罪と罰[前編]



ある日の深夜。少女の部屋。
「あんた、誰？」
「神の使いです」
そう言って、おかっぱ頭で中世風の神官服を着た男はにっこりと微笑んだ。
「それでですね、今回お伺いしたのは……」
「いやぁぁぁ！！痴漢よ、強盗よ、助けて！」
少女の隣の部屋にいる姉が、木刀を持って飛び込んでくる。
「大丈夫、リナ！で、その痴漢だか強盗だかはどこ？」
「そこ。あたしのベッドに腰掛けてるそいつ」
「はあ？あんた、熱でもあるんじゃないの？誰もいないわよ」
「ま、待って、姉ちゃん、ほんとにいるんだってば」
「寝ぼけたのね。お休みなさい」
「姉ちゃん……」
ベッドの上の男が、ふたたび微笑む。
「ムダですよ、リナ＝インバースさん。僕の姿は、貴女にしか見えません。今のところ、ね」
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
「それより、用件に入りましょう。貴女は、今日で１６歳の誕生日を迎えた。間違いないですね？」
「オバケなんかに答える義理はないわ」
「だから、オバケじゃなくて、神の使いですってば」
「で？あたしが１６歳なことが何かあんたに関係あるわけ」
「貴女は、神の『器』に選ばれたのです。というよりも、この時のために今まで貴女は育ってきたのです」
「へ？それ、どういうこと？」
「僕の使えている女神様は、とても長い時を生きていらっしゃいますが、そういうわけで数千年に一度、身体に限界が来るのです。そこで、新しいその女神様の身体に、リナさん、貴女が選ばれた、という訳なのです」
「身体を……女神様に」
「はい」
黒い装束を纏った男はうなずく。
「で？あたしの意志は？意識はどうなっちゃうわけ？」
「もちろん、消滅します
」 「なんだとお！？」
リナは、手近にあった椅子の足を振り回し、神官に襲いかかる。
「それじゃあ、それじゃ、あたしは死ぬも同然ってことじゃない！」
「その代わり、貴女の身体は生き続けますよ。次の交代が来るまで、何千年も」
「知ったことかぁ！」
振り回される椅子をひょいひょいとよけながら、神官はぼやく。
「やれやれ、やりにくい時代になったものですね。昔の娘は、自分の身が女神に捧げられる、と聞いたら喜んで身体を差し出したものですが」
ひととおり椅子を振り回しまくって、ぜえぜえと息を切らした少女は、椅子に腰掛ける。
「それで、なんであたしなわけ？この世の中には、あたしより綺麗な人はごまんといるわよ」
「そうでもないですよ」
神官は、リナに顔を近づける。
「大きな瞳に、整った顔立ち。華奢な体つき。貴女の身体には、女神の『器』になる価値が充分にあります。それに……その紅い瞳」
「この瞳が、どうかしたの？」
「あなたの親やお姉さん、親戚にそう言う色の瞳の人はいますか？」
「ううん、あたしだけだけど」
「紅い瞳は、神様に選ばれた印なんです。そして、１６歳の誕生日のこの日、あなたは新たな女神の『器』となる」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ。あたし、そんな死ぬような心の準備、全然出来てないわよ。やりたいこともまだいっぱいあるし。こんなところで死ぬわけにはいかないのよ」
「死ぬ訳じゃないんですってば」
「同じことよ。ねえ、あんた……名前がないと呼びにくいわね。名前なんていうの」
「ゼロス、と申します」
「じゃあゼロス。あんたの女神様に、一年だけ待ってって頼んで貰えないかなあ。どうせ死ぬ運命なら、一年かけて、好きなことやって、それからにしたい。１６歳も、１７歳も、肉体的にはたいして変わらないでしょ？」
「はあ……」
「出来ないの？」
「今まで、そういう前例が無かったもので……僕一人の一存では何とも決めかねます」
「じゃあ、とっととあんたの女神様に頼んできてよ。一年待って、って」
「分かりました。なんとか交渉してみます」
「ふふっ」
リナが笑う。
「ゼロス、なんか会社の中間管理職みたい」
「みたいじゃなくてそのものですよ」
そう言って、ゼロスはゆらりと空間に溶けて消えた。

次の日。深夜の、同じ時間に、ゼロスが現れた。
「女神様にお伺いを立ててきました。貴女の来年の誕生日まで、待つということです。でも、本当に冷や汗をかきましたよ。言ったとおり、前例のないことでしたから」
「そっか。ありがとね」
「お礼をいわれる筋合いでは無いんですけどね。一年後に、僕は貴女の身体を連れてゆくのだから」
「ところで、ゼロス、お金は持ってる？」
「お金……ですか。この一年間、好きなだけお金を使って豪遊するつもりですか？」
「ううん、そんなつもりはないわ。いきなり金遣い荒くなったら、家族も友達も心配するでしょ？でも、少しは欲しいものもあるし、お小遣いもほしいの」
「これで事足りるでしょうか」
ゼロスは、懐から黒い革の財布をとりだし、中から一枚のカードを抜き取る。
「こっ、これは、アメックスのゴールドカード！やるわねゼロス。これがあれば何でも買いたい放題よ」
「それから、現金も少しばかりあります」
リナは、ゼロスの財布を覗き込んだ。
「すっごい！充分充分。じゃあ、まず明日はあんたの服を買いに行きましょうか」
「服……？」
「いくら何でも、その中世のお坊さんみたいな服じゃ連れて歩けないわよ。お金は充分あるようだし、スーツの一着でも買えば」
「ああ、僕のこの姿は人間界に合わせた仮の姿ですから。こっちの服の方が、いかにも女神の使いって感じでいいかと思ったんですが、貴女が望むなら……」
ゼロスはシックなスーツ姿に変わる。
「これでいかがです？」
「上等！」
そして、リナは言った。
「家族の前には、姿を現さないで。あたしの友達の前では姿を現してくれていいけど、現代風の服装を忘れないでね。じゃあ、今日はお休みなさい。あんた、泊まるところはあるの？」
「ご心配なく。僕たち神の使いは人間のような眠りは必要としませんから」
「そんなら、この部屋から出ていって。落ち着いて眠れないから」
「はいはい、では、いつ貴女の元に来ればよろしいでしょうか？」
「明日、学校が終わったら、学校の門のところで待っていて。ラフな格好でいいわ。あたしの学校はわかる？」
「ええ。ここ数年、貴女の周りのことは調べさせていただきましたから」
「それで、これから一年も、あんたはあたしのことを見張り続けるの？」
「まあ、そうなりますね。大切な神の『器』に傷でもついたら困りますから」
「ん……あんたにとって、あたしはただの『器』なんだね」
「何か言いましたか？」
「ううん、別に」


次の日の放課後。黒いセーターにジーンズといった格好で、ゼロスはリナを校門で待っていた。やがて、リナが友達を大勢連れて現れた。
「やっほー、ゼロス。みんな、紹介しとくわ。あたしの従兄弟のゼロス。いままで外国に留学してたんだけど、やっと帰ってきたの。それで、ちょっとしたお金持ちなんだよ。さ、いつものドーナツショップに行こ。あ、ゼロスにも紹介しとくね。右から、ガウリイ、ゼルガディス、アメリア、シルフィール。皆あたしの学校での友達で、いつもつるんでるんだ」
「俺は別につるんでいるつもりはない」
「あはは。ゼルってこういう性格だから。慣れてね」
「ゼロスさん、よろしく！」
「よろしくおねがいします」
「ま、よろしくたのむぜ」
挨拶を交わしながら、彼らは駅前のドーナツショップに入っていった。
「チョコファッション５個、フレンチクルーラー７個、ショコラフレンチ８個、ハニーチュロ５本……」
「ゴールデンチョコレート５個、シナモンチョコレート５個、エッグタルト１０個……。あ、ゼロス、全員分の支払いお願いね」
「あいかわらず、すごい食欲だな」
「ゼルも、遠慮せずにどんどん注文していいのよ。今日はゼロスの奢りなんだから。こんなチャンス、滅多にないわよ」
アメリアが、Ｄ−ＰＯＰをつつきながら聞く。
「ゼロスさん、外国で何を学んでたんですか？」
「え、えーっと、経済学です」
「どうしてそんなにお金持ちでいらっしゃるの？」
シルフィールも聞く。
「親が、ちょっとした会社をやってまして。ははは」
「俺たちとたいして変わらん歳で、そんな大金を持ち歩くなんて感心せんな」
「いやあ、親に無理矢理持たされまして」
店のガラスケースの中のドーナツは、リナとガウリイの胃袋の中に全て納まりつつあった。
「ゼロース！会計会計」
「はい、分かりました、リナさん」
ゼロスは、その日何度目かの高額紙幣を引っぱり出した。


ゼロスは、それから一週間近くも、リナとその友達の放課後のおやつにつきあわされた。
「リナさん、なんなら、フランス料理でも、中華料理でも、奢れるんですよ。どうして、ラーメンだの、ケーキ食べ放題だの、庶民的なものばっかりなんですか」
「ばっかねー。いきなり高級料理奢ったりしたら、あたしたちの友情がぎくしゃくしちゃうじゃない。あたしたちには、分相応ってものがあるのよ。そんなことも分かんないで、神様の使いやってるの？……そもそも、あんた何歳？」
「千歳とちょっとです」
「それだけ生きてきても、人間の機微ってものが分からないんじゃ、どうしようもないわ」
「……すみません」
「ま、いいのよ。あんたはあたしたちに放課後のおやつを奢ってくれる。それだけで充分！お小遣いを気にせずに食べられるだけで、あたしは幸福よ」
「幸福……ですか」
「そ。ドーナツやラーメンやハンバーガーって、あたしを幸せにするために生まれてきたようなもんよね」
「面白い考え方ですね」
「あたしのオリジナルよ」
「そうですね。一年後に無くなってしまう魂の持ち主としては、すばらしく強いです」
「開き直っちゃってんのかもね」
「……え？」
「こんな、後一年で死ぬ、って宣告されて、ぐだぐだ悩んで生きるのって性に合わないの。最期まで、できるだけ、幸せを積み重ねていきたいの。というわけで、今日は食べ物やさんじゃないところにつきあってもらうわよ」
「はい……」
リナが入っていったところは、季節はずれの毛糸屋だった。リナは、深緑の毛糸と、ベージュの毛糸と、淡いピンクの毛糸を買う。
「そっちの彼氏に何か編んであげるんかね」
「やだ、おばあさん、こいつ、あたしの彼氏なんかじゃありませんよ。家族に、何か作ってあげようと思って」
「家族思いのいい子だねえ。このグレーの毛糸はサービスだよ。持っていきなさい」
「ありがと、おばあちゃん」
リナは、自分の財布から、毛糸代を支払った。

山のような毛糸を抱えさせられて、ゼロスはリナの家に向かって歩く。
「手編みでなにかご家族に作ってあげるんですか？」
「そうよ。今からやらなきゃ、一年後……正確に言うと十一ヶ月後に間に合わないわ」
「毛糸代も、僕が出しても良かったんですよ」
「いいの。今日のあんたは荷物持ち。さ、着いたわ。幸い、周りに誰もいないし。毛糸、二階の部屋に直接運び込んで」
ゼロスはふわりと宙を飛び、窓から毛糸の大きな袋をそっと差し入れた。
「飛べるなんて、便利ね」
「当たり前になってしまうと、なんてことありませんよ」
「あたし、飛んでみたい」
「いいですよ」
「こんなところで飛んで、人に見つかったら大騒ぎになっちゃうよ」
「僕に任せて下さい」

ゼロスに後ろから抱かれたと思ったら、そこはひとけのない海岸だった。
ゼロスは、リナを抱き上げる。そして、ぐんぐん上昇していく。夕日の最後のきらめきが海を貫いている。
そして、ゼロスは空中で後ろを振り向いた。薄い闇のなか、ぽつぽつと人工の光が点ってゆく。黄昏時。
「綺麗……」
「貴女の方が、綺麗ですよ」
「やだ。なにそれ。お決まりの台詞すぎるじゃない」
「本当にそう思ったんです」
すぐ側に、ゼロスの顔がある。怖いくらい真剣な、紫の瞳。
「ありがと」
リナは、顔を背けて、赤面を隠した。

学校の休み時間。
「リナさん、それ、セーター編んでるんですか？」
「うん、そうよ。縄編みの部分が結構大変で」
「好きな人に送るんですか」
「ううん、父さんによ」
「それにしても、編み始めるの早すぎませんか？そのペースじゃ、夏には出来ちゃうでしょう」
「冬まで隠しておくの。母さんには膝掛け、ねーちゃんにはマフラーを編みたいから。みんなにいっぺんに渡してびっくりさせるの」
「なるほど……頑張って下さいね。あ、そこ、目が飛んでます」
「あちゃー…ありがと、アメリア」


土曜日の放課後。学校から少し離れた場所に、小さな緑色のスポーツカーが止まっている。ゼロスは、髪を後ろで一つにくくり、サングラスをかけ、運転席でハンドルを細い指でこつこつと叩いていた。やがて、紅茶色の長い髪の少女が現れる。すぐに近寄ってきて、助手席に乗り込む。
「ふふ、そんな格好のゼロスも悪くないわね。まるで、人間みたいよ」
「そりゃあ、人間にとけ込むように訓練してますから」
「板についてるわ」
「じゃ、行きましょうか」
『高原に行きたい』それが、今日のリナのおねだりだった。スポーツカーは曲がりくねった山道をすいすいと走り抜ける。やがて視界が開け、牧草地が拡がる。『新鮮しぼりたてミルク』とのぼりの立った店の前で、ゼロスは車を止めた。空気が新鮮で冷たい。
「ミッルクミルクっと」
リナはうきうきと車を降りる。ゼロスがキーを抜いている間に、あっという間にリナは丸太づくりのミルクショップの中に入っていった。
「わあ！絞りたてミルクで作ったソフトクリームだって。おいしそう。ゼロス、奢って！」
「おやすいご用ですよ」
ミルク味とチョコレート味を両手に持って、リナはご機嫌だった。
「うん、どっちも美味しい」
そのまま、牧場への柵へ歩いていく。
「おーい、牛さん。あなたのミルク、おいしいわよー」
ゼロスも、その隣に寄りかかる。
「ゼロスは食べないの？」
「僕たち神の使いは、人間界の食事を必要としませんから」
「そういえば、ドーナツショップでもあんた、何も食べてなかったわね。味わう機能を持っていないの？」
「それは、いちおう持っています。ただ、生命維持に必要としないだけで……うわ、何するんですかリナさん」
リナは、チョコレート味のソフトクリームの先を、ゼロスの口に押しつけていた。
「食べなさい」
「え……でも」
「食べるの！」
ゼロスはなんとかこぼさないように、チョコレート味のソフトクリームを受け取った。
「美味しいでしょ？」
「はい、美味しいです……」
「これからは、なんでもあたしと一緒に食べるのよ。いい？」
「でもリナさんほどの量は食べられませんよ」
「つきあいでいいのよ。あ、ゼロス、ストロベリー味買ってきてくれる？」
「はいはい、それもおやすいご用です。でもリナさん、どうしてこんな素敵なところに、家族やお友達とではなく、僕と来たんですか？」
「……あんたと一緒に来たかったからよ」
「えっ？」
「ううん、いまの、何でもない。忘れて」



神の使い：ゼロスと、現代っ子：リナちゃんの物語です。前編ではＨシーンは入っていません。甘々を狙ってみたのですが、いかがでしょうか？
それでは、後編もよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。天真爛漫なリナちゃんが書けて、ちょっと満足です。