ＭＩＵ☆ＭＩＵ［３］

「ねえ、ゼロスは毎朝、何処に出かけていくの？」
「会社ですよ」
「会社のことは猫だった頃、聞いたことある。狭い建物に、沢山の人が出たり入ったりして、お仕事するんだよね。ゼロスのお仕事はなあに？ご飯作ること？」
「いいえ、僕は『営業』という仕事をしています」
そして、つやつやの上質紙で作られた、会社のパンフレットをリナに見せる。
「あ、これは分かる。パソコンよね。ゼロスも持ってる」
「これの新製品を、紹介して、沢山の人に売るんです。そして、そのご褒美として会社からお金をもらう」
「ふむふむ」
「そして、そのお金で、僕とリナさんのお食事や、服が買えるわけです」
「おおお〜」
リナは感動したように、大きなため息をついた。
「ゼロス、会社、好き？」
「うーん、あくまでお仕事ですからねえ。でも、やりがいはありますよ」
「リナと、会社だと？」
（ふふふ、リナさんも、女の子にお決まりの質問をしてくるようになりましたね）
ゼロスは冷たく言う。
「会社の方が、好きですよ」
「え……」
リナの瞳に涙がたまる。その時だった。ぴょこん、とリナの頭に猫耳が生えた。
「リナさん、その耳……」
「ゼロスが意地悪言うから、耳から元の猫に戻っちゃうんだよ」
「嘘です、嘘です、会社より、リナさんの方がずっと大事ですよ。決まってるじゃないですか」
「ほんと？」
紅い瞳に涙をにじませていたリナは、みるみる元気を取り戻す。猫耳もひょん、と引っ込む。
「ありがとう、ゼロス。本当は、リナも会社も両方大事よね。わがまま言ってごめんなさい」
「いい子ですね、リナさんは」
「何か安心したら、眠くなって来ちゃった」
「そのはずですよ、もう真夜中です」
「じゃあ、寝よ〜」
リナは二階に上がると、パジャマに着替えてゼロスのベッドに潜り込んだ。ゼロスが歯を磨いて、上がっていくと、リナはすでにすやすやと寝息を立てていた。リナは、ボタンを止められるようにはなったが、まだまだ未熟だった。今日はボタンを二つも掛け違えしていた。
（あーあ、しょうがありませんねえ）
パジャマのシャツのボタンを開けかけて、手を止める。
『人間の年齢に換算すると１３、４歳……』
そんな娘の露わな肌を見てしまっていいものか。
（でも、裸なら、最初に人間になったときも、始めてお風呂に入れたときも、見てますからね）
でも、寝ているリナのパジャマをそっと脱がせるのは、何か妙にどきどきした。ボタンを下から留め直す。小さな胸が、目に飛び込んでくる。
（神様、これは犯罪じゃありませんよね？）
やっと、襟元までボタンを留め終えて、ゼロスは動悸を抑えながらリナの隣に滑り込んだ。
（そもそも、この大きな家に、二人で一つのベッド、と言うのもおかしな話ですよね……）
元々ゼラスの部屋だったところを、リナの部屋にしよう、とゼロスは考えながら、眠りについた。


「ぜーったいイヤ！ゼロスの部屋で寝る！」
「そうは言っても、リナさんは年頃の女の子ですよ。男とベッドを共にすべきじゃありません」
「男、じゃないもん。ゼロス、だもん」
「同じことですよ。ゼラス姉さんのベッドに布団をセットして置きました。今日からは、そっちで寝て下さい」
「イヤよ、ゼロス、あたしを見捨てるの？」
「いい加減にして下さい！！」
ゼロスは怒鳴った。リナは、目の前でクラッカーが弾けたような顔をした。そして、見る見るうちに紅い瞳に涙がたまった。
「ゼロスは、あたしが嫌いなのね」
「ええ。僕の言うことを聞けないリナさんなんて、キライですね」
リナは、「わーっ」と泣きながら、元ゼラスの部屋に入っていって、ドアを閉じた。
（これくらい言っておかないと、いつまでもリナさんは僕と寝たがりますしね。僕だって男ですし……いつ変な気を起こすか、自分でもヒヤヒヤですよ）
三十分待ってみたが、リナは外に出てこなかった。ゼロスは、ふと嫌な予感がした。
「リナさんっ！？」
ゼラスのベッドの上には、猫耳、肉球のある手足、柔らかな毛並みの首筋を露わにしたリナがいた。彼女は、まだ泣いていた。
「うにゃあ〜」
言葉も猫っぽくなっている。
「すみませんすみませんリナさん、強く言い過ぎました。キライだなんて嘘ですよ。どうぞ機嫌をなおして、人間の姿に戻って下さい」
「でも、今日からあたしはゼロスと寝ちゃいけないんでしょ？ゼロスと寝ることが、この世で一番楽しみだったのに」
（なんか、誤解を招きそうな表現ですね……）
「いいですよ、わかりました。そこまで僕と一緒に寝ることを楽しみにしてくださっているんでしたら、一緒に寝ましょう」
肉球の手が、見る見るうちに細い白い指に変わっていく。首筋も、毛が抜け、ほっそりとしたうなじを見せた。猫耳は、とうに引っ込んでいる。
そして、涙に濡れた顔に、笑顔が戻った。
「えへへ、ありがと、ゼロス」
「心配かけさせないで下さい」
「また、わがまま聞いてもらっちゃった」


その朝、ゼロスがスーツ姿に着替えて、「行って来ます」と玄関のドアを閉めて出ていくと、リナはエプロン姿の下に用意していた外出着に着替えた。そして、ドアを開け、鍵をかけ、ゼロスについていく。
「絶対に遠くへ行ってはダメですよ」
そう言われて渡された鍵。ちょっといけない気もするが、
（お仕事中のゼロスを見るためだもんね）
リナは、気配を消して、ゼロスを追っていった。元・猫なだけに、そう言うことは得意なのだ。
駅に着いたゼロスが、財布の中身をかき回している。やがて、諦めたように乗車券販売機の前に立ち、切符を買った。ゼロスが改札を抜けると、リナは昨日のうちに財布から盗み出していた定期券を、改札のスリットに通した。
会社の側の駅で降りる。すごい人混みだが、リナはゼロスの匂いが分かるから、すいすいつけていける。やがて、ゼロスは、入り口が大理石でぴかぴかの、一つのビルに入って行った。さすがに、ビルの中までは入れない。リナは、少し考えて、ビルの裏側にまわって、そこに生えている大きな樹を昇った。一つ一つ窓を確かめていると、ゼロスがいた。机に向かって、何か書き物をしている。真剣な表情。
（うーん、いつもの優しいゼロスも好きだけど、こういうかっこいいゼロスもいいなあ）
リナが見とれていると、ゼロスは、いつか見せてくれた綺麗なパンフレットを鞄に入れ、外へ出ていく様子だった。リナはあわてて木を滑り降り、会社の表にまわる。ゼロスは再び駅に向かい、切符を買った。リナも、ゼロスの手元をよく見て、同じ切符を買った。
やがて、ゼロスは自分の会社とは違うビルに入っていった。リナは、再び手近な樹によじ登った。
「うーん、今はシステムを新しくしたばかりだからねえ……」
「では、こちらのプリンタなどいかがでしょう。もちろんこの会社のシステム全てに配線でき、どの部屋からでも書類のカラーコピーが取り出せます」
「しかしね、君、予算が……」
ゼロスは、一生懸命だったが、困っているようだった。これが「エイギョウ」というしごとなのね、とリナは理解した。
（それにしてもあのオジサンけち！ゼロスがあんなに勧めてるんだから、なにか買ってあげればいいのに）
やがて、パンフレットだけを置いて、ゼロスは次の会社へと向かった。今度は、手近に樹がなかったので、リナはこっそりと玄関の脇で待っていた。後ろから声がかかった。
「ねえ、そこの可愛いお嬢ちゃん」
後ろから声をかけられ、リナはビクッとする。
「こんな時間に、そんな格好で出歩くなんて、不良だねえ。警察に連れてっちゃおうか。それよりも、おじさんと遊んだ方がいいだろう？お小遣いもたくさん上げるから」
一瞬、ゼロスを呼んで助けてもらおう、という考えが頭に浮かんだ。リナは、プリペイド式の携帯を持たされている。が、今やっていることがばれたら、ゼロスはまた怒鳴って怒るかもしれない。リナは、とっさに男の顔をひっかいて、駆け出した。細い路地に入り込み、塀の上に飛び上がり、身を隠して、男が諦めて去って行くまでじっとしていた。
リナがさっきのビルまで帰ると、ちょうどゼロスが疲れた様子で出てくるところだった。ここでも、「エイギョウ」は上手く行かなかったのだろう。しかし、ゼロスを見失わずにすんだのは幸いだ。
ゼロスは、海の見える公園の方に歩いていった。そろそろお昼の時間だ。ゼロスもお弁当を食べるのだろう。ゼロスは白いベンチに座る。リナは、後ろの茂みに身を隠して、ゼラスさんから買ってもらった可愛いピンクのバッグから、鮭おにぎりを取り出した。しかし、鮭おにぎりは無惨にも地面に取り落とされた。ゼロスの隣に、待ち合わせしていたかの様に、フィリアが現れたのだ。リナは、二人の会話に耳を澄ます。
「この間は、すみませんでしたね。突然のトラブルで、さぞ驚かれたでしょう」
「いいえ、私は気にしていませんわ。でも、私のことを嫌いだ、と叫んだ女の子、あの子はあなたとはどういうご関係ですの？」
「親戚の子ですよ。僕にべったりなので、ついそんなことを言ったんでしょう。子供の言うことなので、気にしないで下さいね」
「ええ。それで、あれからしばらく考えて見たんですけど、私が何度もお見合いしてみて、結婚したいな、と初めて思えたのは、ゼロスさんだけなんです」
リナは茂みの中で大きく震える。
「ゼロスさんは、私のことがお嫌い？」
「いえ、とても魅力的だと思いますよ。あなたのような人を結婚相手に選ばない男はいませんよ。ただ……」
ゼロスとフィリアは呆然と前を見上げた。全身を葉っぱまみれにしたリナが、深紅の瞳からポロポロと涙を落としながら立っていた。
「ゼロスの……ゼロスのばかぁっ！！」
リナは茂みの方へ駆け出した。ゼロスは、リナに猫耳が生えているのをはっきりと見た。
「フィリアさん、すみません。今の僕は、あの子を追いかけるだけで精一杯なんです」
唖然としたフィリアの前から、ゼロスも茂みの方へ姿を消した。
「これって、振られちゃった、っていうことかしら？」
フィリアは首を傾げた。


「リナさん、待って下さい、リナさん！」
茂みの中に、リナの黒いエナメルの靴と、レースの靴下か落ちている。少し離れた場所にピンクのバッグ。その先にスカート。そしてＴシャツ。Ｔシャツはすこし膨らんでいた。ゼロスがかがみ込んでＴシャツをめくると、そこには仔猫に戻ってしまったリナがいた。
「リナさん……リナさん。話を最後まで聞いてくれませんでしたね。僕は、確かにフィリアさんのことを魅力的とは言いましたよ。でも、今は貴女がいるから、フィリアさんの気持ちには応えられない、と言うつもりだったんです。わかりますか？僕は、この世の誰より、リナさん、貴女を好きなんです。愛していたんです。それなのに、どうして貴女は早とちりして猫の姿に戻ってしまったんですか？」
「みゅう……」
仔猫のリナは、悲しそうに下を向いた。
「人間に戻れる方法はないんですか？」
「みゅ」
「あるけど、説明できない、と言うわけですね」
「にゃあおん……」
「とにかく、僕たちの家に帰りましょう」
ゼロスは携帯を取り出すと、会社に、ちょっと具合が悪いので早退します、と連絡を入れた。そして、落ちていたリナの服を拾い上げ、Ｔシャツでリナをすっぽりとくるんだ。


また家に予告もなく、ゼラスが尋ねてきた。
「ゼロス、あなたフィリアさんを振ったみたいね。気丈な子だけど、あなたのこと、気に入ってたみたいだったから、ちょっとショックみたいよ」
「あれほどの綺麗な方なら、すぐに僕よりふさわしいお相手が見つかりますよ」
「で？あなたの可愛いリナちゃんはどこ？おでかけ？」
「───それが……」
ゼロスは、ゼラスに簡単に事情を説明した。
「それは、あなたが悪い」
ゼラスは、お茶を口にしながら、単刀直入にそう言った。
「本命がリナちゃん、と決まっているんなら、他の女には優しい顔を見せちゃダメよ。あなた、小さい頃からほんとに外面だけはいいんだから。一見人当たりよくて、優しそうでいて、大事なときに大事な人をぐっさり傷つけるタイプよね。それで、リナちゃんはまた人間になれるの？」
「その方法を、いま考えているところです」
「リナちゃんが直接しゃべれればいいのにねえ」
「にゃおん」
リナは、ゼラスのストッキングを履いた足下に近づいてきて、足に頬ずりした。
「猫のリナちゃんもそりゃ可愛いけどね……」


ゼロスは、新聞の漁業欄を見ていた。月の満ち干が書いてある。今日から、半月から満月へ向かう上旬の月が見えるはずだ。暗くなると、ゼロスは部屋の電気も点けずに、リナを抱いてベランダにでた。風は強いが、心地よい夜だ。月も冴え冴えと光っている。
「にゃおん……」
リナは、不安そうにゼロスの腕の中でゼロスを見上げている。
「リナさん、しっかり頼むんですよ、また、自分を人間にして下さいって」
それから毎日、ゼロスはリナを抱いてベランダに出た。曇っていて月が見えない日もあったし、雨の日もあった。しかしゼロスは、リナを小さな毛布でくるみ、傘を差して、ベランダから、見えない月を眺めた。


そして、満月の夜が来た。その夜、空は晴れ渡っていた。満月の光が世界を満たしていた。ゼロスは、出来るだけ月光を浴びられるように、リナの脇の下に手を入れて、高く月にリナを掲げた。
そのまま、何時間待っただろうか。ゼロスは、さすがに手がだるくなってきて、リナをベランダの小さなテーブルに乗せて、じっとリナの紅い瞳を見つめた。
「戻りませんねえ」
「みゃあうん……」
ゼロスは、リナの紅茶色の背中を撫でた。
「考えてみれば、猫のリナさんも、人間のリナさんも、僕にとって大事って言うのは同じですね。おしゃべりは出来なくなってしまいましたけど、リナさんはいつまでも僕の可愛い恋人です。他の人と、結婚なんてしません。ずっと、リナさんとだけ、暮らしていきます。それが、僕の望みです」
そう言って、ゼロスは、リナを持ち上げ、唇に軽くキスをした。変化はあっというまに訪れた。リナの手足がぐっと伸び、全身から毛がなくなり、豊かな紅茶色の長い髪が現れた。顔も、人間のものになっていた。ただ、瞳は月の光でも分かる、深い深い紅色。そこからは、とめどなく涙が溢れていた。
「ゼロス」
懐かしい声で呼ばれる。
「リナさん……どうして人間に戻れたんですか？」
「一度人間になった猫は、猫に戻っちゃうと、普通はもう人間になれないの。でも、満月の日までに、その猫を……ペットとしてでなく、存在そのものを愛してくれる人が見つかったら、とくべつにもう一度人間になれるの」
リナは、月の光を浴びた美しい全裸で、ゼロスの胸に抱かれる。
「リナさん……こうして、僕たちは、またおしゃべりが出来るんですね」
「ねえ、ゼロス、さっき言ったこと、本当？他の人と結婚しないで、ずっとリナだけのものでいてくれるの？」
「本当ですよ。今まで生きてきて、こんなに愛しいと思えたのはリナさんだけですし、これからもそれは変わりません」
二人はもう一度、今度は人間同士のキスをした。

三たび、ゼラスは予告も無しに訪ねてきた。リナが玄関に出た。
「リナちゃん！人間になったのね。ああ、その服よく似合ってるわ。何たってあたしが見立てたんだもの。そうだ、これからお洋服買いに行かない？」
「ゼラスさん、お買い物にも行きたいけど、あたし、あたしの焼いたケーキを食べて欲しい」
「そう、そんなことまで出来るようになったのね。そういえば、香ばしい匂いが漂ってるわね……」
リナがケーキを切り分け、ゼロスが紅茶をいれた。
「そうやってると、何だか本物の夫婦みたいね」
リナは嬉しそうに微笑んだ。三人でテーブルを囲む。
「で、ゼロス。リナちゃんとは、してるの？」
ゼロスは、ぶうっと紅茶を吹き出した。
「まったくもう、きったないわねえ。で？してるの、してないの？」
「してませんよ、こんな子供相手に」
「ならいいの。あなたにロリコンのケがなくて良かったわね」
「して？する？なんのこと？」
「今はリナちゃんは知らなくていいの。大きくなったら、ゼロスが優しく教えてくれるからね」
「？」
「姉さん！」
まぬけな、しかし幸せな会話は、途切れるところを知らずに続いていた。



リナちゃんも無事人間になって、めでたしめでたし、です。たぶんフィリアさんは、すぐにでも運命の恋人と巡り会うでしょう。ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。これはいつ頃書いた作品か…記憶が曖昧です。でも、私の作品にお約束の「ふられガウリイ」が出てこないところを見ると、まだ私は純真だったのでしょう。


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