わがままなえんぷれす[２]




ゼロスの手から、奪うように銀貨を取って、書店の主は帰っていった。ゼロスの財布の中には、あと銀貨一枚。
「これじゃ、肉を買うのさえ怪し……」
ふと殺気を感じた。振り向くと、怒りの瞳を燃やした、ガウリイとアメリアとゼルガディスが立っていた。
「リナをどこへやった」
ガウリイが、剣の切っ先をゼロスの喉元に近づける。
「リナさんを！」
「リナを」
「どうしたんだ！！」
三人は、じりじり詰め寄ってきた。
（獣王様、ひどい……人間の街ならいくらでもあるのに、よりによって彼らがいる街に再び送ることないじゃないですか……）
「リナをどこへ置いてきた」
ぞっとするほど冷たい、ガウリイの声。
「あの、我が主、獣王（グレーター・ビースト）様のところへ」
「何ですって！　まさか、リナさんは、殺され……」
「いーえ！　いえ、いえ、そう言う目的じゃありません。魔族に嘘はつけません。信用して下さい」
「じゃあ、リナを連れていったのは何のためだ」
「日光浴……」
「はあ？」
三人は唖然とする。
「我が主が、日光浴をするのに、可愛らしいパートナーが欲しいとおっしゃって。そしてリナさんを指名したんです」
ゼルガディスは眉間を押さえる。
「あのなあ、もっとマシな嘘はつけんのか」
「だから、僕は魔族！　純粋な精神体なんです。嘘なんてついていません！」
アメリアが腕を組む。
「分かりました。じゃあ、その点に関しては、あなたを信用しましょう……ですが、いつリナさんをここに帰してくれるつもりなんですか？」
「それは、僕にも分かりません」
「ふざけるな！　リナを返せ」
ガウリイが斬妖剣を振り上げる。
「私たちも容赦しませんよ。ゼルガディスさん！」
「ああ。二人で行くぞ、ラ・ティル……」
その瞬間、ゼロスは異空間に引きずり込まれるのを感じた。
（ああ、ゼラス様、ちゃんと見ていてくださった……）
目を開けると、そこは肉屋の前だった。ゼロスは、銀貨１枚をカウンターに置いた。
「いらっしゃい。どのお肉を包みましょうか」
「子牛肉を一キロ」
「あのですねえ、お客さん。銀貨一枚で、そんなに売れるわけないでしょう」
「銀貨一枚では、どのくらいですか」
「こんなもんですね」
出される、小さな肉の塊。これではリナが満足するはずもない。ゼロスは、すばやく並べられた肉の中から子牛肉を選び、大きな一塊りを掴んで、逃げた。
「泥棒！　肉泥棒！　だれかそのおかっぱの兄ちゃんを捕まえてくれ！」
（ゼラス様、もういいですから、僕を群狼の島へ戻して下さい！）
心の中で呼びかける。だが、景色は変わらない。人をかき分けて必死で逃げていると、目の前に人影が立ちふさがった。
「人を拉致しておいて、今度は泥棒ですか。あなたは、やっぱりとことん悪の存在なんですね」
見下げ果てた、といった風情のアメリアの目。
「お前、前はもっとしっかりした奴じゃなかったか？」
あきれ果てた、といった風情のゼルガディスの目。
「とにかく、肉とリナをさっさと返せ。話はそれからだ」
再び剣を抜くガウリイ。ゼロスは、あわてて彼らに背を向けた。するとそこへ、体格のいい肉屋の主人が迫っていた。
「売り物の肉を返してもらおうか」
「……ゼラス様」
「はあ？　なんだって」
「ゼラス様！　見ていらっしゃるでしょう！　もう充分です、僕を帰してください！！」
風景は変わらない。
「今度はリナがいないからな。アメリア、ダブルでラ・ティルトだ。いくぞ」
ゼロスの背中に寒気が走る。
「勘弁して下さい！」
「問答無用です！　……ラ・ティルト！！」
激しい痛みがゼロスを灼いた。さすがに人間の魔術で滅びはしないが、かなりのダメージだ。思わずうずくまる。
「終わりだな」
ガウリイの冷酷な声と共に、剣が振り下ろされる。
「うあああっ！　獣王様！！」
目の前の風景が変わった。

「くっくっく……あーっはっはっは」
「ゼラス様！　僕は滅びかけたんですよ。どうして僕をひどい目にあわせるのですか！？　第一、リナさんのお仲間のいない街に、なぜ飛ばしてくれないんです！」
「お前が面白い反応をするからではないか。リナ嬢にも、私の力で同じビジョンを観てもらっていたぞ」
「え……リナさんが」
「ごめんね、ゼロス。あいつら、過激だから」
リナは何ともいえない複雑な表情をしている。
「みんな、心配してるみたいね。あの、ゼラスさん、あたしやっぱり、かえ……」
「何を言う」
ゼラスは、金髪に似合う涼しげな蒼のマニキュアを塗った爪で、リナの栗色の髪に触れる。
「お前は、たいそう食べるそうではないか。遠慮せず、ゼロスの作った夕食まで食べていけ」
「でも……」
「固いことを言うな。さて、リナ＝インバース。その白い肌では、いいオイルを塗らないとひどく日焼けしてしまうぞ。私が塗ってやろう」
「あ、いいです、自分で……」
リナがためらっている間に、ゼラスはココナッツの香りのするオイルを、リナの肩から垂らした。
「つめたっ……」
「さあ、身体を伸ばして」
ゼラスの優美な指が、リナの身体の上になめらかにオイルを伸ばしていく。
「あっ……」
「どうした、リナ嬢」
「くすぐった……ひゃっ」
「本当に可愛いな」
ゼラスはにっこりとリナに微笑みかけた。
「ゼロスが夢中になるのもうなずける」
「え……ゼロスが？　あたしに？」
「ゼロスは魔族の風上にもおけんな。人間であるお前に夢中だ」
「そんなことって……」
その時、カクテルのおかわりを頼まれていたゼロスが戻ってきた。
「なあ、ゼロスよ。お前はこの娘に惚れていたのだったな」
「ゼ、ゼラス様、そんなことを当人の目の前で……」
ゼロスは焦ってその場を立ち去ろうとする。
「待て、ゼロス」
ゼラスが指を弾くと、ゼロスの身体が動かなくなる。
「お前は、リナ嬢が、好きなのだろう？」
からかうようなゼラスの言葉。そして、魔族には嘘はつけない。
「はい……確かに僕は、リナさんのことが好きです」
「あははは」
ゼラスは、愉快気に笑った。
「でも、リナ嬢はお前のことなど気にも止めていないぞ。辛いな、ゼロス」
「……獣王様。僕は料理があります。失礼させていただきます」
再び動けるようになった身体をひきずるように、ゼロスはふらふらと獣王宮に引き上げていった。
「ゼロスが、あたしのことを……」
「まあ、気にするな。あいつの片思いを見ているのは、私も楽しい」
「ゼロスに、悪いです」
「リナ＝インバース」
ゼラスは、金の瞳で深紅の瞳をのぞき込む。
「お前は美しい。その美貌で、どんな男も虜に出来るはずだ。例えば、ルビーアイ様とお前が戦った異空間に共に入った金髪の男……ガウリイ＝ガブリエフとかな」
「やだ、ガウリイとあたしはそんなんじゃ……」
ゼラスは、目を細めた。
「とにかく、種族も違い、そしてお前に出会ってからは情けなさばかりが目立つあのヘタレ神官のことなど、気にすることはない。さあ、カクテルを。ぬるくなってしまってからでは台なしだからな」
二人は、青空を見上げて、カクテルを飲んだ。
「あの」
「なんだ」
「ゼラス…さんは、あたしが憎くないんですか？　あなたは、シャブラニグドゥの腹心で……」
「それはそれ、これはこれだ」
カクテルを喉に流し込み、ゼラスは続けた。
「お前は強い……もちろん、私にも、そしてゼロスにも敵わないだろうがな。だがお前には生命の輝きがある。私たち魔族にとっては、あっという間に失われていく命の一つだが……おかしな話だが、私はお前に敬意を持ってさえいるのだ。その」
リナの小さな胸に、ゼラスの手が置かれる。
「華奢な、脆い身体を持ってして、どうやって凄まじいまでの魔力を操れるのか。金色の魔王をその身に受け入れることが出来たのか。お前は本当に珍しい人間だ。そういう人間に、魔族は時として惹かれる」
「……ゼロスも、そうだと？」
「ああ。そして、私もだ」
ゼラスは改めてにっこりと笑みを浮かべてリナを見た。
太陽が傾いてきた。沖からの風に、冷たさが混じる。
「日光浴は終わりだな。料理もできる頃だ。行こう」
ゼラスが指を弾くと、そこは獣王宮の中だった。肉の焼ける匂いが漂っている。
「あ、美味しそう」
「あいつも、まともなものを作っているようだな」
暗い宮殿のテーブルに向かい合わせに座り、リナとゼラスは料理の完成を待った。

「お待たせしました」
銀の蓋のついたトレイを捧げ持って、ゼロスが歩み寄ってくる。
「自信作です」
リナと、ゼラスの前に皿が置かれる。ゼロスは、フォークとナイフを丁寧にセットした。
「じゃあ、遠慮なく、いっただっきまーす」
リナは、肉にナイフを入れ、フォークで口に運ぶ。そして、ぐっとてのひらで口を押さえる。
「どうした、リナ嬢」
ゼラスも、フォークを口に運ぶ。そして、眉をひそめる。
「ゼロス。私はお前に言ったな。料理の本通りに作れと」
「はい。いやあ、でも、隠し味に、ちょっぴりカオス風味を。そして、さらなる隠し味として一ミリ角にきざんだマンドラゴラ……」
「食えるか、こんなもの！！」
リナとゼラスは、同時に皿をゼロスに投げつけた。
「ふえーん、ひどいです、お二人とも。僕は一生懸命作ったのに」
「いいわけになるか！」
ゼラスは冷たい水で口の中の後味を流した。
「リナさん、貴女の分にはおかわりが。５人前ほどありますが」
「全部捨てなさい」
「そんな……」
「何なのよ、この厨房から漂ってくる怪しい匂いは！」
「後の方には、マンドラゴラを丸ごと煮込んだエキスが……」
「ゼロス」
ゼラスはこの上なく冷たい声で言った。
「獣王宮全体を、拭き掃除一ヶ月」
「ひどい……獣王様」
「この凄まじく不味い料理を私とリナ嬢に一口とは言え食べさせたのだ。相応の罰は受けてもらおう……おっと、その前に、リナ嬢をお仲間のところへ返してやれ。私の力で、お前とリナ嬢を送る」
「僕の能力を返して下さい」
「それはまだ、できんな。……リナ嬢。実に充実した時間を過ごせた。また、いつか獣王宮に遊びに来てくれ。その時は、ゼロスを迎えにやる」
「わ、分かりました」
「夕食がこんな事になったのは、実に悔やまれる。これで人間界で何か美味しいものを食べて、口直ししてくれ」
リナの手に零れおちる何枚もの金貨。
「こんなにいただけません」
「気にするな。偽物だ。もっとも、人間の感覚では到底本物との区別はつかないがな」
ずっと黙っていたゼロスが、口を開く。
「あの……獣王様。リナさんにはそれだけお小遣いを与えておられるのに、なぜ僕の買い物は銀貨５枚だったんですか？」
「愛の差だ」
「そんな……」
「さあ、リナ嬢を送ってゆけ。私はもう休む」
ゼロスは、リナの手を取って立たせ、抱き上げた。空間が変わった。二人は、街の中にいた。
「リナさーん！」
ゼロスの腕の中のリナに真っ先に飛びついてきたのはアメリア。
「どこか怪我してませんか？　どこか痛くないですか？」
「あ、あのね、アメリア。そういうことは一切なかったの。心配いらないわ」
ゼルガディスが怪訝な顔をして言う。
「リナ、ずいぶんと、日焼けしたな」
「ああ、日光浴してたから」
「こっちをさんざん心配させておいて、呑気なもんだ」
「あたしと一緒に日光浴したのは、獣王・ゼラス＝メタリオム」
一同は息を呑む。
「ゼロスの言っていたことは、本当だったのか」
「何もされなかったか」
「されたっていえば……」
ガウリイが顔色を変える。
「何をされた、リナ。獣王だろうが何だろうが、俺が叩き斬ってやる」
「サンオイルを塗られた、かな？」
「はあ」
ガウリイは拍子抜けした顔で、剣の束から手を放した。
「とにかく、ゼロス！　今回は許してやるが、またリナを連れ去ろうとしたら、俺たちは全力で相手になるからな。覚えておけ」
「はい、心に刻んでおきます」
（でも、これが最後になるとはとても思えないんですが）
ゼロスは、リナを腕から降ろして立たせた。
「それでは、僕はこれで……」
空間を渡る感覚。ゼロスは、獣王宮に帰り着いたことを感じた。
「ゼラス様」
「なんだ」
「あの……空間移動の力を返していただきたく……」
「拭き掃除が済んだらな」
「ふええ……」
涙目になるゼロスを見ようともせずに、ゼラスはつぶやいた。
「秋になったら、栗拾いなどに彼女を連れ出すのもいいな。冬になったら雪見酒を、温泉の中で……ふふ」
「その時には、また僕がリナさんを拉致するんですか？」
「まだいたのか。当然そのつもりだが……？　さあ、さっさと拭き掃除にかかれ。モップは使うな。雑巾で、丁寧にやるんだ」
「……はい」
肩を落として去ってゆくゼロスを見て、ゼラスは満足げに微笑んだ。


このタイトルは、遙か昔の中山美穂さんのアルバム「わがままなあくとれす」からつけました。「エンプレス」は「女王」という意味です。ゼロスの災難が、書いていて楽しかった一作です。では、またお会いしましょう。
……歳がばれますね。それはそうと、ここまで書いた当時は雪見酒にリナちゃんを連れ出すつもりでしたが、ぼけっとしてるうちに時は過ぎ、次作へと続きます。
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