あなたとふたりで…［６］


リナは、一人で歩いていた。
「貴女……リナ＝インバースさん？」
鈴の鳴るような声がかかった。
「ええ、そうですけど……」
「まあ、噂通りに可愛いわ。私、フィリア＝ウル＝コプトといいます」
「はあ……」
目の覚めるような美人だ。澄んだ蒼い瞳、整った顔立ち。薄い化粧が、美しさを際だたせている。香水のいい匂いがする。
「私、ゼロスの、婚約者です」
「貴女が……」
リナは胸を突かれるような思いを、抑えつけた。
「今日はお願いがあってきましたの」
「あたしに……？」
「ゼロスと、別れて下さい」
リナは唇をかみしめて、うつむいた。
「あたしに……そんなこと言う必要ないです。先生は、最近あたしの顔も見てくれないんだから」
「でも、ゼロスははっきりと私に言いましたわ。リナさんを愛しているって」
「ほんとですか？」
「こんなことで嘘をついても仕方ないでしょう。本当よ」
「先生が……先生が」
「嬉しい？ゼロスに愛されて」
「……そんなことは……」
「じゃあ、ゼロスと別れるっておっしゃって。はっきりと私に誓って」
「……それは……出来ません」
「なぜ！」
「あたしも……先生のことが好きだからです。愛しているからです」
「それは、子供っぽい恋愛の錯覚よ。貴女、まだ１５歳でしょう？」
「確かにあたしは子供ですが……先生を好きな気持ちははっきりしています。それに……」
リナは遠い目をした。
「先生が安らげるのって、あたしの側だけだ、って気がするんです」
「ゼロスも同じことを言いましたわ」
リナが気づいたとき、既にフィリアの手には果物ナイフが握られていた。
「私……本気ですわよ。ゼロスと、別れるっておっしゃい」
「お断りします」
「ならば……！」
ナイフの刃が光に煌めいた。リナはやってくる痛みを覚悟して、瞳を閉じた。しかし、痛みはいつまでたってもやってこなかった。
「ガウリイ……！」
果物ナイフは、柄までガウリイの腹に吸い込まれていた。フィリアが頭を押さえて叫ぶ。
「いやあああ！！」
「リナ、守ったぜ」
ガウリイはあえぎながら言う。
「これで、少しは俺のことも見てくれるか……？」
それだけ言うと、ガウリイは腹のナイフを引き抜いた。鮮血がほとばしる。
「いやああ、いや！こんなの、私がやったことじゃない！」
「フィリアさん」
ようやく着いたゼロスが、フィリアの両手を握った。
「とりあえず救急車を。彼を病院へ運びましょう」
「もう、もう嫌！放っておいて！見ないで、こんな私を！」
「フィリアさん、落ち着いて下さい」
腹を押さえて地面に横たわったまま、ガウリイが言った。
「あんたには負けねーよ、ゼロス＝メタリオム」
リナは、ただ呆然と立ちつくしていた。地面に血の染みが拡がった。救急車のサイレンが、近づいてきた。

ぱあん。病院の廊下に、音が響いた。ガウリイの母親は、目に涙をためて、倒れているリナを見ていた。
「この……この疫病神！あなたがガウリイに近づきさえしなければ、こんなことには……！」
「すみません……」
「いいから、さっさと消えて！あの子に近づかないで！」
その時、部屋の中からはっきりした声が響いた。
「母さん」
「ガウリイ……良かった、意識が戻ったのね！」
「リナのせいじゃない」
「まだ、喋っちゃ駄目よ。全治一ヶ月の刺し傷がお腹にあるんだから」
「リナを責めないでくれ」
「ガウリイ……わかったわ、わかったから、またお休みなさい」
ガウリイは、目を閉じた。やがて、安らかな寝息が聞こえてきた。
「ガウリイは、あなたのことがよっぽど好きみたいね……」
「心配しないで下さい。あたし、もうガウリイ先輩には近づきません」
「……さっきは、殴ったりして、悪かったわ」
「いえ……いいんです。それではあたしはこれで……」
リナは病院を出た。闇の中にとけ込むようなダークブルーのセダン。ゼロスが、リナを待っていた。リナは、黙って助手席に乗り込んだ。
「ガウリイは……あたしをかばって……そうだ、フィリアさんは？」
「大変興奮していたので、病院で鎮静剤を打ってもらいました。今は眠っています」
「そのことも、あたしのせいね」
「いえ……婚約を解消しようと言った僕が悪いんです」
「婚約を……解消？」
「ええ」
「なぜ……？」
「貴女を愛しているからに決まってるじゃないですか」
「ゼロス先生……」
「僕が貴女を愛したことで、ガウリイさんもフィリアさんも傷つけてしまった。そして、貴女も。僕はもう一生誰も愛しません。一人で生きていきます」
「先生、嘘、ついてる」
「嘘？」
「あなたは、一人でなんか生きていけないわ」
リナは、闇の中で、涙を流しながら微笑んでいた。
「あたしがいないと」
「その……とおりです」
ゼロスは車を路肩に止めた。そして、助手席のリナを思い切り抱きしめた。心の中の、乾いた隙間が優しく潤ってくいく。誰よりも愛おしい存在。


あなたとふたりで このまま消えてしまおう
今 あなたの体に溶けて ひとつに重なろう


長いキスが終わると、ゼロスは運転を再開した。リナの家の方へ。
「お姉さんには何と？」
「学校の友達が怪我した、とだけ言うわ。それ以上は何も」
「それがいいでしょうね」
リナの家の前で、二人はもう一度唇を重ねた。
「先生、愛してるわ」
リナは階段を上がっていった。ゼロスは、すぐに車を出した。ダークブルーのセダンは、どこまでも闇に溶けていった。

その次の日。朝礼で、リナは、ゼロスが学校を辞めたことを知った。

一ヶ月。ガウリイが、退院してきた。リナは、学校の廊下で、人目も気にせずガウリイを抱きしめた。
「お手柔らかにな。まだ、傷が痛むんで」
「ガウリイ……あたしのせいで……ごめんね、ごめんね」
「ゼロス先生はどうなった」
「学校を辞めたわ。家に電話しても、メイドさんに切られちゃうし。連絡が取れない」
「リナ。もう一度だけ聞く。俺のものになってくれないか」
「ごめんなさい。あたしは、ゼロス先生のものなの」
「うん。そう言うだろうと思っていたよ。そういう女だから、俺もこんなに惚れたのかもな。でも、連絡も取れずに、この先お前らどうする気だ」
「待ってるの」
「ゼロス先生をか？」
「うん。待ってる」
「どこで」
「それは、秘密です」


「ゼロス。フィリアさんと結婚しなさい」
ゼロスの美しい母親は、きっぱりとそう言った。
「できません」
こちらもきっぱりと、ゼロスは答える。
「フィリアさんは、あなたのために、手を血に染めたのよ。運び込まれた病院がうちの系列だったから、警察沙汰にこそならなかったけど、フィリアさんの心の傷は深いと思うわ」
「それは僕もよく分かっています」
「なら……！」
「僕には愛する人がいます」
「リナ＝インバースとかいう、女の子のこと？歳も離れすぎているし、家柄も、育ちも、私たちとはかけ離れているわ」
「……調べたんですか、リナさんのこと」
「確かに、勉強はもの凄く出来るみたいだけど……所詮は庶民の娘よ。お忘れなさい」
「後五年もすれば、リナさんも大人になります。僕も大人だ。もう、一生を左右することで、母様のいうことは聞けません」
「認めないわよ！そんな結婚。ねえゼロス、どうしてもその子が好きなら、フィリアさんと結婚した上で、お妾さんになさいな。フィリアさんもそれなら納得すると言っていたわ」
「この家は、本当に……！」
「ゼ、ゼロス？」
「本当に、腐りきっている。僕はこの家を出ます。もう、僕の人生には構わないで下さい」
「何を言っているの？そんなことが、許されると思っているの？あなたには、メタリオム家当主としての責任があります。母親として命令します。フィリアさんと結婚なさい」
「聞けませんね」
ゼロスはすっと立ち上がると、居間から出ていった。やがて、玄関先で、ゼロスの車のエンジン音が聞こえた。
「ゼロス！どこへ行こうというの！ゼロス！」
車は、夕暮れの中へ消えていった。


「はあ〜、寒」
リナは、手袋をはめた手をすりあわせて、身体をこごめた。
「こうやって待ち続けて何日になるかなあ」
少なくとも二ヶ月。リナは、学校の裏の駐車場で、ゼロスの車を待っていた。
「学校を辞めちゃったから、もうここへ来るはずはないか……」
でも。学校に住所を聞いても教えてくれない。匿名で電話をかけても、警戒されて切られてしまう。リナとゼロスをつなぐのは、ただ一つ、この駐車場だけだった。


だんだん不思議な夜が来て
あたしは夢の中へ
だんだん不思議な夜が来て
あなたと夢の中へ


歌声は響く 凍える冬の空に

ちらほらと、白い結晶が舞う。
「雪だあ……」
空を見上げていると、このまま浮かんでしまえそうに思える。
（このまま空を飛んで、ゼロス先生のところへいけたら……）
その時、車が近づいてくる気配がした。リナは慌てて木陰に隠れ……目を見張った。ダークブルーのセダンが、駐車場に滑り込んできた。ドアが開く。
「こんなところに、いる訳ないんですがね…報われない恋をするのは馬鹿のすることだ、と言っていた僕なのに…」
「ゼロス先生！」
リナが、抱きついてきた。ゼロスは驚きで目を見開きながらも、彼女の柔らかく冷え切った身体を抱きしめる。


あなたとふたりで このまま消えてしまおう
今 あなたの体に溶けて ひとつに重なろう


「リナさん……ここで、僕を待っててくれたんですか」
「だって、あのころは毎日、ここで待ち合わせしたよね。ゼロス先生が、そのことを思い出してくれるのを待ってたの」
「僕が学校を辞めてから、毎日、ですか」
「うん。でも、今日来てくれたからもういい」
「僕は、家を出てきました。出来れば、貴女をさらっていきたい。でも、貴女は前途有望な学生です。僕の家出につきあわせるわけにはいかない」
「いいの。先生、あたしをさらっていって。勉強なんて、どこででも出来る」
「特に化学は、ですか？」
「うん！」
二人はくすくすと笑いあった。
リナは、助手席に乗り込んだ。
「先生、どこへ行く？」
「その前に聞いておきたいんですが、貴女のお姉さんに会って行かなくていいんですか？」
「先生は、追われてるんでしょ？」
「ええ、たぶん」
「じゃあ、うちにも連絡が行ってるかも。寄らない方がいいわ。姉ちゃんなら、あたしの気持ち分かってくれるはず。怖い姉ちゃんだけど、心の底のことには理解あるから」
「では、どこへ行きますか？」
「寒いから……南！とにかく南へ行こう」
ゼロスは車を発車させた。


今日 汚れなき羊達は
命の水を注いで
雪の中を彷徨ってる


「先生……」
「もう僕は貴女の先生じゃありません。ゼロスと呼んでください」
「なんか、照れるなあ。じゃあ、ゼロス、お金はどうするの？」
「僕の預金通帳を持ってきました。この通帳が生きているうちに、出来るだけたくさんのお金を引き落としておきましょう」
ゼロスは、銀行で、メタリオム家の財産の、ほんの一部を引き落とした。
「お金が無くなったら……」
「僕は大人です。働いて、稼ぎます」
「あたし、料理とか掃除とか、上手いから。ゼロスのいい奥さんになるよ」
「正直、貴女にはこの国で最初の女弁護士になって欲しかったんですけどねえ……」
「いいの。あたしは、あたしの幸せを掴んだんだから」
二人は、ドライブインで遅い夕食を取った。そして、民宿に泊まった。
「ねえ、ゼロス……抱いて」
「僕は、ずっと、ずっと、こうしたかった……」
二人は民宿の粗末なベッドの上で、抱き合った。


あなたとふたりで このまま消えてしまおう
今 あなたの体に溶けて ひとつに重なろう

ただあなたの 温もりを
肌で感じてる 夜明け


次の朝、ドライブインで朝食を取っていると、初老の警官が近づいてきた。
「何かご用ですか」
「いやあ、家出人の届け出があってね。あんたたちとちょっと人相が似ているもんだから」
「家出？僕たちは兄妹ですよ。なあポーラ」
「うん、ネス兄ちゃん」
「違うなら、いいんだ……」
初老の警官は、ぽりぽりと頭をかきながら去っていった。
「まずいですね、警察に届けられている」
「出来るだけ遠くへ行こう、ゼロス。今日もがんばろう」
その日一日で、彼らは３００キロメートル以上を走り抜いた。そして、ゼロスは薄汚れたダークブルーのセダンを乗り捨てた。
「この車は目立ちすぎますからね……」
中古車のディーラーに入り、白い小さなセダンに乗り換える。
「あのダークブルーの車、好きだったのにな。中の匂いも」
「この車にも、じきに馴染みますよ」
カフェで夕食を取っていると、今度は若い、目つきの鋭い警官が近づいてきた。
「家出人捜索をしているものだが……」
「僕たちはこの街の住人ですよ」
「運転免許証を見せていただけますか」
ゼロスは立ち上がり、どんと警官を突き飛ばした。リナの手を掴み、店を出る。
「リナさん、急いで！」
車の両側から乗り込み、急発進する。その夜、ゼロスは眠らなかった。隣で寝息を立てるリナを見ながら、ひたすら南を目指した。
次の朝。
「表の、８９−６３ナンバーの車は、君たちのかね？」
「違います」
彼らは再び車を乗り捨てた。二人は疲れていた。ゼロスの菫色の目に、光る決意があった。
二人は、ドライブインからタクシーに乗った。
「どちらまで」
「この辺で、海の見えるところへ」
「ありますが、砂浜じゃありませんよ。崖ですよ。それでいいですかい？」
「ええ。お願いします」
タクシーは、海へ向けて滑り出した。
「お客さんたち、まさか心中じゃないでしょうね」
「やだなあ。僕たちは、新婚ほやほやですよ。これから幸せになるんです。心中なんてとんでもない」
「勘弁して下さいよ、もめ事は」
ＡＭラジオが定時ニュースを流す。
「ゼフィーリア高等学校の教諭・ゼロス＝メタリオム容疑者、３０歳が、生徒であるリナ＝インバースさんを連れ回している事件で……」
ゼロスは、手を伸ばしてラジオのスイッチを切った。
「何でラジオ消すんですか。お客さん、あんたたち……」
「安心して下さい、ねえリナさん」
「……！」
リナも、何かを悟ったようだった。
「ええ、ゼロス。あたしたち、幸せよね」

「着きましたよ、お客さん。ここから、１００メートルも坂を登れば、海が見えますや」
「ご苦労様。これはチップです、取っておいて下さい」
「こんなにもらえませんよ」
「いいんです。ここを教えてくれたお礼ですよ」
タクシーは、真っ直ぐ走っていった。警察へ。

「リナさん、怖くありませんか？」
「ゼロスがいるから、怖くない」
「寒くありませんか？」
「寒い。ゼロス、もっと強く抱きしめて」
「ええ」
そして二人の身体は、宙に舞った。



───あなたとふたりで このまま消えてしまおう───



「ねえ、ゼロス。今、アット・ホームな気持ち？」
「ええ。貴女は、僕の、海ですよ」






この「心中オチ」は一度書いてみたかったので……またリナちゃんとゼロスを死なせてしまってすみません。あと、フィリアさんファンの方すみません！こんな役をさせてしまいましたが、わたしは彼女のこともきっちり好きです。それと、何げにまたガウリイがリナちゃんに振られています。ワンパターンですみません。「リナちゃんに振られるガウリイの会」（会員２名）の活動は今日も活発なのです。この小説を書き出す前に最初に思いついたシーンは、冬の駐車場で抱き合う二人でした。それでは、ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「あなたとふたりで…このまま消えてしまおう」という「LOVER SOUL」の一節に惹かれて、このラストにしたようなものです。「LOVER SOUL」は、今でもいつも聴くMDウォークマンの中に入っています。「感動はしたが、あまりいい感動ではない」と辛口のご意見もいただきました。無理もない。でも、今（03.11.06）温めてる２つの長編も二つとも死にオチだし……（ダメすぎ）。


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