目覚めよと呼ぶ声が聞こえ［４］





よく焼けた丸パンを、冷たいミルクで流し込み、リナは旺盛な食欲を見せている。
「リナお姉さま」
「何？」
「お姉さまの好きな方って誰ですの？」
（おいおい、直球だな）
ガウリイは心の中で密かにつっこみを入れた。リナは、質問を聞いた途端にむせて、大きな咳をくり返した。
「げほ、ゴホゴホ……朝から、何て事聞くのよ。第一、こっちにもあんたに聞きたいことがあるわ」
「あら、何でしょう」
「なんで昨日は、ブルーリーの実なんか食べて、裏道にいたのよ。誰かに無理矢理食べさせられたの？」
「あ、いえ。大丈夫です。おやつのポケットに一緒に入れていたので、ちょっと間違えちゃって」
「あんたも年頃の、それも凄く可愛い部類の女の子なんだから。そんな、無防備すぎたらのちのち困ることになるわよ」
「はい。お姉さまがおっしゃるなら、気をつけますわ」
「ふう」
リナは、瓶から新たにコップについだミルクをぐいぐいと飲む。
「それで、お姉さまの好きな方って誰ですの」
「ぐぅ」
リナは再びむせる。気管の方にミルクが入ってしまったらしく、激しく咳き込む。
「大丈夫ですか、お姉さま」
「げほ、くふ、くうぅ……大丈夫じゃないわよ……げほ。あんた、そんなこと聞いてどうするの」
「だって、私リナお姉さまのことが大好きなんですもの。お姉さまの好きな方くらい、知っておきたいんですの」
「ダ・メ」
リナはようやく落ちついて座り、口のまわりを拭う。
「教えては、いただけないんですの？」
「それは、秘密よ」
「意地悪なさらないで。教えて下さい」
「まあヒントを出すとね。あたしとそいつは、滅多に逢えないし、あいつに恋愛感情なんてあるのかそもそもわからないし。だから、秘密。あたしだけが、知ってればいいことなの」
「わかりましたわ」
ゼリイは、釈然としない表情で、朝食を口に詰め込んだ。
「私、この町でちょっとお買い物していきたいんです。リナお姉さまは、今日は？」
「魔導士協会があるみたいだから、文献を見せてもらいに行くわ。ガウリイ、ゼリイについててやってくれない？どうもこの子は一人だと危なっかしいわ」
ガウリイは、ゼリイに向かって微笑む。
「それでいいか？ゼリイ」
「いえっ、あのっ……買い物なら、私一人で出来ますから」
「じゃあ、俺は宿でのんびりしてるよ。実を言うと、夕べは寝不足なんだ」
「へえ。いつも布団にはいると同時に爆睡するあんたが、寝不足なんて。何かあったの」
「ちょっと、な」
「じゃ、夕方に。ゼリイ、隙を見せて歩いてちゃだめよ」
リナは、マントをひるがえして、宿を出ていった。ガウリイとゼリイは、二人、食後のコーヒーを口にする。
「俺についてきて欲しくない、ってことは、また何かたくらむのか？」
「いえ、今日は私の上司のところへ行こうと……」
「魔族って、上下関係厳しそうで、大変だな。ゼリイ、お前人間にならないか。人間はいいぞ。自由だし、嫌な仕事は受けなきゃいいんだし……」
「魔族が人間になる方法なんて知りませんわ。第一、あなた方は僅か百年ぽっちで死んでしまうんじゃありませんか」
「だから、いいんだよ」
ガウリイの瞳は、澄んでいた。
「百年ぽっち。その間に、運命の誰かと巡り会えたら。側にいられたら。永劫に近い寿命なんて、俺は欲しくないよ」
「……行って来ますわ」
ゼリイは宿の外に出た。そして、人目のない事を確認して、空間に溶けた。

「お母さま、お久しぶりです」
「ゼリスか。首尾はどうだ」
「……うまくいきません。もう少しお時間を。そして、お母さまが知っていることならば、答えていただきたいのです」
「何だ。言ってみよ」
「リナ＝インバースの想い人というのは誰なのですか？」
ゼラスは、僅かに眉をひそめた。
「それを探り出すのがお前の目的なのか？」
頭を垂れたままで、ゼリス…ゼリイは続ける。
「今までのルビーアイ様の覚醒。一度は妄執によって。一度は激しい憎悪によって。ならば、それに匹敵する激しい心の痛みと負の感情、それによって彼女は……目覚めると思うのです」
「どういう感情だ」
「妬気（とき）です」
「嫉妬、か」
「リナ＝インバースは心強き人間。でも、ただ一人の想い人のためなら、彼女の心にさえも、激しい負の感情が生まれるはずです」
ゼラスは、部下であり娘であるゼリスを見つめた。
「私は、リナ＝インバースの想い人を知っている」
「それなら……！」
「だが、今はそれを言わない。お前の力に託す」
ゼリイは、主の顔を見上げる。
「もしかして、お母さまは……リナ＝インバースを惜しんでいますの？」
「いや、われわれの目的の前には、彼女などどうでもよい。どうでもよい、が」
そしてゼラスは口をつぐむ。静寂が、玉座の間を支配した。
「もう行け」
「はい……お母さま」
ゼリスは、空間を渡った。

ゼラスは思案に耽っていた。その時、近づいてくる力を感じた。ゼラスは指を弾き、獣王宮の固く閉ざされた門戸を開いた。自分の力とは、相反する力。
（どういうことだ……？）
玉座の間の扉が開いた。
「これは、赤の竜神の騎士（スィーフィード・ナイト）殿。私に、何か用向きでも？」
「初めまして、獣王（グレーター・ビースト）殿」
赤の竜神の騎士（スィーフィード・ナイト）……ルナ＝インバースは、深々とゼラスに一礼した。
「ルナ殿。よくこんな僻地までおいでなされた。よほどのご用がおありと見える」
「お願いがあって、参りました」
「私に出来ることなら」
「あなたの部下──獣神官（プリースト）ゼロスに会わせていただきたいのです」
「妹君絡みのことか」
「ご存じでしたのね」
「ああ……今、あいつはここにはいない。海王（ディープ・シー）ダルフィンの元で動いている」
「分かりました。そちらへ向かいます」
「その必要はない。私の力で、貴女を海王宮へ送る」
「ご親切に」
ゼラスは、長い煙管の煙草を灰皿に置いた。
「あれを……ゼロスを滅ぼされるのか、スィーフィード・ナイト」
「いえ、ただ話があるだけです」
「では」
ゼラスは玉座から立ち上がると、ルナの流れる黒髪に触れた。
「海王宮へ」
ルナの身体は、空間に溶けた。

ルナが次に目を開くと、目の前には華奢な黒目がちの美女が立っていた。
「海王（ディープ・シー）殿ですか」
「よくいらっしゃったわ、ルナ＝インバース殿。ゼラスから意志を受け取ったわ。ゼロスに会いたいのね。さ、こちらに」
ダルフィンはルナに先立って歩いた。
「この部屋の中で、彼は仕事をしているわ」
「しばらく、二人で話をしたいのです」
「分かったわ。私は元の部屋に戻っている。用事が済んだら言って。私の力で、貴女をゼフィーリアまで送ります」
「ご厚意、いたみいります」
ダルフィンは、廊下を去っていった。ルナは、ゆっくりと目の前のドアを開いた。
「強い力を感じると思ったら、貴女でしたか、ルナ＝インバースさん」
ゼロスは、羽ペンをインク壺に立て、立ち上がってルナに一礼した。
「僕に何のご用ですか」
「あなたはリナを愛している」
ルナの強い視線に、ゼロスは正面から答えた。
「ええ、愛しています」
「どんなところが好き？」
「華奢な身体。薔薇の瞳。果実の唇。柔らかな髪。そして、決して誰にも媚びない、強い心。ただ、どこか脆いところがあって、かすかにこちらを不安にさせます」
「そう。あの子は、そういう子だわ。……それにしても、ずいぶん力が弱まったものね、獣神官。今のあなたなら、私は簡単に滅ぼせるわ。リナを奪った憎い存在」
「僕を、滅ぼしますか？確かに、今の僕では貴女には決して敵わない」
「なぜ、そんなに弱体化したの？」
「それは、秘密です」
「私もリナを愛していたわ。あなたが憎い。でも、今リナの心を占めているのはあなたの面影だけ……」
「何を、おっしゃりたいんですか」
「お願いよ」
ルナの瞳がきらめく。
「リナを決して裏切らないで。あの子を捨てないで」
「もちろん、そのつもりです」
「あなたの力の及ぶ全てを賭けて誓って」
「誓います」
ルナは、ゼロスに歩み寄った。そして、そっとゼロスの唇に自分の唇を重ねた。ゼロスは、されるがままになっていた。ルナは、唇を離す。
「な……何のためにこんな……ぐ、ぐああっ」
ゼロスは苦痛にうめいた。胸に焼けた鉄を差し込まれるような痛みは、しばらく続いて、やがて治まった。
「いったい……」
「私の持つ力の一部を、あなたにそそぎ込んだわ。魔王の力と神の力。相反する力を受け入れるのは苦しかったでしょうけど……それは、あなたの切り札になる。あなたの上司たちにも気づかれない、最後のカード。それから、おまけ」
ルナは、ゼロスの頬に指を触れた。
「あなたの封じられているらしい能力の制限を解いたわ。リナは寂しがってる。会いに行ってやって」
「ありがとうございます」
「絶対よ。絶対にリナを裏切らないでね」
ドアは閉まった。ゼロスは、積み上がった書類の山に突っ伏す。
（すごいプレッシャーでしたね……さすがスィーフィード・ナイト）

狭い窓から星が見える。
（この時間なら、リナさんはベッドの中ですね）
ゼロスは、久しぶりに空間を渡った。
（抜け出したことが分かれば、ダルフィン様に叱られるでしょう。でも、今の僕はリナさんにひとめ会うためなら、どんな苦痛でも堪え忍べます）
どこかの町の、平凡な造りの宿。その二階に、リナは眠っていた。ゼロスは眠ったリナを抱き上げ、再び空間を渡った。町はずれの空き地。草の褥にリナを横たえる。リナは、ゆっくりと目を覚ます。
「ゼロス……これは、あたしの夢？」
「夢じゃありませんよ、リナさん」
リナは、闇色の神官に手をのばした。
「会いたかった、ゼロス」
「僕もです、リナさん」
二人は深い口づけを交わす。
「寒くはありませんか？」
「暑いくらいよ」
リナは微笑む。
「やっと、あんたが来てくれたんだもの。心が、温かいわ。そして、身体も……」
「誘うのが上手くなりましたね、リナさん」
「やだ、あたしそんなつもりじゃ……」
「僕はその気になりました」
優しく脱がされるパジャマ。リナは、夜の空気を素肌に感じて、目を閉じた。

「……リナお姉さま？」
ゼリイは、眠っていなかった。隣の部屋に、一瞬力がみなぎり、そして消えた。
「リナお姉さま！」
ゼリイは隣の部屋のドアを開けた。リナの姿は無かった。
（他の魔族からの攻撃？それとも……）
ゼリイは感覚を研ぎ澄ませ、リナの行き先を感じ取った。
（こっちですわね。でもなぜ？この力、私の力と似ている）
流れ込んでくる、その魔力。
（近いですわ）
空に浮かんだゼリイは、町はずれの草原を見いだした。そこでもつれ合っている二人の姿を、ゼリイは見た。
（ゼロスお兄さま！！）
空中ですくんだゼリイの気配にも気づかず、二人は互いを求めあっていた。
（リナお姉さまの、好きな方というのは……！）
ゼリイは、抱き合う二人をしばらく眺めて、そして姿を消した。




ルナさんをしょっちゅう書いてしまうのは、私の悪い癖みたいなものです。今回のルナさんはかっこよく書けたでしょうか。ちなみに、ルナさんはリナちゃんを溺愛しているというのが、私の脳内設定です。それでは、続きもよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。しかし、兄ともいうべきゼロスとリナちゃんのあんなことを覗き見てしまうなんて、生まれたてのゼリイの情操教育には良くないでしょう（って、何言ってんだか……）。


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