White days…［６］

「リナさん……どうしてここに」
「雑誌を見たから。久しぶりね、ゼロス」
そう言うリナさんは、どう見ても高校生の時から変わったようには思えなかった。唇には紅が差されているが、それ以外は薄化粧。カウンターの上に組まれた手は小さく、爪に透明なマニキュアをしていた。
「リナさん。僕は、貴女に会いたかった。会って謝りたかった」
「謝る？　ゼロスがあたしに何を謝るの」
「貴女の意志に反して、無理強いをしたこと」
「ああ、あのことなら、あたしちっとも気にかけてないわ。───アレキサンダーをもらえるかしら」
「ええ。すぐにバーテンダーを……」
「待って」
リナさんは、その華奢な手で、僕の手を押さえた。ひやりと冷たかった。
「あんたが作って」
「構いませんけど、味はプロの彼に比べれば、落ちますよ」
「いいの。ここはゼロスのお店。あんたの作ったカクテルを飲みたいのよ」
僕は、久しぶりにシェイカーを振った。出来上がったカクテルに、ナツメグを振りかける。
「どうぞ」
一口飲んで、彼女はくすりと笑った。
「アレキサンダーに、コアントローは入らないんじゃなかった？」
「あ……」
確かに僕は、我を失って、レシピを間違えていた。
「す、すみません。今日はお代はいただきませんので……そちらは引っ込めて、新しくお作りします」
「いいのよ。これはこれで何だか美味しいわ」
リナさんは、間違ったレシピのカクテルをぐっと飲み干した。
「次は、何になさいますか」
「そうね。砂糖でスノースタイルにしたものが飲みたいわ」
「じゃあ、クラシックを」
僕は、今度こそレシピを間違えないように緊張して、リナさんの前にカクテルを出した。
「リナさん」
「ゼロス」
言葉が重なる。
「リナさんから、どうぞ」
「あのね、何年か前、この辺で、あたしのことを追いかけたことがなかった？」
「あれは、やっぱり貴女だったんですね」
「あたし、てっきり変な人だと思いこんで、まこうとして、めちゃくちゃに歩き回ったの。でも、最後にタクシーに乗り込むとき、ああ、もしかしてゼロスだったんじゃないか、とふっと思った。一度でも、立ち止まって顔を見ればよかったわね。じゃあ、ゼロスの用事をどうぞ」
あの謎の男。そして、渡された紙幣。その事を聞こうかとも思ったが、せっかくの再会に、そんな話題を出したくなかった。それに、そのことを聞いたら、リナさんがまた消えてしまうような気がした。
「貴女と会ったら、ガウリイさんに連絡を取ると、約束してるんです。ガウリイさんに、今日貴女がここへ来たことを知らせてもいいですか」
「ふうん、あいつと、そんな約束……」
リナさんは、一口クラシックを飲み、グラスを置くとため息をついた。
「悪いんだけど、あいつには言わないでくれない？」
「僕は約束を違えることになってしまいますね」
「すまないとは思うわ。だけど、上手く話せる自信がないの、あいつとは」
「それは、僕となら大丈夫、ということですか？」
「まあ、ね」
ピアニストが「White days」を弾き始めた。
「あ、この曲……」
「覚えていてくれたんですね」
「忘れられないわ。懐かしいな、あんたの家の離れで聴いた、いろんな音楽……」
「あの離れはもうありませんよ」
「取り壊したの？」
「母が亡くなって、僕はあの土地を売ることにしました。大きいばかりで手の掛かる屋敷も、いい加減がたが来ていた離れも、全部更地に戻しました。あの時の貴女の家のように」
「悪かったわね」
「あの時は、なぜ誰にも行き先を告げずに引っ越しを？」
「秘密よ」
リナさんは、小さく舌を出して、グラスの脇の砂糖を舐めた。
「結婚はしてないの？」
「リナさんがしてくれませんでしたからね。してませんよ」
「馬鹿」
「White days」が終わり、「スタークロスト・ラヴァーズ」が流れ出した。
「懐かしいわね」
「ええ。本当に」
「あたしが初めて聞いたジャズ───」
リナさんは、しばらく目を閉じて、メロディに耳を傾けていた。そして立ち上がった。コートを羽織る。
「また、来てくれますよね、リナさん」
「うん、いつかね。たぶん」
ドアが開くと、冷たい風が舞い込んで彼女の紅茶色の髪を揺らした。そして彼女は、あの天使の足取りで出ていった。


それから２年が経った。リナさんは、あれ以来店に現れていない。
『うん。いつかね、たぶん』
その言葉はあまりにも曖昧で、僕を苦しめた。

僕は、車で二時間ほどの高原に、別荘を買った。暖炉のある、天井の高い───そしてそこにレコード・プレイヤーを据え付ける。薪を用意し、古いワインを持ち込む。店が休みの日には、僕はよくここで数時間を過ごした。レコードに耳を傾けながら、目を閉じる。店にリナさんが来たときのことを細部まで思い出す。カウンターの上に組まれた小さな手。優しく光る爪。彼女のついたため息。

ガウリイさんは、あれから半分常連のようなものになって、顔を見せる。彼に隠していることを思うと、僕の胸は痛んだ。でも、僕は彼との約束より、リナさんの願いを優先する。
「会いたいな、リナに」
酔うと、ガウリイさんは必ずリナさんの話題を出した。
「そうですね」
微笑んで答える僕こそ、もう一度リナさんに会いたくて、気が狂いそうだった。

ある初冬の夜、僕はカウンターの端に、ふたたびリナさんの顔を見出した。それが間違いなくリナさんであることを確かめるように、僕は声をかけた。
「リナさん」
「やっと話しかけてくれた」
確かに、その日僕は忙しくて、ずっと奥の事務室に籠もっていたのだ。
「あと５分、ここに来なかったら帰ろうかと思ってた」
「リナさん……言ったじゃないですか。また来るって」
「だから、今日、来たじゃない」
「正直、僕にとっては間が空きすぎている。あれからだいたい二年が過ぎてるんですよ」
「結婚は、した？」
「してません。……貴女は？」
リナさんは、ホット・バタード・ラムのグラスを両手で包み込んで飲んだ。
「……して、ないわ」
リナさんの顔に、ふっと哀しみの影がよぎったような気がした。
「僕としませんか？　結婚」
「ふふ、悪くないわね」
「本気で」
「───」
怖いくらいの沈黙が訪れる。
「それは、出来ないの。ごめんなさい」
「冗談ですから、気にしないで下さい」
「あのねえ！　あたし、本気でごちゃごちゃ考えたんだから！」
「僕を二年も放置した罰です」
「……悪かったわよ」
「今では、ガウリイさんはここの常連なんですよ。今夜はまだ来ていませんが」
「うっ。マジ……？」
「ええ。真面目な話です」
「あいつとは、会いたくない。帰らなきゃ」
リナさんは、温かいカクテルを一息に飲み干して、バッグを手に取った。
「待って下さい、リナさん」
僕は、カウンターの上で彼女の手を掴んだ。
「な、なによ」
「次、いつ来るか、はっきり言っておいてください」
「近いうちに」
「それじゃ、嫌なんです！」
僕は周りの客の視線も気にせず、彼女の手を放さなかった。
「ちょっと、それが店長の態度？」
「僕はこの二年間、苦しくて……苦しくて」
知らずに目から涙が零れ落ちた。
「毎晩、貴女の幻影をカウンターに見て」
「……ごめんなさい」
僕は、必死で言った。
「だから、次に来る日を言って下さい。それが５年後でも、１０年後でも、僕は待ちますから」
リナさんは、深紅の瞳をあげて言った。
「それじゃ、今年のクリスマス・イヴに。店は開いてるわよね？」
「もちろん、開けています。ブッシュ・ド・ノエルをお出ししますよ」
「懐かしい……」
僕はクロークからコートを出して、彼女に渡した。
「ゼロス」
彼女の甘い声で呼ばれる僕の名前。
「イヴに逢いましょう」
彼女は、半分地下の僕の店の階段を上がり、街に消えていった。


大人になってから、こんなにクリスマス・イヴを楽しみにしたことは無かった。僕は彼女に奢るための高価なシャンパンを買い込み、イヴのお客様全員にサービスするケーキの他に、彼女のための小さなブッシュ・ド・ノエルを厨房に頼んだ。ピアニストには「White days」を弾いてくれるように頼んだ。
「あの紅い瞳の彼女のためですね？」
ピアニストは、からかうように言った。
「ええ」
「俺は、堅物のマスターよりも女性に関しては分かる方だと思うけれど……一言、言っていいですか」
「何でも」
「彼女は、何か抱えてるような気がしますね。初心なマスターには手の掛かる相手です。はっきり言って、おすすめしないな、俺は」
「そうですね、彼女は何かを抱えている。でも、遠い昔から、僕には彼女しかいないんです」
「ロマンチックだね」
ピアニストは細長い煙草をもみ消し、片手で「White days」のイントロダクションを弾いた。


真っ白な雪　まっすぐな瞳
粗雑に汚したのは誰

神様　ひとを求めることは
こんなにまでも　寒いものですか


イヴの客は引きも切らず、用意されていた小さなケーキもあっという間に無くなっていった。早い時間に、ガウリイさんが来た。僕は、彼女と彼が鉢合わせしないか、冷や冷やしながら接客した。しかし、ケーキを食べ終え、カクテルを一杯飲むと、ガウリイさんはあっさり立ち上がった。
「今日はお早いお帰りですね」
「女房と子供が待ってるからな」
「……奥様が、いらっしゃったんですか？」
「ああ。大学で知り合った」
「それなのに、ポケットにはいつも、リナさんに渡すためのボタンを入れてるんですか？」
「前にも言ったろ。このボタンを渡さないと、俺の思春期は終わらないんだ」
じゃ、と手を振って、激しく雪の舞う街路へ、彼は帰っていった。

入れ替わりのように、髪に粉雪を舞い散らせて、リナさんが入ってきた。その姿は、十数年前のイヴを思い出させ、胸を押さえつけた。
「約束通り、イヴに来たでしょ？」
「とても、とても嬉しいです。リナさん」
そう。本当にとても。際限なくリナさんを待ち続けた２年間に比べれば、確実な約束のある今日が、どんなに大切な日であることか。
僕は、自分の手でカクテルを作り、小さなブッシュ・ド・ノエルをカウンターに置いた。
「本当は、あの離れでのクリスマス、貴女の作ったブッシュ・ド・ノエルが一番美味しかったんですけどね」
「これもなかなか美味しいわ」
リナさんは、あっという間にケーキを食べ終えた。僕はシャンパンを出した。
「……頼んでないわよ？」
「もちろん、サービスです。貴女の為に仕入れた」
「何だか悪いわ」
「リナさんが来てくれるだけで、僕は幸せなんです」
リナさんの紅い瞳が潤んだ気がした。
「あたしも……」
ピンク色のシャンパン。
「あたしも、このお店にいると、遠い昔に帰った気がする」
シャンパンに口をつける。
「こんな、可愛い色して、結構辛口なのね、これは」
「貴女と一緒です」
「……ばか」
僕が他の客を接客している間、リナさんはバーテンダーに切れ目無くカクテルの注文をしていた。やがて、雪が激しくなり、客足が減ってきた。吹雪が止むまでと店にいた客も、諦めてコートのフードを深くかぶり、去っていった。ピアニストはクリスマスナンバーを次々に演奏していたが、やがてそれを聴くのはスタッフとリナさんだけになった。時計が夜の十二時を打った。
「メリークリスマス、リナさん。サンタクロースには及びませんが、僕からのプレゼントです」
「……何？　開けてもいい？」
「どうぞ」
リナさんは、ごそごそと包み紙を破った。
「ＭＤ？」
「クリスマス・ナンバーのとっておきを集めました。最後には『White days』も入ってますよ」
「ありがとう！　本当に嬉しいわ。……ひどい吹雪ね」
「駅まで送りましょうか。僕の車は一応雪対策はしてありますから」
「お願いしていいのかな」
僕は、バーテンダーとピアニストに事情を話し、後を任せた。凍るような空気の中を、僕とリナさんは裏の駐車場まで歩いた。
「さっきもらった、ＭＤかけていい？」
「駅までは何分もかかりませんよ」
「いいの。かけさせて」
『ママがサンタにキッスした』が流れる中、僕は駅に向かってハンドルを切った。そして気づいた。リナさんが泣いていることに。
「リナさん？」
「お願い。帰りたくないの。もう少し側にいて。なんならラブホテルに連れ込んだっていい。あたしを帰らせないで」
「リナさんのお願いを聞かないわけにはいきませんね」
「どうして？」
「好きだからです。昔も、それからもちろん、今も」
「どこへ連れていってくれるの？　あんたの家？」
「いいところを思い出したんです。ちょっと時間はかかるけど」
僕は、国道へ向けてアクセルを踏んだ。
「暖炉があって、レコード・プレイヤーがある。僕の別荘です」
リナさんは、涙を拭って微笑んだ。
「それは、今はなくなってしまったあの離れの生まれ変わり？」
「僕はそのつもりです」
山へ向かう国道は、轍だけ残して、真っ白だった。僕は、ＭＤの曲に合わせて口笛を吹きながら、注意深く運転していった。

風景はすっかり山道になった。轍も心細い。ときおり、両側が雪の壁になった。僕は、スリップしないように気をつけながら運転していた。
「ねえ、今何キロぐらい出てるの？」
「スピードですか？　５０キロくらいですね」
「それじゃあ、電信柱か前の車にぶつかっても死ねない？」
妙なことを聞くな、と僕は思った。
「いえ……この雪ですし、勢いよくぶつかれば」
その時だった。リナさんの冷たい手が僕の手に重なった。ハンドルを思い切り回される。車は、激しいブレーキ音を立てながら、スリップした。僕は半ば意識を手放していた。

このまま、リナさんと死ねたら。

意識を失っていたのは、ほんの何秒かくらいだったのだろう。気がつくと、車内は真っ暗だった。隣の席で、リナさんが、固まったシートベルトにもたれかかって意識を失っている。エアバッグも飛び出していない。フロントガラスが真っ暗なのに、後ろの窓から僅かな光が射し込んでくる。呑気に、ＭＤプレイヤーが音楽を奏で続けている。


君と見た夢は　海は
果てしなく続くのに


ようやく、僕にも事態がつかめてきた。スリップした僕たちの車は、道の脇の雪だまりにフロントから突っ込んだのだ。積まれた新雪がクッションになって、僕たちを受けとめた。僥倖だった。
「リナさん、大丈夫ですか？」
僕は、軽く彼女の頬を手の甲で叩いた。彼女はすぐに目を覚ました。
「大丈夫ですか？　肋骨、痛めてませんか？」
「……大丈夫。ありがとう」
「幸い、車にもそれほど損傷は無いようです。車をバックさせて、ここから出ましょう」
雪の重みで、なかなか車は出なかった。それでも、何度かアクセルを踏むと、みしみしと車体をきしませて、雪は僕たちを解放してくれた。僕は外に出て、フロントグラスについた雪を払った。車の中に戻ると、リナさんは泣いていた。泣きじゃくっていた。少女のように。
「ごめんなさい」
「いいんです、こうして二人とも怪我もないんだから……」
「あたし、あんたを殺そうと……」
「それだけリナさんには辛い事情があるんでしょう。いいですよ。心中の相手に僕を選んでくれて、嬉しいくらいです。でも、心中する前に僕は、貴女の巻き込まれているトラブルを知りたい。そして、貴女を子供のように抱きしめてあげたい。だから、神様が、僕たちを助けたんでしょう」
「ごめんなさい……」
リナさんが鼻水をすすり上げたので、僕はティッシュペーパーを渡した。リナさんは涙を拭き、鼻をかんだ。それっきり無口になってしまったリナさんを気遣いながら、僕はあらためて別荘を目指した。

別荘は、中に入っただけで、すこし暖かかった。外の空気を遮蔽し、白木の壁が呼吸しているせいだ。リナさんが脱ぎにくそうなブーツと格闘している間に、僕は暖炉に火を入れ、薪を放り込んだ。僕がレコードに針を落とすと、静かなピアノソロが空間を満たした。
「いつかの続き、ここでしましょうか」
リナさんは、いたずらっぽく微笑んだ。その笑顔は、僕を安心させた。
「リナさん、もう触られるの、嫌じゃないんですか？」
「何歳になったと思っているのよ」
リナさんは、コートを脱ぎ、黒いワンピースを脱いだ。そして、ガーターベルトの留め金を外した。
「今度は、なくさないで下さいね、留め金」
「大丈夫」
ストッキングを脱いで素足になると、リナさんは暖炉の前で僕にもたれかかってきた。その身体には、衰えは見えず、３７歳とは思えなかった。というより、十数年前に僕が見たあの裸体と、まるっきり変わらなかった。
「素敵ですよ、リナさん」
「あたしなんか、もうおばさんよ……」
「知っているんでしょう？　自分の身体が魅力を失っていないことを」
「ふふっ……」
リナさんは、自分の手で全裸になった。暖炉の明かりが、その美しい裸体を照らし出した。僕は、そっと小さな胸に触れた。そして、もっと深いところへ溺れていった。

レコードの針が、ゆっくりとアームレストに戻ったことは覚えている。でも、僕はその日魂の全てをリナさんに預けた。それこそ、心中しても構わないくらい。

朝は、くっきりと訪れた。窓から、痛いほどの白い光が入ってきた。僕は、目を覚まし、リナさんがいないことに気づいた。慌てて、服を身につける。その時、暖炉を見た。脇に用意しておいた薪はずいぶん減っている。そして部屋の中は暖かかった。誰かが───もちろんリナさんが、夜じゅう部屋が冷えないように薪を投げ入れ続けたのだ。その様子を見るに、リナさんは遠くへは行っていない。僕は、玄関を開けた。雪の乱反射が、寝ぼけた瞳を灼いた。空は澄んで蒼く、吹雪は去っていた。一歩、踏みだしてはっとする。この、半ば固まった雪の上に、リナさんの足跡はない。車も、昨日止めた位置にそのままある。キーは僕が持っている。携帯で、タクシーか何かを呼んで去ったということも考えたが、ここの住所を説明することは、リナさんには困難なことだと思われた。第一、それでは足跡が無いことの説明がつかない。それとも、リナさんの天使の足取りには本当に体重がかかっていないのだろうか。

暖炉が消えた。部屋はしんしんと冷えてきた。僕は、混乱した頭を抱えたまま、車を出し、都心に戻った。道はすっかり白く染まり、僕の車がつける跡以外には何もなかった。

それから数ヶ月が過ぎた。僕は、リナさんを待ち、また、ガウリイさんを待っていた。リナさんのことを、話したかった。───彼女が実在したことを確かめたかった。しかし、ガウリイさんはイヴの夜以来、一度も姿を現さなかった。僕は、インターネットでリナさんやガウリイさんの名前を検索したが、結果は芳しくなかった。

ふと思いついて、自分の部屋の、机の鍵のかかる引き出しを開けた。あの紙幣の入った封筒。それは、引き出しの一番上に置いておいたはずなのに、無くなっていた。

「もう、『White days』を弾かないで欲しい」
僕がそうピアニストに告げると、彼は何も言わなかった。その沈黙は、僕にはありがたかった。

僕の激しい恋慕の情は、偽物だったのだろうか？　それはあり得ない。けれども、僕の恋が非常に奇妙な終わり方をしたのは事実だ。あれから１０年が過ぎても、僕は待ち続けている。彼女が、ひっそりとカウンターの端に座ってカクテルを飲む姿を。僕のアドゥレッセンス───思春期は、未だ終わっていない。






ジャズに関する知識は曖昧な私ですが、カクテルに関しては……やっぱり疎いですね、詳しい人に比べれば。でも、かなり呑んで来ている私なのです。それでは、今回は失礼いたしました。お暇な方は、ぜひ村上春樹さんの『国境の南、太陽の西』も読んでみて、羽久のヘタレを笑ってやって下さい。では、また明るい小説でお会いしましょう。
リナちゃんは果たして現実の存在だったのか……それは、ご想像にお任せします。