あれはね［前編］



「リナさん、パジャマの替え、持ってきました」
「ありがと、アメリア」
「それから、髪、洗うでしょう？　もう三日も洗ってないし」
「うん、洗う」
「洗面器、持ってきますね。タオルも」
　リナは、出ていったアメリアの元気のいい足音を聞きながら、窓から空を見上げていた。　眩しい光に、痩せた白い手をまぶたにかざす。ベッドに腰掛けたまま、リナはいつまでもそうして空を見ていた。


ねぇ　お願いごとが叶うなら　彼に会わせてよ


「リナさん！　熱いお湯もらってきました。髪を……リナさん！」
リナはベッドからずり落ちそうになって、気を失っている。
「リナさん……また、無理してたんですね。私にまで気を遣わなくていいって……言ってるのに」
　アメリアは、リナの痩せた身体を抱え上げた。悲しいほどに軽い。リナをベッドに横たえて、熱を計る。水銀は、低い値しか示さなかった。リナの身体はその全ての機能を停止しようとしていた。
「リナさん……」
　意識を失ったままのリナの頭を膝に乗せ、長い髪を湯に浸ける。石鹸を泡立て、櫛につけて、そっとリナの紅茶色の髪を梳く。
「ん……」
　リナは無意識の中で、心地よさげにため息をつく。
　洗面器を替え、髪をすすいで、厚いタオルで髪をくるむ。ぽんぽん、と叩くように水分を取り、もつれないようにそっと枕を敷いて、リナを元通りに寝かせる。
「リナさん……」
　アメリアは、両腕に洗面器を抱えて、リナを振り返る。
「私が、治してあげますから」
　ドアを腰で押し開け、部屋を出る。涙が零れる。
「私の前で、死んだりしないで下さい、リナさん……」

　聖魔術都市・セイルーン。その結界の中央にあるセイルーン王宮。城の奥深くにある、貴人たちのための医療施設に、リナはもう３ヶ月も横になっていた。
「ここは、セイルーンの中でも最も聖なる魔力の強まる場所。リナさんが治らないわけ、ないのに……」
　アメリアは、眠るリナの手を包むように持って、祈り続ける。王女であり、巫女である自分。その祈りが届かないわけがない。高い天井。窓からリナの上に舞い降りる光。それが癒しの光でないはずがない……。
　扉が開く。男性が二人。ガウリイと、ゼルガディスだ。
「アメリア、お疲れさん。どうだ、リナの具合は」
　ガウリイが、軽く手を挙げる。
「悪くなっては、いないです……」
　微かに声が震えてしまうのを押さえきれない。
「良くなっても、いないんだな」
　ゼルガディスはリナの寝顔をのぞき込んだ。
「大丈夫だよ」
　ガウリイは微笑む。
「俺たちのリナが、良くならないはずないだろ？」




「おばちゃん、スタミナランチセット、５人前ね」
「あんたみたいな細っこいお嬢さんに入るもんかね」
「だいじょーぶ、まーかして！　それから、アプリコット・パイとラズベリーのトライフル、これは食後にね」
　涼しい風が、食堂のおもてに置かれたテーブルを撫でていく。一行は、それぞれの昼食を楽しんだ。
「なあリナ、『とらいふる』ってなんだ」
「ガウリイ。教えてあげてもいいけど、あんたのレモンパイ、残り全部ちょうだいね」
「なっ……いやいい。教えてくれなくてもいい」
「あまーい。いーい、よく聞きなさい。トライフルってのはね……」
リナは額を押さえた。冷たい汗が、その頬に浮かんだ。
「トライフル……って……のは」
「リナさん！」
リナは崩れ落ち、アメリアは悲鳴を上げた。

宿の夜。
「なあ、治癒（リカバリィ）とかは使えないのか？」
「あれは、生命力を一時的に高めて、傷などを塞ぐ術だ。今のリナのように、どこが悪いか分からない、そして生命力自体に問題があるらしいときには使えない」
「そっか」
　アメリアは、だまって濡らしたハンカチで、リナの冷や汗を拭っている。
「食べ過ぎ……とかじゃないよな」
「おそらくな」
　ゼルガディスは、アメリアの肩が小さく震えていることに気づき、その肩に手を置いた。



　男たちが自分の部屋に引き取ってしまっても、アメリアはただリナの額を拭い続けた。そして、そのまぶたが開くのを見る。
「……あ」
「リナさんっ！？　よかった。心配したんですからね。身体のどこか、痛くありませんか？　苦しくないですか？」
「……アメリア」
「そうです、リナさんったら、お昼ご飯を食べた後に、急に倒れて……」
「……そっか。あいつはいないんだ」
「誰の、ことですか？」
「何でもない。夢を見てたの」
　リナの眉が苦しげにひそめられる。
「リナさん！」
「いた……い。頭が、割れるように……」

　次の日の夕刻には、早がけの馬車はセイルーンの町を王城へ向けて走っていた。
「なあ、その王族専用の病室って、リナが使ってもいいのか？」
「当たり前じゃないですか。父さんだって反対はしないはずです」
　リナは、アメリアの肩に頭をもたせかけて、眠っていた。時折、小さなうめきがその唇から漏れる。
「リナさん、絶対助けます！　もう少しの辛抱ですから」
　アメリアは、馬車の振動に揺れるリナの頭をかき抱いた。

　３ヶ月は瞬く間に過ぎ、リナの容態は悪化する一方だった。

「アメリア様」
「アメリア様」
　旅装束から、正式な巫女の装いに姿を変え、アメリアは毎日病室に通っていた。彼女が廊下を通り過ぎる度に、仕えるものたちが敬虔に頭を下げる。アメリアは、威厳を持って歩き、病室にたどり着く。そして、後ろ手にドアを閉め、涙を流す。誰にもみせられない涙を。たぶん、自分にはリナは救えない。もう、リナには時間がない。
「誰か……」
　光に手をさしのべる。
「誰か、リナさんを助けて」
　人形のようなリナの顔。
「聖なる力よ！　赤の竜神（スィーフィード）よ！　あなたにその力を捧げ続けた少女を、あなたは見放すのですか……っ」
　リナの手を握る。祈りの言葉は、もう出てこない。アメリアは、聖なる力に怒りを覚えていた。こんな、残酷な運命を紡ぐ神が、聖なる神であるはずがない。

　その時、王城にざわめきが起こった。アメリアは、リナの手を放し、顔を上げ、涙を拭った。病室のドアが開いた。背の高い、黒い影。
「あなたは……」
　長い髪をなびかせ、彼女はまっすぐにリナのベッドに歩み寄った。
「リナ！　しっかりしなさい、リナ……！　なぜ、あんたがこんなところで寝ているの。あんたの最大のライバルが、こうして来てあげたのよ。しっかりして！」
「姉さん。グレイシア姉さん」
「アメリア……あんた巫女でしょう。リナの病を、振り払えないの！？」
グレイシア＝ウィル＝ナーガ＝セイルーンは、リナを抱きしめ、その苦しげな吐息を聞いた。
「リナ……リナ！」
「姉さん、リナさんを放して下さい」
アメリアは冷たく言った。
「あなたは、巫女でも何でもない。この国を捨てた女性（ひと）です。あなたにリナさんは救えない」
「何を言ってるの。巫女としての力も大したことがない癖に。私は、リナのために一人の巫女を呼んできたわ。入って、フィリア」
「え……」
　風に揺れる金髪をかき上げながら、懐かしい顔がアメリアを見た。
「アメリアさん、お久しぶりです。この度は、あなたのお姉さまに呼ばれて……このことを知って、驚きましたわ。でも……さあ、一緒に祈りましょう。私が、アメリアさんの力を引き出してさしあげます」
「フィリアさん……」
　フィリアは、ベッドの下に下がったリナの手をもう一度アメリアに握らせた。
「さあ、祈りを。ただ無心に、神の御力を信じて」
　アメリアは目を閉じた。もうアメリアには、無心になることは出来そうになかった。祈る二人の巫女を見ながら、ナーガは壁にもたれかかっていた。
「私と別れて何年になるの？　少しも変わっていない、その姿……それなのに、今のあんたは私が抱きしめたら折れてしまいそうだわ。リナ、元気になって。私はあんたに私の思いすら伝えていない」
　リナは、苦しみの中、眠っている。自分を取り巻く、三人の女たちの心も知らずに。

　ナーガは、膝を折ってフィリオネルに相対していた。
「すみません、父さん。長らく出奔して、何の連絡もせず……」
「いいのだ、グレイシア。良く帰ってきてくれた。……それは、あの娘の為かな？」
「ええ。私と彼女は良き友でした……少なくとも私は、そう思っています」
「彼女は素晴らしい魔導士であり、素晴らしい女性だ。私の二人の娘が、それぞれに彼女を慕っているのなら、それは嬉しいことだよ」
「彼女のために、一人の巫女を連れてきました。火竜王に仕えし巫女の最後の一人。けれども……」
「どうした、グレイシア」
「私も、無力なのかも知れません」
「その巫女の力を持ってしても……？」
　ナーガは、美しい眉をひそめた。
「リナ＝インバースは、もう……」

「アメリア……寝てるの？……フィリア！」
「リナさん、意識が戻られたのですね。お久しぶりです。あなたの治癒を祈るため、アンティークショップを閉じて駆けつけましたわ」
「誰が、あんたにあたしのことを？」
「グレイシアさん、とおっしゃる方です」
「知らないわ」
　部屋の奥で、影が動いた。
「リナ……？　目を覚ましたの？」
「ナーガ？　ナーガじゃない。どうしてあんたがここにいるの？」
「あの方がグレイシアさん。セイルーンの第一皇女です」
「ナーガが……？　それじゃ、アメリアのいなくなった姉さんってのは……」
「私よ、リナ」
　ナーガは、いつもの露出度の高い服を着て、リナの側に来た。柔らかな胸に、リナの頭を埋める。
「リナ、苦しいの？」
「……うん、少しね」
「リナ、何か私に出来ることはない？」
「側に来てくれただけで」
「……何？」
「来てくれただけで、充分嬉しいわ、ナーガ。あたし、あんたとはもう死ぬまで逢えないのかと思っていたから」
「逢えて、満足した？」
「ううん、しない」
リナは久しぶりにくすくす笑った。
「あんたにかけられた、一つ国が買えるほどの迷惑を考えると、それを返してもらうまで満足は出来ないわ」
「それで、いいの」
　ナーガは、リナを抱く腕を強くした。
「私は一生あんたに借りなんて返さないわ」
　ナーガの腕の中で、リナが急に重くなった。
「リナ？」
「ご……めん。くるし……」
「ああ、ごめんなさい、私ったら。フィリアさん、アメリア、リナの痛みを取って上げて。じゃあ、私は城の私室にいます」
「グレイシアさん、心配しないで」
「アメリア！　とっとと起きなさい。悔しいけど、私にはリナをどうすることもできないんだから」
　アメリアとフィリアは、静かに祈り始めた。ナーガは、部屋のドアを閉めると、目の縁を細い指で擦った。

「へえ、アメリアの姉さんか。綺麗な人だな」
「それに、凄い魔力を持っている」
「それは、あなたもでしょう？　魔剣士ゼルガディス」
　ゼルガディスは目を上げた。
「なぜ、俺の名を知っている」
「有名だからよ」
夕食の席。ナーガは、ワインを水のようにおかわりしている。
「そしてあなたはガウリイ＝ガブリエフ。光の剣の持ち主」
「今は違うけどな」
「あなたはリナを守っていたそうね」
「ああ。あいつはほっとけないガキだからな」
「じゃあ、他の誰かがきちんとあの子を守るとしたら、あなたはその手を手放す……？」
　ナーガの深緑に澄んだ瞳がガウリイを見据えた。
「いや、俺はもうリナの手を放さない。あいつを守るのが、俺の役目だ。俺は、あいつの両親にもそう誓った」
「……なら」
「グレイシア……さん？」
「なら、何であの子は今苦しんでいるの？　守るって言うのなら、徹底的に守ってやりなさいよお！　どうして誰も……誰もあの子を救えないの！？」
　ワイングラスが砕けた。ナーガは肩を上下させて泣いている。ガウリイも、ゼルガディスも、ただ自分の中にわき起こる苦しみをこらえるのに精一杯だった。巫女たちは、今も祈り続けている。



ねぇ　お願いごとが叶うなら　彼に会わせてよ



「リナさん」
今度は、祈り疲れたフィリアが眠っている。アメリアは、目を覚ましたリナを見た。
「ナーガは？」
「この城の私室に戻ると言ってました。いつか帰ってくる姉さんのために、部屋はいつも綺麗にしてありましたから……」
「そしてフィリア。ずいぶんと、あたしはいろんな人に迷惑をかけちゃったみたいね」
「リナさんのためなら、みんな迷惑だなんて思いません」
「───夢を、見てたの」
「どんな……」
「好きな人に、抱かれてる夢」
アメリアは赤くなった。そして問う。
「好きな人。それは、誰ですか」
「答えたら、会わせてくれる？」
「ええ、私に出来ることなら……」
「ゼロス。ゼロスに会わせて」
　ぴく。フィリアの耳が動いた。そのままがばっと、フィリアはリナにのしかかる。
「リ、リナさん。今、なんて、なんておっしゃいました？」
「はあ……その……ゼロスに会いたいって」
「そんなに苦しい病にかかっているのに！」
フィリアは立ち上がってびし！とリナを指さす。
「あんな生ゴミ……ゴキブリ変態魔族にあって、何になるというのです！　病が悪化しますよ！　さあ、目を覚ましたのなら、リナさんも一緒に祈って下さい。セイルーンの中央に位置するこの部屋での祈りは、どんな病をも癒すはずです！」
「ふふ……フィリア、元気ね」
　リナは、ぐらりと傾いた。そして、唇からどっと血を溢れさせた。
「リナさん！」
二人の巫女はリナに駆け寄る。
「ねえ……」
「だめ、リナさん、喋っちゃ駄目！」
「お願いごとが……叶うなら」
「リナさん！」
「彼に……会わせてよ」





「あれはね」はCharaさんの歌です。またしても、歌を聴きながらイメージが膨らんで、叩きつけるように書いてしまった。バッドエンドがお嫌いな方用にあらかじめ書いておきますが、バッドエンドです……（汗）。でも、出来れば読んでいただければうれしいのですが……。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。『あれはね』は、Ｃｈａｒａさんの甘い声とパイプオルガンの響きの荘厳な、とても美しい歌です。


次へ