南十字の下で








「テン・キリンのお祭?」
「ちーがーうって! 『天気輪』のお祭。今日の6時半から。青春台の、丘の天辺で」
「『天気輪』? 聞いたこと無いな。神社のお祭?」
「違う。星のお祭だよ」
「お祭って……英二。お前、病気はいいのか? 外出許可とか……」
「あーもー。大石はいらないこと考えすぎ。お祭なんだからさ、楽しく遊ぼ?」
「英二、身体は大丈夫なの」
「丘の天辺に来てよね。待ってるから」
 一方的に電話は切れた。部活の帰り。空を見上げる。澄んだオレンジ色。
 きっと、星の祭にふさわしい夜になるだろう。
 俺は、ケータイをポケットに突っ込んで、あらためて歩き始めた。


 青春台の、丘の天辺──

 学校の側に、それはある。なだらかに続く上り坂の終点。柔らかな草が風に揺れるそこは、英二のお気に入りの場所。
 暗くなってきた。星がいくつか光り始める。6時半は近い。でも。
「お祭の用意なんて、どこにもないじゃないか……」
 俺は一人きりで周りを見渡している。お祭どころか、人っ子一人いない。
「英二のやつ。」
 お祭、というのは口実で、単に遊びたかったのかな。



 何しろ、あいつはもう8ヶ月も入院しているんだから。



 何もすることがなくて、緑の草に寝転がる。トウキョウなのに、結構星が見える。気持ちいい。
 えいじ、と唇を動かしてみる。──俺を、からかっただけ?

 何だか、眠たい……。




 眼を開けると、おにぎりだった。
「は」
 何度見直しても、手ごろな大きさの弁当箱につめられた、おいしそうなおにぎり。
 眼を上げると、にっこり微笑んで、俺に弁当箱を差し出している英二。
 俺たちは、向かい合って電車の椅子に腰掛けている。
「食べにゃいの? 大石タラコ嫌いだったかな」
 ひゅ、とおにぎりが引っ込められる。そして、今度は色とりどりのおかずの詰め合わせ。
「ふわふわ卵焼き。関西風ダシ味で、美味しい」
 つまんで、英二は自分の口にひょいと卵焼きを入れる。
「うみゅ、やっぱ旨い」
 俺は、──もちろんお弁当に手も出せず──固まっていた。
「英二」
「にゃに?」
「なんで、電車」
 俺の見間違い? 英二は、一瞬だけ、泣きそうな顔をした。そして、にっと笑う。
「俺、もう8ヶ月も病室の中で一人ぼっちだったから。たまには、息抜きしないとね。大石も一緒に行くよね?」
「一緒に行くよ」
 俺は即答した。英二がどこか行くって言うのなら──俺は、どこへでも一緒に行く。どこまでもだ。
「うん! 大石はそう言ってくれると思ってた! で、お弁当」
「英二が、作ったの?」
「もちろん。大石の好きなものいっぱい入れたから。一緒に食べよ」
「うん。」
 何だかわけが分からないけど、英二が楽しそうだし、窓の外は暗いけど、家々の明りがきらきらしてるし、少し開いた窓から吹き込んでくる風は気持ちいい。

 これでいい。これでいいんだ。

『次は、北十字。北十字駅に到着いたします』

 綺麗な女の人の声でアナウンスがあった。

「北…十字? それって、どのへんだろ。大体、この列車、何線?」
「大石」
 英二は、俺の唇にそっと人差し指を当てた。
「俺たちは、駆け落ちしてるの」
「駆け落ち……」
「どこまでも行くって、言ってくれたでしょ?」
「それは、そうだけど」
「だから、気にしないで。考えないで」
 ね、と俺の手を握る英二の手が冷たい。
 そう。俺は何も気にしない。考えない──

『北十字。北十字』
 俺は、気にしないと思った直後に呆れた。駅舎の向こうに、白く輝く、ビルの様に背の高い十字架が突っ立っているのだ。すっかり夜もふけているのに、その十字架は自ら光を放つようで……。
「あの子たちがいるね」
 窓枠に頬杖を着いた英二が、手を振った。『北十字』の根元にいる、二人の女の子が手を振り返す。
「誰?」
「おチビのファンクラブちゃんたち。えーと、サクノちゃんとトモカちゃんだっけ」
「ああ、あのおとなしい髪の長い子と、元気のいい子……英二、よく見えるね」
「俺、目、いいもん」
 英二は、白い十字架が遠くに去っていくまで、手を振り続けていた。

「乗車券を出してもらおう」
 ぶっきらぼう、かつ威厳のある声に振り向くと、手塚が立っていた。いかにも昔の電車の、車掌さんスタイルで。
「ぷ」
 英二は噴出す。
「手塚ってば、似合いすぎ! はまりすぎだってば」
「乗車券」
「ほいほい」
 英二は、二枚の厚紙を手塚に渡す。
「南十字、まで……」
 手塚は、英二を見た。
「本当に、大石と行くのか」
「うん。だって俺たち、愛し合ってるもんね」
「こ、こら、英二!」
 一応(一部の人間にはばれていると思うけど)秘密だった俺たちの関係。
 手塚は、無愛想に英二に厚紙(切符?)を返した。
「いい旅になるといいな」
 そんな言葉を残して、彼は隣の車両に消えていった。

『蠍、蠍』
 相変わらず、へんな駅名だ。
 どやどやと、何人かの客が乗ってくる。と、彼らは俺たちに声をかけてきた。
「エージ先輩、大石先輩!」
「ちわッス」
「英二に、大石か。二人で旅行中?」
 桃に、越前に、タカさん。タカさんの問いに、得意げに「そーだよ」と答える英二。
「みんなは、どこまで?」
「すぐ隣っス。鷲まで」
 越前の大きな瞳が、かすかに悲しげな表情をたたえる。
「先輩たちは、南十字まで……ッスよね」
「うん、そお! 長旅!」
 嬉しそうな英二の頭を、桃がふわふわと撫でた。
「こら、なにすんだよ! 先輩に」
「先輩が可愛いから」
 桃は、越前とタカさんを振り返る。
「エージ先輩、可愛いよなっ!」
 うんうんと肯く二人。少しふてくされる英二。
「先輩に向かって、『可愛い』は失礼なの!」
「すいませんでした。……そろそろ、次の駅だな。じゃ、二人とも仲良く」
『鷲、鷲』
 列車は静かに止まる。桃たちは、何度も俺達を振り返りながら降りていった。

『南の魚(うお)、南の魚』
 列車の中で、もう1時間くらい過ごしただろうか。俺は、気づき始めていた。外を飛ぶように過ぎていく光は、家々の灯りじゃない。


 星、だ。


「河があるよ、大石。誰か、鳥を獲ってる」
 膝までズボンを捲り上げて、水辺の鳥を捕まえているのは、乾と海堂だ。二人とも、その作業に夢中で、こちらの方を見ない。
「たのしそー」
「あの二人って、仲いいよな」
「うんうん、海堂って可愛い性格してるし、乾はそれが可愛くってたまんないって感じ」
「相性いいんだな」
 英二は、くるっ、と俺のほうを向いた。
「俺と大石みたいに!」


『竜骨、竜骨』
 隣の車両への扉が空いて、不二が入ってきた。手に、ピンク色の綿飴を持って。
「はい、英二」
「わ、サンキュ、不二」
 顔より大きな綿飴に、顔を突っ込むようにして食べ始める英二。
「おいおい、俺には何にもなし?」
 俺が半分笑いながら不二に言うと、不二はいつもの感情をみせない笑顔で答えた。
「ボクの英二を横取りする君に、何で何かあげなきゃいけないわけ?」
 そっか。『ボクの英二』。
「ボクの英二と、どこまでもいける君には、本当はね、何か奢って欲しいくらいだよ」
 不二の眼が開いて、冷たい琥珀がのぞく。
「不二! これすっごく美味しい!」
 明るい英二の声。
「どこで買ってきたの?」
「どこでだって」
 不二は、英二には柔らかく、優しく微笑んだ。
「だって、今日は天気輪のお祭じゃないか」
「そーだね」
「ああ、ほら、気をつけないと。顔、べとべとになるよ」
「だって美味しいんだもん」
 いとおしげに英二の紅い髪を撫でて。
「じゃあ、ボクは次の駅で降りる。──英二。大石がもし君を傷つけたら、ボクはどこにだって助けに行くよ」
 英二は、やっと半分食べ終わった綿飴から、笑顔を見せた。
「大丈夫! 大石は、俺に甘甘だもん!」

『南極老人、南極老人』

 ずいぶん珍妙な名前の駅で、不二は降りていった。

 列車は、速度を上げる。小さな星屑たちが、あっという間に窓の外を流れていく。
「大石、」
 俺の名前を呼ぶときだけ、少し鼻にかかった甘え声になる君。
「一緒に行こうね」
「ああ」
 英二は、食べ終わった綿飴の棒を、窓から投げ捨てる。こら、と咎めると、ぴく、と肩をすくめる。
 可愛い、可愛い君。
「どこまでも一緒だよ」
 そして、澄んだ女性の声が、駅名を告げる。
『次は、南十字──』

「ハルレヤ、ハルレヤ」
「ハルレヤ……」
 急に、車内が騒がしくなった。周りにたくさんの人たちがいる。皆、窓から遠く輝き、そして近づいてくる『南十字』に向かって歌っている。俺は、英二に顔を寄せる。
「こんなに、この列車、人が乗ってた?」
「乗ってたよ。今まで、お互いに見えなかっただけ」
「そんな、変なことって──」
「だって、みんなお別れしなきゃならないじゃない。大事な人と」
 よく理屈が分からない。でも、英二は分かった顔をして、笑っている。そして、甘い声で歌う。
「ハルレヤ、ハルレヤ……」
『南十字です』


『お忘れ物の、無いよう……』


「おーいし」
「ん?」
「俺、甘えん坊だから。我侭だから。気分屋だから」
「知ってるよ」
「だから、悪者になれると思ってた。欲しいものを掴んだまま、行けると思ってたんだ」
「……」
「でも。できない」
「英二?」
「できない……よ……ぉ」
「英二? 泣かないで。お前を泣かせたら、みんなに怒られるよ、俺が」
「大石」
 ピンクの綿飴で色づいた、甘い甘い唇が、俺の唇をふさいだ。
「いつか……遠いいつの日か、また、『南十字』の下で」
 英二の白い頬に涙が伝って──



 草の葉の先に、露がやどっている。それが、冷たく俺の頬を濡らした。
「──」
 青春台の、丘の天辺。俺は、一人で地面に寝転がっている。
「英二?」
 おずおずと声を出してみるけれど、返事は無い。
「英二……英二」
 そう。分かっている。
「英二──」
 行ってしまった。あの、輝く南十字の下へ。
 ケータイが、静寂を破った。
「……はい。母さん?」
『落ち着いて聞いてね。ずっと入院していた菊丸くんが──』
「母さん。」
 知ってる。俺は。
「母さん、俺は知ってるよ。だから」
 泣かないで。泣かないで、俺。




「なーんか、変な感じがするんですよね。」
 越前が、部活前に、着替えながら言った。
「菊丸先輩が逝ってしまったあの夜に、先輩に会った気がするんス。それから、みんなにも──」
「それはね、本当に逢ったんじゃないかな。」
 不二が微笑む。
「遠くへ行ってしまう、英二の心の中で」
「──よく分かんないッス」
 本当に戸惑いを瞳に浮かべる越前。
「あー、俺もなんかあの夜、英二先輩に逢ったような気がするんだよなあ」
 桃が、頭をばりばり掻きながら言う。
 そして、みんなはコートへ出て行く。俺もラケットを持って続こうとすると、くいっとポロシャツの裾を引っ張られた。
「不二」
「英二は、君が大切だったんだね。ボクとしては、君を代わりに差し出してでも、英二に助かって欲しかったのに」
 怖いことを、ほのぼの笑顔で言う不二。
「俺だって、俺が犠牲になって英二が助かるものなら、そうしたかった」
「いつか──」
「『南十字』の駅で──」
 不二は、琥珀の瞳で言った。
「いつの日かはね。絶対にヒトはあそこへ行くんだよ。止められない。ただ、英二はずいぶん早く行ってしまっただけ」
「次に、英二に逢えるのは誰かな」
 そして、俺たちは走り出す。手塚に、罰走30周を言い渡される前に。



 英二。今でも君がいとしいよ。
 いっそ、連れて行って欲しかった。君は優しすぎたよ。
 ──英二、聞いてる?






死にネタその1。まんま、『銀河鉄道の夜』をパクリました。