冷たい水の中を君と歩いてゆく
『ゼロス、ひっさしぶりい！今、そっちに行くからね』 冷たい水の中をきみと歩いていく
何も望むものはない 夏の一日
ゼロスは、オープンカフェの白い椅子に座って、黙って通りを眺めていた。誰も彼に気を止めない。彼は、頼んだコーヒーが冷めるにまかせて、じっとしていた。 水をとおしてくる 七月の日射しが
横顔をきらめかせる 遠い過去からほほえむきみの
『ゼロス』 甘い声が耳の奥によみがえる。 『ゼロス』 夏の日射しは、彼女を思い出させる。強くて、明るくて、それでいてどこか寂しげな……。 『会いたかったよ』 現実には、なかった台詞。それも、耳の奥に鮮やかに聞こえる。ゼロスは、行く人並みを見ながら、その中に彼女の姿を探していた。紅茶色の長い髪。黒いマント。目を離していると、いつのまにか通り過ぎて行きそうで、ゼロスは通りから目をそらすことが出来なかった。 （ねえ） ゼロスは思う。 （あなたは今、どこにいるんですか？） 「ね、ねえ。あそこに、毎日来てる男の人いるじゃない？」 「ああ、あのおかっぱの人ね」 「かっこ、いいよね。アタックしてみる価値、あるかなあ」 「あの寂しげな様子がいいのよね」 女の子たちは、ゼロスの目の前の椅子に腰掛ける。 「あの……毎日ここに来られてますよね」 「常連さんなんですか？」 ゼロスはにっこりと微笑む。 「ええ。毎日、ここにいますよ」 「あの、あたしたちとお茶飲んでくれませんか」 「それは、お断りします」 二人の女の子は黙る。 「……どうして」 「人を、待っているんです」 「女の子ですか」 「そうですよ」 「だって、ここ一ヶ月ばかりあなたを見てたけど、ぜんぜん女の子なんて来ないじゃないですか。きっとあなたのことなんて、忘れてるんですよ。それより、あたしたちと遊びませんか」 「僕は魔族ですよ」 「えっ？」 「レッサーデーモンやブラスデーモンは知ってるでしょう？僕もそいつらと同じ、魔族です」 「やあだ、あなたはどこから見ても人間じゃないですか」 「純魔族に近づくほど、人間の姿を取るのも上手くなるんです」 「冗談でしょ？」 「僕は、人を殺すことなんて何とも思いませんよ？試してみますか」 「な、なによこいつ。頭おかしいんじゃないの」 女の子たちは、立ち上がると、去っていった。 「ふう……僕のこの姿は、やっぱりそれなりに目立つみたいですね」 でも。この姿を変えるわけにはいかない。 「あの日。僕のこの姿を見て、彼女は……」 ゼロスは言葉を切って、冷めたコーヒーを飲んだ。 夏の長い陽が街にオレンジ色の影を落とす頃、ゼロスは冷め切ったコーヒーの最後の一口を飲み干して、レジに立った。 「いつもありがとうございます」 「いえ。こちらこそ、コーヒー一杯で粘ってしまって」 「お支払いは、こちらのコーヒー券でよろしいですね？」 「ええ」 「お客さん、今日も、待ち人来たらず、ですか」 「いいんです。僕が好きで待ってるんだから」 「お客さんほどハンサムなら、女の子なんて選り取りみどりでしょうに」 「……僕が欲しいのは、たった一人の女の子だけなんです」 「ロマンチックですね」 「そうですか」 マスターを相手に、ゼロスは苦笑した。 「たしかに、ロマンチックに過ぎるかも知れませんね……」 ゼロスは、獣王から命じられた仕事をするのを止めてしまっていた。彼の主は、そんな彼を責めることもしなかった。長い長い魔族の一生の中の、ほんの数年。目くじらを立てることはない。 「それにしても……」 主は長い金髪をかきあげた。 「ゼロスは、いつまで『待ち続ける』つもりなんだ？」 みのらずに終わった恋は 夏ごとにすきとおる
みのらずに終わった恋は こわいほどすきとおる
今日は、ゼロスはアイスティーを飲んでいた。夏の暑さなど、彼には全く堪えないのだが、気分で頼んでみた。ストローで、氷をかき回す。グラスが、うっすらと水滴に濡れている。ゼロスは冷たい手で、冷たいグラスを包み込んだ。 「何度目の夏になるんでしょうか……」 太陽が照らし出す、アイスティーの透明な影。氷が動くと、影も動く。 「貴女の髪の色に似ていますよ」 ゼロスは、誰にともなく話しかける。 「早く、貴女に会いたい……」 ゼロスは、落ちかかってくるさらさらの髪を押さえて、アイスティーを一口飲んだ。 あんまりそれがきれいなので ぼくの命も奪っていく
あんまりそれがきれいなので 誰にも言葉はつうじない
「お客さん。毎日そんな格好で、暑くないんですか」 「ええ。僕は暑さには強いんです」 「見てる方が暑いですよ」 「それはそれは」 ゼロスは、黒いマントを脱いだ。クリーム色の上着に、夏の太陽が降り注ぐ。 「アイスティーを」 「最近は毎日それですね」 「似てるんです。あの人の髪の色に」 「……早く見つかるといいですね、あなたの探し人」 「気長に待ちますよ」 小さなミントの葉が挿されたアイスティーが運ばれてきた。ゼロスはグラスを持ち上げて、陽の光にそれを透かす。 「綺麗ですね……貴女の髪のように」 溶かすガムシロップ。不思議な模様が液体の中に拡がる。 「貴女は、甘いものが好きでしたね……」 ゼロスは、甘い紅茶を口にした。 「このカフェの、全部のケーキを奢るから……と言ったら、出てきてくれますか？」 『よっしゃー、ゼロス！今の言葉に二言はないわね』 きっと彼女ならそう言って、ぱくぱくとケーキを食べることだろう。 「本当に奢りますから……そろそろ現れてくれませんか？」 冷たい水の中をきみと歩いていく
なんて青くあどけない 夏の一日
ゼロスは、街を歩く。隣に、彼女がいるつもりで。でも、決して横は見ない。見ない限り、彼女はそこにいる、気がする。だから、ゼロスは彼女を見ない。彼女は、ゼロスのほんの少し後ろを、軽い足取りでついてきているのだ。マントが、風に揺れる。まるで、冷たい水の中を歩くように。 『ゼロス』 ほんの少し後ろから呼びかけられる。 『ゼロス！聞いてるの？このスットコ魔族！』 「聞いてますよ」 振り返る。そこには風が舞うだけだ。ゼロスは唇をかみしめて、また歩き始める。背中に、彼女の気配を感じながら。 魔族に眠りはない。けれど、ゼロスはそのまねごとをしていた。宿を取り、ベッドの上に横たわる。瞳を閉じて、人間が「夢」と呼んでいるものを見る。 『ゼロス、あたしたち、いつまでいっしょにいられる？』 『貴女が望むなら、いつまでも』 『じゃあ、いつまでも一緒にいて……』 彼女の頭の重みが、肩にかかる。ゼロスは、そんな彼女の肩を抱き寄せる。彼女は逆らわない。 『僕たちは、いつまでも一緒ですよ』 彼女の紅茶色の髪をかき上げ、唇に優しくキスをする。彼女は、おとなしく、されるがままになっている。ゼロスは、彼女の首筋に顔を埋め、強く吸った。 『あなたが僕のものであるというしるしです』 『あたし、ゼロスのもの？』 『嫌ですか？』 『ううん、嬉しい……』 ふっと、ゼロスは目を開けた。 「夢とは言え、都合のよすぎる展開ですね……」 ゼロスは、夜の街に出た。家々やレストランから、温かな夕食の匂いが漂う。酔っぱらった男が、どん、とゼロスの身体にぶつかっていく。 「お酒に酔えたら、どんなにいいでしょうね」 ゼロスはつぶやく。 「僕は、貴女の夢を見ることしかできない……」 ゼロスは、いつも通り、表通りのオープンカフェで、アイスティーを飲んでいた。季節は夏から秋に移ろうとしていた。埃っぽい道は、今日も蒸し暑い。ストローをかき回していると、目の端を見慣れた面影がよぎった。 「……！」 ゼロスは、立ち上がって、彼女を追いかけた。人混みの中、何度も見失いそうになりながら。後もう少し。もう少しで指が触れる。 「あの……っ！」 「なあに？」 彼女とは似てもにつかない女が、迷惑そうに振り返った。 「ナンパ？私、忙しいんだけど」 「いえ……知り合いに似ていたもので。失礼しました」 カフェに引き返しながら、ゼロスは思った。なぜ、髪の色が似ているくらいで彼女だと思ってしまったんだろう？あの気配も、魔力も、何も感じなかったのに。 （焦っているんでしょうか？） 冷静で冷酷。それが自分のスタイルだったはずなのに。 （あの人にかかると、僕もかたなしですね……） もとの椅子に座る。また、通りに目をやる。いつか通り過ぎるかも知れない彼女を探して。 誰かの読んでいる 小説の挿絵の
湖の中に ぼくは今沈んでる
誰にも見えない
「な……なんだお前は」 「『盗賊いぢめ』に来ました」 「何だと！それじゃあお前はまるで……」 ゼロスの手から放たれた衝撃波が、男を吹き飛ばす。 「あなたのような者の口から、彼女の名前は聞きたくありませんね」 襲いかかってくる盗賊を次々になぎ倒しながら、ゼロスはアジトの奥へ進んだ。しょぼくれた街の盗賊の集めた宝は、たかが知れている。 （貴女は、こんなことをして喜んでいたんですか？） 後ろから斬りかかってくる盗賊をはじき飛ばし、ゼロスは宝には全く手を付けずにアジトを後にした。 月が出ている。彼女は、月に照らされるとその深紅の瞳が美しかった。闇の中を、盗賊から奪ったお宝を持って、ほくほく顔で歩く彼女。 「楽しいですか？」 「やだ、見てたの？」 「弱い人間を、苛めて楽しいですか？」 「あいつらは、弱いけど悪人よ。悪人に人権はない！」 そう言うと、彼女は屈託なく微笑んだ。その笑顔に、ゼロスは魅せられる。 「悪人からお宝を奪うのは、悪じゃないんですか？」 「なによ、アメリアみたいなこというのね。このお宝は、あたしが有効活用してあげるの。あんな盗賊のアジトの奥に眠ってるより、よっぽどお宝も喜ぶわ」 「ものは言いよう、ですね」 「文句ある？」 紅い瞳にのぞき込まれる。 「いえ、貴女らしいな、と思って」 「何か引っかかる言い方だなあ」 彼女はそっぽを向いて、歩き続けた。 みのらずに終わった恋は 重さもかたちもなく
みのらずに終わった恋は 思い出も影さえなく
いつものカフェの、いつものテーブル。いつものように、通りを眺める。流れて行く、たくさんの人々。彼女の姿はない。季節は、本格的に秋を告げていた。ゼロスは、湯気の立つブラックコーヒーを前に、ゆっくりと視線を走らせていた。 「……ゼロス」 「ガウリイさんですか。お久しぶりです」 秋の陽に染まる金髪を風になぶらせて、ガウリイはゼロスの向かいの席に着いた。 「ホットコーヒー一つ」 「かしこまりました」 ウェイターが去って行く。ガウリイは、頬杖を着いて、ゼロスを見た。 「まだ、ここにいたのか」 「僕は、いつまでもここにいますよ。何百年でも、何千年でも」 「カフェの方が先に潰れちまうぜ」 「そうですね」 ゼロスは静かに笑った。 「なあ、お前がいつまでもあいつのことを考えていてくれて嬉しいよ」 「僕は、いつでも彼女のことを考えていますよ。いままでも、これからも」 「お前には……その、獣王様とやらの仕事があるんじゃないのか」 「さぼってます」 「さぼっていいものなのか？」 「駄目でしょうね。でも、僕はここにいることしかできない」 「おい！」 ガウリイは、テーブルを叩いた。コーヒーの表面が揺れた。 「いつまでも、こんな馬鹿なことやってる気なのか」 「おや。僕のことを心配してくれるんですか？」 「……そりゃ、お前は、あいつの好きな奴だったからな。気になるってもんだ」 ゼロスは目を見開いた。 「彼女が……僕のことを？」 「お前、意外と鈍いんだな。あいつは、お前のことが好きだったよ。ずっと側にいた俺だから分かることなのかも知れないが」 「そうですか。それは嬉しいですね。じゃあ、いっそうここを離れるわけには行きませんよ」 「ゼロス、お前……あの日、見なかったのか？」 「何をですか？」 あんまり静かに輝くので
ぼくのからだはこわれていく
「もう、あれから５年になるんだぞ」 「何のことを言っているのか、僕には分かりませんね」 「おい……！」 ガウリイは、立ち上がってゼロスの肩を揺さぶった。 「あの時も、お前は確かにここにいた。見なかったとは言わせない」 「……」 「あいつは、道を挟んだこのカフェにいたお前を見て、道を横切ったんだ。そして、馬車に轢かれた。身体はめちゃくちゃになった。医者に診せるまもなく、あいつは息絶えた」 「彼女が……そんなことで死ぬはずないでしょう？最強の天才魔導士。この世を滅ぼせる引き金を持った、たった一人の少女」 「そうだ。あいつは、最強の魔導士だったが、身体は普通の少女だ。あいつは、あの日、馬車に轢かれて、ここで死んだんだ。お前は、そんなことも認めないのか！？」 「彼女は、僕を見て手を振ったんです。そして、僕の名前を呼んだ。僕がここからいなくなったら、きっと彼女は僕を見つけられなくなる」 『ゼロス、ひっさしぶりい！今、そっちに行くからね』 彼女の、最後の声。明るくはずんだ、いつもの口調。 「なあ、ゼロス！あいつだって、お前がいつまでもここに縛られていることを望んではいないはずだ」 「なぜ、そんなことが分かるんですか」 「ゼロス……！」 「彼女は死んでなんかいない」 「……」 「僕がこのカフェの、この席に座っている限り、彼女はこの通りの向こうで、僕を見つけるはずなんです。何度も、何度も……」 「お前は、それでいいのか」 「ええ。満足ですよ」 ガウリイは、深いため息をついた。 「お前がそうやってる限り、あいつは生き返るのかもしれないな。何度も、何度も……」 自分の分のレシートを持って、ガウリイは立ち上がる。 「邪魔したな」 「いいえ。あなたと話が出来て、嬉しかったですよ、ガウリイさん」 あんまり静かに輝くので ぼくのからだはこわれていく
あんまり静かに輝くので ぼくの命も奪っていく
そして彼は今日も待ち続ける。たった一人の恋人が、この道を渡ってくるのを。 今まで、途中で死んでしまうことはあっても、「最初から死んでいる」のはこれが初めてです。いいんでしょうか。「彼女」の名前を最後まで出さなかったのが、せめてもの私の良心なのかもしれません（どんな良心だ）。「冷たい水の中をきみと歩いていく」は谷山浩子さんの曲です。同名のアルバムに入っています。それでは、こんどはもっと明るい話でお会いしましょう。（何かいつも言ってるな、これ……） ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。投稿したことをすっかり忘れていて今頃の更新になりました。季節はずれですね。（いまは１月） なかなか素敵な壁紙を見つけられて満足しています。 |