Lonely Lolita Girl…１


「新任の先生を４年３室にねえ……」
「いくら大学で優秀だったからって、現場は理想通りには行きませんからな」
「あの娘を押さえきれますかね」
小学校の職員室は、新任の教師と、彼に降りかかる災難の話題で持ちきりだった。
「とにかく、あの娘は子供らしいところが全くない」

職員会議。
「新任の、ゼロス＝メタリオムです。よろしくお願いします」
「よろしく」
教師陣の声が重なる。ゼロスは、にっこりと微笑んで席に着いた。
「あー、ゼロス先生。言っておかなければならないことがあります」
「なんでしょう？」
「あなたのクラスに、一人問題児がいる」
「問題児……暴力でも？」
「いや、そうではないのですが……彼女に直接会ってみた方がよく分かるんじゃないでしょうかね」
「女の子ですか」
「ええ。私たちも、彼女にはほとほと手を焼いているんです」

名簿と教鞭をかかえ、ゼロスは自分に割り当てられたクラスに着いた。
「問題児、ですか」
扉を開けたら水バケツでも落ちて来るんじゃないかと、ひやりとする。そっとドアを開ける。特に何かが仕掛けられている様子はない。ゼロスは、背筋を伸ばしなおして、教壇へ登った。
「皆さん、初めまして。お辞めになったブレフィス先生の替わりに、今日からあなたたちと一緒に勉強します。ゼロス＝メタリオムです。よろしく」
「こんにちは、ゼロス先生！」
元気のいい声が、教室を満たした。素直に輝く、三十数人の瞳。
（いいクラスじゃないですか）
「それじゃ、出席を取ります。名前を呼ばれたら返事して下さい。アイシャ＝コーダンテさん……」
子供たちは、名前を呼ばれると元気な声で返事した。ゼロスは一人一人に笑顔を返し、次の名前を呼んだ。
「リナ＝インバースさん」
沈黙。
「リナ＝インバースさんは欠席ですか？」
「はい。います」
気怠げな声。ゼロスは、声の主に目をやる。そして、凍り付く。紅茶色の柔らかな長い髪。その前髪に縁取られた、少女人形のような白い肌、整った顔立ち。そして、彼女をより魅惑的に見せる、半分伏せられた深紅の瞳。その視線は、机の上の分厚い本に落とされている。ゼロスを見ない。
「リナさん、名前を呼んだときは、こちらを向いて下さい」
「嫌です」
ページを繰りながら、気のなさそうな返事をする。

野生の、しかし高貴な、猫。そんなことを思い浮かべた。

「……」
リナは目を上げない。ゼロスが戸惑っていると、一人の金髪の男子生徒が手を振った。
「あー、先生。こいつってばこうなんです。いちいち気にしてたら神経持ちませんよ」
「はあ……でも」
「せんせ、先を続けて下さい」
「インバースにはつきあってらんねーぜ」
他の生徒からも、不満の声が挙がる。
「出席確認を続けます。……ガウリイ＝ガブリエフさん」
「はい」
さっきの金髪の男子生徒が、元気良く返事した。

全員の名前を呼び終わると、ゼロスは教壇を降りて、本に熱中しているリナの側に立った。リナはちらともゼロスを見ず、本を読んでいる。
「リナ＝インバースさん」
無視。
「授業を始めるので、本をしまってくれませんか」
無視。
「じゃあ、失礼しますよ」
ゼロスは、リナの読んでいる分厚い本をさっと取り上げた。
「……」
リナは、さすがにゼロスを見上げ、にらみつける。
「『花咲く乙女のかげに』……『失われた時を求めて』の第二部、ですか。いい本ですね」
「返して下さい」
「授業が終わったら返します」
「あたしに、くだらない授業を聞けっていうんですか？」
「僕は、僕なりに準備をしてきました。くだらないかどうかは、」
ゼロスは本を小脇に抱えた。
「放課後に、お話ししましょう」

「……」
本を取り上げられたリナは眠ってしまった。窓辺の席、左肩に陽射しの毛布をかけて。国語の時間。ゼロスは、名簿順に教科書を朗読させていた。
「はい、ありがとうございました。次、リナ＝インバースさん」
柔らかな栗色の髪を机の下に垂らして、リナは眠り込んでいる。陽に当たった髪の毛は、あかがね色の絹糸のようだ。触れたら壊れそうな肩を、そっと揺らす。
「……何よ」
「インバースさん」
眠たげな瞳は、僅かに潤んでいる。
「せっかく、いい夢を見てたのに」
「このページの５行目から、立って朗読してください」
リナは、髪を指で梳くと、ゆっくりと立った。そして、指定された場所を読み始めた。歳の割に低く、甘い声。紡がれる物語に、ゼロスも、そしてクラスメイトも聴き惚れる。
「……あの」
気がつくと、朗読はとぎれていた。
「何ページ読めばいいんですか」
「あ、すみません、インバースさん。もう結構です」
「結構って……最後まで読んじゃいましたけど」
「失礼しました。あまりにも貴女の朗読が心地よくて」
金髪の少年───ガウリイが、微笑んで言う。
「リナの声は最高だろ？　先生」
「そうだからって、何ページもぶっ続けで読まされるのは勘弁して欲しいわ」
リナは、頬杖をついてゼロスの授業を聞いた。そして、また机に頬をつけて寝入ってしまった。

給食。ゼロスは、教壇の横の教師席で、生徒たちと同じ昼食を取った。給食委員の白衣を身につけた生徒が、リナの前で怒鳴っている。
「インバース！　ちゃんと給食たべろよな。決まりだろ？　こういうことは」
「あたしは自分でお弁当持ってきてるの。不味い給食なんて食べたくないの」
「俺たちがみんなで食ってるものが、不味いっていうのかよ！」
「別に。それがよければ食べてればいいじゃない」
リナは、机の上にバスケットを広げた。
「……まったく。せめて牛乳くらい飲めよな」
「そんな安物の牛乳、口に合わないの」
「だからお前はいつまで経ってもチビなんだよ！」
リナは、給食委員をにらんだ。深紅の瞳が鋭く光る。
「さっさとそのくだらない給食を片づけてどっか行って。ごめんなさいね、わがままで！」
「可愛くねーの」
給食委員はガウリイの方を振り向いた。
「おーい、ガウリイ。いつものことだけど、インバースは給食いらないってさ。お前、食うだろ？」
「サンキュ。もらうぜ。リナは、どうせ自分の弁当持ってきてるんだろ？」
ゼロスは、思わず立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「ああ、先生。気にしないで下さい。いつものことだから」
ガウリイは、リナの分の給食を、ぱくぱく食べ始めた。
「リナ＝インバースさん、給食は食べずに、お弁当を食べるんですか？」
「いけませんか？」
「給食を食べるというのも、学校の中のルールです。ルールを守ってこその共同生活でしょう」
「みんなで同じ不味いものを食べることが、そんなに大切なルールですか？」
「給食は、栄養のバランスが……」
「そのお説教、前の先生の時から聞き飽きています。あたしのお弁当も、きちんと栄養は考えてありますから、先生は安心して先生の席に戻って下さい」
「毎日、その豪勢なお弁当ですか？　親御さんが大変……」
リナの深紅の瞳が、尖ったガラスの破片のようにゼロスを刺した。バスケットを閉じる。その取っ手を持って、リナは勢いよく廊下へ飛び出していった。

放課後。ゼロスは、職員室の自分の席に据え付けられたコンピュータをいじって、リナのプロフィールを見ていた。
（一年生の時から、図画、体育も含めて完全オール５ですか……）
ただし、昨年の備考欄には「協調性に欠ける」「クラスに溶け込まない」「友人を作らない」と前学年の担任が苦言を呈している。そして。
（あ……）
『３年次、６月に両親と姉を放火により失う』
『現在は叔父に引き取られている』
給食の時の、自分の台詞がよみがえった。
『親御さんが大変……』
（まずかったですね）
ゼロスは額を押さえた。
「どうでしたか、ゼロス先生、初日は」
「ああ、教頭先生。お気遣いありがとうございます。……失敗してしまいましたね」
「というと？」
「リナ＝インバースさんにうっかり親御さんのことを言ってしまって」
「最初に、私たちが知らせておくべきでしたね。───あの子も、元は明るい子だったんです。去年の放火事件までは」
「放火……このデータに載っていることですね」
「まだ幼い子供にとっては、辛すぎる事件でした。そして、彼女は心を閉ざした」
「誰にも？」
「ええ。近所で、親友だった男子児童でさえ、彼女の心を解きほぐすことは出来なかった」
「ガウリイ＝ガブリエフくんのことですね」
「そうです。もっとも、彼の方は構わずにリナ＝インバースさんに話しかけているようですが」
「それが、彼女にとって、救いになるといいですね」
「ええ───おっと、噂をすれば影ですな」
ノックもせずに、職員室にリナが入ってきた。まっすぐにゼロスの机に向かってくる。
「リナさん、昼には、貴女の気持ちを考えないことを言って、申し───」
「そんなこと、どうでもいいです。本を返して下さい」
ゼロスは、分厚い本をリナに返す。
「今度から、授業の時は読まないで下さいね」
「何故ですか。とっくの昔に通り過ぎたレベルの授業を聞くより、私はプルーストの世界に浸っていたい。授業が役に立つかどうかなんて、それぞれだと思うんですけど」
「僕が寂しいんです」
「先生が？」
「僕に限ったことではありませんが、教師はいつも細心の注意を払って授業予定を立てるものです。せっかく作った特製の授業、あなたには退屈なのかも知れませんが……いえ、明日からはその段階を通り過ぎた貴女にも楽しめる授業をしますから。授業中は、授業を聞いて下さい」
冷たいリナの顔に、僅かに微笑みの灯りがともった。
「楽しみにしてるわ、ゼロス先生」
自分の鞄に分厚い本をしまって、リナは職員室を出ていった。
「やりますな、メタリオム先生」
教頭が眼鏡をずり上げる。
「あの子の……かすかながらも笑顔を見たのは、事件以来ですよ」
ゼロスは、リナのデータを読む作業に戻った。
（ＩＱが……１７８！？　あの子が１０歳だから……大学生並みの知能を持っていると言うことですか）
「そんなの、あたしの勝手です！！」
廊下から、さっき出ていったばかりのリナの怒鳴り声が聞こえてきた。ゼロスは、慌てて席を立った。

「何事でしょうか」
「ああ、新任の先生ですか。このリナ＝インバースの服装が、少し派手だと思いましてね」
改めてリナの服を見る。黒の上品なワンピース。派手とは思わないが、たしかに休み時間にグラウンドを走り回るのには向いていないだろう。もっとも、リナがそういうことをするとは思えないが。
「この気取った別珍の服。安もんじゃないでしょう。親戚の家に世話になってるくせに、贅沢な───」
「わかりました。すみませんでした。明日からは、もう少し地味な服にします」
可愛らしい声。生活指導の教師は、口の中でもごもごと言った。
「分かれば、いいんだ。女は素直が一番だぞ」
「はい」
「メタリオム先生を困らせるなよ」
「はい」
リナは、笑みを浮かべた。それは、ゼロスにさっき見せた微笑みとは全く違っていた。
（馬鹿にしている───）
しかし、生活指導の教師はそんなことには気づかないらしく、満足げに去っていった。リナは、電灯のスイッチを切るように、頬から笑みを消す。
「馬鹿みたい。今時ベルベットのことを『別珍』だなんて。ねえ、ゼロス先生」
「人に……特に先生に対して、『馬鹿』などと言うものではありません」
「ごめんなさい」
心は、１ミリだって謝っていない。その時、リナの表情が不意に曇った。
「あたしは、この服気に入ってるんです。もう、着て来ちゃ駄目なんですか？」
「うーん……」
ゼロスは迷った。先ほどの生活指導とのやりとりを聞いてしまったから尚更。でも。
「いいですよ、リナさんが気に入っているなら」
「もっと他の、服なら？　もっと動きにくい服なら？」
「着ている人が嬉しい服が一番です」
「生活指導のジェラード先生には……」
「僕から言っておきます」
深紅の大きな瞳が、まじまじとゼロスの顔を下からのぞき込んだ。
「ありがとう、ゼロス先生……」
「どういたしまして」
ゼロスは、知らない。『ありがとう』の言葉をリナが使ったのが、あの火事以来初めてだということを。


（さて、僕の生徒はリナさんだけというわけでは無いんですよね）
他の生徒のデータにも目を通す。
（ガウリイ＝ガブリエフさんですか。成績の方は……うーん。体育はずば抜けていますが）
「俺って馬鹿だろ？」
「ええ……って、ガウリイさん！？」
「俺、今日、日直だったから。はい、今日の日誌」
「あ、どうも……」
「先生、先生をするの初めて？」
「そうです」
「それでリナの面倒見るのか。大変だな」
「あなたは、リナさんと仲良しじゃないんですか？」
「ずっとそうだったけど。ひとりぼっちになって以来、あいつは俺にも笑ってくれなくなった。ま、いいんだけどな。俺が勝手にあいつを好きなんだから」
「好き……？」
「ああ。先生、小４っていったら、もう大人だぜ」
じゃあな、明日も頑張れよ、と、長い金髪をなびかせて、少年は職員室を出ていった。




これも学園物？　小学校を舞台にしたゼロリナです。ちびでおしゃれでで生意気なリナちゃんを、ゼロス先生はどう扱っていくのでしょうか。さすがに歳の差ありすぎな二人はどうするのでしょうか。楽しみに待っていただきたく思います。
またしても小生意気で孤独なリナちゃんです。こういう性格はどっちかというとゼルガディスのような気もするのですが、とにかく私はこういうリナが好きなのです。





次へ