Fam Fatal［１］


「あれ、姐さん、雨」
　璃奈（りな）は、そういいながら、ひょいと飛車をつまんで王手をかけた。
「くっ……ここまでね。やるじゃないの、璃奈」
「姐さんが鍛えてくれたんじゃない」
「私は何も教えてないわ」
　那河（なが）太夫（たゆう：遊女の最高位）は悔しそうに将棋の盤面をかき混ぜた。
「姉さん、子供じゃないんですから……」
　二人の対戦を横で見守っていた禿（かむろ：遊女の世話をする十歳前後の少女）の璃亜（りあ）が、将棋盤からこぼれ落ちる駒を拾った。
「どうするの？　今日の花魁道中は取りやめ？」
「小雨でしょう」
　那河は、煙管を二口吸う。
「上得意の若旦那様が、今日は二度目のお越し。やらないわけには行かないわ。でも璃奈、あんたは休んでなさい」
「え……何で？　そりゃあ、姐さんの初めての道中の時には風邪でお供できなかったけれども」
　璃奈は唇を尖らせる。
「あんたはね、ただでさえその髪の色と瞳の色で目立つんだから。変な男に目を付けられないように、道中には連れていかない方がいいと思ったのよ」
「振袖新造（しんぞう：十四歳前後の、遊女見習い）の人数が足りないと、姐さんの格まで低くみられるわよ」
「生意気ね。そうね……今日は雲が低くて暗いし。ほんの少しの間なら、あんたに目を付ける男もいないでしょう」
「だからいつも言ってるのよ。この朽葉色の髪、黒く染めさせてって」
「何を言うの、璃奈」
　那河太夫は、璃奈を抱きしめて引き寄せた。
「あんたは、そのままが奇麗なのよ。その朽葉色の髪も、紅玉の瞳も……一体どこの血がそうさせたのか分からないけど、あんたは人形のように奇麗だわ」
　そういって、璃奈の桜色の頬に唇を寄せる。
「ね、姐さん。悪ふざけは……」
「そうです！　姉さん。そんなの、正義じゃありません！」
　将棋の駒を片づけていた璃亜が立ち上がる。
「璃奈さんのほっぺは……この私のものです」
　そういって、まだ結っていない素直な髪を揺らせ、璃奈のもう片方の頬に唇を寄せる。
「ああ、もうあんたたちは！」
　璃奈は結い上げた髪をぶんぶんと振って、那河と璃亜を振り払った。将棋盤を部屋の隅に片づけるもう一人の振袖新造、詩絵羅（しえら）が、いつもの光景にくすくすと笑う。
「詩絵羅！笑ってないで助けてよ。全くもう、この姉妹と来たら……」
「璃奈さん、もてもてですね。男なんていらないでしょう」
「確かに、あたしは普段から男はいらないって言ってるわよ。だけど、それは女が欲しいって意味じゃないの。分かって……くれてないみたいね」
　那河太夫と璃亜は、しっかりと璃奈の両の手を握って離さなかった。
「璃奈、女の魅力では、私に勝るものはいないわね？　なんたって、この征留屋（せいるや）の花魁は私一人なんだから」
「璃奈さん、私はまだ禿の身ですけど、いずれ必ず姉さんを越す花魁になります。そして、どこかの大店の人にでも身請けされて……」
　璃亜はいっそう強く璃奈の手を引く。
「璃奈さんを迎えに来ます。絶対です。だから、今から私が璃奈さんを予約します」
「馬鹿馬鹿しいわね」
那河太夫は鼻で笑った。
「私も男は嫌いだけど……璃奈を身請けするためなら、今日の客───井崎屋の若旦那にだって、会ってご機嫌を取るわ。どちらが自由になれるのに近いか……璃奈になら分かるわね？」
「あ、あのね、那河姐さん、璃亜」
　璃奈はようやく二人の手をふりほどく。
「あたしの身請けは姉ちゃんがしてくれることになってるから。あんたたちを煩わせることはないわ」
「煩わせるだなんて！」
　那河に抱きしめられると、香のいい匂いがする。
「この征留屋で出会ったのもさだめ。この吉原で殺伐とした毎日を送っていたあたしの前に現れた、まさにあんたは女神よ。あんたを育てるようになってからは、くだらなかった毎日が一変したわ。年を経るごとに奇麗になるあんた……」
「いいの？　いずれは姐さんの競争相手になるかも知れないのよ？」
「いいの。璃奈は大した花魁になるわ。吉原一のね。私が保証する。その頃には私は誰かに身請けされて、璃奈を外から待ってるわ」
「あたしの事なんて気にしないで。姐さんは姐さんで幸せになって」
「ここは苦界」
　煙草盆に置かれる煙管。
「遊女の私たちには、外の世界もどうせ苦界。私たちの行ける浄土なんてありはしない」
「姐さん……」
「だから、せめて愛しいものを見つけるのよ」
　ぎゅっと大きな胸に顔を押しつけられる。
「姐さん、化粧が取れる」
「姉さん、ずるいです！」
「あーあ、煩いわね。さ、そろそろ日が暮れるわ。花魁道中の準備よ」
「ええ」
「璃奈、髪が乱れてるから結い直してもらってきなさい」
「誰のせいだと思ってるのよ！」
　璃奈は、那河太夫に舌を突き出すと、階下へ下りていった。

一万ヒット記念、遊郭を舞台にしたゼロリナです。（まだゼロスは出てきてませんが。）今日から十日間、よろしくお願いします。ちなみに那河はナーガ、璃亜（りあ）はアメリアです。フィリアじゃないです。


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