死の棘

『敵』はぎりぎりのところまで追いつめられていた。
「ふふん、もうそこまでってわけね。さあどうする？降参するなら命だけは助けてやってもいいわ。それとも、ここでドラグスレイブの餌食になる？まあ、答えは決まってるわよね。誰もこんなうらさびしい場所で死にたくないで……」
「リナさん、危ないっ！！」
『敵』の身体が一条の閃光となり、リナの身体へ向かった。リナは思わず目を閉じた。目の前に現れた黒い影が、閃光をまともに受け止めた。
「自爆技か……しかし、あいつがリナを庇うとはな」
目の前の光景を見つめていたゼルガディスがつぶやく。動けなかった自分がふがいないのか、その手は震えている。
「リナ！リナ、大丈夫か」
ガウリイが地面に倒れたリナの元へ駆け寄る。
「大丈夫よガウリイ……それより、あいつは？どうなったの？」
アメリアが身体の力が抜けたようにへたり込む。
「ゼ…ゼロスさん……」
何とか身体を起こしたリナも、ゼロスを見て絶句する。身体のほとんどが消え去り、残っているのは右腕、肩、頭くらいだ。しかも、その姿も、水面に映る影のようにゆらゆらと揺らいでいる。
「リナさん…」
今にも消えてしまいそうな声で、ゼロスは言う。
「無事だったんですね、良かった…」
「ば、馬鹿！なんであんな無茶するのよ」
「リナさんのためです」
「敵は魔族だったのよ。あんたが魔族からあたしをかばってどうするのよ」
「リナさんのため…で…」
意識を失ったのか、ゼロスはそれきり喋らなくなった。
「ゼロス、嫌よ、ゼロスーッ！！」
リナはゼロスの頬に触れようとした。手応え無く、その指はすっと地面に突き抜ける。
「いやあああっ！！」
リナは、こみ上げてくる涙を抑えることが出来なかった。次第に薄くなってゆくゼロスの影。その時だった。
光を纏った、金髪の背の高い美女が、リナたちの背後に突然現れた。その美貌はまばゆいばかりだ。腕に付けた２本の金のリングを涼やかに鳴らしながら、まっすぐに地面にふせっているゼロスの方へ歩いてくる。そして、ゼロスの身体……の残りとも言うべき部分を、静かに持ち上げた。リナたちには一瞥もくれず、目を伏せ、その姿は揺らぎ始めた。
「待って、獣王（グレーター・ビースト）ゼラス・メタリオム！」
リナが叫んだ。全員、その場に凍り付いた。
「私を呼び捨てにするなんて、剛気ね、人間の娘」
ゼラスは、ゼロスを抱えたまま、ゆっくりとリナの方へ振り向いた。
「ゼロスを、どうするの」
「助けてやりたいとも思うけど、ここまで『壊れて』しまったらダメね。この子は私が混沌より生み出せし者。ならば、私の手で混沌へ返してやるのがせめてもの情けでしょう」
「殺すのね」
「ふふ…物騒な言葉を使わないで。そもそも、この子を滅ぼす原因はあなただったでしょう？人間の娘」
「方法は無いの？ゼロスを元どおりにする方法は」
ゼラスは冷たい微笑みを浮かべた。美しさに、凄みが増した。
「無いでもないわ。でも、そのためには一人の犠牲（サクリファイス）が必要なのよ」
「サクリファイスは、人間でもいいの？」
「何が言いたいのかしら」
「あたしじゃ、サクリファイスにはなれないの？」
ふふ、とゼラスは笑う。
「なれるわ。覚悟があるなら、ついてきなさい、人間の娘」
ゼラスは、ゼロスを抱えていない方の手をリナに差し出した。リナはその手を握った。そして、彼女らの影が揺らめき、すべては無に帰した。
「リナさん…リナさんまでが」
アメリアは放心したようにいう。
「しっかりしろ、アメリア。リナは、死ぬためにゼラスについていったんじゃない。そんな奴じゃないことは、俺たちが一番よく分かっているだろう？」
ゼルガディスが、アメリアを立たせながら言う。
「あいつを信じて待とう。それが俺たちに出来ることだ」
ガウリイも力強くうなずいた。


暗い。ひんやりと冷たい空気。闇の中に、ゼラスの神殿はある。ゼラスは長い服の裾を引きずるようにして階段を上がり、中央の大広間の安楽椅子に腰掛ける。
「それにしても、ゼロスが人間の娘を庇うなんてね。自分の命を危険にさらしてまで」
リナは、周りの闇も、大広間を彩る華麗な彫刻にも目を奪われなかった。見つめているのは、ただ、消えゆこうとしているゼロスのみ。涙が自然に零れ、視界が歪んだ。
「この子が滅びようとしていることが、そんなに悲しいの？人間の娘」
「リナです。リナ＝インバース」
「知っているわ。魔族で、あなたの名前を知らない者なんていないわ。龍王ガーヴを滅ぼすきっかけを作り、その身に金色の王を憑ろして冥王フィブリゾを滅ぼした。」
ゼラスは立ち上がり、リナの顎を軽く持ち上げた。
「美しいわねえ、リナ＝インバース。紅い瞳に、魔族には流せない宝石の涙。その瞳で、私のゼロスをたぶらかしたのかしら？」
「たぶらかしてなんか……」
「でも、ゼロスはあなたにたぶらかされていた。正確に言うなら、愛し始めていた。そして、魔族と人間の間に挟まって、迷っていた。愚かな子。かわいそうな子」
爪の長い、しなやかな指で、ゼロスの黒い絹のような髪を梳く。
「リナ＝インバース。ゼロスはあなたを守って、今滅びようとしている。あなたは、ゼロスのために滅びる覚悟はあって？」
「滅びるつもりは、ありません」
「なぜ？怖くなったの？」
「ゼロスがあたしを命がけで助けてくれた以上、あたしが死ぬわけにはいきません」
ゼラスは、婉然と微笑んだ。
「じゃあ、ゼロスを助けるたった一つの方法を教えてあげましょう。その前に、服を脱ぎなさい。裸になるのよ」
「えっ？」
「いいから脱ぎなさい」
リナは決然とした表情で、服を脱ぎ始めた。冷たく暗い床の上に、リナのぬくもりを残した衣服が、次々と脱ぎ捨てられていった。
その間に、ゼラスはゼロスの残った身体から、一本の蔓を取り出していた。蔦は瞬く間に伸び、暗い緑の葉を茂らせた。そして、その蔓の一本一本に、鋭い棘があった。やがて、暗い赤の花が咲き、その下にどの棘よりも大きく、鋭い一本の棘が出来た。
「リナ＝インバース。裸になっても美しいわ、あなた。とても可愛い。ガラス細工のよう」
「それより、ゼロスを助ける方法を教えて下さい」
「簡単なことよ。このゼロスから伸びている蔓……そして花の下のこの『死の棘』。ここにあなたの心臓を突き刺しなさい」
「『死の棘』……あたしは死ぬの？」
「それは、あなた次第ね。ゼロスがよみがえるのに充分な血が取れて、なおあなたが生きていれば、あなたも助かるわ。もっとも、それに耐えた人間はまだいないけど」
リナは、涙を拭き、微笑んだ。
「ゼロスもあたしも生きられる道があるのね。良かった。あたし、生命力には自信があるのよ」
しかし…とゼラスは思った。そもそも、魔族を助けるために命を投げ出そうとした人間自体が少ない。そのすべてが死んでいる。ましてや、この少女の華奢な身体から、取れる血の量はたかがしれている。間違いなくリナ＝インバースは死ぬだろう。その時、よみがえったゼロスは私を憎むだろうか？産みの母であるこの私を？
リナは、迷いのない足取りでゼロスの横に横たわった。そして、『死の棘』を大きな花ごと抱きしめた。リナの小さな胸の下の隙間に、細く、鋭い棘が突き刺さった。リナの顔が苦痛に歪む。
「くうぅっ…」
しかし、リナは手の力を緩めなかった。棘は心臓に達したらしい。リナは苦痛の中で、意識を手放した。
周りの蔓もざわざわと動いて、小さな棘をリナの身体のあちこちに突き刺した。蔦は、その全体からリナの血を搾り取ろうとしているのだった。リナの顔や身体は紙のように白くなり、小さな呼吸は今にも途切れてしまいそうだ。
やがて、ゼロスの身体に変化が生じた。ぼうっと薄青く、全身のシルエットが浮かび上がった。最初は透き通っていた身体は、次第に確かな実体を帯びていく。はじめは青年の裸の肉体に。そして黒い神官服。マント。闘いで受けた傷を埋めるように、身体が仕上がっていく。
ゼラスは、闇に向かって呼びかけた。
「ダルフィン。面白い見物があるわよ」
「なあに、ゼラス……」
蒼い髪の美女が現れる。そして、床を見て、目を見開く。
「『死の棘』…！しかも、この少女は…」
「そう、『あの』リナ＝インバースよ」
「ゼロスを…あなたの部下を助けるために？リナ＝インバースが」
「ねえダルフィン、この子たちって、魔族と人間の間の何かを変えていくかもしれないわね」
「でも、このままでは死ぬわ、リナ＝インバースは」
「それはどうかしら」
「ゼラス？」
「この子は言ったのよ。『生命力には自信がある』ってね」
やがて、ゼロスの瞼がかすかに動いた。


リナは目を覚ました。明るい太陽の光が部屋に射し込んでいる。どこかの宿屋の一室のようだ。瑞々しい、いい香りがする。林檎の匂いだ。
「リナさん！」
突然、鼓膜も破れんばかりの大声でリナにしがみついてきたのは、可愛らしい黒髪の少女。
「ア…メリ…ア」
「意識が戻ったんですね、よかった、生きてるんですね！」
その瞬間、リナの頭にいままで起こったことが滝のように流れ込んでくる。自分は、ゼロスを助けるために、あの鋭い棘を心臓に差し込んだのだ。それからの記憶は……無い。
「ゼロスさんがリナさんを抱いて私たちのもとに現れたときは、ホントにびっくりしましたよ。全く血の気もないし、呼吸もほとんどしてないし、このまま、死んじゃうんじゃ……ないかって……」
そこから先は声にならない。大きな瞳からぼろぼろと涙を流しながらリナのベッドにつっぷす。
「全く、無茶しやがる」
窓辺で、林檎を剥いていたのはゼルガディスだった。小さめに切った林檎を、リナに差し出す。
「ほら、少しでも食べろ。起きあがる必要はない」
フォークに刺された林檎を３、４個食べたところで、リナは急激なめまいに襲われて、再び意識を失った。でも、ゼルガディスもアメリアも、もうあまり心配はしなかった。その寝息が、とても安らかだったから。

次にリナが目を開けたとき、部屋の中は夕方の光で満たされていた。枕元では、剣を杖代わりに、ガウリイがうとうとと眠っている。が、リナが起きた気配を感じて、彼も目を覚ました。
「リナァ…おまえってホント無茶するのな」
「ガウリイ……」
「お前があの綺麗なおばさんについていったときは、生きた心地がしなかったぜ」
「き…綺麗なおばさんってねえ…」
「そしてお前が消えた場所でずっと待ってたら、全く無傷で服もそのままのゼロスが、裸のお前抱きかかえてるんだもんな。びっくりしたぜ」
「あっ！あたしの、あたしの服はどこ？」
リナは、今はさらさらと着心地のいいシルクのパジャマに身を包んでいる。
「おまえの服なら、ほら、あそこ」
壁についたハンガーに、マントからセーターまで、一式揃っている。
「ゼロスが、お前と一緒に持ってきた」
「誰！誰があたしを着替えさせたの」
「パジャマを買ってきたのはゼロスだけど」
「ええーーっ！？」
「着替えさせたのはアメリアだ」
ほっと胸をなで下ろす。
「おまえ、胸の下に深い傷がついてたらしいな。アメリアがとりあえずリカバリーかけたけど、まだまだ無理は禁物らしいぜ」
そして、こつんとリナの頭を叩く。
「いっつもいっつもお前は…俺たちを心配させるんだから。もう、こんなことはごめんだからな」
「ごめんね…」
「いいから、寝ろ。お前、ひどい貧血らしいからな。寝るのが何よりの薬だ」

再びリナが目を覚ますと、枕元のランプだけが灯りで、あたりは夜だった。そして、枕元には、ゼロスがいた。元のままのすがたで。いつもの笑みはいま、彼の顔にない。真剣な目をして、リナを見ている。
「貴女という人は…本当に」
「ゼロス、元気？」
「これ以上ないと思うほど、元気ですよ。貴女の血をもらったのだから」
「よかった。あんなに痛い思いをして、あんたが復活しないんじゃ、あたし、報われないもんね。でも、昼間はどこに行ってたの？ガウリイ達が替わりばんこに枕元にいてくれたけど、一番逢いたいあんたがいなかった」
「すみません。魔法薬を作ってくれるキラさんのところに行ってたんです。出来るだけ急いで作ってもらったんですが、こんな時間になってしまいました。」
「魔法薬？なんの？」
「血を増やす薬です。今のリナさんは、生きるのに必要な最小限度の血しか持ってないんです。この薬を飲めば、一週間くらいで元気になれるそうです」
「薬かあ……苦い？」
ゼロスは、懐から透明な小瓶に入った赤い液体の薬を取り出す。そして、ほんの少し指に取って、舐めてみる。
「うーん、残念ながら苦いですね」
「うー、苦いのやだ」
リナは布団を顔まで引っ張り上げる。
「じゃあ、こういうのはどうでしょう」
ゼロスは、小瓶の赤い薬を、すっと口に含んだ。
「ゼロス……」
そして、ゼロスはリナの唇に唇を重ねた。送り込まれてくる薬は確かに苦い。でも、それ以上に甘い感情が、リナを支配する。
「ふふ……ゼロス、もう一口、飲ませて」
「ダメですよ、この薬は効き目が強いから一日に一口だけです」
「じゃあ、今度は苦くないキスをしてよ」
「それなら、おやすいご用です」
そして、二人の唇が再び触れ合う。互いに、護りたかった人。その人は、今、側にいる。誰よりも側に……。
「おやすみなさい、リナさん。リナさんが眠るまで、ここにいますよ」
「夜中に、ふっと目を覚まして、一人だったら嫌だな」
「じゃあ、朝が来るまで、ここにいます。命の恩人のリナさんの言うことですからね」
「ばかね、あんたがあたしの命の恩人だったんじゃない」
「僕は、リナさんのためならいつでも滅ぶ覚悟は出来ていましたよ」
「これからは、それはダメ。あんたとあたし、二人とも生きる道を考えましょう？そうでないと、命が助かっても、あたし、不幸せになってしまうわ」
「ぼくも、ゼラス様の神殿で、血の気を失って倒れている貴女を見たときには、どうしようかと思いましたよ」
「あっ！そういえば、あんたあたしの裸を見たのね！」
「いや、そういうことを気にしている場合じゃありませんでしたし…」
「すけべ！このデバガメ神官！乙女の純潔を返せー！」
「そ…そんな、リナさんひどいです。ああ、枕を投げつけるような激しい運動は今のリナさんには無茶です〜」
どすんばたんと音の響く隣の部屋で、ゼルガディスとガウリイはため息をついた。
「あいつ、明日までには復活してんじゃないか？」
「そうなりかねんな」
リナが力つきて眠るまで、ゼロスはさんざんな目に遭わされたという。



タイトルは、島尾敏雄の同名の大好きな小説から取りました。
「少女革命ウテナ」にもこのサブタイトルの話があったけど、こっちも好きでした。と言うわけで、同じタイトルでこの駄文…すみませんっ！あと、ゼラス様の性格って分からないので、でっち上げてしまいました。ダルフィン様も。すみません。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。これを書いたころは、原作小説はほとんど読んでいなかったし、アニメも中途半端で…というわけで、ゼロスの強さを知らなかったんです。ゼロスにこんな致命傷与えられる敵って何者だ。獣神官より強いのか。お恥ずかしい次第ですが、まあ見逃して下さい……。