熱砂の薔薇[8]







 医者が二人のもとへ帰ってくる。
『先生! ガウリイは? ガウリイはどうなんですか!?』
『すこし脱水症状を起こしていますが、大丈夫です。内臓にも骨にも異常はありません。今日は点滴しますので入院してもらいますが、状態によっては明日退院することも可能です』
『先生、ありがとうございました』
『僕からも、お礼を言います』
『王よ。あなたからお礼など、却って恐縮するというものです』
 医者は一礼して、去っていった。
「ねえゼロス、今晩はガウリイについてちゃ駄目?」
「ガウリイさんに、ですか……。貴女は僕の後宮の女です。他の男と共に一夜を過ごさせるわけにはいきません」
 リナの涙に濡れた瞳が、さらに潤む。
「……と言いたいところですが、ガウリイさんが貴女の大切な友だちというのなら、仕方ありませんね。今晩だけですよ」
「ありがとう、ゼロス!」
リナは、ゼロスの首に飛びついた。
「ゼロスは、優しいね。そういうところ、大好きよ」
 首から手を放すと、リナは精霊のように身軽に、病院の奥へと去っていった。ゼロスは、一人で車に乗り込んだ。夜道を駆ける。
(ありがとう)
(優しいね)
(大好きよ)
 リナの言葉が、幻のように耳の奥へ響いた。
『そういう言葉を、僕は自分の力では言わせることが出来ないんですね』
 あの礼拝堂の中でのリナの甘いキス。
『僕は、リナさんに僕自身を好きになって欲しいのに』
権力を使って、リナをこの国に閉じ込めた自分と、危険を省みずリナを助けに来た金髪の男───ガウリイ。
(どちらが悪役か、決まったようなものじゃないですか)
口元に皮肉な笑みを浮かべて、ゼロスは夜に紛れていった。

次の日、ガウリイはリナを伴って王宮まで連れてこられた。
「ガウリイさん、体の具合はどうですか」
「ああ、もうすっかり大丈夫です。親切にしていただいて、ありがとうございました。……ゼフィーリア語、喋れるんですね」
「ええ、リナさんともずっとゼフィーリア語で喋っていましたよ」
 ガウリイは怪訝な顔をした。
「リナと……ずっと?」
「リナさんも、昨日のあなたのように、流砂に巻き込まれてこちらの国へ。ですから、僕がずっとリナさんの面倒を見てたんです」
「リナ、そうなのか」
 リナはつぶやく。
「まあ、大筋では間違ってないけど。でもひどいごまかし方もあったもんだわ」
「……何を、ごまかしてるんですか」
「リナさんは、僕の後宮に入っていただきました。足首の鈴がその証です」
「後宮……」
「ガウリイ」
「コウキュウ……って何だ?」
 リナもゼロスもがっくりと肩を落とす。
「後宮とは、僕の愛する女性たちのすむ宮殿です。リナさんは、僕の一番の寵妃。そして、やがては僕の妻となる方です」
「妻だと? リナ、本当にそんなこと承知したのか」
「あ、あたしは……」
「第一、なんで生きてるなら生きてるってゼフィーリアに連絡しなかった。お前の家族も、大学の連中も、皆お前が死んだとばかり思ってた。俺だけは、お前が死んだなんて信じなかったけどな。ゼフィーリアに連絡しなかったのは、こいつのせいか」
「確かに、僕のせいですね。僕が彼女に連絡させなかったんです。リナさんが故郷へ帰ってしまっては困りますから」
「何だと……! リナは、俺の……」
「恋人だ、とおっしゃりたいんですか? 勝手なことを。昨夜リナさんから聞きました。あなたは親しい友人ではあるが、恋人ではないと」
「勝手なことを言っているのはどっちだ! リナ、この王様とやらは、まだお前の恋人じゃないんだな」
「ええ……でも」
「なら話は早い。俺と一緒にゼフィーリアへ帰るんだ」
 ゼロスは動じずに微笑んだ。
「その足首の鈴、外せる鍵を持っているのは僕だけですよ」
 ガウリイは叫ぶ。
「その鍵をよこせ! リナはお前なんかに渡さない!」
「ほう……二人の男に一人の女。こういうとき、この国ではどうするか、ご存じですか?」
「知るか」
「決闘です。ガウリイさん、受けていただけますね?」
「望むところだ」
 リナが青ざめる。
「やめて……ゼロスも、ガウリイも、傷つかないで」
「方法は!」
「剣で一対一。あなたは剣はお使いになれますか?」
「ガキの頃から鍛えてる。お前みたいな、ひ弱な奴には負けない」
「ひ弱かどうかは、戦ってから判断していただきたいですね」
 側に控えていたジナティが立ち上がった。その腕はぶるぶる震えている。
『王よ、何という軽はずみなことを! このような異国の者を相手に、こんな下賤な女のために!』
『ジナティさん、取り消していただきましょうか。リナさんは下賤な女などではありません。それに、彼───ガウリイさんも、リナさんを愛している。ならば、僕は正々堂々とリナさんを勝ち取ります』
「……」
 ジナティは額を押さえて席に着いた。
「お前にリナは渡さない。表へ出ろ!」
「中庭に続く回廊で、決闘を行います。フェンシングのピストに慣れたあなたには、その方がやりやすいでしょう?」


 冷たい風が二人の男の間を吹き抜ける。ゼロスはシャムシールを、ガウリイはレイピアを構える。
「わざわざレイピアを探してもらって、悪かったな」
「決闘は出来るだけ公正に行いたいですからね」
 リナは、白い顔のまま、廊下の外に立っている。後ろから、フィリアがリナの身体を支えている。
「……絶対に、殺し合ったりしないでね。お願いよ」
「分かった」
「分かりました」
 二人の男はリナを見つめ、そして互いににらみ合った。

 激しく剣がぶつかり合い、火花を散らす。二人の剣の腕は、互角といってよかった。
「やるな」
「あなたこそ」
「だが、リナは渡さない!」
 ガウリイは、一歩足を踏み込む。鋭い一突き。それをかわしたゼロスがシャムシールをひらめかせる。ガウリイの金髪が、僅かに切れて青空にきらめく。
『……されない、……ことは』
 ジナティのつぶやきを耳にした者は誰もいなかった。ゼロスの剣戟を、ガウリイがかわす。
『許されない! 誇り高きメタリオム・アラブ王国の王が、こんな女のために命を賭けるなど!!』
 喉を絞るような叫びに、ゼロスとガウリイは、一瞬剣を止めた。ジナティは懐から拳銃を取り出す。
『死ぬがいい、赤き瞳の魔獣!』
 アラビア語を解さないガウリイは、一瞬反応が遅れた。リナの前に向かうゼロスの肩に、深く剣先が刺さる。
「何を……」
 ゼロスは、肩の痛みにも気づかないまま、リナの前に飛び込んだ。弾丸が発射される。
『うあああっ』
 澄んだ初冬の空に上がったのは……ゼロスの声だった。
『王よ!』
『誰か、医師を呼べ!』
 中庭は、つめかけていた城内の者たちで騒ぎかえった。
「ゼロス! ゼロス!!」
 リナがそばに寄ろうとするのを、医師が制した。
『大丈夫です。重い傷を負っておられるが、お命に別状はありません、リナ殿』
その時、中庭のもう片隅で、騒ぎが起こった。
『なんだ? 何の騒ぎだ』
 ジナティは、自分の銃で、自害していた。


 肩と胸に白い包帯を巻かれ、ベッドに横たわったゼロスの側から、リナは離れなかった。
「リナ」
「ガウリイ……まだ寝てなかったの」
「それはこっちの科白だ。晩飯、喰ってなかっただろ。持ってきてやったぞ」
「いらない。後で食べる」
「そんなこと言って、昼飯も食わなかったじゃないか」
「おなか、空かないの」
 ガウリイは、ため息をついて、食事の乗ったトレイをベッドの脇に置いた。
「好きなのか、そいつのこと」
「……たぶん。分かってるの、ガウリイにひどいこと言ってるって。でも、ゼロスはあたしをかばってくれた。一国の王、という立場でありながら」
 リナの瞳に涙が溢れていた。
「ガウリイだって、命がけであたしを助けに来てくれた。こんな遠い国まで。だから、応えてあげたい。でも……」
「もういいよ」
 優しい、ガウリイの声が上から降ってきた。
「俺は、こいつを傷つけた。負い目がある。それに、誰を好きになるか、誰を愛するかは、いつだって自由だ。無理強いはしない」
「ありがとう」
「あの時、俺がリナと一緒に発掘に行ってたらな」
 リナは濡れた瞳をあげた。
「そしたら、こんな現在(いま)も無かったかもしれないのにな」
「ガウリイ、あたしが発掘した石壁、持って帰って。大学のみんなに、そしてあたしの家族に、伝えて。あたしは元気でいるって。いつかゼロスが許してくれたら帰るって」
「……その石壁、この国のものじゃないのか?」
「きっと、ゼロスはそうすることをとがめないと思う」
「分かった。伝えるよ」

 ガウリイは、国境まで、丁重に送られた。一緒に車に乗り込んだ、顔にヴェールをまといつかせたリナは、車を降りると少しだけヴェールを下げ、ガウリイの頬にキスをした。
「元気でね」
「お前こそな……幸せになれ」
ガウリイは、石壁の欠片の入った重い荷物を背負い、国境を越えた。
『リナ様』
『ええ』
 ジープに乗るリナを、付き添いの者たちが支えた。彼らの中で、彼女は既に王妃だった。

 ジープは、病院に横付けにされた。ゼロスが、王族専用病棟の奥で、静かにリナを待っていた。
「リナさん、彼は……帰ったのですね?」
「ええ。ありがとう、ゼロス。ガウリイを、あの欠片と共に国外へ出ることを許してくれて」
「貴女は、彼と一緒に行きたくなかったんですか?」
「えっ?」
 リナは目を丸くする。
「僕は覚悟していました。貴女が彼と共に国境を越えることを。そんな気持ちで送り出したんです。でも、貴女はこうして帰ってきてくれた」
「当たり前でしょ」
 そして、今まで一度も使わなかったアラビア語で伝える。
『あたしはあんたを愛してる』
『僕も貴女を愛しています』
 幸せな微笑みが、彼らの口元に舞い降り、そして唇が重なった。


『あーもう! お腹空いた! 苛々する〜』
 頬をぎゅう、とつねられ、ゼロスは困ったような嬉しいような微笑みを浮かべる。
『断食月(ラマダーン)なんて、ひどい習慣よね。ああ、早く陽が落ちないかしら』
『夜にさえなれば、いくらでも食べられますから。もう少しの我慢ですよ。それに……』
ゼロスはにっこりと笑った。
『断食月が明けたら、僕たちの婚礼です。いっぱいごちそうもお出ししますから』
『それまでに、お腹が空いて死んじゃうわよ!』
 リナは、足をばたつかせた。その幼い仕草はゼロスを魅了する。今では愛しいしるしとなった鈴のアンクレットが、涼やかな音を立てた。


 それから百年が過ぎた。ゼフィーリアからやってきた、修学旅行のうるさい生徒たちに辟易しながら、メタリオム・アラブ観光の女性ガイドは、美しい、半透明の深紅の石を磨き上げて造られた霊廟を指した。
「こちらの霊廟には、前王ゼロス=メタリオム殿下と、あなたたちもよくご存じの、ゼフィーリア出身の王妃・リナ妃殿下が眠っていらっしゃいます。砂地に映えるこの紅い霊廟は、リナ妃殿下の愛称と同じく、『熱砂の薔薇』と呼ばれています……」








というわけで、私の書いた「熱砂の薔薇」は、これでおしまいです。ガウリイはまたまた気の毒な役割をふってしまい、申しわけありません。オリキャラですが、ジナティさんも気の毒しました。まあ彼の場合は自滅に近いのですが。それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。

霊廟のイメージは、云うまでも無く「タージ・マハル」です。あれを薔薇色がかった石で作ったと思ってください。それでは、お付き合いいただいてありがとうございました。来年もよろしくです。(04.12.26)