愛の自爆装置［後編］



大好きなあの子とはもう　キスもできないんだよ？


アメリアも、ゼルガディスも、年齢に勝てずこの世を去った。それから、千年の歳月が流れた。
「神様、リナ様、今日の糧をお与え下さったことを感謝します」
子供たちの無邪気な声が響く。リナ＝インバースは、この世を護ってくれている神様の一人。それが最近の人間たちの認識だった。千年の時を越えても、あの建物は白く輝く外観を誇り、壁には傷一つなかった。子供たちは、一定の歳になると、その建物を見学させられた。
「この中には、歳も取らず、病にもならず、孤独に耐える一人の少女がいます。それがリナ様です。リナ様の力で張った結界で、私たちは魔族の脅威から護られている。リナ様に感謝するように」
「ありがとう、リナ様！」
声をそろえた子供たち。その声は、建物の一番外の壁にすら阻まれてしまったであろう。感受性の強い子供の中には、リナに同情して泣き出す者もいた。子供たちを引率してきた教師が、涙を流す子を抱き寄せた。
「リナ様はね、かつて魔王シャブラニグドゥの分身を倒し、冥王フィブリゾを倒し、異世界の魔王ダークスターを倒したの。とても強い女の人なのよ。いまも、きっと穏やかな笑顔で私たちを見守ってくれてるわ」
子供は泣きやみ、教師のスカートで涙を拭いた。


ゼロスは、思わぬ千年の休暇にとまどっていた。人間界に入れないとなると、高位魔族としての仕事も激減してしまったのだ。彼の主は、柔らかな椅子に身体を沈めて、煙草を吸って過ごしていた。
「ゼロス……退屈か？」
「いえ、そんなことは……」
「ふふ、いいのだ。わたしも、いい加減退屈していたところだ」
ゼラスは優雅に立ち上がった。
「ダルフィンのところへ行って、おしゃべりでもしてくることにしよう。ゼロス、お前も好きなところへ行ってよい」
「はっ……」
ゼラスが光の中に消えてしまうと、ゼロスは人間界と魔族の世界を隔てる、あの結界の側に行ってみることにした。
（リナさん……）
人間を護るため、永遠の孤独を強いられた少女のことを思うと、ゼロスは胸が痛んだ。
（それにしても……）
彼の主はこの壁に「まがまがしいプレッシャー」を感じると言った。しかし、ゼロスは何度この壁を見ても、それを感じることは無かった。むしろ、この壁に吸い寄せられるような、不思議な力を感じるのだ。指が、自然と壁に向かう。壁に触れる直前で、ゼロスは理性を総動員して、指を止めた。まだ滅びたくはない。
（なぜこの壁はこんなに……僕を引きつけるのだろう？）
ゼロスは、くるりと後ろを振り向いて、壁から離れた。


遠く離れた星又1つ
解き明かされていく宇宙
そんなことよりもっと近くについて考えたいの

愛の不思議について


二千年が過ぎた。人間は、もはやリナのことを思い出さなくなっていた。人間界は繁栄し、人々は「魔族」という存在のことすら忘れた。ある時は平和を享受し、ある時は人間同士で戦争を起こした。リナが封じ込められた白い建物には、おとなう人すら無かった。相変わらず建物にはヒビ一つ入らず、白い偉容を誇っていた。

ゼラスは、親友ダルフィンのもとへ出かけ、昔話に花を咲かせていた。しかし、その昔話のネタも尽きかけていた。
「なあ、ゼラス。その話は、前にも聞いたぞ。二百年くらい前だったか」
「ああ、すまんな。それにしても、こんなにやることがなくなるとは。わたしたち魔族も結構人間に依存していたのかも知れないな」
「全てを滅ぼし、全ての母のもとに還るのが我々の務めだとすれば、これは憂うべき事態だな。あの人間界の結界、何とか取り除けないものか」
「それが出来れば苦労はしない……本当に、なんて強くて、まがまがしくて、激しい結界！一人の人間の苦しみが、ここまでの結界を生み出すとは……わたしたちは人間を舐めていたのかも知れない…チェック」
「まあ、『あの』リナ＝インバースの造っている結界だからな。強力なのも分かる」
「しかも、不老不死の呪いをかけられているなんて……人間の負の感情が無ければ、魔族も次第に滅んでゆく。このまま人間の思いのままになるのはおもしろくないな、ダルフィン」
チェスという人間のゲームに興じながら、二人は話した。
「チェックメイト」


ゼロスは、退屈しきっていた。眠るように、自分の機能を停止して時を過ごすことも多くなっていた。今日も、そんな風に目覚める。
（たった、二日、ですか……）
ゆっくり休んだはずなのに、地上の時間はそう簡単に過ぎてはくれない。
「うーん、一ヶ月くらい休んだと思ったんですがね……」
彼の主はダルフィンのもとに行っていて留守だ。ゼロスは、散歩がてら、結界を見守ることにした。

ゼロスに結界は相変わらず優しい。罠ではないかと思うほど。あの時、一瞬のうちに消え去るレッサーデーモンを見ていなかったら、とうに彼はこの壁に手を触れていただろう。宙に浮いたまま、どこまでも空のかなたまで人間界を覆った金色のヴェールを見る。その時だった。

突風が吹いた。ゼロスの黒いマントの先が、金の壁に触れた。
（うっ……！）
ゼロスは、壁に近づきすぎていた迂闊な自分を呪った。マントの先とはいえ、それはゼロスの身体の一部だ。ゼロスは消滅を覚悟した。
───何とも、なかった。マントはひらひらと金のヴェールの内側を舞っていた。
（な…っ！）
つられるように、指を金の壁の中に伸ばす。なんともない。何の抵抗もなく、ゼロスは壁の内に入り込んだ。ゼロスはあわててレッサーデーモンを召還する。自分と同じように壁の内側に向かわせたが、レッサーデーモンは今まで通り、あっけなく消滅した。
（このことを、ゼラス様にお伝えしなくては……！）
しかしその時、ゼロスを『呼ぶ』ような気配があった。ゼロスはしばらく迷ったが、その気配の方に身体を向けた。

（ここは……）
スィーフィードとシャブラニグドゥの古戦場。そしてダークスターとリナたちの古戦場。今は、小さな島に入り口のない白い建物。ゼロスを呼ぶ気配は、間違いなくこの中から伝わってくる。
（リナさん！）
ゼロスは島におりたった。扉などどこにもない壁に触れながら、建物の周りを一周する。空間を渡って入り込もうとしたが、出来なかった。もう一度、白く固い壁に掌をつける。冷たい壁が、ごおんと音を立てて開いた。
（……！）
ゼロスを呼ぶ気配が強くなった。ゼロスは、もはや迷わなかった。建物の中に、一歩を踏み出した。

建物の中は迷宮だった。何度も行き止まりに行き当たり、引き返した。ここでも、空間を渡ることは出来ないようだった。ゼロスは、自分を呼ぶ気配に耳を澄ませた。次第に、ゼロスは建物の奥深くへ入っていった。最初、それはかすかな空気の歪みのようにも感じられた。しかし、奥へ行くに連れて、それが何かの匂いであることがはっきりしてきた。こんなところにふさわしくない、生命の匂い。ゼロスは走っていた。何度もドアを開け、より深い空間へと繋がる窓をくぐり抜ける。次第に濃くなる、植物の匂い。やがて、ホールのようなところに出た。大きな扉が、その奥にある。ゼロスはためらわず、そのドアを開けた。


ストロベリーランド あふれる甘さで
ストロベリーランド わからずやはだあれ？


むせ返るような、苺の匂い。かすかに土の匂いさえする。広い部屋の両側は、苺畑だった。蔓の先に、紅く艶やかな実がなっている。ゼロスはゆっくりと目を上げた。部屋の奥には豪奢な椅子があり、そこに、二千年前と同じ姿のリナ＝インバースが微笑んでいた。
「リナさん！リナさん……」
ゼロスは駆け寄ろうとして、リナの手真似に制止された。
「こっちには、こないで」
甘い声。泣きたくなるような、懐かしい声。
「……遅かったじゃない。まさか、二千年も待たされるとは、思わなかったわ」
「リナさん。これは、どういうことなんですか」
「あいつらは……人間の長老たちは、あたしを人柱にしてここに閉じこめることによって、大いなる魔力を手に入れた。それで、人間界を魔族から護る壁を造ったのよ」
「なぜ、僕はその壁を通り抜けられたのですか？」
リナはふっと笑った。
「なにもかも、あいつらのいいなりじゃ悔しいじゃない。だから、あたしはあたしの精一杯の魔力を使って、一つだけ抜け穴を作った。あの壁を通り越せる魔族を一人だけ。それがゼロス、あんたよ」
「この……この苺は……」
「ふざけてると思わない？あいつらは、あたしをここに閉じこめる前に、聞いたのよ。好きな果物は何かって。苺だって答えたら、この始末よ。どんなに好きな果物だって、いつかは飽きるわ。もう、最初の一年で苺の匂いを嗅ぐのも嫌になったわ。ここではあたしは歳を取らないし、何も食べなくても死ぬことはないの。そしてここには苺しか実らない。摘んで、食べて、うんざりして、また摘んで……そんな繰り返しが二千年続いた。あんたに分かる？二千年もこんな不毛なことをし続けるつらさって」
「逃げようとは思わなかったんですか？」
「あんたにも分かってると思うけど、ここには魔法結界が幾重にも張られている。ドラグスレイブのカオスワーズを何度も詠唱したけど、魔法は発動しなかった。あたしは、その扉を開けて、迷宮をさまよったこともあったわ。そして、一番外側の壁にたどり着いた。閉じこめられてから何十年か過ぎた頃だったかしら。その時、感じたのよ。この壁の外にガウリイがいるって」
リナの瑞々しい頬に、つっと涙が流れた。
「あたしは、そこから動けなかった。何度も壁を叩いたわ。あたしはここよって。でも、それはガウリイに伝わらなかった。百年もせずに、ガウリイは死んだ。あたしは、大声で泣きわめいたわ。あたしの声が壁の内側に反響して、うるさかった。そして、あたしは、涙を捨てた」
指で涙を拭う。
「久しぶりに泣いたわ。まだ、あたしの中に涙が残っていたなんて……」
無感情にリナは続けた。
「最初の千年くらいは、この建物の近くまで人間が来ているのが分かった。でも、次第に来る人は減って、ここ五百年くらいは誰も来なかったわね」
「残酷な……なんて人間は残酷なことを……！」
「ゼロス、あたしはあんただけを待ってた。いつか必ず、あんたは来てくれるって、信じてた。甘酸っぱい苺に何度も飽きて、辟易しながら」
「どうして……どうして僕を選んだんですか」
「一つには、あんたが好きだったからよ」
「過去形ですか」
「ふふ、今でも好きよ」
「もう一つには？」
「あんたが、あたしに触れずにあたしを殺せるからよ」
「……！」
リナは、その深紅の瞳で、ゆっくりとゼロスを見つめた。
「あたしは、細菌に感染させられている」
「細菌？」
「あたしが、この建物から出ると、あらゆる命は生殖能力を失うの」
リナは目を伏せた。
「この世が滅びるわ」
「何のためにそんな……」
「もし万が一この建物が壊れることがあっても、あたしが魔法結界から出ないようにするためよ。あたしはこの世界の『自爆装置』なの」
「リナさ……」
「近寄らないでっていったでしょう」
リナは微笑む。
「あんたの本体。あの黒い錐……あれで、あたしを差し貫いて。あたしを、殺してちょうだい」
「この世界のために、犠牲になるって言うんですか」
「犠牲になら、もう充分なったわ。疲れたの。もう眠りたいのよ。目覚めない眠りを」
淡々としたリナの言葉。それが痛々しくて、ゼロスは歯噛みする。
「あんたのその姿で近づかれると、細菌があんたにくっついてしまう。あの錐なら問題ないわ。あんたなら出来るでしょう。さあ、あたしずっと待っていたのよ」
リナは立ち上がる。
「ひとおもいに、やって」
「リナさんっ……」


「まずは君とボクからはじめよう！　愛を一体化させるんだ」
「したいなあ」


ゼロスはリナに駆け寄った。リナは避けようとして転ぶ。ゼロスは、倒れた細いからだの上に覆い被さった。黒いマントでリナを包み込み、抱きしめた。
「バカ……！」
リナはゼロスを睨み付けた。
「これで、あんたを外に出すわけにはいかなくなったわ」
「さて、どうですかね」
ゼロスはリナの顔に顔を近づける。
「僕は魔族ですから、この世の生命なんてものに、何の興味もありません。滅ぶなら勝手に滅べばいいんです」
「悪夢の王の一片よ　世界の戒め解き放たれし
　凍れる黒き虚無の刃よ　我が力我が身となりて───」
「神滅斬（ラグナ・ブレード）ですか？」
詠唱を続けるリナの唇を、唇でふさいだ。
「ゼロス───」 「なぜ、魔法が使えるんですか？」 「あんたが、この建物の外壁に穴を開けたからよ。そんなことより、ゼロス！」
リナは、涙を流した。
「あたしが、どんな気持ちであんたを待ってたと思うの！あたしをこの永遠から解き放ってくれるたった一人───でも、あんたもあたしの細菌に感染した。あんたを滅ぼさなきゃいけなくなった。そしてあんたが滅んだら……あたしは何を待てばいいの？何にすがればいいの？この二千年、あたしを正気に保たせてくれたのは、たった一つ、あんたの存在だったのよ。これからあたしはどれだけ生きればいいの？一万年？十万年？あたし、いっそおかしくなってしまえばいいのよ。あんたを滅ぼして、何を希望に生きればいいのよ！！」
ゼロスは、ふっと笑った。
「僕は、貴女に滅ぼされる気はありませんよ」
「じゃあ、あたしと一緒に、いつまでもこの中に？」
「そんな気もありません」
「あんたは───あんたは世界を滅ぼす気なの」
「いけませんか？」
ゼロスはリナの涙を唇でそっと拭った。
「あなたを泣かせるような世界は、滅んでしまえばいいんです。あなたは二千年待った。もう充分でしょう？人間は、人間同士で争いを続けている。いずれは、滅びます。僕たちが何もしなくても」
「罪のない子供や、動物を滅ぼすことにもなるわ。それが、嫌」
「人間同士の争いが続けば、罪のない者も死にます。それが早くなるか、遅くなるかの違いです」
「駄目よ……あたし、そんなたくさんの命の責任を負いきれない」
「二人で負いましょう」
「ゼロス……」
「僕たちは、滅ぶ世界を見守る、最後の二人になりましょう。僕は、もう二度と貴女を一人にしません」
「こんなことのために、あんたを呼んだんじゃなかったわ」
「計算違いでしたね。僕が、貴女を殺せるわけないでしょう？」
片目をつぶる。
「愛しているんだから」
「馬鹿ね……本当に馬鹿」
「行きましょう」
ゼロスとリナは、苺の匂いに満ちた部屋を出て、歩き出した。滅びの夜と、新たなる誕生の暁に向けて。





『愛の自爆装置』は、ＣＨＡＲＡさんの曲です。「SOUL KISS」というアルバムに入っています。ＲＯＬＬＹさんのコーラスもいい感じの曲です。このラストについては「いいのか？」としばらく考えてしまいましたが、ゼロスならこうするでしょう、たぶん。では、また違う作品でお会いしましょう。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんの存在によってこの世の生き物は全て滅び、そして新たな再生を迎える、という気持ちで書きました。それを見守るのは、リナちゃんとゼロスだけなのです。


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