なぜに君は帰らない…１








There is no forgiving you now.
But you are the one for me.



　僕が母国に降り立ったのはその日の最終便だった。誰もいない空港ロビーを通り抜け、タクシーに乗る。
「どちらまで」
「メタリオム病院まで」
　運転手は、聞き返しもせずに走り出した。──この国でも有数の大病院。僕の母が経営する病院。
『家が決まるまでは、病院に泊まりなさいな』
　国際電話の向こうの、母の声。
『病院にはシャワールームもあるし。個室を空けておいてあげる。即戦力になってもらうわよ。がんばってね』
　流れていく、夜の景色を眺めていると、運転手が話しかけてきた。
「お客さん、お医者さんでしょ」
「ええ、そうですが」
「いいねえ、そんなに若くていい男で、高収入！　病人は減ったりしないからねえ。不景気知らずだ」
「タクシーは、厳しいですか」
「そらもう。厳しい厳しい。俺もね、頭良かったらお医者さんになりたかったよ。お兄さん、モテるでしょう」
「いえ、今は仕事が忙しくて……」
「メタリオム病院のお医者さん、か。超エリートだね。うらやましいよ」
　話は、景気の方へ流れていった。僕は、ぽつりぽつりと返事をしながら、次第に風景が懐かしさを帯びていくのを感じていた。


◇　　　◇　　　◇

『ルナ先生』
『どうしたの、ミモザちゃん。いつも通りに、ルナお姉ちゃん、でいいわよ』
『ルナお姉ちゃん、お願いがあるの。ね、正直に教えて。ミモザね、もうすぐ死ぬんでしょ？』
『ええ。死ぬわ』
『うん。……よかった。ママも、他の先生も、ミモザを見て悲しい目をするばかりで、ちっとも本当のこと言ってくれないんだもの。それでね、ルナお姉ちゃんにお願いがあるの』
『何かしら？』
『あと二週間で、ミモザのパパの誕生日なの。ミモザ、どうしてもパパおめでとうって言いたい。そしたら死んでもいい。ミモザ、あと二週間、生きられる？』
『──そうね、痛い手術、我慢できる？』
『できる』
『ミモザちゃんは強い子ね。強い子は好きだわ。がんばってみるわ』
『お願いね、ルナお姉ちゃん』


『只今より、心臓下部にペースメーカーの電極を埋め込む手術を行います』
『……』
『術式始め。メス』
『……』
『どうしたの。メス』
『インバース先生』
『なにかしら？』
『この患者の冠状動脈は未発達です。ペースメーカーの負荷には耐えられない』
『二週間なら、耐えられます』
『二週間？　一体、二週間この患者を生かして、何の意味があると言うのです。その後の保証は何も出来ないんですよ！』
『私はこの患者の主治医であり、また今日の執刀担当者でもあります。さあ、メスを。手術の意味は、お話したはずです。この患者を、あと二週間無事に生かす。それだけです』
『インバース先生、この手術は倫理的に……倫理委員会が黙ってはいませんよ』
『かまいません。手術に反対の方は、この部屋を出て行ってください。私が一人で執刀します』
『……インバース先生、私たちは貴女に失望しました』
『結構。術式を続けます』


『ルナ』
『ゼラス先生』
『残念だわ。貴女をこんな形で失うなんて……』
『すみませんでした』
『でも後悔はしていない。そうでしょ？』
『ええ』
『マスコミがどうやってあの手術のことを嗅ぎつけたかは分からないけど、これだけ問題になってしまった以上、私も貴女を庇いきれない。……これからどうするの』
『以前から考えていたんです。発展途上国の無医村へ。きっと、やりがいのある仕事が待っているはずです。──一つお願いがあります』
『なにかしら？』
『妹が、今年医学部に入りました。きっと、私以上に優秀な外科医になるでしょう。この病院に招いてやって欲しいんです』
『妹さんね。名前はなんていうの？』
『リナ。リナ＝インバース』


◇　　　◇　　　◇

　真夜中の病院を、僕は重い荷物を持って歩く。指定された個室へ行こうとしているのだが、やたらとワンフロアが広くて、迷ってしまいそうになる。
「……ここはさっき通りましたね」
　エレベーターホールを突っ切りながら、トランクの車輪の音が患者さんたちの目を覚まさないか、気にする。その時だった。
　突き当たりに、小さな影。月の光を浴びた、黒いセーター、黒いスカート。黒いストッキング。そして、濡れて細い身体に纏いつく紅茶色の髪。白い肌。こちらに向けられた、無表情な紅い瞳。
（月の妖精？）
　しばらく言葉が出なかった。病院にありがちな、人にあらざるものの姿かと思った。彼女は、こちらをしばらく睨みつけた後、音も立てずに走り去った。
「あ……」
　考えてみれば、ここの入院患者か、関係者。道を聞けばよかった。
「髪が濡れていた、ということは、シャワーを浴びていたんでしょうか？」
　エレベーターホールの地図をもう一度確かめて、僕は僕に与えられた個室をようやく見つけ出した。荷物を解いていると、近くの部屋から悲鳴に近いうめき声が上がった。僕は、部屋に鍵をかけると、声の方へ走り出した。
「おばあちゃん、おばあちゃんしっかりして！　すぐに先生が来ますから」
　うめき声を上げ続ける老婆を支えるように、長い黒髪の女性看護師が立ち尽くしている。六人部屋。周りの患者も目を覚ましたようだ。僕は、老婆のベッドに駆け寄った。
「ちょっと前を開けますよ」
「あなたは……？」
　看護師が怪訝な顔をする。
「僕はゼロス＝メタリオムといいます。明日からここに赴任する、医師です。とりあえず、今は、診察を」
　どうやら腹水が相当溜まっているようだった。措置の必要がある。
「今夜の当直の先生は」
「あの、ジュイブルック先生なんですけど、さっき煙草を買いに出て、戻られないんです」
「何てことだ……ほかに、医師の方は」
「インバース先生が確か泊まっていらっしゃいますけど……ゼロス先生、措置していただくわけにはいきませんか？」
「僕はまだここの機器類にも慣れていない。そのインバース先生という方は、どこに」
「分からないんです。宿直室か、シャワー室か」
「宿直室は何階ですか」
「二階。エレベーターホールを出てすぐです」
「僕がそちらへ行きます。あなたはシャワー室を」
　僕と看護師は、老婆をゆっくりと寝かせ、部屋を走り出た。

　宿直室はすぐ見つかった。僕は、強くノックする。
「誰かいらっしゃいませんか？」
　返事はない。ドアノブを掴んでみた。回る。そっとドアを開くと、窓から月が見える。光が射し込み、ソファの上を照らしている。
「……」
　眠っているのは、さっきの、月の妖精だった。長い髪、白い頬。睫毛が、その頬に繊細な影を落としている。華奢な身体は、毛布に包まっている。
「あの……」
　彼女は何者なのだろうか。関係者にしては幼い。でも、患者がこんな部屋で眠っているわけがない。
「すみません」
　細い肩をそっとゆすぶる。彼女は目覚めない。僕は不思議な気持ちになる。眠り姫を間違った月日に起こそうとしている、間違った王子になったような──
「リナさん！　リナ＝インバース先生！　狸寝入りしようったってそうはいきませんよ。起きてください！」
　元気のいい声と共に、部屋がぱっと明るくなる。僕が触れていた少女は、不機嫌な風に眉をしかめると、毛布の端っこをしっかりと握りこむ。
「あれ？　あなたは……」
　大きな瞳の、女性看護師が僕の顔を見て首をかしげた。
「あ、あの僕は……」
「すみません、後で聞きますね。それより、リナさん起こすの手伝ってください」
　僕は改めて眠っている（ふりの？）少女を見る。どう見ても二十歳以上には見えない、が……。
「リナさん。起きないと、そちらの方が、くすぐりますよ」
　少女（リナさん？）はうるさそうに顔を背ける。もはや、彼女が狸寝入りをしていることは明らかだ。
「すみません、くすぐっちゃってください」
「ええー、僕がですか！？」
「おねがいします」
　いいのかな、と思いつつ、僕は少女のわきの下に指をさしいれ、おずおずとくすぐる。
「えーとそこの人、もうちょっと下です。リナさんはわき腹が弱いんです」
　言われたままにわき腹をくすぐると、少女の身体がぴくぴく震えた。さらにくすぐっていると……
「あー！　わかったわかった！　くすぐるのやめ！」
　少女（ではないのだろうけど）は目を開いて起き上がり、僕の手を払いのけた。
「リナさん、６０６号室のテセディナさんが急に容態が悪化して」
「何で。何であたしが診なきゃいけないわけ」
　リナ、と呼ばれた女性はそっぽを向く。
「今日の当直はジュイブルック先生でしょ。あたしはここに泊まっているだけ」
「そんな事言わずに！」
「ジュイブルック先生はどうしたのよ」
　大きな目の看護師はうつむく。
「煙草を買いに行くっていって、それで……」
「ほら、サボりでしょ」
　リナさんは毛布の端を掴んで、また眠りに入ろうとした。
「リナさんってば！」
　あわてて毛布を引っ張る看護師に、リナさんは怒鳴った。
「あたしは当直じゃないわ。それに、眠たいの。なんの義務があって患者を診なきゃいけないのよ」
　僕は、あくまで毛布を掴んで寝ようとする彼女に尋ねた。
「貴女は、医者なんですか」
「医者よ。ただし、今はプライベートの。勤務時間外まで、患者に縛られたくないわ」
「それでもあなたは医者ですか！」
　リナさんはめんどくさそうに僕の顔を見た。
「あんた、誰よ。さっきから何なの、偉そうにして」
「僕は……ゼロス＝メタリオム、医師です。明日からここに就任……」
「じゃ、あんたが診なさい。もう０時を過ぎてるわ。早く患者さんのところへ行ってあげて」
　僕は強引に毛布を剥ぎ取った。黒いセーターの下の、華奢な身体。裾の乱れた、短い黒いスカート。間違いなく、さっき僕が道に迷ったときに見かけた、“月の妖精”だった。
「こんな話をしている暇はない。患者さんは苦しんでいる。一刻を争うんです」
「あたしには、関係ない」
　でも、その紅い瞳がかすかにためらいの陰りをみせた。
「リナさん、お願いします！」
　看護師も叫ぶ。
「わか……った。ゼロス」
　紅い瞳がまっすぐに僕を見た。
「はい」
「あんたも手伝ってくれるわね？」
「もちろん」
　彼女は大きな目の看護師を見た。
「アメリア、あんたも来て。６０６号室のテセディナさんだったわね」
「はいっ！」
　僕たちは、真夜中の廊下を静かに走った。６０６号室に戻ると、長い黒髪の看護師が、患者の手を握っていた。リナさんが、そっとその手を放させ、自分が手を握る。
「おばあちゃん」
　患者のまぶたが少し動く。
「すぐ、痛みを取ってあげるわ。待っててね」
　薄闇の中、薔薇の瞳は優しかった。そして、てきぱきと手を動かし始める。
「症状は胸水に腹水……か。シルフィール、カルテを」
　長い髪の看護師が書類を差し出す。
「肝硬変。アルブミン投与……と。今まで、内科的措置しかとっていないの……。でも、これじゃ」
　リナさんは目を上げて僕を見た。
「オペ。今から。出来る？」
「──はい」
「寝ぼけてないわね？」
「リナさんのほうが心配ですよ。さっきまで寝てたじゃないですか」
「アメリア、シルフィール、患者さんを手術室へ」
　二人の看護師は顔を見合わせる。
「あの……でも、この患者さんの主治医はジュイブルック先生で」
「分かってるわよ。でも、もうオペしか手段はないわ」
　そして、ぐっと声を落とす。
「明日の朝まで持つかどうか、よ。ジュイブルックの奴にはあたしから言うわ。第一、こんな状態の患者さんを放っておいたあっちに罪はあるはず」
　看護師たちはしばらくためらっていたが、
「分かりました。ストレッチャーを持ってきます」
と、暗い廊下を駆けていった。





はい、『振り返れば奴がいる』と『スレイヤーズ』のダブルパロです。私の尊敬する三谷幸喜さんの、初のＴＶ連続ドラマ。織田裕二演じる「司馬」＝リナちゃん、石黒賢演じる「石川」＝ゼロス、という配役で進んでいきます。もちろん話の流れはマネだけでなく、オリジナル要素も入れていくつもりです。
こういうダブルパロディをしていいものかと思いましたが、とにかく私は三谷幸喜さんが大好きなのです。『振り返れば奴がいる』も何度も見返しています。カッコよくて孤独で負けず嫌いで悪ぶってて……そんな『司馬』をリナちゃんに当てはめたら異様に萌えてしまって……すみません。






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