雨の木（レイン・ツリー）の女神[1]




Endless rain，fall on my heart 心の傷に
Let me forget all of the hate，all of the sadness

「５１２年前のゼフィーリアに行ってきて欲しい」
「は？５１２年前と言いますと……時をさかのぼれとおっしゃるんですか？僕にそんな能力はありませんよ」
「ああ、そんなことは言われずとも分かっている……。お前を、時の女神のもとへ送る。彼女に頼めば、お前に時を越えさせることなど簡単な事だ」
「時の女神……？寡聞にして僕は聞いたことがありませんね」
「時を司る女神……ノルン。彼女の存在を知るものは、魔族にも竜族にも限られている───」
「主は、ご存じだったのですね」
「ああ。顔を合わせたことはないがな。お前はこれから彼女に会い、彼女の力で時を越え、仕事を果たすことになるのだ」
「５１２年前のゼフィーリアで、僕が成し遂げるべき仕事は何なのですか」
「そこで、あるマジックアイテムが生成される。その品は、時を経るごとに力をつける。まだそのアイテムが力を持たぬうちに破壊して欲しいのだ」
「そのアイテムとは」
「剣だ」
「強い力を？」
「ああ。魔族も竜族もその剣に触れてはただではすまないだろう。滅びるのは必至。ただ、生成されたばかりなら、何とかお前にも壊せるはずだ」
「楽な仕事ではなさそうですね」
「だからお前に任せるのだ。ルビーアイ様の腹心を除けば、魔族の中でも最も優れた力を持つお前。信頼しているぞ、ゼロス」
「それで、時を司る女神のもとへはどうやって行けば……」
「私の力でお前を送る。……それにしても、お前は彼女に会ったら少し驚くかも知れないな」
「……なぜです？」
「実際に会ってみれば分かることだ」
豪奢な金髪をかき上げ、獣王ゼラスは床に魔法陣を浮かび上がらせた。
「その中に入れ、ゼロス」
「はっ」
ゼロスが魔法陣の中に足を踏み入れると、描かれた模様が輝きだし───ゼロスは空間を越えた。


「リナさん！リナさん！復括（リザレクション）！！」
「だめだ、アメリア。リナは、もう───」
「嘘です。リナさんが、病気で死ぬなんて、あり得ません！復括（リザレクション）！！」
「無意味な復括（リザレクション）はリナの苦しみを長引かせるだけだ。逝かせてやれ」
「ゼルガディスさんはリナさんが死んでもいいって言うんですか！」
「……そうは言っていない。ただ、もうリナの最期の時だ。見守ろう」
「リナ！リナァ！死ぬな！俺は、まだお前に俺の気持ちさえ───」
リナは苦しそうな顔をふっとゆるめた。淡い笑みがその唇に浮かぶ。
「来てくれたのね、ゼロス……」
「はい。リナさん。あなたの最期を見送るために」
「ありがとう……」
そして、その唇が動くことは二度となかった。
「リナさん！死なないで下さい！」
頬の色が白くなり、アメリアがずっと握っていた手が冷たくなった。
「リナさん！」
「リナ！！」
「リナ……」
天才美少女魔導士、リナ＝インバースは１７歳で夭折した。その生涯に数々の業績を残して───。あらゆる困難を乗り越えてきた彼女だったが、不治の病には勝てなかった。
「さよなら、リナ……」
そして彼らはそれぞれの人生を歩み始めた。ゼロスも、彼女の死にしばらく仕事が手につかなかったが、いつしか、哀しみを越えて、働き始めた。彼には、大事な仕事がいくつもあった。いつまでも悲しみに暮れているわけにはいかない。仕事に没頭するうちに、彼は彼女のことを忘れていった。いや、彼女を忘れるために仕事に没頭したのだろうか？

「お久しぶりです、ガウリイさん。そちらは、お孫さんですか？」
「ゼロス……！久しぶりだなあ、全然変わってない。俺はどうだ？いい爺さんになっただろう？……ああ、この子は近所の子だ。俺は子供をかまうのが好きなんだ」
「結婚はなさらなかったんですか？」
「最愛の者を亡くしたからな。俺は、そういうところは融通が利かないんだ。独り身のままだよ」
「彼女がこの世からいなくなってから、もう半世紀以上が経つんですね……」
「でも、俺は今でもあいつのことをはっきりと思い出せるよ。クラゲ頭の俺だし、最近少し呆けも入ってきたが、あいつのことは忘れられない」
「僕もですよ。あんなに強烈な印象の人間はいなかった」
「今日は、何をしに来たんだ？」
「べつに。この近くで仕事をしていたら、あなたの気配がしたので寄ってみただけです」
「俺ぁもうすぐ死ぬよ」
「ガウリイさん……」
「お前だけでも、あいつのことを覚えてやっていてくれ。よくいうだろう？そいつの事を思い出してくれるものがいる限り、そいつは死なないって。おまえの永い寿命の中で、あいつのことを忘れないでやってくれ」
「もちろんです。それから、ガウリイさん、あなたも」
「ありがとな。それじゃ、俺はこの子を家まで送っていく。さよならだ」
「ええ。さようなら」
それから二度と、ガウリイと会うことはなかった。


───あれから、もう三千年は過ぎている。でも、ゼロスは忘れていなかった。貴石のように輝く深紅の瞳、柔らかに指に絡まる紅茶色の髪、あどけなく、可愛らしい顔立ち。
「僕が、こうして彼女を覚えている限り、彼女は死なない」
その言葉を教えてくれた、夏色の金髪も思い出された。暗い空間をくぐり抜けながら、ゼロスは久しぶりに彼女のことを考えていた。


ふいにまわりが明るくなった。空は不思議な色をしている。雲があるというわけではないのに、仄白く輝く真珠色───。そこから、絶え間ない雨が降り続いていた。土砂降りでもなく、小雨でもなく。風一つ吹かず。天から真っ直ぐに地上をうつ冷たい雨。雨は、ゼロスの髪を濡らし、服を濡らした。
「時の女神───とは、どこに？」
湿ってあちこち深い水たまりの出来ている茶色い地面を、彼は歩き出した。足跡がくっきりと残り、そこに水がたまって、新たな水たまりを作りだしていった。
「かりそめの身体とは言え、こうも濡れると寒いですね……」
遠くに、大樹の影があった。大気が霧にけぶる中、ゼロスはそちらに足を進めていった。


I’m walking in the rain
行くあてもなく　傷ついた体濡らし
絡みつく 凍りのざわめき
殺し続けて　彷徨う いつまでも
Until I can forget your love


近づくと、それは思っていたよりずっと巨大な樹であることが分かった。何本もの枝が絡まりあい、深い緑の葉を茂らせている。その下に行けば雨を避けられるかとも思ったが、絶え間ない雨はその緑の葉を濡らし、葉は雫をその樹の根本に滴らせていた。地面に落ちた枯れ葉が、柔らかな地面を作り上げている。そこに、真っ白なドレスを着て、樹の根本に背中をつけて座り、足を投げ出している一人の女性がいた。
「時の女神……？」
ゼロスは、彼女の正面へ回る。そして、目を見開いた。濡れた紅茶色の長い長い髪。くるぶしまで届いている。そして、けだるげに瞳をあげる。深紅の瞳を。
「リナさん……！」
「ゼロス」
彼女は変わっていなかった。その甘い声も、あどけない表情も、紅い瞳も。長く長く伸びた髪を除けば。
「リナさん、どうしてこんな所に……それより、あなたは死んだのではなかったのですか？いや、あの時生きていたにしても、もうあれは三千年も昔のことだ。今、リナさんが生きているわけはない……！」
「じゃあどうして、あたしがあんたの名前を知ってると思うのよ」
「……そうですね。訳を、聞かせて下さい」
「その前に、あんたを抱きしめさせて」
リナは枯れ葉のつもった地面に手をついて、立ち上がった。くるぶしまで伸びた濡れた髪が、身体にまとわりついた。白いドレスは、身体にぴったりと張りついている。白い肌が、透けている。
「リナさん」
ゼロスは、彼女に近づいた。リナは、大切なものにふれるように、ゼロスの腕の中に入ってきた。温かかった。
「リナさん……」
「その名前で呼ばれるのは久しぶりだわ。三千年ぶりね。そう、あたしはリナ＝インバースという名前だったわ。遙か昔」
「今は、リナさんではないのですか？」
「あたしは、ノルン、と呼ばれているわ。または、時の女神、とも」
「……！リナさん……」
「あんたは、抱きしめても冷たいわね。魔族だから当たり前だけど。そうだ、あんた何か刃物持ってる？ナイフか何か」
「え……ええ。ナイフなら持っていますが」
「貸して」
リナはナイフを受け取ると、くるぶしまで伸びた濡れた髪をどうにかまとめ、胸くらいの長さで切った。切り落とした髪を、地面に投げ捨てる。髪の長さが変わると、いっそう昔の彼女が思い出された。
「ふう、さっぱりした。最近、誰も来なかったから、髪が伸び放題になって鬱陶しかったのよね」
「差し上げますよ、そのナイフ。好きなだけ髪を切って下さい」
「ありがと。助かるわ」
リナは、ふとナイフを逆手に持つと、自分の心臓に突き立てた。
「リ……リナさん！何てことを……」
リナは、しばらく痛みに顔をうつぶせていた。そして、ナイフを引き抜いた。ナイフには、血の一滴もついていなかった。
「魔族のあんたが持ってるナイフなら……と思ったけど、おんなじね、普通のナイフと」


Day of joy，days of sadness slowly pass me by
As I try to hold you，you are vanishing before me
You’re just an illusion


「リナさん……死にたいんですか？」
「あんた、あたしが『死んだ』時のこと覚えてるわよね？」
「はっきりと」
「あたしの肉体は滅んだ。そして、精神も混沌の海に還ろうとしていた。その時……あたしの精神は神族にすくい上げられたの」
「何のために……」
「彼らは、『時』を支配したがっていた。あらゆる空間を支配した彼らは、残された未開の地……『時』を手に入れたいと考えていたのよ」
リナは、短くなった胸までの髪に指を入れて梳いた。
「やっぱり、髪はこれくらいが一番ね」
「それで？『時』を手に入れたがった神族はどうしたんですか、貴女を」
「神の一人にしたの。『時』を見守り、支配する女神に」
「なぜ、あなたが……」
「あたしが生きてる間にやらかしたこと、神様たちはよく見てたみたいね。魔族に対抗したことで、神様たちの中では覚えがめでたかったみたいなの、あたし」
「それで、あなたはなぜこんな所にいるんですか」
「時の女神、だからよ。あれを見て」
巨大な樹の幹。そこに、金の巨大な時計がかかっている。ただ、文字盤の数字はでたらめだ。
「１…４…１７…２３？」
そのでたらめに配置された数字を、三本の金の針が指している。今、この時計が何時を指しているのか、ゼロスにはもちろん分からなかった。
「貴女には、あの時計は読めるのですか？」
「ええ。時の女神だもの。あの時計を操って、あたしはここに訪れた旅人を、言われた時間に送り届ける……この樹が何の樹が分かる？」
「いえ、こんな樹は見たことがありません」
「イグドラシル……世界樹よ」
「これが……」
「この樹が枯れたら、世界は滅ぶ」
「聞き捨てならない話ですね」
「でも、この樹は枯れない。ここに絶え間ない雨が降り続く限り」
「ここでは、雨が上がることはないのですか？」
「あたしがここから離れたら、雨は止むわ。そして、この樹は枯れ果てる。でも、そんなことは絶対に起こり得ないの」
「リナさん、貴女らしくないですよ。こんなところでじっとしている貴女じゃない。貴女は人間の世界に戻るべきだ」
「もう三千年も帰っていない世界に？ガウリイも、アメリアも、ゼルもいないところへ？」
「それで、貴女はここで雨に打たれているわけですか」
「逃げだそうとしたこともあったわ」
「逃げ切れなかったんですか？」
「あたしは、この樹を背にして、真っ直ぐ歩いて行った。何時間、歩き続けたか……気がつくと、あたしはこのイグドラシルの根本に戻っていた。空間がねじ曲がってる。ここは、そういう世界らしいわね」
「貴女は、ここを逃げ出すために、自殺を試みてるんですか……！」
「でも、これは元のあたしの身体じゃないから……神の身体だから。そう簡単には死なせてくれないみたいね。ねえゼロス、あたしの首を絞めてよ」
「そんなこと、出来ません」
「どうして？」
「僕は、貴女が好きだったからです。僕たち魔族は人間の負の感情を糧に生きていますが、あなたの輝くばかりの精神は眩しくて、滅びの快楽さえ感じた。死にたがるなんて貴女らしくない」
「じゃあ、ここで、誰もいない場所で、一人で雨に打たれてろって言うの？三千年の永い時……雨は止まない。あたしはすっかりうんざりしたわ。でも……時々時の旅人がやってくる。あたしはその旅人をその人の望む時間に送り届ける。それ以外の永い時……あたし、よくあたしが狂っていないと思うわ。ゼロス、あたしの首を絞めて。死なせてちょうだい」
「それが本当に貴女の望みなのですか？」
「あたしは女神だけど、女神なんかじゃない。心はただの人間よ。もう疲れたわ。雨に打たれるのも、孤独なのも。あんたが来てくれて嬉しい。あんたには、あたしの心、分かるでしょう？さあ、死なせて」
ゼロスは、ゆっくりとリナに近づいた。両手を、リナの細い首にかける。
「構わないんですね、リナさん」
「何も気にしないで。思いっきり締めて」
ゼロスは手に力を込めた。リナは微笑んでいた。思い切り親指で、リナの喉を押す。首の骨の折れる感触がした。ゼロスは手を離した。
「リナさん……」
せめて、土の中に埋めてやりたいと、ゼロスが樹の周りを歩き回っていると、リナの起きあがる気配がした。
「リ、リナさん？無事なんですか」
「首の骨、折れたけどね。くっついちゃったみたい。これが神の身体ってことかしら」
「貴女は……そんなに死にたがってるのに死ねないんですね」
「いいわ。最初から期待してなかったし」
「リナさん……生きて下さい。僕がずっと側についていてあげますから」
「獣王様の仕事もしないで、ここで何千年もあたしについてる気？」
「……すみません。それは、出来ません」
「出来もしないこと、言わないでよね。一瞬期待しちゃったじゃない」
「それでは、時の女神。僕を、５１２年前のゼフィーリアに運んで下さい」
「あたしは、時を越えさせる力は持ってるけど、場所の移動は出来ないわ。あんたは、どこの魔法陣からここに入ったの」
「群狼の島ですが」
「じゃあ、５１２年前の群狼の島に出るわね。そこからゼフィーリアには、あんたの空間移動で行けるでしょう」
「それですよ、リナさん」
「……何が」
「僕が空間を越えて、貴女をここから連れ出します。こんな簡単なことに気づかなかったなんて」
ゼロスはリナの濡れそぼった身体を抱きしめ、空間を渡った。しかし、亜空間を抜け出ると、そこは世界樹の前だった。
「馬鹿な……」
「そう言う世界なのよ、ここは」




使わせていただいている歌は、Ｘ−Ｊａｐａｎの「Endless rain」です。って言わなくても分かるくらい有名な曲ですね（汗）この先も、ちょっと黒い表現が続きますが、くじけないで読んでいただけると幸いです。それにしても、私はリナちゃん閉じこめもの（ジャンルか？）が好きですね。それでは、続きもよろしくお願いします。
結構昔に書いた物をほっぽって、収録が今になってしまいました。残酷系に特化した、私の得意ジャンル（？）です。それはともかく、今、懐中時計が欲しい。