ＭＩＵ☆ＭＩＵ［１］

「リナさん、ただいま」
「みゅうん」
紅茶色の仔猫が、ゼロスの足下にすり寄ってくる。ゼロスは、リナを軽く抱き上げ、キスをする。
「にゃ、にゃおーん」
「はいはい、ご飯ですね。分かってますよ」
台所の隅に積み上げられたネコ缶のうちの三つをぱかんとあけ、床に置かれた皿に中身を入れる。
「にゃっ」
リナは、短くお礼の言葉（？）をつぶやくと、夢中で食べ始めた。
「リナさん、今日はマグロ味とビーフ味ですよ。美味しいですか？」
返事はない。リナは、ネコ缶に没頭している。ゼロスは、ネクタイと上着を取り、シャツのボタンをいくつか開けて、ソファに座った。手元の冷蔵庫から、ビール缶を取り出す。ぷしゅうっ、と音を立てて、プルリングを押し込む。テレビを点けてみたが、時間帯のせいかバラエティしかやっていない。ゼロスはつまらなそうにスイッチを切った。
「みゅう」
餌を食べ終えたリナが、足下に近づいてくる。
「だっこですか？」
「みゅ」
ゼロスは、リナの柔らかくて小さな身体を抱き上げて、膝の上に載せた。リナは、しばらく丸くなってじっとしていたが、やがて両方の前足を使って、ゼロスのお腹のあたりをくいくいと押し始めた。
『ああ、それはですね、仔猫がお母さんのお乳の出が良くなるようにする仕草なんですよ』
ゼロスは獣医の言葉を思い出す。
『あなたのことを、お母さんだと思ってるんですね』
柔らかな前足で、きゅっきゅっと押されるお腹。
「くすぐったいですよ、リナさん」
そういいながらも、ゼロスの手はリナの背中を優しくなぜていた。


ゼロスは、広い一軒家に一人で暮らしている。両親は交通事故で亡くした。姉は、結婚をして、家を出ていった。
「ほんとうに？ほんとうに一人で寂しくないの、ゼロス？」
「ゼラス姉さんが幸せになってくれることが、僕の一番の幸せです。おじゃま虫にはなりたくありませんからね。それに、僕だっていつかは結婚するでしょう。その時のために、僕はせいぜいこの家を綺麗にしておきます」
「あたしだけ、先に幸せになっちゃって、ごめんなさい。ところで、今、あなたにおつきあいしている女性はいるの？」
「いえ、特にいませんが…」
「じゃ、あたしの会社の適当な子を見繕って、写真を送るわ。気に入った子がいたら知らせてちょうだい。すぐ紹介するわ」
「はあ……それはどうも」
そしてゼラスは去っていた。一人で暮らすにはあまりに広すぎる家。両親が結構な財産を残してくれたので、ゼロスは出世を焦ることもなく、気楽なサラリーマン暮らしをしていた。
ある雨の日のことだった。ゼロスが会社の同僚と少し飲んで、傘をさしてふらふら歩いていると、自分の家の前に、タオルで覆われた段ボール箱が置いてあった。タオルは、折からの雨でぐっしょりと湿っている。タオルを取ると、びっくりするくらい小さな仔猫と目があった。
「にゅう〜」
雨粒は、薄いタオルを通して、段ボール箱の中にまでしみこんでいた。そっと仔猫に手を伸ばす。頬をすり寄せてくる。猫の平均体温なんて分からないけれど、かなり熱かった。
（熱がある？）
よく見てみれば、呼吸も荒いし、身体もだるそうだ。このまま放って置くことは、彼には出来なかった。とりあえず、家にとって帰す。乾いた分厚いバスタオルで、仔猫をくるむ。仔猫は、抱き上げようとすると軽く抵抗したが、力が入らないのか、ゼロスのされるままになっていた。
近所にある、ログハウス風の造りの動物病院のチャイムを押す。時間外なのは承知の上だ。でも、この仔猫がこのまま弱っていくのを見てはいられない。何度かチャイムを押すと、中年の男性が扉を開けてくれた。
「あの、この仔猫、僕の家の前に捨てられていたんですけど、ちょっと熱があるみたいで……」
獣医師は、大丈夫、と手で仕草を示して、猫の体温を測った。
「どうですか？」
「かなり熱がありますね。でも、早い段階で連れてきてくれてよかったですね。このくらいの熱なら、解熱剤の点滴で良くなるでしょう」
「ありがとうございます」
「今日の所は、うちの病院でお預かりしますよ。明日の夕方に来て下さい」
次の日、会社が引けると、ゼロスはまっしぐらに動物病院に向かった。仔猫は、熱も下がり、少しは元気を取り戻したようだった。
「それで、どうしますか」
「え、どうする、といいますと……」
「捨て猫だったんでしょう？こんな小さいのに可哀想に。この病院で、飼い主を捜すこともできるが……君が飼う気はありませんか？」
「にゃあおん……」
仔猫は、紅い瞳で、ゼロスを愛らしく見上げている。ゼロスは、ふっと笑った。
「これも何かのご縁ですね。幸い、僕は一戸建てで一人暮らしだし、ちょうど寂しかった所なんです」
「猫を飼う、というのは、飼ったことのない人には分からないでしょうが、結構な手間がかかりますよ。一人暮らし、ということは、お昼はこの猫ちゃん独りになるわけですし。爪研ぎや、トイレのしつけなんかもしなくてはなりませんよ。大丈夫ですか？」
「ええ。なんとかやってみます」
「それじゃあ、当面必要なものをここで買っていって下さい」
ゼロスは、爪研ぎ用の板や、猫のトイレ、細かい紙で出来た砂、それから赤ちゃん猫用のキャットフードを買い込んだ。それらを車に積み込み、最後に助手席に仔猫を乗せた。
「お世話になりました」
「いえいえ。何か困ったことがあったら、またいらして下さい」
ゼロスは、車を発進させた。仔猫は、窓の縁に手をかけ、通り過ぎていく景色を珍しそうに見ていた。
「着きましたよ、仔猫ちゃん」
仔猫を抱き上げて、家に入れる。仔猫は、ふんふんとあちこちを嗅ぎまわっていたが、やがて台所の床の上でお漏らしをした。
「あちゃー、やってくれましたね」
雑巾で床を拭き、とりあえず仔猫の頭をぺしっと叩く。
「とはいっても、トイレの用意もしていなかった僕が悪いんですけどね」
トイレを玄関の隅に設置し、紙で出来た砂を入れていると、ぱりぱりぱり、と言う音が聞こえてきた。仔猫は、居間の柔らかい材質の柱で、爪を研いでいた。傷が残っている。ゼロスはもう一度、ぺしっと仔猫の頭をたたいた。
「だめでしょう、仔猫ちゃん」
仔猫は、恨めしそうにゼロスを見上げる。ゼロスは、仔猫が爪を研いだ柱に、マタタビの匂い付きの爪研ぎ用板を張り付けた。
「にゃ…」
花瓶の花を触ったり、ソファをひっかいたり、いたずらばかりしていた仔猫は、次第に元気が無くなっていった。
「まさか、また熱が？」
抱き上げて触ってみるが、そう言う気配はない。仔猫は腕の中でぐったりとして、何かをおねだりするように「にゃああん」と鳴いた。
「あ、僕としたことが。餌をあげていませんでしたね」
とりあえず、使っていない食器を二つ出す。一つには、動物病院で買ってきたキャットフードの缶を、もう一つには牛乳を入れる。仔猫は皿に飛びついた。すごい勢いで餌を食べていく。そして、ぴちゃぴちゃとミルクを舐める。あっという間に二つの皿は空になった。仔猫は、そこから動こうとせず、「みゃああん」とおねだりをしている。
「やれやれ、一食分の食事はあげたんですけどねえ」
試しにゼロスがもう一缶キャットフードを開けて、牛乳も注いでみると、仔猫はまたしてもあっという間にそれを空にしてしまった。そしてふたたび「みゃああん」。
結局、三食分をお腹に納めて、仔猫は満足そうにお皿を離れた。そして、とことこと可愛い足でソファのゼロスの所に歩いてくる。膝にぴょん、と飛び乗った。とても軽い。ゼロスは大きな手で、仔猫を抱き寄せた。
「いつまでも仔猫ちゃん、じゃいけませんね。名前を決めなくては」
仔猫は、紅い瞳でゼロスをじっと見つめている。
「茶色だから、チャトラン」
仔猫は、不満そうに身体を舐める。
「じゃあ、ゲームから取って、トロ」
仔猫はまた不満そうに身体を舐めていた。
「女の子ですからね、女らしい名前がいいですね。リナ、なんてどうでしょう」
仔猫は、満足そうにゼロスに身体をすり寄せた。
「決まりです。今日からあなたはリナさん。僕はゼロスですよ、よろしく」
リナは、ゼロスの膝の上で、丸くなった。

昨日はお腹が特別にすいていたから三食分も餌を食べたのだと思っていたが、今朝もリナはきっちり三食分、ご飯をねだった。お腹を壊している様子もないので、ゼロスはさしあたって三食分食べさせてみた。そして、会社へ行く前に、動物病院に寄った。
「ああ、そう言う猫ちゃんもたまにはいますよ。その分運動を充分させれば問題ないです」
こともなげに言われて、ゼロスはほっとした。
「じゃあ、リナさんが異常って訳じゃないんですね」
「ああ、あの猫にリナちゃんって名前を付けたんですか。可愛いですね」
ゼロスは思わず赤面した。


その日の帰りに、ゼロスはペットショップによって、リナをじゃらすためのおもちゃをいくつか買い込んだ。
（運動を充分させないとデブ猫になっちゃいますからね）
そして、普通の猫の３倍の量のネコ缶を買い込むと、家路についた。
おもちゃは、想像以上にリナを喜ばせた。ゼロスがぴんぴんとひもの先についたボールを躍らせると、短いしっぽをぴんと立てて飛びかかってきた。リナと同じくらいの大きさの猫のぬいぐるみも、リナのお気に入りだった。じわじわと近寄ると、突然襲いかかって噛みつき、ごろごろと転がってじゃれた。


トイレのしつけも、爪研ぎのしつけも、ゼロスは毎日何とか時間を作ってこなした。会社の仲間と呑みに行く機会もめっきり減った。
「ゼロス、今夜、いかねえか、一杯」
「いえ、家でリナさんが待ってますから」
「リナ〜〜！？そっかー、堅物のお前にもついにそういう女性が出来たか。紹介してくれよ、うりうり」
「紹介してもかまいませんけど、リナさんは猫ですよ」
「なんだ、ペットか。最近飼いだしたのか？」
「ええ。もう可愛くって可愛くって。あ、写真見ますか？」
「ふーん、普通の猫だな」
「普通じゃないですよ！家に帰ると僕の足にすりすり〜ってしてくれて、餌をねだって可愛い声で鳴くんですよ。あと、ぼくがソファに座ると、膝の上に乗っかってきて……」
「あー、わかったわかった。他人の子供自慢とペット自慢ほど聞いていて疲れることはないもんだ。まあ、猫もいいけど、お前もいい年なんだから、ちゃんと彼女を見つけろよ」
「いいんです、僕にはリナさんがいますから♪」
「おいおい、だいじょうぶかよ……」
それでもゼロスは幸せそうだった。


日曜日の朝、ゼロスが猫じゃらしでリナと遊んでいると、玄関のチャイムが鳴った。出てみると、姉のゼラスだった。
「ひさしぶり。電話もしないで来てごめんなさいね。結婚するときに言ってたでしょ、知り合いの良さそうな女の子を紹介するって。それで、今日は女の子の写真を持ってきたんだけど……」
「どうせ暇にしてたし、いいですよ。どんな子がいるか、楽しみですね」
「にゃぁぁん」
リナが、玄関に出てきた。
「あら、あなた、猫を飼い始めたの？」
「そうです。名前はリナさん。見ての通りの茶色いメスの仔猫です」
「それじゃあ、あんまり寂しくないわね」
「寂しいどころか、リナさんには振り回されっぱなしですよ。食費も雑費もかかりますからね。家族が増えたようなもんです」
「それじゃあ、恋人候補は猫好きの人でないといけないわね」
リナはぴんと尻尾を立てて、すこし歯をむき出した。ゼロスもゼラスも、それには気づかなかった。

テーブルの上に、紅茶が二つと、山のような写真。
「ねえ、この子なんか、良くない？経理の子で、とてもしっかりしてるのよ。美人だし。あなたの写真を見せたら、ぜひ会いたいって言ってたわ」
「うーん、そうですねえ……」
「じゃあこっちの子は？見た目ちょっと派手だけど、以外と姉御肌で世話焼きなのよ。あなたには、そう言うタイプが似合うかもね」
「うーん、そうですねえ……」
「あなた、さっきからそればっかり。気に入った子はいないの？」
「みなさん良さそうな方ですが、一生を共にするとなると、ちょっと……」
「うーん、じゃあ、この子はどう？とっておきの隠し玉なんだけど」
長いさらさらの金髪。澄み切った蒼い瞳。上品な白いブラウスが、よく似合っている。掛け値無しの美女だ。ゼロスは息を呑んだ。
「……綺麗な、方ですね」
「そうでしょ？あたしの会社の受付嬢。会社の顔ですもの。フィリア＝ウル＝コプトさんっていうのよ。家柄も由緒正しくて、美人で、しかもそれをちっとも鼻にかけない気さくな人柄なの。あなたの写真を見せたら、すぐにでも会いたいって言ってたわ。これで、お見合い、決まりね」
「あ、あのー、僕の方は……」
「ああ、いいのいいの照れなくて。じゃあ、来週の日曜、開けて置いてね。あら、リナちゃん……？」
それまで、ゼロスの足下で静かな寝息を立てていたリナが、テーブルの上に上がってきた。そして、フィリアの写真に爪を立て、思いっきりひっかいた。
「リナさん！」
ゼロスはぺし、とリナの頭を叩く。リナはふん、とばかりに尻尾をたてて、テーブルを飛び降り、居間を出ていった。
「もしかしたら、リナちゃん、嫉妬してるのかしら？」
「まさか。猫ですよ」

その夜。リナは、二階のゼロスの寝室の出窓の上に座って、じっと月を見ていた。半月より、少しだけふっくらした上弦の月。ゼロスがベッドに入っても、めずらしくリナは隣に入っては来なかった。月を見つめ続ける。
「猫にも、考え事をすることもあるんでしょうか？」
ゼロスがベッドサイドランプを消すと、リナがするりと隣に入って来た。
それから、毎晩毎晩、リナは二階の出窓から月を見つめ続けた。月は、次第に満月に近づきつつあった。月を見るリナの紅い瞳はとても真剣で、近寄りがたいものを感じた。
次の日は、雨だった。夜中になると、雷が鳴った。しかし、リナはいつもの場所で、月が出ている方向を見据えて、じっとしていた。
「リナさん、今日はいくら待ってもお月様は出ませんよ。もう寝ましょう」
ゼロスがリナの身体を抱き寄せようとすると、リナは毛を逆立てて「ふーっ」と呻った。甘えん坊のリナがそんな態度をゼロスに見せるのは初めてだった。
「わかりました。好きなだけ、雲の向こうのお月様を眺めていて下さいね」
そういって、ゼロスは逆立ったリナの背中の毛を、優しく撫でた。


水曜日、木曜日、金曜日……夜、リナのお月様詣では続いた。
「リナさんは、お月様が好きなんですね」
牛乳を入れた小皿を出窓に置くと、リナはぴちゃぴちゃとそれを飲んだ。そして、飲み終わると、小さくため息をついて、また月を見つめた。月は、満月に近くなっていた。
そして土曜日の夜。雲一つない空を、満月が飾った。月の光のせいで、星もかすんで見えない。リナはいつもの出窓から、燦々と月の光を浴びていた。不思議なことだが、それは何かの儀式のようにも見えた。
「リナさん、明日はお客様が来ます。静かにしていて下さいね」
猫に話しかけてもしょうがないのだが、猫を飼う人の多くがそうであるように、ゼロスはリナにしょっちゅう話しかけていた。リナは、それを聞いているのかいないのか、ただ月を見つめ続けていた。ゼロスは、明日のお客さま用の掃除をし、お茶の準備をすると、不意に眠たくなってベッドに入った。眠り込んでから三十分ほどしたころ、するりと布団に何かが入り込んでくる気配があったが、リナだろうと思って気にしなかった。



なんとゼロリナなのにリナが出てこない！というとんでもないことをしてしまいました。一気にこんなトチ狂ったストーリーを書き上げてしまったのは何故なんでしょうね（汗）まあ、ここまで読んでしまった優しい方は、続きをどうぞお楽しみ下さいm(_ _)m
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。そちらの方では「ＭＹＵ☆ＭＹＵ」というタイトルで載せて頂いたのですが、せっかく同じブランド名もあることだし、スペルを変えることにしました。読み方は、どっちも「みゅうみゅう」です。


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