理不尽な彼氏
「おい、どれ買ってやったら喜ぶと思う。」 「どれって……誰が？」 「誰って、神尾だよ。あいつ、合宿来られなくて、まあ実力だけどな、拗ねてんじゃねえかと思ってよ。菓子もまずそうなもんしかねーし、何かアクセサリ……」 「にゃんで跡部が神尾にお土産買うの？」 「！！」 菊丸英二は、世にも珍しいものを見てしまった。赤面して、冷や汗をかいて、ずざざざっと後ずさる、慌てきった跡部。 「あ、あれ？ 忍足……は」 「忍足はあっちで絵はがき見てるよん。俺は、跡部がすっげ真剣な顔でお土産コーナー見てるから、面白いなーと思って覗き込んで……ごめん、俺を忍足と勘違いして話してたのね」 にはは、と英二は笑う。跡部は、さらに浮いてくる冷や汗をぬぐう。 「おい、菊丸」 「なに」 「忘れろ。さっき俺が言っていたことは、完っ全に忘れろ」 「んなこといわれたって無理だと思うけど……つまり、お前が不動峰の神尾にお土産選んでたことを忘れればいいわけ？」 「いちいち口に出して言うな。わ す れ ろ！！」 「珍しい組み合わせ。お前と神尾、何か仲良しな理由あったっけ。……そ言えば、うちの桃城が、以前（まえ）お前が、橘の妹さんに手ー出してモメたって聞いたことあるけど、それじゃあ仲良しじゃなくてライバルになるはずで……あれ」 英二が顔を上げると、跡部はすでにお土産コーナーから姿を消していた。 選抜合宿、午後の練習。柔軟をすませた英二がラケットをくるくる回して対戦相手を探していると、後ろから声をかけられた。 「おい菊丸、ちょっとラリー練習に付き合ってくれ」 なんだ、跡部、別に怒ってないや。 「いいよん」 英二はぱたぱたと走って、コートを確保した。 ３０分後。 痛い痛いイタイ、と半べそをかきながら、英二が医務室へ運ばれていく。その手首はしつこくぶつけられたボールで真っ赤に腫れあがっている。合宿顧問の榊太郎（43）は顔色を変えて跡部に走りよる。 「ラリー練習で『破滅への輪舞曲』を連発するやつがあるか！ 全員、万全の体調で練習試合に臨むことが必要だと、お前は分かっているはずだ！」 「すいませんね。以後気をつけます」 大してすまなくもなさそうに、跡部は英二の残されたラケットを拾い上げた。 ──── 「と、言うわけでぇ……」 何だこの人、こういうキャラだったか、と神尾は出来るだけ目を合わせないようにコーヒーをすする。スターバックスのコーヒーは、いつも嫌味なほど、濃くて熱い。 「この写真だ」 ぼやけてはいるけれど、雨の中。二人の人間が抱き合っている。もう少し鮮明なら、キスをしている事だって分かっただろう。 「キミは、跡部くんとただならぬ関係にゃのかな」 舌っ足らずに喋ると、そのサングラスとコート、台無しっすよ、と神尾は思う。すっかり私立探偵気取りの、青学の３年生──菊丸英二は、合宿から帰ってきて早々、渋谷のスターバックスに神尾を呼び出したのだった。 神尾はため息をつく。窓際のカウンター席から、こちらのテーブル席をちらちらと心配そうに見ているのが大石さんだってことも分かってるんですけど。あの髪型目立ちますから。 それにしても、俺のバカ。そして、跡部のバカ。あっさりよその学校の人たちにばれるなんて。写真まで撮られるなんて。 「写ってるの、俺じゃないです」 神尾はとりあえずそう言ってみる。 「嘘言わにゃいの。俺たち、ずーっとつけてたんだから」 「『俺たち』って、菊丸さんと誰ですか」 「大石。」 別に隠すつもりもないようだ。 「跡部が、雨ん中、不動峰中の門でずーっと誰か待ってんの。めちゃめちゃ目立ってたなあ。そんで、神尾が出てきたら、腕掴んでぐいぐいって、裏の方へ……」 神尾は思わず赤面する。 「そして、校舎裏で、跡部がお前になんか渡して、そんで、チュウ」 「してません！」 「してましたぁ」 サングラスをはずして、英二は嬉しそうにニヤニヤ笑う。 「ねえ、お前たち、どうしてつきあい始めたの？ あんま、接点なさそうだけど。どっちから告白したの？ あと、桃から聞いた限りでは、君は橘…杏ちゃんだっけ、を好きなんだと思ってたんだけど、その辺はどうなってるのかなあ」 「俺は跡部なんかとつきあってません」 「ふうん。むしろ、キライ？」 「大嫌いですね」 「にはは。でも、跡部が君のためにお土産買ってたのは事実だもん。受け取った？」 「受け取ってません」 「じゃあ、あの雨の中で跡部が君に渡したのは……」 神尾は、だんだん疲れてきた。 「確かに、なんかもらいましたけど、封も切らずに棄てましたから、知りません」 「今後も跡部とつきあうことはない、と」 「あるわけないじゃないですか！！」 トレンチコート（夏だというのに）に麻のニットタイ、サングラスをかけなおした英二は、ちら、と大石を見た。大石は、半ば呆れた顔でこく、と肯いて見せた。 「うん、わかったよ。お兄さんはよく分かった。君は、跡部が大嫌いで、チュウもしてなくて、つき合ってもいなくて、お土産は棄てた」 「はい、そうです。もう、勘弁してもらえませんか？」 「はいはいはい。ごめんね、神尾くん。個人的にどうしても知りたかったの。今日のことは、当事者だけの秘密、ということで」 「菊丸さんたち、勝手に当事者になったんじゃないですか」 「怒ってる？」 サングラスをずらして、上目遣いで微笑む菊丸さん。 ──可愛いなぁ、もお、この人は。 怒ってまではいないけど、イライラはしてるけど、この可愛い顔には何もいえない。 「もう一杯くらい何かおごるよ？」 「いえ……いいです。じゃ、俺、帰ります」 「待った待った」 英二は神尾の手首を掴んだ。神尾は訝しく思う。英二の手首には、白い包帯がグルグルと巻かれている。 「来年度の不動峰の部長なんだってね。がんばってね」 「青学は桃城だそうですね」 「うん！ にゃんか負けちゃいそうだけどな、青学（うち）」 「……あの。その、手首、どうかしたんですか？ 怪我でも？」 「秘密〜」 神尾は、どっと重くなった身体でカフェを出て行った。 ──── 数日後。 がっしゃん。体当たりするかのように、誰かが不動峰のテニスコートを囲んだ金網にしがみついた。そして、両手で網を引っつかんで揺らす。 「神尾〜！！」 普段のカッコつけた声からは想像できない情けない声で、その男は、全テニス部員の前で新部長を呼びつける。 「あれ……」 「氷帝の……」 「だよな……」 神尾は慌てて後を伊武に託し、コートを出る。全国まで進んだ昨年の成績から、どかっと増えた一年生部員たちは、自分たちの部長が氷帝の元部長に抱きしめられるのを見て仰天した。 「かみおぉぉ」 「な、な、なんだよ、この変態！ 放せよ！」 「俺の土産のミサンガ、棄てたのかよぉぉ」 「棄ててないって！ ほら、ここ！ 手首に巻いてるだろ？」 「俺の事好きじゃないってぇぇぇ」 「はぁ？」 「もうつきあうことはないってぇぇ」 「ちょっと、アフォ部！ どこでそんなの聞いた」 自分にしがみつく跡部がすこし涙目で、神尾は心底驚く。 「電話……」 「電話？」 「お前の声で、ちゃんと言ってた。土産棄てた、好きじゃない、キライ、つき合わない」 抱きしめられているのでかなわないが、頭を抱えたくなる。あの人たちか。菊丸さんと大石さんか。 でも、なんであの人たちが、俺にこういう仕打ちをしなきゃならないんだ？ 「神尾ぉぉぉ」 「あーもう！ それでも『氷帝の跡部』かよ！ だらしねーな！ いつもみたいに、プライドばりばりで、びっとしてろよ！」 「じゃあ、好きだって言ってくれ」 見守る全テニス部員。 「言えるかぁ！！」 自分のためにこんなにダメダメになる跡部をほんの少しだけ可愛いと思いながら……神尾は、どうにもならない窮地に追い込まれたのはなぜ自分なのかを、真剣に考えていた。 英二は幸せになるのがよろしい。そして、アキラくんは不幸がよく似合うのです。あと、跡部ファンの皆様ごめんなさい。 |