ガンスリンガー・ボーイ








　カシャッ。パキ、パキ、カシャカシャ、チキッ。ガチッ……シャギッ。
　長い指が、素早く銃を組み上げていく。
「何秒だ……越前」
「１７秒っス。相変わらず、俺らの中では一番早いですね、その組み立て」
「……乾さんからは１５秒を切れ、と言われている」
　銃を組み立てていた、頭にバンダナを巻いた少年は、組み上げた拳銃をばらし始めた。
「海堂センパイ」
「……なんだ」
「乾さん、優しいっスか」
　海堂、と呼ばれた少年は、キッと自分より遥かに小さな少年を睨みつける。
「お前には関係ない」
「そっすね。失礼しました」
　にらまれたことを大して気にするでもなく、越前、と呼ばれた少年はカチ、とストップウォッチをリセットする。
　あっという間にパズルの様にばらされた拳銃を前に、海堂──海堂薫はしゅうっと息を吐いた。
「時間計測頼むぞ」
「はい」
　ストップウォッチが押し込まれようとした寸前。
「おっチビー、薫ちゃん」
　二人のいた寮の一室に、足音を立てない猫のように身軽に、一人の少年が飛び込んできた。
「お茶の時間だよ。大石から差し入れのスフレがあってさ。早く食べないとしぼんじゃうよん」
　入ってきた少年は、手早くテーブルの上のばらされた銃器をベッドの上へのける。
「こんな機械油くさいのは置いといて、おやつ、おやつ。おチビ、お茶入れる準備して。薫ちゃん、手洗っておいで。スフレに油の匂い付けたくないじゃん」
　越前──越前リョーマはため息をついて立ち上がる。
「なんで、スフレなんですか？　菊丸センパイ」
「決まってんじゃん、俺がおねだりしたから」
　菊丸──菊丸英二はブイサインを出す。
「横浜の何とかってお店の、名物スフレなんだって。俺が『スフレ、って食べたことないなあ、美味しいのかなあ』って一言言っただけで、これ」
　英二は誇らしげに言う。
「やっぱ、あれ？　愛されてるのかな、俺」
　少し呆れた風に、リョーマは肩をすくめた。
「海堂センパイも、菊丸センパイみたいに柔らかい性格だったらよかったのかもしれませんね」
「桃ちんだって、お前を愛してるじゃん」
「止めてくださいよ」
「あ、おかえり薫ちゃん、さー、スフレ分けるよ！」
　さっきまで金属と油の匂いに満たされていた部屋に、甘いケーキの匂いと紅茶の湯気がたちこめる。
「菊丸センパイ、３時のお茶は絶対欠かさないっすね」
「そりゃね」
　英二は片目をつぶった。
「紅茶とケーキには幸せの魔法がかかってんのさっ」


「大石」
「何だ、手塚」
「『義体』のために、半日使って菓子を買ってきたらしいな」
「──ああ。俺は非番だったし、問題あるか？」
　手塚はネクタイを締めなおす。
「問題は、ある。お前は義体に入れ込みすぎている。とくに、菊丸英二──お前の担当義体に」
「入れ込んでるさ」
　大石は、端正な顔を少し緩めて幸せそうな笑顔になる。
「英二は俺を幸せにするし……俺は英二を幸せにするんだ」
「偽善だ」
「偽善で結構」
「──恋を、してるんだね？」
　話に割り込んできたのは、亜麻色の髪、繊細な顔立ちの少年。
「聞いていたのか、不二」
　不機嫌そうな手塚の髪を軽く撫でて、不二は微笑む。
「いいんじゃない。大石、しっかり英二を幸せにしてあげて」
　その笑みに、皮肉が混じる。
「いつか、義体（あの子たち）の戦う相手がいなくなればね」

　国家組織、福祉公社二課。義体運用部。手塚国光を筆頭にするその組織は、表向きは重度の障害者、事故の被害者などの救済に当たることになっている。だが、その実態は、まだ成長の終わりきっていない、そして親、親戚などの身寄りの無い少年を『義体化』し、彼らを戦闘させることによって国の暗部にある問題を「物理的に」解決することである。

　『義体』。失ったために補う仮の手は『義手』。足なら『義足』。なら、体全てならば──？
　越前リョーマ。米国で、スナッフ・ムービーの被写体となるため誘拐され、四肢の全てを失うほど傷つけられたところを、『福祉公社』に助け出された。付けられた名前は仮のものだ（これは全ての義体に共通する。ただし、菊丸英二を除く）現在の担当官は桃城武。
　海堂薫。変質者に暴行され、長い月日の監禁生活を送り、肉体のダメージはもちろんのこと、精神に激しいダメージを負った。救い出されたときにはせん妄状態にあり、家族の顔にすら反応しなかった。担当官は、全ての義体の医師も兼ねている乾貞治。
　菊丸英二。現在の明るくて気分屋な性格は、本来の彼のものだ。ただ、彼は多量の投薬によってある事実を忘れさせられている。彼を可愛がってくれた両親・二人の兄・二人の姉すべて強盗によって殺害され、彼自身は人質として家族の死体の側で十数時間を過ごしたことを。そして、警官隊突入のときに、錯乱した犯人は彼を７階から投げ落とした。半身不随・頭蓋骨開放骨折。担当官は大石秀一郎。

　不二周助。彼は、今は手塚の秘書として働いているが、かつては義体の一人として動いていた。政治家の闇のペットとして『飼育』されていた彼は、麻薬と拷問によって「壊されて」福祉公社に回されてきた。最初に『義体化』手術を受け、そしてそれは成功した。しかし、精神はともかく体力の低下は止められず、今はその優れた頭脳を買われて手塚の片腕として働いている。見た目は１５歳の少年のまま。

　『義体』たちは、それ以上成長しない。リョーマは１３歳のまま。薫は１４歳のまま。不二と英二は１５歳のままだ。失われた彼らの体の一部は、完全な人工筋肉に付け替えられている。拒絶反応を防ぐために大量に投薬が行われ、結果、彼らは悪夢のような彼らの記憶を失っている。

　そんな彼らの、柔らかな手に与えられたのは──大きな銃。
　数年前の、物語の始まり。
「英二、おいで。これを持って」
「すっげー、カッコイイ！　これ、おもちゃ？　モデルガン？」
「ううん」
　大石は、少しだけ眉を潜めて笑う。
「本物、だよ」
「ほんもの……」
　冷たい金属の手触りに、英二の背中が少し震える。
「こっちへおいで、英二」
　いつも甘いものを買ってくれた。いつも欲しい物を買ってくれた。……何か、とんでもない悪い悪い夢から目覚めて、初めて俺を好きになってくれた人。その大石が、俺を不思議な空間へと連れてきた。
「ここは……」
「射撃練習場だよ。あれが的だ」
　人の形の板。頭と、心臓の位置に黒い丸が描いてある。
　大石は、弾のこめ方と薬莢の処理、そして狙撃のときの正しい姿勢を手早く英二に教えた。
「わかったね？」
「うん……だけど、なんでこんな」
「じゃあ、練習はじめ。あの的の、頭と胸の黒丸に完璧に当てられるようになるまでは、外に出てはだめだよ」
「え！　なにそれ。酷いよ大石」
「俺は行くから。しっかり練習しなさい」
「大石！」
「英二のことは、上の人たちがコンピュータールームで見てるから。がんばって」
「大石……ちょっと……」
　射撃練習場の鍵付きの重い扉は、ごん、と音を立てて閉まった。

「大石、ＯＫだ。菊丸の命中率は９５％以上だ。扉を開けていい」
　手塚から連絡を受けて、大石は地下の射撃練習場へ急いだ。重たい扉を開く。
「おーいし……」
　幼い手が、ぼろぼろだ。重たい銃を支えて射撃し続けたための擦り傷から、血が滲んでいる。
「大石、俺、当てられるよ。あの、的……」
　それだけ言って、ふわりと倒れる。大石は抱きとめる。その軽さに、涙が出そうになる。
　眠たげな英二の、紅い、柔らかい髪を撫でる。英二はそっとつぶやく。
「大石……俺のこと……すき？」
　大石は、一瞬泣きそうな顔をする。そして、ぐっと表情を押さえつけ、笑みを浮かべる。

──『義体』は、『担当官』を愛するように洗脳される。
　　『愛してる』──それは全ての始まりの言葉。

「……好きだよ。大好きだ。英二を愛してる」
「よかった」
　そして、少年は大石に抱きとめられたまま、久しぶりの眠りにつく。眠りから覚めたら、今度は体術の厳しい特訓が待っていることも知らずに。
「……おーいし……」
　ベッドに寝かせた英二は、離れていこうとする『担当官』を甘い寝言で呼び止めるのだった。

「手塚、どう思う？」
「何だ」
「俺が、英二を愛し始めている、と言ったら」
「馬鹿か」
　手塚は眼鏡の縁に触れる。
「投薬もされていないのに、お前は一体なんでそんな洗脳をされているんだ？」
「……英二は、可愛いよ」
「容姿のいい者を優先して選んでいるからな」
「素直だし」
「あれだけ精神抑制剤を投薬されれば、誰でも素直になる」
「明るいし」
「悲惨な過去を忘れているからな」
「……強い」
「弱い精神では、ここではやっていけない」
「手塚。俺は、英二を愛してはいけないか」
　ふう、と手塚はため息をつく。
「大石は二課（ここ）の仕事に向いていないな」
（英二を幸せにしたいんだ）
　心の中だけで、大石はつぶやいた。

　だから、その日が来ることは承知していたはずなのに、辛かった。
　『義体』の宿舎の、英二の部屋。ドアを開く。
「あ、大石！　見ててよ。シグ、２０秒で組み立てられるように──」
「そのシグを、ケースに入れて。支度しなさい。外出用の服に」
「……何？　大石。すごく厳しい顔してる」
「仕事だよ、英二。英二が生きていくための」

　銃を２つに分解し、バイオリンのケースに入れて、英二はいっぱしのお坊ちゃん風の服に身を包んでいる。車窓の景色をぼんやり眺めている英二に、大石は建物の平面図を差し出した。
「ここ。そしてここに見張りがいる。銃はまだ使わない。体術でやりなさい。そして本館に入ったらシグを組み立てて。話し合っている男が２人いるはずだから、２人とも──殺しなさい」
　最後の言葉は、息がかすれるようだった。英二は、いつもの明るい瞳を崩さない。
「はい」
　『義体』は、どんな罪悪感も持っていない──ただ、『担当官』に逆らうことだけに抵抗を覚える。
（英二……可哀想な英二）
「殺すんだね。大丈夫、俺、出来るよん」
（可哀想な英二）
　待っててね、と言い残して、テロリストのアジトに入っていく英二。その小さな背中。
（──可哀想な英二）


「何をやっているんだ？　あいつらは」
　手塚の独り言に、不二が微笑んで答える。
「テニスだよ？　見て分からない？」
「それくらい分かる。ただ、『義体』の立場で何をほうけて遊んでいるんだ、と」
「たまにはいいじゃない。それに、あの子たちのテニス、すごく面白い」
「上手いのか？」
「うーん、上手いっていうかね」
　不二はくすくす笑う。
「個性が出るんだよ。唯我独尊な越前君。猫が飛び回ってるみたいな英二。とにかく精神力で相手を追いつめていく海堂君」
「ふ……ん」
「手塚も、学生のときはテニスをやってたんだよね。インターハイにも行ったって」
「まあな」
「でも、彼らには混ざらない方がいいよ」
　窓の外では、今日１０個目の破裂したボールをつまんで、責任は誰にあるか、言い争いが延々と続いていた。


「越前。桃城サンが呼んでる」
「あ、どーも、海堂センパイ……え……と」
　めったなことで顔色を変えないリョーマが、頬を白くする。同じ部屋で雑誌を眺めていた英二が大声で叫んだ。
「海堂！　何それ！　その肩！　めちゃめちゃ腫れてるよ！　痛いでしょ」
「ああ……これ」
　薫は動かない左腕に右手を添える。
「いつもの、『義体』の耐久力実験です。背筋を測るときに、脱臼したから」
「そんな海堂を治療もせずにお使いにつかうなんて！　俺、乾に抗議してくる！」
　部屋を飛び出そうとした英二を、薫が止める。
「たいして痛くも無いです。それに、乾センパイが大丈夫だって言ってたから……」
「馬鹿！　乾のいうことなら何でも聞くのかよ！」
「──」
　薫が意外そうな顔をしたので、英二は足を止める。
「聞きますよ？　菊丸センパイだって、大石センパイの言うことなら、何でも聞くでしょう？」
「それは……聞くよ。俺、大石が好きだモン」
　薫は、無表情に言った。
「俺も、同じです。乾センパイの言うことは絶対です」
「好きなの？」
「……よく分からないんですけど」
　リョーマは立ち上がった。
「とにかく、俺が桃センパイのとこに行けばいいんスね。海堂センパイは早く治療してきてください。見てるほうが痛いです、その肩」
「おう」
　並ぶようにして、薫とリョーマは去っていった。
「俺たちって、『可哀想』？」
　雑誌の続きを読み始めた英二は、ひとりごちた。
　やがて、戻ってきたリョーマが英二を呼んだ。
「次は、菊丸センパイみたい。何か、大きな仕事みたいです、今度のは」


　ライフルスコープを、リョーマが覗く。廃ビルの屋上。隣には桃城が控えている。
「長距離は、義体の中でもお前が一番優れているからな。エージが飛び込んで騒ぎを起こす。お前は外に逃げ出した奴らを狙え」
「はい」
（『はい』、か）
　桃城は少し眉を顰める。リョーマは、義体の中でも一番歳若く小さいが、誰のことも信頼していないし尊敬していない。担当官である自分に『はい』なんて言っているのは、多量の投薬の結果に過ぎない。
　持って生まれた性格が素直で無い、小さな彼。投薬は彼の頭脳と身体の寿命を、確実に縮めることになるだろう。
（でも、俺は乾センパイや大石センパイみたいには、義体の尊敬を勝ち取れないからな）
　担当官のなかでは一番『若造』な桃城はそう思う。
（越前。俺はお前の信頼が欲しいよ）
　桃城は、何も出来ずにリョーマの髪を撫でた。
「計画の中心は、菊丸先輩ッスか？」
「ああ。肉弾戦では彼がトップだから。で、海堂が補佐にまわる」


「ドアの鍵を壊して。蹴りこんだところにソファがあるから、それを当面の弾除けに使いなさい。そして、奥へ進んでカウンターキッチンに身を潜めて、銃撃を。分かっているとは思うけど、今回の目的である佐々部の身柄の確保が最優先だ」
「大石」
「何？」
「そいつ、何をしたの」
「人身売買。１２・３の女の子を性的目的で売り買いしていた」
「殺しちゃいたいな」
「ダメ。そういう奴こそ、法で裁かなくてはね」
　そう言って、大石は心を痛めた。
（１３・４のオトコノコを暴力人形にする目的で薬物投与している俺たちが、なんでそいつを法で裁けるんだ）
「おーいし！」
「……何？　英二」
「俺、がんばるから！　女の子たちのためにも」
　そして、太陽のような笑顔。
「大石のためにも」


　ガン、ガン……ガンッ。英二のしなやかな脚が、鋼鉄のドアを軋ませ、けり破る。中にいる男たちが色めき立つ。
「何事だ……警察か？」
「ドアには３重の鍵がかかってたんだぞ。奴ら、重機でももってきたのか」
「じゅーきで……」
　英二は言われたとおり、入り口のソファを引きずってバリケードにする。
「悪かったなあ！」
　そしてマシンガンの乱射。男たちは悲鳴を上げる間もなく倒れていく。
（カウンターキッチンに移ってっと……）
　マシンガンを構えたまま、じりじりと部屋の中を動く。人影は無い。……と思っていたら、キッチンの奥に、頭を抱えた一人の男がいた。
「う、うあああ」
　男は、リボルバーを発射する。とっさにそれを英二は、前に出した左腕で受け止める。痛みはあるが、公社に帰ったら、乾に筋組織交換をしてもらえば済むこと。英二の人工の瞳が、素早く動いて男の顔を見定める。今日のターゲットだった。
「来てもらうよ」
「ああ、うあああ」
　さらに発射されようとしたリボルバーを、英二は軽く蹴り上げる。
「サイテーなおじさん。法の裁きを受けてね」
「化け物！」
　英二の顔が、ぴく、と歪んだ。
「化け物！　化け物！」
　男は脳髄が麻痺したようにそれだけを叫ぶ。
「……違うよ」
「化け物！」
「俺たちは」
「化け物め！」
「──俺たちは」
　英二の手が止まった。男は英二の脇をすり抜けて逃げ出そうとした。しかし、後ろに詰めてきていた薫が、男を捕まえ、腕をへし折った。男はヒキガエルのような叫び声を上げた。

　窓から外へ逃げようとした手下たちは、リョーマによって手際よく狙撃された。『福祉公社』の仕事は終わった。
「英二、痛くないか？」
　まだ腕の中に弾丸が埋まっている英二は、流れる人工血液にも動じることなく、ただつぶやいた。
「俺たちは……化け物じゃない……化け物じゃ」
　大石は、そんな英二の頭を抱き寄せる。
「誰がそんなことを言った」
「あいつが。あの女の子を売り買いした奴が」
「英二は化け物なんかじゃない。優しい、男の子だ。変態おじさんと俺。どっちの言うことを信じる？」
「おーいしの方！」
　ようやく英二の表情が明るくなった。
「ね、俺が今日あいつを捕まえたから、助かる女の子、いっぱいいる？」
「そりゃもう。何百人ってね」
「よかった」
　英二は、幸せなため息をつく。
「大石の言うとおりに働けて、俺幸せ……」
　大石は、──いつものことだが──少し苦く笑った。
「俺も、英二と働けて幸せだよ」


　英二は、真っ白な手術室で、乾に向かって駄々をこねていた。
「部分麻酔じゃ、ダメ？　俺、全身麻酔キラーイ」
「ダ・メ。筋組織を取り替えるんだから、やっぱり全身でないと。麻酔が嫌いなら、こんな風に自分の身体を盾にしないことだね」
「はぁーい……」
　腕に注射を打たれる。乾の低い、優しい声が響く。
「数を数えて」
「１、２、３……」
　その後の記憶は途切れる。


　手術が終わると、大石がストレッチャーを押して英二の私室まで運んだ。並んで歩く乾が、渋い顔をする。
「分かるか？　大石。この子には薬物を出来るだけ使わないでやっているが、今日みたいな手術は結構な量のクスリを使うんだ。それだけ、記憶機能も減退するし、いずれは体のほうだって……」
「分かっている」
　大石は厳しい顔で言った。
「分かっては、いるんだ」


　その厳しい顔を、乾はよく覚えていた。だから。
「逃げ出した？」
　その電話を受け取ったときも、乾はさほど動揺しなかった。
「俺と薫はどうすればいい？」
　当然、追うことを命じられる。
「捕えればいいのか？」
　大石・菊丸ペアは最強。簡単に囚われるとは思えない。
「殺すのか」
　眉一つ動かさず、乾は電話を切った。そして、薫の私室に向かう。
　電話をかけてもよかった。でも、なんだか直接、伝えたかった。


　事務室で、全員が揃う。義体の体調管理担当（飯炊きともいう）の、河村まで。
「すでに伝えたことだが、担当官と義体──大石・菊丸ペアが逃走した」
　皆、床を見つめる。
「これは、福祉公社として──国の秘密機関として、許されることではない。福祉公社の面子にかけて、自分たちで始末をつける。乾・海堂ペア。桃城・越前ペア。たった今からお前たちは、大石・菊丸ペアを始末することを最優先課題として、行動を開始する」
「始末って……」
　リョーマが、大きな目を見開いて叫ぶ。
「殺せません、俺！　大石先輩も、菊丸先輩も！」
「担当官から狙え。知ってのとおり、『義体』の弱点は眼球のみだ。充分に近づいて、仕留めろ」
「聞いてるんスか、手塚さん！」
「越前」
　桃城に後ろから抱きすくめられて、リョーマは涙を流す。そして、額に落ちた桃城の涙の温かさを知った。


「大石」
「煎餅、もっと食べる？」
「うん！　公社にいるときは、こういう袋入りのお菓子、食べられなかったから、すごく新鮮」
　半日かけて、横浜から買ってきたスフレだって、栄養価を河村（タカさん）に計算してもらってから、義体たちに与えられた。駄菓子は論外だ。
「どこへ、逃げるの？」
「さあ……出来るだけ遠くへ行くしかないな。東京から、北へ行ったか南へ行ったかは、きっと分からないはずだし」
　二人は、北へ向かっていた。さし当たっての目標は、仙台。
　そして、桃城・越前ペアのさし当たっての目標も、仙台だった。


「髪を染めようか」
「へ？　俺が？」
「英二の赤い髪は目立つよ」
「でも、いいの？　染めるのには時間がかかるよ。その間に、追いつかれたら……」
「大丈夫。その間は、俺は店の外にいて、お前を守るから」
「おーいし……」
「ずっとだ。絶対だ。お前を守るから」
「大石」
　意外と、英二はクールに言った。
「大石も髪形変えたほうがいい。それ、俺の赤い髪以上にに目立つ」


「綺麗な亜麻色になったね」
「うん！　この色、憧れてたんだ」
「不二の髪の色か」
「そ。大石もカッコよくなった。前の髪型は、なんていうか……」
「ダサかった？」
「いや、ダサいというかなんちゅーか……」
「今は、かっこいい？」
「うん。前髪を下ろすと、なんだかプレイボーイみたい」
　にはは、と英二は笑った。
「じゃあ駅へ行くよ。今日中に、岩手まで」
「明日は……」
「北海道へ」
「その次の日は？」
「……」
「そのまた次の日は？」
「……」
「日本は、北海道で行き止まりなんだよ？」
「そうだね」
　大石は、英二の亜麻色の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「英二は、俺が守るよ」
「それ、もう聞いた」


「……手塚」
　手塚は、幾分青ざめて、デスクに向かっていた。
「紅茶、淹れようか……手塚？」
「あ、ああ、すまない。貰おうか」
　紅茶の匂いが、さほど広くは無い事務室に満ちる。
「辛いんだね、手塚」
「お前の方が辛いだろう」
「──そうだね」
　不二も、紅茶を一口飲む。
「でも、『救い』のような気もするんだ」
「『救い』？」
　手塚は眉をひそめる。
「いつの日か……担当官が、『義体』に本気の恋をして、逃げ出してくれたら、と……」
　不二は、その大量の投薬によってすっかり細くなった身体を自分で抱きしめた。
「そんな想像をしていた。ずっと」
「不二……」
　手塚は、不二を抱きしめていた。
「俺だって、本気の恋をしていた。お前に」


　乾と薫は、大阪の街で聞き込みを繰り返していた。携帯に連絡が入る。
「ああ。ああ。分かった。すぐ、青森へ向かう」
「見つかったんですか」
「海堂。手が震えている」
「見つかったんですか！」
「そんなに震えていたら、菊丸の眼球を狙うなんてとても無理だ」
「う……」
　薫は苦しげに息を吐いた。


「英二。手が震えている」
「う……」
　英二は苦しげに息を吐いた。
「どうしたんだ」
「にゃんでもない……よ。ただ」
「ただ？」
「あれかなあ。寝る前に飲んでいた薬。アレを飲んで無いから……」
「薬！？　そんなの、担当官には知らされてなかったぞ！」
「うん。たぶんね、乾と手塚だけが知ってると思う。人間では」
『人間では』。
「その薬が無いと、苦しいのか」
「だいじょぶ、なんとかなるって……」
　汗ばんだ小さな手。銃を扱いすぎて、マメのできた手が、大石のシャツを掴む。
「大石は、俺を守ってくれるんだもんね」


「ここのホテルで間違いないんだな？」
「はい」
「俺の見た感じ、大石もエージもいるようには見えなかったけど」
「髪形を変えています。髪の色も」
「越前、何でお前には分かったんだ」
「『義体』は『義体』の骨格とか、筋肉のつき方とか、見分けられるんス。やっぱ、普通の人間に比べて不自然ですから」
　そしてリョーマは桃城の胸に顔を寄せる。
「そんな『眼』、欲しくなかった」
「そーだろうな」
　桃城も、リョーマをきつく抱きしめた。


「ねー大石」
　ベッドの上に寝転がる英二。その側に座っている大石。
「せっくす、しようよ」
　大石は、ホテルのティーバッグ緑茶をぶっと噴出した。
「な、な、何を言うんだ」
「階下（した）に、桃とおチビがいる」
「……！」
「たぶん、この部屋に押し込んでくる気は無いんだと思う。俺たちが外に出たときが勝負だね。公社の存在って一応じゅーよー秘密だからさ。こういうおっきな施設でドンパチやるのはまずいじゃん」
「英二」
「ここを出たら、俺たち殺されるかも」
「英二……」
「それか、桃とおチビを殺して逃げ延びるしかないね。どっちにしろ、そうなったら乾と薫ちゃんが追ってくるだろうけど」
　英二は、大きな、まっすぐな瞳で大石を射る。
「だから、ちゃんと抱いて。『担当官』と『義体』のまま死ぬなんてやだ。『恋人』になりたい」
「……わかった」
　大石は、英二の細い身体を抱きしめ、首筋に顔を埋めた。


　ホテルを出て、細い道をくねくねと折れ曲がり、歩いていく大石・菊丸ペアを、桃城・越前ペアは追跡する。水音がする。河が近いのだ。
　水音の方へ、逃亡者たちは進む。堤防に上がり、川原へ降りた。
「どうやら、俺たちのこと気づいてるな。勝負をつけるつもりだ」
　桃城はリョーマに耳打ちして、バイオリンケースの中の銃を組み立てさせた。川原へ続く細道に、人の姿は無い。

　きりっと銃の引き金を絞るように、リョーマは堤防へ上がった。思ったとおり、大石と英二が並んでいる。英二はリョーマと同じ格好で、ライフルをこちらへ向けていた。
「……菊丸先輩」
「おチビ」
「この距離では、俺のほうに歩があります。……手塚さんから伝言です。菊丸先輩が、徹底した記憶管理で大石先輩のこと、忘れて……大石先輩も、菊丸先輩の担当から外れて。そう出来るなら、二人とも『公社』へ戻っていい、そうです」
「ご苦労様、おチビ」
　英二は銃を下ろさない。
「そうできない、ってことは、分かってるよね？」
「……菊丸先輩、俺、あんたを殺すようなことしたくない。大石先輩だって。お願いです。戻ってください」
「ダメ」
　堤防に、桃城が駆け上がった。
「越前、『担当官』を狙え」
「……！」
　キシュ、キシュッ。
　サイレンサーをつけたライフルが、弾丸を発射する。猫のようにしなやかに動く英二の身体が大石をかばう。上げた左腕に着弾する。人工筋肉の灼ける、焦げ臭い匂い。
「──バカなことを！」
　リョーマは吐き捨てる。
「公社に帰らなきゃ、その腕、治せないんですよ！　それに、あんたはあの薬を飲んでいないはずだ！　毎日、寝る前に乾先輩が渡してくれていた、あの錠剤を」
　痛いはずだ。痛いはずなのに、幸せそうに笑っている英二。
「あの薬がなきゃ、人工筋と生体部分が軋轢を起こして……苦しいはずだ。なのに、」
　なのに。
「なんで逃げたりするんスか！　俺は菊丸先輩を撃ちたくない！」
「おチビ」
　英二は、大石の首に腕を回した。二人とも、優しい笑顔。桃城も、リョーマも、一瞬動けなくなる。
「おチビ、桃。俺たちは間違ってる。闇の法の下で裁かれた人間であろうと、殺すべきではなかったんだ」
「何……を、いまさら……綺麗事……」
「そうだよ。俺たちは、もっと『綺麗事』を大切にすべきだったんだ」
　大石はそういって、英二を抱いた。
「もちろん、俺たちも裁かれるべきだ。越前、俺たちを撃て。俺たちは、この世界でたった一人の大切な存在を見つけた。それだけで充分幸せなんだ。お前たちだってそうだろう？」
　桃城も、リョーマも答えられない。
「さっき、ケータイで手塚と不二にも別れを告げた。乾と海堂にはお前たちから頼む。さあ、撃ってくれ」
「越前」
　桃城は、絞り出すような声で、リョーマに促した。
　キシュ、キシュ……。
　まず大石が倒れる。
「もう、だいじょぶ。俺は一人で、大石の後を行く」
　英二は、ライフルを投げ捨てると、小さな拳銃を出して、自分の目にあてがった。
「ばいばい。──ありがとう」
　自分で眼を射抜いた英二は、ふわりと大石の上に倒れた。


「福祉公社、はまだ続いていくんだね」
　不二は、自分たちのした仕事をまとめた分厚いファイルをシュレッダーにかけながらつぶやいた。
「俺はずいぶん上にかけあったが、無理だった」
「後任は決まったの？」
「忍足という、関西支社から回された男が、とりあえずの任務に当たるらしい」
「──彼に、『義体』は？」
「いる。跡部、と呼ばれている。とんでもなく優秀な『義体』だそうだ」
　そっか、と不二は痛んだ肩を回す。もともと力仕事には向かないのだ。
「あ、それから」
「何だ」
　珍しく、くすくす笑う不二に、手塚は続きを促した。
「その“跡部”って『義体』もね……テニスが好きなんだって」
「ふん…」
「ねえ、手塚」
　振り返る手塚に、不二は切なく笑う。
「もし、ボクが薬の副作用で動けなくなったりしなくて……ずっと戦い続けていたら、いつかは大石みたいに、ボクを連れて逃げてくれた？」
「ああ」
　意外にもはっきりと返ってきた答えに、不二は眼を見開く。
「『担当官』と『義体』なんて、無理な関係なんだ。命を預けあい、信頼しあって日々を過ごしていれば──『義体』はもともと『担当官』を愛するようにプログラミングされているし、そして担当官も」
　手塚の顔が、珍しいことに少し赤らんでいる。
「義体を愛さずにはいられない、と、俺は思う」


　今日、ここを引き払っていく２体の義体。『越前リョーマ』と『海堂薫』。彼らの行く先は決して楽な道のりではないが……『担当官』という肩書きを捨てたパートナーが、彼らを見守る。彼らは絶対に離れることはなく、また、絶対に忘れない──ある一組の『恋人』同士のことを。


「手塚、僕たちも行こう」
　そして、最初の義体『不二周助』も、花が咲くように微笑む。
「愛してるよ、手塚」



「愛してる」──それは、全ての始まりの言葉。








　タイトルは、相田裕さんの漫画『ガンスリンガー・ガール』から丸パクリしています。「紅茶とケーキは……」の台詞も、『義体』という言葉も、義体の弱点は眼、ということも、最後に主人公ペアが逃走する、ということも。
　ダブルパロ、というか、この設定でこの子達を書いてみたかったのです。えーとパクリ元は……英二＝トリエラ、大石＝ヒルシャー、リョーマ＝ヘンリエッタ、桃城＝ジョゼ、海堂＝リコ、乾＝ジャン（でもこの文の中ではジャンよりは優しいか…）となっております。
　ガンガル…ガガガ…えーつまり『ガンスリンガー・ガール』は美しく切なく、また非常に道徳に反した物語で私は大変好きです。機会があれば、ぜひ手にとってみてください。