眠り姫／シンデレラ／マーメイド［後編］



「これから、どうするの？」
「薔薇園にご招待します」
「いいわね」
乗り合い馬車を捕まえて、行き先を告げる。涼しい風が、リナの酔いを醒ました。薔薇園に着いたとき、にわかに雲行きが怪しくなり、ぱらぱらと雨が降ってきた。
「すみません、リナさん」
「天気のことで、あんたが謝ること無いわよ」
二人は、入り口で一本の傘を買い、肩を寄せあって雨粒をはらんだ薔薇たちを見て回った。
「雨のせいかしら。香りがすごく濃いわ」
「いい匂いですね」
「でも、あたしは今夜の１２時にこの薔薇のように───」
リナは一輪の薔薇を摘み取った。
「散ってしまうことになるかもね」
「リナさん、手……」
棘が刺さって、血がにじんでいる。
「リカバリー」
リナは自分で自分の傷を修復した。


薔薇園のあとは、また買い物だった。リナは、今の自分の格好ににふさわしい可愛らしい黒い靴を買った。そして、シックなサテンの黒いバッグ。
「素晴らしいです、リナさん。夜のお食事は最高の物になりますよ」


ゼロスとリナがそのレストランに着く頃、窓から沈む夕日が一望できた。さっきまでの雲は嘘のように晴れて、夕日は大きく、オレンジ色に輝いていた。夕日の見渡せる、最高の席が予約してあった。運ばれてくる料理はどれも美味しく、また量もリナの満足のいく物だった。初めから、ゼロスがそう注文していたのだろう。夕日が沈むと、眩しいほどの星空が窓を覆った。灯りは、テーブルの上に揺れる蝋燭だけだった。リナは、ウェイトレスを呼び止め、シェリーをビンごと持ってこさせた。
「また、酔うんですか？」
「そうよ、いけない？」
「今日は、僕だけのことを考えてくれましたか？」
「そうね。いつの間にか楽しんじゃった。こんな時だっていうのにね」
リナは、シェリーをグラスに注ぐと、ゆっくりとそれを飲んだ。
「何だか、酔っぱらってるせいかなあ……」
「何でしょう」
「あたし、あんたのことが好きだったような気がする……」
「リナさん…」
「もちろん、ガウリイとゼルとアメリアの次、だけどね！あ、いまの三人は順不同よ。みんな大切な仲間」
ゼロスは、自分のグラスにシェリーを注いで、あおる。
「僕は、貴女のことが一番好きですよ」
「何言ってんだか」
「だから、とても苦しいんです。貴女を死なせたくない。でも、滅びたくはない」
「なんだか、人魚姫の話みたいね。王子を殺さなければ、人魚姫は海の泡になって消えるのよ」
「僕も、混沌の海の泡になって消えるのでしょうか」
「何言ってるの。しっかりあたしを殺しちゃえば、問題なしのくせに」
「貴女のことが好きです」
「ゼロス……」
リナは息を呑んだ。
「本気で言ってるの」
「僕は魔族だから、体質的に嘘はつけません」
リナは、ふっと笑った。
「とんでもない状況でとんでもないことを言われても、信じたくなるのは何故なのかしら」
「それが真実だからです」
「あたしは、今夜１２時までの命。とてもシビアなシンデレラね。あんたは、王子様なの？それとも魔法使い？」
「１２時までは王子になりましょう」
食事が終わった。デミタスカップに注がれた熱くて濃いコーヒーを味わいながら、リナは言った。
「あと期限まで４時間。どう過ごすの？」
「一緒に海でも見ませんか」
「悪くないわね」


二人は、砂浜に降りた。ゼロスの提げ袋の中には、お菓子が一杯に詰まっていた。
「とりあえず、ストロベリー・チョコレートくれる？」
「はいはい、お姫様」
リナは、ストロベリー・チョコレートの銀紙を剥がして、甘い香りの菓子を囓った。
「ねえ、ゼロス、あたしたちが初めて会った頃ってさ……」
「想い出話ですか？」
「嫌？」
「いいえ、つきあいます」
「初めて会った頃、あんたは魔族だってことを隠してて。それでも、なーんか自然にあたしたちにとけ込んでいたよね」
「それが命令でしたから」
「ねえ、あんたは、あたしたちと旅を続けていて、何か得る物があった？」
「こうして今、リナさんを愛しています。魔族としては失格の感情ですが、僕はとても幸せです」
「いつから、あたしを愛し始めたの？」
「初めから惹かれてはいたのですが、強いて言うなら貴女が僕から魔血玉のタリスマンを買ったとき、でしょうか。魔力を封じられているという絶望的な状況の中、魔力の増幅アイテムまで高い報酬を払って手に入れて、何とかしようとしている貴女を見たとき。こんなに強い人間がいたんだ、と思うと、なんだか楽しくなっちゃいましてね」
「ふうん……」
「それから、ヴァルガーブとの取引に、リナさんの命を持ち出したとき。あの時は拳骨１５発くらいで許してくれましたよね」
「許した訳じゃないけど？今でも」
「『あたしたちはそんなことは承知の上で一緒にいるのよ』って言って下さいましたね。その時、僕は貴女を愚かだとも思いました。でも、その一方で、嬉しくてたまらない自分がいることに気づいたんです。もちろんこれは正の感情。僕ら魔族にとってはまさに身を焦がす思いです。でも、僕はもう貴女から目が離せなくなっていました」
「ゼロス……こんな時だから言うけど、あたしガウリイが好きだったの」
じりっ。ゼロスの心を、炎が舐め回す。
「でも、ずーっと旅をしてるうちにね、その想いは言い出さない方がいいと思えたの。何でだかわかる？」
「仲間…であるガウリイさんを失いたくなかったから」
「もちろん、それもあるわ」
「それ以外に……？」
「あんたに、恋、しちゃったみたいだったから」
「さっき、僕はガウリイさんとゼルガディスさんとアメリアさんの下だって……」
「あれはあくまで仲間としての話。恋愛感情とは別問題よ」
「じゃあ、リナさんは僕のことを？」
「───よく分かんない。分かんないけど、好きなんだと思う」
そしてリナは柔らかな砂浜に寝転がる。
「あーあ、お酒のせいか、余分なことまでしゃべっちゃったわねえ。そうだ、ポテトスティックちょうだい」
二人は、出会ってから今までのことを、ゆっくりと語っていった。黄金竜に会ったこと。クレアバイブルの本体に導かれたときのこと。冥王フィブリゾとの対峙。
「あんた、いらないときばっかりいて、肝心なときには姿を隠してたわね」
「僕の干渉は出来るだけ避けるべきことでしたから。それでも、冥王フィブリゾを滅ぼした。あのお方の力を使ったとはいえ。大したものです」
「誉められてるって思っていいの？」
「もちろんです」
リナは、ポテトスティックを片づけて、プレッツェルを食べていた。
「そして、そうやって旅をするほどに、あたしはあんたに惹かれていった。あんたもあたしに惹かれていった。どうしてあたしたちが命の取り合いをしなくちゃいけないの」
「それは、僕の主からの命令だからです。リナ＝インバースを生かして置いては、ルビーアイ様の封印された残りの肉体、後わずか３人になってしまったルビーアイ様の腹心、全てを滅ぼしかねない。貴女は確かに僕より弱い。でも、いざというときの力となると、計り知れないものがある。僕たち魔族にとって、貴女は充分脅威になりうる」
「それで、殺されるのね」
「ええ。貴女はあまりにも可能性がありすぎる」
「でも、殺したくない」
「今、貴女を殺すために動ける高位魔族は僕ぐらいですからね……貧乏くじを引いてしまいました」


ゼロスは星を見た。
「星が読めるの？」
「真夜中が近いようですね。僕らのおしゃべりもここまでです」
「シンデレラの魔法は解けるのね。今日一日、あたし、とても楽しかったわ。じゃあ、おっ始めましょうか」
「そうですね」
リナは、口の中で呪文を唱えた。
「ラグナ・ブレード！」
ゼロスに斬りかかる。ゼロスは空間をわたってそれを交わした。リナの真後ろに現れる。
「甘いわ！」
リナは振り向きざまにゼロスの身体に黒き刃をたたき込む。しかし、それはゼロスの本体ではなかった。
「あんたもやるんだ、トカゲのしっぽ切り」
アストラルサイドから、再びゼロスが現れる。
「本体ごと切られたら、僕も無事にはすみませんからね」
リナは、ラグナ・ブレードを振り回しながら、次第に消耗していった。
刃は時間につれて小さくなっていく。やがて、リナがうめいた。
「くっ……！」
「時間切れですね。もう貴女には魔力は残っていない」
近づいてきたゼロスに、リナは呪文を解き放つ。
「ドラグ・スレイブ！！」
ゼロスは、結界を張ってそれを防いだ。
「フルパワーのドラグ・スレイブだったら、結界くらいでは防げないですけどね。今の貴女の魔力では、僕を倒すのは無理です」
リナは、全ての魔力を使い切った。さくりと砂浜に座り込む。
「あたしがやれる抵抗は全てやったわ。さあ、あたしを、殺しなさい」
「いいんですか？」
「よくない。すごく悔しい。でも、あたしではあんたにはかなわないわ」
ゼロスは、懐から紫色の小瓶を取り出した。お菓子の袋に入っていたジュースの瓶に、小瓶の中身を垂らす。
「毒……」
「そうです」
「どんな手で来るかと思ったら、毒とはね」

ゼロスは、ジュースを口に含んだ。そして、リナの身体を抱き上げると、そっと唇を重ねてきた。リナは、その毒が自分にそそぎ込まれるのを待った。しかし、いつまで待っても毒はリナの口に入ってくることはなかった。ゼロスの喉が、ごくりと動いた。
「ゼロス……！」
「海の泡には、僕一人でなります。貴女には、あんな素敵な仲間がいる。そして、今日一日を僕に捧げてくれた。こんな充実した一日を送ったのは初めてです。……っ、『人間に対する特別な感情』、つまり愛情を貴女に持ってしまった僕は、滅ぶのが運命……なんです」
ゼロスは、だんだん人間の姿を保つのが難しくなってきたようだった。時折、黒い錐が身体をよぎる。
リナは、深紅の瞳から涙を流した。ゼロスは、手をあげて、手袋でリナの涙を拭った。
「僕が……最後に……出来ることを……させてください」
ゼロスは、無理矢理身体を起こすと、リナをマントの中に包み込み、空間を渡った。
「ここは……ガウリイさんたちのそばです……。良い生涯を送って下さい……。僕以外の魔族に殺されたら、許しませんよ……」
やがて風が吹いた。ゼロスの身体は、儚い砂のように、さらさらと崩れて、やがて無に帰した。


「リナーッ！リナなのか！？」
ガウリイの声がする。リナは返事も出来ずに、呆然と砂浜に座り込んでいた。
「リナさん、良かった、無事で……リナさん？」
リナの紅い瞳は、うつろに開かれ、そこから止めどなく涙がながれていた。
「ゼロスはどうした」
ゼルガディスが声をかけると、リナはびくりと動いた。ようやく、意識をはっきりさせたようだった。
「ゼロスは……滅んだわ」
「お前がやったのか」
「違う……あいつは、最初から死ぬつもりだったのよ」
涙が再び零れ落ちた。
「あたしは負けた。完璧に負けた。いつ殺されても、文句は言えないくらいに。でも、あいつは自ら滅ぶことを選んだのよ」
四人は、しばらく無言だった。沈黙を破ったのはガウリイだった。
「まあ、リナが助かって良かったよ。生きるつもりのある奴が生き、死にたがってた奴が死んだ訳だ。これでいい……ってことはないけど、ベストの結果だったと思うぜ」
やがて四人は、再び昇ってくる朝日を見た。生けるもの全てを祝福するかのような太陽。
（もう、この世界に、ゼロスはいないのね）
リナは、涙を拭った。そして微笑んだ。
「ゼロスは、あたしに『良い生涯を送って下さい』って言ったのよ。今日は、その第一日目だわ。良い一日にしなくちゃね」
「そうですね、リナさん」
「腹減ったーっ。昨日の朝からリナ探しで何にも食べてねーんだ。とりあえず、食堂行こうぜ、ものの食えるところ」
「俺もそれには賛成だ」
四人は、美しい砂浜を後にして、街へ向かった。彼らの生を生きるために。


宿屋。リナの部屋。時刻は朝だ。
「で、何であんたがここにいるわけ」
「いやー、人間を本気で愛してしまった高位魔族、なんていうのは僕だけですからね。貴重なサンプル、と言うことで蘇らされてしまいました。ついでに、リナ＝インバースの監視役も仰せつかったわけです」
「いつまで、監視する気」
「そうですねえ……ざっと百年、ってとこでしょうか？」
すぱこーん。
スリッパが後頭部を殴る良い音が響いた。
「じゃあ、一生涯、あたしはあんたの監視のもとに置かれるわけ？冗談じゃないわよ」
「まあ、監視、といってもこんな感じですが」
ゼロスは、リナの唇に軽くキスをした。
「このすっとこ魔族！あたしが、どんなに悲しかったか、辛かったか、まるで分かってない！」
「僕が、滅びたと思ったとき、リナさんは悲しんでくれたのですか？」
「あんた、あたしの涙を見たでしょ」
「リナさん───」
「ゼロス───」
二人は、朝日の中で抱き合った。
「貴女が死ぬその日まで、僕たちはずっと一緒ですよ」






というわけで、ハッピーエンド、です。リナちゃんの存在がゼロスを変えてしまう、というのは私の好きなテーマなので、書いていて楽しかったです。あと、一生涯腐れ縁の切れない二人、っていうのも憧れなので。原作の「もう会わないことを祈って───」ていう別れ方は寂しすぎますよね？
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。このころはまだ「デモン・スレイヤーズ！」を読んでいなかったので、「死霊都市の王」のラストで二人は別れたままだと思っていたんです。私にしては、珍しくハッピーエンドで、印象に残っている作品です。


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