PIERCING〜ピアッシング〜



「ふうん、なかなか可愛い女の子ですね」
「あ……」
光を遮られて少女が見上げると、全身を黒いマントに包んだ青年が、窓枠に座り、笑顔を浮かべて彼女を見下ろしていた。
「それは、貴女のお母さまのアクセサリーじゃないんですか？」
少女は、決まり悪そうに、天鵞絨の匣を背中の方へ押しやる。
「指輪なんて、まだ貴女の指にはぶかぶかですね。ペンダントも、長すぎて貴女の小さな身体には似合わないでしょう」
「いいの！　遊んでるだけなんだから。大きくなったら、きっとどれもあたしに似合うわ」
「そうでしょうね。今の貴女はとても可愛らしくて、その深紅の瞳と、髪につけているリボンだけで充分です」
少女は、侵入者に向き合う。
「誰なの？　父さんの友だち？　名前は何て言うの？」
青年は、手袋をした人差し指を振る。
「秘密です」
窓枠から部屋の中へふわりと降り立ち、少女の額にそっと触れる。
「なるほど、この能力閾値（キャパシティ）……獣王様が警戒なさるはずです。今ここで殺してしまいましょうか？」
「あたしを、殺すの？　じゃあ、あなたは、悪い人？」
くすくす、と青年は笑う。
「悪い人、と言われると、ちょっと悲しいですね。こんなに可愛い人に。殺しませんよ。───そうですね、あなたの望みを一つ叶えてあげます。そうすれば、僕はいい人、ですか？」
本当は、悪いひと、と思われていた方が心地よい。警戒、威嚇、怒り───それらは全て魔族にとっては栄養源なのだから。でも。

───この少女に、悪く思われたくない───

それは、千年の時を生きて、初めて感じた思い。
「望みを───言って下さい」
「あたし、これがつけたい」
少女が掌に載せているのは、黄色いガラス玉の───ピアス。
「だめですよ。これを付けるためには、耳たぶに小さな穴が開いていなくては。あなたのお母さまも、そうでしょう？」
「ええ。そして、あたしも穴を開けたいって言ったら、大人になるまでダメって言われた」
「開けて差し上げましょうか？」
「えっ、いいの？　でも、痛くない？」
「その痛みをこらえられない子供には、過ぎたアクセサリーです」
「あたし、子供じゃないもの。開けて。痛いのくらい、我慢する」
「勇気のある子は、好きですよ」
本当に。りんと響くその甘い声。
「痛くなくしてあげます」
「どうやって開けるの？　やっぱ、針？」
「針……のようなものですね」
青年は、掌の中に自分の分身を創り出す。黒く、細い、錐。
「こちらへ。僕の膝に乗って」
少女は柔らかな紅茶色の髪を揺らして青年の膝へよじ登る。
「まず、冷やして感覚を鈍くします」
青年は手袋を取る。少女の耳たぶを指で挟む。
「お兄ちゃん、指、氷みたい。冷たい……じんじんする」
「それじゃ、穴を開けますからね。今から痛いと言ってもだめですよ」
「言わないわ」
青年は、細長い錐を、柔らかく未成熟な耳たぶに通した。冷やしているといっても、痛みと衝撃はある。それを、魔族は心地よく味わう。
「もう開けたの？」
「ええ、開けました」
「血、出てない？」
「少し出てますよ。怖いですか？」
大丈夫、と少女は言って、もう片耳を青年に向けた。耳たぶを指で挟んで冷やす。
「もういい。開けて」
「お言葉のままに」
青年は、少女の耳たぶの真ん中に錐を通す。怯え。僅かな痛み。疼き。それらは、すべて青年にとって甘露だった。
「これで？　これでこの黄色い飾りが出来るの？」
「まだですよ。最初は軽い、純粋な金の耳飾りから入って、慣らすものです」
「ふうん。すぐに出来ないんじゃ、つまんないなあ……」
「金の耳飾り、プレゼントしますから」
「持ってるの？」
「ちょっと、待っていて下さい。買ってきます」
そして、青年は空気の中に溶けた。
「わあ……」
少女は、青年の消えた空間を手で探る。
「まぞく、だったんだ」

「ただいま。金の耳飾りを買ってきましたよ」
「お帰りなさい、魔族さん」
「───どうして、それを」
「ずっと前に読んだ本に書いてあったわ。魔族は、空間を渡る力があるって」
「本、ですか」
魔族の存在について記述した本は少ない。それを、ずっと前に読んだという。まだあどけない、この娘が。
（本当に、今、殺してしまったほうがいいのかも知れませんね）
それでも。
「さあ、この細い金の飾りなら、さっき開けた穴を楽に通るはずです」
少女は、耳飾りを受け取って、そっと穴に通した。
「痛いですか？」
「少しだけ。でも、平気。ありがとう、魔族さん」
「これで、あなたの願いを叶えてあげました。僕のことをいい魔族、だと思ってくれますか？」
「いい魔族なんているのかしら。でも、あなたのこと、忘れないわ」
「僕も、貴女に忘れて欲しくないんですが───それではちょっと困るんです」
「え？」
「僕のことを忘れてもらいます。心配しないで。いつかきっと、また会えるでしょう」
「絶対？」
「絶対」
「魔族は嘘を言わないって、あの本には書いてあったわ。だから、信じる」
青年は、にっこり微笑んだ。
「僕は、嬉しいですよ。貴女をピアッシング（貫き通）した最初の存在になれて」
「今は、さよなら。魔族さん」
「それじゃあ……」
魔族は、すいと顔を顔に寄せた。少女に口づける。そのまま宙に溶けた。

「あれ、あたし、なんで耳飾りなんて……痛い。じんじんする」
小さな花をかたどった、細い金の耳飾りは、僅かな血をまとって、少女の耳に確かな存在を伝えていた。

「リナ、ここにいたの。母さんが探して……リナ！　魔族の気配がするわ。誰か来なかった？　あんたに何かしなかった？」
「分からないの。ただ、耳飾りが───」
少女の姉にははっきりとわかった。その耳飾りを───その細い傷を、妹に刻みつけていったのは何者かが。
「獣神官（プリースト）ゼロス───何のつもりで、リナにこんな真似を。リナ、痛くない？」
「痛いけど……我慢する」
「リナ！」
「これを我慢していれば、母さんの黄色いガラスの耳飾り、いつか付けられるんでしょう？」
「……」
「あたし、我慢するから。大人になるために」
「ごめんね、リナ」
「姉ちゃん？　どうしてあやまるの」
「守ってあげられなくて、ごめんなさい。まだあんたはこんなに小さいのに」
「あたし、誰からも、何もされてないよ、姉ちゃん……」
少女の姉は、何も分からない小さな妹を、ぎゅっと抱きしめた。


街道を歩く一行。
「そーいえば、リナさんってピアスですよね」
「ああ、そうね、アメリア。ずっとこの黄色いガラスのピアスだわ」
「初めてピアスの穴を開ける時って怖くありませんでしたか？」
「それがね、覚えてないの」
「えっ？」
「あれは何歳くらいの時だったかな。子供の頃よ。気がついたら、耳に小さな金のピアスがついていたの。不思議だったなあ。今してる、このピアスは『旅立ちの記念』とか言って母さんから無理矢理もらってきたの」
「ピアス、あたしも開けてみようかな」
「あーだめだめ、アメリアには似合わないわよ。それに、巫女たるもの、身体に傷をつけるなんてもってのほかじゃないの？」
「女の子同士で、楽しそうですね。何のお話ですか？」
「ピアスの話よ」
「ああ、リナさんはいつもそのピアスですね。とても似合っていますよ」
獣神官ゼロスは、全ての秘密を飲み込んで、にっこりと微笑んだ。




リナちゃんのいつもしている耳飾りはピアスなのか？　イヤリングなのか？検索してみても、「えんさいくろぺでぃあ・スレイヤーズ」を読んでも、どうにも分からないので、ピアス、と仮定してこの話を書いてみました。ちなみに私はピアス穴は開けていません。
ピアスの壁紙を探すのに苦労してしまいました。ありそでなさそな素材。AQUA0720様に感謝です☆