血で祭壇を汚すのも冒涜だが、お前自身が贄となって神に詫びるがいい。これだけのことをしでかしたのだ、覚悟はできていような』 リナは、早口の異国の言葉を聞き取るので精一杯だった。弱々しくくり返す。 『待って……下さい、待って』 剣がリナの首筋にあてがわれたとき、空間内に、柔らかな、しかし威厳ある声が響いた。 『待て！ 剣を引け』 剣の主は明らかにうろたえた。リナから剣を離す。 『しかし、王よ……』 『僕の言うことが分かりませんか？ 剣を引き、その女性を祭壇から降ろすんです』 『は……はっ』 祭礼服を着て、ターバンを巻いた男たちが、リナの身体を担ぎ上げ、ゆっくりと冷たい土の床に下ろす。ヘアピンできっちりと留められていた帽子が外れ、明るい茶色の豊かな髪がこぼれ落ちた。 （あたし……助かったの？ 痛い……身体中がバラバラになりそうよ） 『この祭壇の上は空洞になっていると聞きましたが、それが流砂で崩れ落ちたのですね』 冷たく長い、優美な指がリナの頬に触れた。 『お怪我はありませんか？』 そう聞かれてやっと、リナは自分の身体を確かめる気持ちになった。全身が痛むが、特に右腕の痛みが激しい。 『腕……右の腕が』 『腫れていますね。骨折したのでしょう。貴女を王宮へとお連れします』 『あなたは、一体……』 それ以上は言葉にならなかった。リナは、再び意識を失った。 『王よ、どうかしておられますぞ。聖なる祭壇を汚し、祭礼を中断させた女を助けるなど』 『ジナティさん』 黒いターバンから除く、漆黒の艶やかな髪。深い紫の瞳は、ジナティと呼ばれた男を鋭く射ていた。 『僕が決めたことに、口出しは無用です』 『決めたこと、というのはこの女を助けることですかな』 トヨタのランドクルーザーが砂漠を駆ける。ハンドルを切っているのは、王と呼ばれる男。助手席は倒され、右腕に添え木をされ、あり合わせの布で固定されたリナが横たわっている。 『王は何事にも頓着が無さ過ぎる。あの祭壇は、遙か昔から王家が祭礼に使ってきた、由緒正しきもの。ああなってしまっては、もう使えません。私は、ご幼少の頃より王のお世話をさせていただいておりますが、王は失態を演じた者に対してはご容赦のない性格だとお見受けしておったんですがな』 『彼女は事故に巻き込まれただけ。失態と言えることではないでしょう』 『しかし……！』 『ジナティさん、彼女の瞳を見ましたか？』 『瞳？』 王はうっとりした眼差しを助手席のリナに送る。 『とても綺麗な、深紅の瞳でしたよ。どんな貴石も、あの輝きには敵わないでしょう』 ジナティはうつむいた。 『深紅の瞳……』 砂煙を蹴立てて、４ＷＤは水辺の王宮へと向かっていった。 「この野郎！」 ガウリイの拳に、リナと共に発掘作業をしていた男子学生は、勢い良く吹っ飛ぶ。 「俺は言ったよな。リナを守ってやってくれって。何が『寝ていました』だ……！」 ガウリイはかがみ込み、砂地を叩きつける。 「リナ……リナ。まさか、死んじまったのか？ そんなこと、あり得ないよな。お前のことだから、今でもきっとどっかで助けを求めてるんだ。俺は、行ってやらなきゃならない」 ガウリイは、ふらりと立ち上がった。ザックを手に取る。 「ど、どこへ行くんだ、ガウリイくん」 老教授はあわててガウリイの前に立ちふさがる。 「どいて下さい、教授。俺は、リナを助けに行くんです」 「どこへ」 「洞窟へ。隧道を塞いだ砂なんて、俺が一日で取り除いてやりますよ」 「やめたまえ」 「行かせて下さい」 「ガウリイくん！」 老教授は、痩せた手でガウリイの頬を叩いた。 「教授……」 「二次災害が起きる危険がある。学生の君を、行かせるわけにはいかない」 「リナは……リナはどうなるんです！」 教授は眼鏡に触れた。 「レスキューを頼んであるよ。明日には到着するだろう。心配なのは分かるが、君が一人で行ってどうなるものでもあるまい」 「教授……」 熱い涙が、熱い砂地に落ちた。 「リナは、生きて……生きていますよね」 教授は答えなかった。 「なあ、みんな！ リナは生きてるよな」 誰も何も答えない。 「俺のリナは、死んだりなんてするものか……！」 落ちていく夕陽に、ガウリイの絶叫がこだました。 （痛……っ） 骨折した腕に触る誰かの手を感じて、リナは目を覚ました。 『あ……目を、覚まされました、王よ』 『それは良かった。お嬢さん、痛みますか？』 リナは、大学で熱心に学んだアラビア語で答えた。 『はい……少し』 『いま、手当をしているところです。痛むかも知れませんが、我慢して下さいね。大丈夫。我が王家の宮廷医の腕は確かです』 （きゅうてい……い） 『サリムさん』 『はっ』 宮廷医が姿勢を正した。 『こちらのお嬢さんには出来るだけ痛みを与えないように。頼みましたよ』 『わが王の命とあらば、この命に賭けても、そういたします』 リナは、瞳をあげて、王と呼ばれる男の方を見た。男は、そのなめらかな声の示すとおり、若く、美しかった。黒いターバンから零れる、肩で切りそろえられた漆黒の髪。灼熱の太陽さえ灼くことの出来ない、白い肌。そして、切れ長の瞳は、アメジストの深い紫。 （こんな綺麗な人が、王と呼ばれているの？ そもそも、ここはどこなの？） 『あの……』 『はい、何ですか？ お嬢さん』 『ここは、どこなんですか。あたしは、どうやってここに来たんですか』 『何も覚えていらっしゃらないのですか』 『いえ……あたしは、大学の発掘調査隊で、洞窟を調べていて……流砂に巻き込まれて』 王は、にっこりと微笑んだ。 『なるほど』 『え……？』 『あの時、貴女が天から降ってきた理由が分かりましたよ』 『天から？』 宮廷医が王に声をかけた。 『王よ、こちらのお嬢さんの骨接ぎを致しますので、少々痛まれるかも知れません』 『出来るだけ、素早くやって下さいね。お嬢さん、分かりましたか？』 『はい。あたしは我慢強い方です。痛みにも、耐えます』 宮廷医は、恭しい手つきで、リナの折れた骨を接いだ。 『くっ……！』 目尻に涙をにじませながら、ほとんど声を立てなかったリナを見て、ゼロスはまたにっこりと微笑んだのだった。 この小説には少し説明が必要です。以前、ある大手サークルさん（スレイヤーズじゃないです）が、『熱砂の薔薇』という本を作ると予告していらしたんです。考古学を学ぶ学生と、砂漠をトヨタの４ＷＤで駆けるアラブの王のラブストーリー。私は、それを凄く楽しみにしていました。ところが、急なジャンル替えで、『熱砂の薔薇』は発行中止となってしまったのです。読みたかった、あの人の文章で。というわけで、当初の設定だけは、発行されなかった『熱砂の薔薇』からネタをいただいています。私の書く『熱砂の薔薇』。どういうことになるかはこれからのお楽しみです。文中のカッコは、「」がゼフィーリア語、『』がアラビア語となっています。 えーと、とある大手サークルさんとは「えみくり」さんで、ジャンルは「ミスター味っ子」でした。楽しみにしてたのになあ。 
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