薔薇と十字架


「で、今夜のあたしの相手はあんたってわけ？」
娘は、粗末な衣服に身を包み、厨房の床に座っている。ランプに照らし出される真紅の瞳。熟れた果実のような唇。むき出しになっている、細い腕と白い太もも。ゼロスは、言葉をなくしていた。
「今日の相手は年寄りの修道僧って聞いてたけど、話が違うじゃない。たまには、こんな若くてハンサムな修道僧の相手もいいかもね」
娘は微笑む。ゼロスは、娘の顔から目が離せない。薔薇のようだ、とゼロスは思った。天の配剤が、このような美を作り上げたのだ。
「こないの？」
「あ、あの、話がよく分からないんですが。僕は、夜中に急に喉が乾いたので、厨房になら水があるだろうと思って……」
「なあんだ」
娘は、くっくっと喉で笑った。
「見ない顔ね」
「僕は、師（マスター）ゼラス様の導かれるままに、旅を続けている修道僧です。これから一週間ほど、こちらの修道院に身を置くものです」
「じゃあ、ここのしきたりも知らないって訳ね」
「しきたり？」
「あたしは、この修道院の周りの寒村の娘よ。それで、ここでお坊さん達の相手をすれば、わずかだけど食べ物が手に入る。そういうしきたりよ。村で一番美しい娘が、その役を仰せつかるの」
「まさか。この修道院は神様の住まいです。そのような行為が許されるものでしょうか」
「許すも許さないも、現実にあたしは、ここの修道院長とも、副院長とも、この厨房で交わったわ。ふたりとも大したことない男だったけど」
娘はつまらなそうに言う。その時、ドアがカタンと鳴った。ガラス戸越しに、逃げるように去っていく修道僧の姿があった。
「あーあ。今夜のお客様、あんたを見て、怖がって帰っていっちゃった。これであたしは今日も食べ物を村の連中に持って帰れなくなったな。また、若い男連中から殴られるわね」
ランプの明かりをかざすと、たしかに娘の美しい顔には、青黒く痣が残っていた。
「あなたは神に祝福された人です……そんなに美しいのだから。どうか、修道院をおとしめるようなこんなことは止めて下さい」
「あたしの美しさが神の祝福ですって？」
娘は、はん、と鼻で笑う。
「そうよ。あたしは美しいわ。だから、皆の生け贄として、この腐りきった修道院に身を任せることになったのよ」
「あなたは何歳なんですか」
「１５よ」
「そんな若さで、こんな汚れた生活を……」
「で、あんたは、やるの、やらないの？あたしとしては、あんたとやって、あんたの明日の分のパンが貰えれば言うことないんだけど」
「パンは、差し上げます。今日はこのまま帰って下さい」
ふふん、と再び娘は鼻で笑った。
「それで、少しでもこの修道院を神様の元へ近づけたつもり？ここはね、とっくの昔に駄目になってるのよ。あたしみたいな村娘、旅の修道尼、そしてあんたみたいな若くて綺麗な男。みんな、ここを牛耳ってるろくでもない奴らの欲望のはけ口よ。あんたの師に言ってあげて。『僕はもうここにいることはできません、いますぐ旅立ちましょう』ってね」
「そうはいきません。師はここで大切な会談をもたれるのです」
「あのデブジジイの院長と……？やってられないわね」
娘は、棚から迷わずに一個パンを取った。
「明日の朝、夜中に目が覚めてひもじかったので食べました、って言うのよ」
そう言って娘は、粗末なスカートの裾をさっと翻して立ち上がった。
「僕は、ゼロス、といいます。あなたの名前を教えて下さい」
「ゼロス……不思議な響きの名前ね。あたしはリナよ。その気があったら、また午前０時にここで逢いましょう」


ゼロスは、宿房へ戻った。あんなに美しく、生命力に溢れた娘を見たのは、生まれて初めてだった。藁布団の中で動悸を抑えていると、ゼラスから声がかかった。
「何処へ行っていた」
「厨房へ。水を飲みに行って来ました」
「そうか……ならよい」
瞼を閉じると一層、あの娘の燃えるような紅い瞳が浮かび上がってきて眠れなかった。娘は魔女なのかも知れない、とゼロスは思う。悪魔の世界からやってきて、修道僧たちを誘惑するのだ。だとしても、ゼロスにはあの娘が悪の存在であるとは到底思えなかった。


修道院の朝は早い。４時には、最初のミサが始まる。よく眠れなかったゼロスは、半分魂を眠りの世界に彷徨わせていた。その世界では、男は彼しかおらず、女はあの娘だけだった。二人は、見つめ合い、抱きあい、そして口づけを───
「ゼロス」
ゼラスが彼をつついて起こしてくれた。ゼロスは、夢の内容を思い出して赤面した。


修道士と言ってもまだ成り立てで日の浅いゼロスには、厳しい教会の戒律は堪えた。昼の食事は、薄いスープのみだった。物足りなさそうにスプーンをかき回していると、隣の修道士から耳打ちされた。
「夜はもっといいもんが食えるぜ」
ゼロスは、その粗野な言葉遣いになじめず、ただ黙って下を向いた。


隣の修道士が言ったとおり、夕食は朝・昼と比べると、かなり豪華だった。ポタージュスープに、ソーセージ、トリのパイ包み焼き。皆食事中は無言で、がつがつ食べた。ゼロスは、できるだけ自分の行動が卑しくならないように、食事を進めた。そして、ナプキンを取り出すと、そっと何本かのソーセージを取り、懐に隠した。


「ふーん……ソーセージ６本か。悪くないわね」
午前０時。修道院は静まり返っている。
「で、これであたしを誘惑に来たの？」
「昨日もいったはずです。僕は卑しい衝動に身を任せたりしない」
「でも、あたしはあんたを気に入っちゃったわ。綺麗で、若くて、純粋で。あたしたちがとうに捨ててしまった心を、あんたは持ってる」
「リナさん……！」
「『さん』付けで呼ばれるのって何年ぶりかしらね」
リナは、まっすぐゼロスに歩み寄ってきた。折れそうなほど華奢な身体。全てを飲み込む真紅の瞳。娘は、指を伸ばして、ゼロスの、肩で切りそろえられた髪をさわる。ゼロスは、魅入られた様に、動けなかった。唇が、そっと唇に触れた。
「ふふ……これであんたも、この修道院のお仲間、と言う訳よ。じゃあ、そろそろ行って。『正規』のお客様が来る頃だから」
ゼロスは、すっかりうろたえていた。娘の唇は、あまりにも柔らかく、甘かった。初秋の涼風の吹く中、ゼロスは宿坊に帰り、夕べよりもさらに激しい葛藤にみまわれた。あの娘は、悪魔なのか？それとも、自分を試すために遣わされた天使なのか？ソシテ、イマ　ダレニ　ダカレテイルノダロウ？


「あなたは魔女なんですか」
「ずいぶん単刀直入に聞くわね。今時、魔女なんて言ったら、即刻火炙りの刑になるわよ。そんなこと、答えられるわけないじゃない」
娘は、しばらく黙っていたが、
「灯を（ライティング）」
と唱えた。蒼白い光が娘の指先から生まれ、厨房の中を一瞬照らし出した。
「それは……神によって禁じられた魔法の一つ……」
「あたしは、それが使えるの。魔法が使える。そして、修道院を腐敗させている。火炙りの刑には充分すぎるほどじゃなくて？それに、あたしドラグ・スレイブも使えるのよ。村の裏山が火事になったとき、あたしはその呪文で燃えてる部分を吹っ飛ばして鎮火させたわ。あたしが１３のときね。その時は、ドラグ・スレイブがなければ山どころか村や修道院まで焼けてしまいかねなかったから、おとがめ無しだったわ───と言うより、無視されたのかな。山火事は、偶然起きた土砂崩れによって鎮火された───と記録にあるわ」
「竜破斬───ドラグ・スレイブを使うには、あまりに多くの魔法のキャパシティが必要です。あれは、人の力を越えたもの……」
「だから、あたしは魔女なのよ」
リナは、真紅の瞳をまっすぐにこちらへ向けて言った。
「通報するなら通報しなさい。あたしを殺したいと思うのなら」
「リナさん……逆です。僕は、貴女と共に生きたいと思うんです。あなたの周りには生命力が溢れている。生きよう生きようとしている。そんな貴女が、殺されていいはずがないし、ましてやこんな爛れた生活をしていていいわけもない。リナさん、僕は師に頼みます。貴女をつれてこの村を出ることを」
「ばかばかしい」
娘は笑った。
「何処の国の出来た修道僧さまが、あたしみたいなちっぽけな女を連れていってくれるっていうのよ。夢を見るのもいい加減にして。あたしは、ここでこうしているのが似合いの娘なのよ。まったく、あんたと話してると調子狂っちゃうわ」


次の日も、０時にゼロスはリナに逢いにいった。子羊のロースト肉を抱えて。
「あんた、いつまでここにいられるの？」
「今日が、到着してから４日目だから、あと３日ですね」
「あたしが、今何を考えてるか分かる？」
「何ですか」
「あたし、あんたを抱きたい。今まで、あたしをリナとして見てくれたのは、ゼロス、あんたが初めてよ。あんたは、貧しい村娘でもなく、いかがわしい魔女でもなく、ただのリナとしてあたしを見てくれた。あたし、こういう生活をしていて言うのもなんだけど、あんなことをするのは嫌いなの。時々、自分が汚らわしくて死にたくなるわ。そのたびに唱えるの。おまえには、自分で死ぬ価値もないってね」
「リナさん……一晩、考えさせて下さい。」
「どうして！今、あたしは、あんたが欲しいのよ。そして、今夜も、ベーコンひとかたまりのために、嫌らしい修道僧たちに肉体を与えなくちゃならないんだわ。お願い。抱かせて。あんたを抱けたら、あたし、いつでもボロ切れのように死ねる覚悟が出来る気がするの」
「リナさん……僕は貴女を連れてこの村を出ます。そして、貴女を僕の故郷に連れていきます。そして、還俗して、貴女を僕の妻にします。僕の実家はささやかな資産がありますから、二人で充分暮らしていけます」
「どうして、そんなお坊っちゃんが、僧侶の道なんかを選んだのかしら？」
「僕の田舎では、親類に一人教会との関係者がいることが望ましいとされていたんです。でも、同じくらいの若者の親戚なんて、大勢います。無理に僕が僧侶にならなくてもかまいません」
「あんたの青臭い、甘い話はいいわね。一瞬、夢をみたくなっちゃう。にぎやかな街、あちこちの日溜まり、あたしとあんたの可愛い子供……夢物語ね。それより、今、あたしを抱くの？抱かないの？」
「本当に、リナさん、一晩考えさせて下さい。今の僕は性のことをどう扱ったらいいのか、見当もつかないんです。」
「まさか、あんたの師に相談するんじゃないでしょうね。それから、ここの修道院の懺悔室に行っても無駄よ。中にいるのは、あのヒキガエルみたいな副院長なんだから」
「リナさん……」
「わかったわ。今まで、十年以上もこんな時を待ってきたんだもの。一晩くらい、耐えられるわ。あんたの青臭い幸せ話にのってあげる。さ、今日はもうこのくらいにして。『正規』のお客様がいらっしゃる頃だわ」


ゼロスが宿坊に帰りかけていると、厨房から凄まじい音が鳴り響いた。鍋や釜が床に飛び散り、皿が割れる音だ。ゼロスは大急ぎで今来た方向に向かった。あちこちの宿坊でもランプの明かりが点り、皆が厨房の方へと向かっていた。
ゼロスは厨房に飛び込んだ。半裸のリナは、顔を青ざめさせている。今夜の『正規』の客だったらしい太った男は、一頭の、大きな黒い犬を連れていた。リナが叫んだ。
「この男は、あたしと犬を交わらせようとしたのよ！それで、抵抗したら犬が暴れ回ってこの騒ぎよ。あたし、何にもしていないわ！」
「この女の言うことは嘘っぱちだ！この女が自ら犬と交わろうとしたから、偶然通りかかった俺が間に入ったんだ。この女は魔女だ！」
ゼロスには、もちろんリナの言うことが正しいのだと分かった。進み出て証言しようとしたが、ゼラスに肩を抑えて止められた。
「お前まで、堕落者の烙印を押されてしまうぞ」
でっぷりと太った僧院長が言う。
「ふん。この女は、厨房で何をしていたのかな。食物を盗んでいたのか、それとももっと汚らわしい……どちらにせよ、この女を拷問にかけて、真実を吐かせなければならないな」
「拷問の必要なんてないわ」
リナは薄い胸を晒し、長い栗色の髪をなびかせて言った。
「あたしは、この２年間、毎夜ここの厨房に忍び込み、この修道院のあらゆる者と関係を持ちました。わずかばかりの食料と引き替えにね。あたしは、この修道院を堕落させた魔女です。さあ、自白したわ。火炙りにでも何にでも、お好きにどうぞ」
「リナさん……っ」
リナは、ゼロスを見て、悲しげに微笑んだ。そして、唇だけでこう伝えた。
「ニ・ゲ・テ」


次の朝には、火炙り台もできていた。根本には藁がおかれ、やがて引き立てられてきた娘が、棒に縛り付けられた。
ゼラスとゼロスは、すでに帰り支度を整えていた。ゼロスは抵抗したが、ゼラスの言葉に沈黙せざるをえなかった。
「お前は、あの娘の最後の忠告を無駄にする気か？」

ゼラスとゼロスは、用意されていた馬に乗って、村を離れた。畑に作物もほとんどなく、家畜小屋はからっぽの、寒々しい村だった。

火炙り台に薪が供えられた。火種が、藁に放り込まれた。
「最後に言いたいことはあるか」
「…………」
「よく聞こえんぞ」
「……よりも赤きもの」
「な、なにっ……！」
「時の流れに埋もれし　偉大なる汝の名において
　我ここに闇に誓わん　我等が前に立ち塞がりし
　すべての愚かなるものに　我と汝が力もて
　等しく滅びを与えんことを！ドラグ・スレイブ！！」

轟音が、ゼロス達の背後で巻き起こった。修道院の一番高い建物だった大聖堂が、崩れ落ちていくのが見える。
「師よ。やはり彼女は魔女だったのでしょうか？」
「あるいは、そうだったかもしれん。しかし、魔女が常に邪悪な者とは限らないのだ」
ゼロスは、師にも言えずに後悔していることがあった。あの時、誘われるままに彼女を抱いていれば、犬を連れた男は退散しただろう。だとすれば、あの時、「一晩だけ」と期限を切った迷いが、彼女を滅ぼしたのではないだろうか？そして、あの時彼女を抱いてさえいれば、彼女を自由な世界へと導いてやれたのではなかったか？
「リナさん」
師に聞こえないように、ゼロスはつぶやく。この世でたった一人の地上の恋人。

「僕は、貴女を、愛していました」




これは、最近読んだ「薔薇の名前」というウンベルト・エーコ作のミステリーにヒントを得ています。というか、ほとんどダブルパロディです。私の小説では、リナちゃんが酷い目に逢うことが多いのですが、また死なせてしまいました。ワンパターンですね。すみませんm(_ _)mあ、それと、この小説のなかではゼラス様は男です。「薔薇の名前」はもの凄く面白いミステリーなので、本屋さんで見かけたら、ぜひ、手に取ってみて下さいね。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「薔薇の名前」は、映画も見たのですが、やっぱり本が最高です……。