星座のお茶会



「小麦粉に……牛乳と泡立てた玉子とバニラエッセンスを加えて……粘りけのでないようにヘラでかき混ぜるっと」
少女は、台所を陣取って、作業に夢中になっていた。
「そしてそこに……グレイプシードとカルダモンシードを乳鉢ですりつぶしたものを混ぜる……呪文はっと……『汝の心を我が心に』」
「リナ、なにやってんの、珍しい。あんたが台所にはいるなんて、食料庫をあさるときだけだと思ってたんだけど」
少女はあわててボウルを背中に隠す。小麦粉がふわふわ舞い上がる。
「けほっ、けほっ……わああ、姉ちゃん、何でもない、何でもないよう！急に入ってこないでよ！夕食の支度までにはまだ時間があるじゃない」
「ふーん、それ、ケーキ作ってんの。いいわね、あたしも食べたいわ」
「こ……これは、その、お客様用なの。姉ちゃんにはまた別の日に作ってあげるから」
「ま、それでいいわ。ところで、かけはじめた呪文は最後まで連続で言わないと効力を発揮しないわよ。誰に食べさせるのか知らないけど」
「…………」
姉には、いつも、すべて見透かされている気がする。
リナは、気を取り直してもう一度、呪文を唱え始めた。
「汝の心を我が心に。汝の体を我が体に。常にそばに置かせしめよ」
粉にしたハーブを生地によく練り込み、紙のカップにそそぎ込んで温めておいたオーブンで焼き始める。
「さてっと、次はお茶か」
市場で仕入れてきたアールグレイに、シナモンリーフとアンジェリカルート、レモングラスをごく少量刻んで混ぜ込む。そして、姉にばれないように、小さな声で呪文を唱える。
「これを飲みし者の心を、与えし者のものに。決して裏切ること能わず」
ケーキが焼け始め、キッチンに甘い香りが漂う。
「リナァ、食欲をそそる匂いね。あんたが怪しい呪いを掛けてなければ２つ３つ欲しいところなんだけどね」
「怪しい呪いなんか掛けてないってば！」
「じゃあ、くれる？」
「う……こ、これはあくまでお客様用であって、その……」
「気の毒なお客様ねえ、呪いのケーキを食べさせられるなんて」
「だーかーらー、呪いじゃないってば。単なるおまじないよ」
「そうは見えなかったけどね」
姉は２階へあがっていった。リナは一息つく。全くもって姉ちゃんは油断ならない。
「ケーキ、そろそろ焼けたかな？」
ミトンをした手でそろそろと鉄板を引っぱり出す。香ばしい匂いがあたりに立ちこめる。カップケーキの頂点は、きつね色に染まっている。どうやら上手くいったようだ。リナは、カップケーキをさますと、一つ一つ紙ナプキンでくるんで、細いリボンをかけた。
「うん、上出来！」
まちがっても姉が食べてしまわないように戸棚の奥にケーキを隠すと、今度は裏庭にでて、長い間使っていない屋外用のテーブルと椅子を運び出した。濡れたタオルで、厚くつもった埃を拭う。一仕事終えてみると、真っ白な華奢なテーブルと、それに似合う葡萄の蔓をかたどった椅子が現れた。リナは額の汗を拭い、夕焼けの空を見上げる。彼女の瞳と同じ、真っ赤な空で、雲一つない。
「今夜の星空が楽しみね」
リナは疲れた腰をひねりながら家へ入っていった。

秋の宵、しっとりと夜露が降りる頃。リナは、裏庭の葡萄の蔓の模様の椅子に腰掛けて、お客様を待っていた。テーブルにひじをついて、あごをのせて。テーブルの上には、山盛りのカップケーキと冷たい水の入った水差しと、ティーポット。リナは、珍しく髪をポニーテールにして、白いリボンで結んでいる。ワンピースも同じ白。椅子の上に、裾がふわり、と拡がっている。

「お待たせしてしまいましたね、こんな素敵なレディを」
あいかわらず気配を感じさせない。青年の姿はそっとリナの向いの席に座った。月を背にして、彼の顔はよく見えない。でも、リナは言った。
「久しぶり、ゼロス。来てくれないかと思ってた」
「当たり前ですよ、普通あんな手紙届きませんよ。手紙に浮遊（レビテーション）かけて空へ飛ばすなんて。信じられない上空を手紙が舞っている、とゼラス様が僕に調査依頼を出してくれて良かったですよ。低級なモンスターの手に落ちて、僕の偽物になってあらふぁれふぁら……痛いですよリナさん、いきなりほっぺたを引っ張らないで下さいよ」
「ふむ、少なくともかぶり物ではない……と。さあてと、次は……エルメキア……」
「わーっ、本物です、本物ですから攻撃呪文は止めて下さい。とにかく、リナさんの招待状を出す方法はめちゃくちゃだってことです」
「だって、しょうがないじゃない。あんた、どこにいるかわかんないし」
「呼んで下さればいつでもどこでも駆けつけましたが？」
「どうだか」
闇の中で、リナの貌が紅く染まる。それはゼロスには見えただろうか。
「もし僕が来なかったらどうするつもりだったんですか？この山盛りのカップケーキ」
「全部食べる！そして寝る！」
「リナさんらしいですね」
ゼロスはくすくすと笑う。
「でも、せっかくあんたが来てくれたんだから」
リナはポニーテールを揺らして立ち上がる。
「お茶会を始めましょう」
「ファイアーボール」
小さな声で出したその火の玉を、水差しに放り込む。あっと言う間に冷たい水が沸騰する。
「お見事ですね」
「ふふ、まあね。この力加減を修得するのにいくつの水差しを犠牲にしてきたことか」
「それは……すごいですねえ」
冷や汗をかくゼロスも気にせずに、リナはポットに茶葉を入れる
。 「あたしのために一杯、あんたのために一杯、ポットのために一杯」
「いい匂いの茶葉ですね。どこで手に入れたんですか？」
「ごく普通のアールグレイよ。男がそんな細かいことにいちいち興味持たないの。せせこましいって、振られるわよ」
「そうですね、振られるのはいやです」
ゼロスは、ふとまじめな顔をして言った。その表情は、リナには見えなかったようだ。
水差しから熱いお湯をティーポットに注ぐ。ティーコージーをその上にすっぽりかぶせる。そして、小さな砂時計をポケットから取り出し、ひっくり返す。３分ぶんの粉がさらさらと流れ落ちる。
「リナさんお手製のケーキが食べたいんですけど」
「せっかちね。お茶が沸いてから、よ。それまで、星でも見ましょうか」
言われてゼロスは空を見上げる。確かに降るような星空だ。天の川もくっきりと夜空を横断している。見ていると吸い込まれそうな夜空を、彼らは無言で見つめていた。

さらさら……さら。
砂時計の最後の粉が流れ落ちると、お茶の時間だ。リナは立ち上がって、なめらかな仕草でゼロスのカップにお茶を注ぐ。そして自分の分。
「さ、召し上がれ」
「今日のリナさんは何だか綺麗ですね。もちろん、いつもも綺麗ですが」
「そんなことより、ケーキとお茶を味わってよ」
テーブルの上には、水を張った皿に浮かべた小さなキャンドル。二人の顔は見えるけれど、星空の美しさは邪魔しない。
「うん、美味しいですよ、このお茶。少しだけハーブの香りがしますね」
「そう？気のせいじゃない？」
「それにこのカップケーキも美味しいですね。ほっくりしていて、香ばしいです」
「良かった」
「リナさんは食べないんですか？」
「なんだか、この星空でお腹一杯……」
言われてゼロスはもう一度空を見上げる。
「ゼロス、何か星座、分かる？」
「秋の星座ですか……そうですね、あそこにペガサスの四辺形がありますね。それに繋がっているのがアンドロメダ座です。北の空を見ると、カシオペア座が見えます」
「えっ、どこどこ」
リナの顔がテーブル越しに寄せられる。そして
、 「これは、星を見るには邪魔ね」
と、良い匂いを立てていた水上の蝋燭を吹き消した。今夜は冴え冴えとした三日月だ。その月明かりと満天の星明かりが二人を照らしている。

「だから、あれがカシオペアで……どうかしましたか、リナさん
「ねえ、ゼロス、何か感じない？」
「敵の殺気ですか」
「ううん、そんなんじゃなくて、ロマンチックっていうか、乙女チック……これは違うか、そんな気持ち」
「リナさんとこうして星座のお茶会が出来るだけで充分ロマンチックですよ」
「うーんと、それを、もっとこう……強めたような」
「『汝の心を我が心に。汝の体を我が体に。常にそばに置かせしめよ』」
リナの顔が蒼白になる。
「『これを飲みし者の心を、与えし者のものに。決して裏切ること能わず』」
リナは気力が抜けたように椅子にふらりと座る。
恥ずかしかった。消えてしまいたかった。
「知ってたの……このケーキと紅茶に魔法が掛けられていること」
「ひとくち食べたときから分かりましたよ、リナさん。紅茶のほうもね」
「どうして、この呪文を知ってるの。これは、あたしが苦労して手に入れた魔法書に書いてあった呪文で……」
「手に入りにくかったのは、古い時代の書物だからでしょう。５００年から６００年前の魔法書ですね。でも、この本が売り出されたころ、僕はもう５００歳前後でしたから」
当年とって１０００歳を過ぎる神官はにっこりと微笑む。
「でも、あんたは、このケーキを食べたわ。このお茶を飲んだわ。本には相手が魔族でも効くって書いてあった。どうしてあんたには効かないの」
「効いて欲しかったんですか？」
ゼロスは、意地悪な瞳でそうかえす。リナは、目の縁に涙を浮かべている。
「そうよ。効いて欲しかった。だから、こんな古くさくて姑息な手を使ったんじゃないの。笑いたければ笑えば？あたしってば、大馬鹿なんだから。相手に呪文を見破られるなんて、魔導師失格ものね」
リナは、伏せた瞳からぽたぽた涙を落とした。
「リナさん、泣かないで……」
ゼロスは、リナの椅子の後ろに回ると、リナをマントごとすっぽり包み込んだ。体温こそないけれど、柔らかな布地で作られたマントは、それだけでもリナを温めてくれる。
「どうして、僕に、貴女の魔法が効かなかったと思いますか？」
「そんなの、わかんないわよ！どうせ魔法薬の調合を間違えたとか、ケーキを長時間焼きすぎたのか、そんなとこでしょ」
「全然違いますよ。ちなみに、貴女のお菓子とお茶の配合は完璧でしたよ。さすが魔法オタクのリナさんですね」
そして、ゼロスはそっと後ろからリナのうなじに向かってささやきかける。
「どうして魔法のケーキとお茶が効かなかったのか……それは、僕はもう、リナさんに恋をしているからですよ」
「えっ……」
「美味しいお茶とケーキをごちそうさまでした。今度は僕がごちそうしますよ」
そして、不意にふさがれる唇。刹那のキス。
「ゼロ……」
リナが触れそうになったその瞬間に、マントも、そして本人も、闇にかき消えた。
『リナさんに恋をしているからですよ』
あのいい加減な獣神官のいうことを真にうけていいものだろうか？でも、なんとなくその言葉は信じられる気がした。そして、あのくちづけも。
リナは、甘い思いをかみしめながら、テーブルの後かたづけを始めた。



この小説は、おそれ多くも「あずまんが大王」のＯＰ主題歌、「空耳ケーキ」をイメージして書いたものです。他の漫画やアニメを観ていても、「これはゼロリナだな…」と一人ほくそ笑んでる不気味な女です。とほほです。ちなみに、文中に登場するハーブは、語感の良い物を適当に使っただけですので、決してまねしないで下さい（そんな人いないか…）
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ずいぶん昔の作品で恥ずかしい小説第二弾。乙女チックな一品です。小学生の頃は、おまじないに凝ってたな、そういえば。