黒衣の花嫁


「地面の中から、根こそぎ塔を構成するブロックが粉々にされている……以上が、第三尖塔の被害状況です。第一尖塔、第二尖塔と同じです。このままでは、このセイルーンを守る魔法陣は効果を発揮できなくなります。いかがなされますか、アメリア王女」
「ゼルガディスさん」
「何でしょう」
「その敬語やめてください！それから私のことをアメリア王女って呼ぶのも！昔みたいにアメリア、でいいです！いくらなんでもゼルガディスさん変わり過ぎですよ〜。そんなんじゃ、こっちのやる気も無くなっちゃいますよ〜。」
「あなたは王女、そして私は近衛隊長です、王女。それから、私の名前に『さん』をつけて呼ぶのも止めていただきたいです。呼び捨てで結構です」
セイルーン城のアメリアの個室で、２人は、何度と無く繰り返されてきた問答をもう一度始めた。窓の外は昼間だというのに暗い。冬の季節の元、雪を孕んだ雲が空を覆い尽くしている。
「ゼルガディスさん！どうしてそんな他人行儀になっちゃったんですか。ゼルガディスさんがセイルーンの私直属の部隊の近衛隊長になってくれるって言ったときには、凄く凄く嬉しかったのに。」
「ゼルガディス、です」
「全くもう、意地になったらとことんなんだから〜」
アメリアはばったりと机に倒れ伏す。長い黒髪が、肩から落ちてさらりと机の上に広がる。そんなことを気にも止めないかのように、ゼルガディスは語る。
「王女、報告の続きです。これだけの破壊をもたらすものは、人間の力では到底無理です。各国の強力な魔導師を探ってみましたが、ここ数年、セイルーンに近づいた者はいません。やはり、これは……」
「魔族……！」
アメリアは目を見開く。
「そう考えるのが一番自然でしょう。しかも、破壊状況をみると、かなりの高位魔族が出て来ていることは間違いないと思われます」
「高位魔族……」
その言葉に、思い浮かべる人物は、二人とも一致していた。もう数年も会っていない。二度と会えるか分からない。二人と、しばらく一緒に旅をした、微笑みを絶やさなかった謎の獣神官。
「まさか、あの人じゃないですよね」
「さあ、分かりかねます。魔族は人間の常識の与り知らぬところで動いていますから」
「敬語止めて下さいよ〜」
窓の外はいよいよ暗さを増してきていた。

その時だった。ずうん、と腹の底から響くような衝撃があった。ここ数ヶ月で、四度目の衝撃。四番尖塔の方角からだ。
「来た！」
二人は同時に立ち上がった。遠くからでも被害を確認しようと、大きな窓を開け放つ。冷たい空気がどっと流れ込み、アメリアの長い髪がふわりと流れる。
「近衛部隊を出しましょう、王女」
「いえ、それは止めた方がいいです。今までの３回の襲撃でどれだけの犠牲者が出たことか。最小限の戦力で最大の効果を出すべきです」
「と、いうと……？」
「あなたと私、二人で向かいましょう」
「反対です。王女自ら先陣に立つというのですか」
「私は、この国の軍隊の誰よりも戦力になる自信があります。違いますか？」
ゼルガディスは苦笑いした。
「くれぐれも、危険のないようについてきて下さい」
「多少の危険は、承知の上です。悪を滅ぼすためには」
いつもの口癖が、二人の間をわずかに和ませる。ゼルガディスは白いマントを、アメリアは薄桃色のドレスをなびかせて、部屋を飛び出し、第四番尖塔に向かった。

セイルーンの中央にある城から、北西に当たる方角に、六芒星の一角をなす第四番尖塔はある。今までの攻撃で、一番から三番の尖塔はその姿を無くしていた。このままでは、セイルーンは魔術的に丸裸にされるに等しい。二人は住民の混乱を目の当たりにしながら、街の中を走り抜ける。第四番尖塔は、半ば崩れた姿を冬空にさらしている。あと、２、３度の攻撃で、今までに存在を無くした三つの尖塔と同様の姿になることだろう。
ようやく町外れまでたどりつき、巨大な街を囲む壁を抜ける。ここまで来ると、崩れかけた尖塔が目の前にそそり立つ。逃げ遅れた町人が、必死で脚を引きずりながら言う。
「く……黒い花嫁だ」
アメリアとゼルガディスはその言葉に足を止める。いままでの尖塔が崩されたときにも、やっと難を逃れた近衛兵たちが同じ言葉をつぶやいていたのを、二人は聞いていた。
「また、そいつかっ！」
ゼルガディスは走る速度を上げる。アメリアも必死でついていく。四番尖塔はすぐそこだ。その時、もう一度地鳴りがした。半分崩れ掛けた尖塔がまるでクッキーか何かのように粉を吹き上げ、崩壊していく。周りにはもうもうと煙が立ちこめる。
その中に、黒いシルエットが見えた。宙に浮いている。ドレス姿の女のようだ。
「そこまでよ、この悪の権化！正義の裁きを受けなさい！」
ゼルガディスに追いつくのがやっとだったアメリアが、驚くほどに元気を取り戻して、びしっと相手に人差し指を突きつける。猫に鰹節、アメリアに悪人、といったところか。
立ちこめた砂煙が晴れると、二人は敵の姿をはっきりと見ることが出来た。黒いオーガンジーを幾重にも重ねたドレス。首筋を彩る何連もの白い真珠の首飾り。エナメルの、かかとの高い黒い靴。細い足首には、黒いリボンがぐるぐると巻き付けてある。そして、黒い小さな帽子から垂れ込める、黒いヴェール。髪の毛はアップされて、帽子の下にたくし込んである。格好のせいで年齢は分からないが、おそらくアメリアたちとそう変わらない年齢の姿を取っているはずだ。……魔族なら。
「やっと、あんたたち二人だけが出てきたわね」
低く、なめらかな不思議な声。
「おかげで要らない犠牲者を出してしまったわ……一人も殺してはいないはずだけどね」
「お前に『あんたたち』呼ばわりされる覚えはないっ！」
ゼルガディスは剣を抜いた。アメリアも、いつ呪文を唱えても良いように体勢を整える。
「アメリア、斬りかかると見せかけて、二人で同時にラ・ティルトをたたき込むぞ」
「はいっ」
いつの間にか敬語が直っているのが、こんな時だけど少し嬉しい。
「はあっ！」
ゼルガディスが一歩前へ躍り出る。黒衣の女はわずかに引く。その隙を狙って、アメリアとゼルガディスは地面に手を当てる。
「ラ・ティルト！！」
青白い炎が、地面から立ち上り、黒衣の女を包んだ。
「やったか？」
しかし、二人の見たものは、先ほどと寸分変わらない敵の姿だった。
「やつめ、魔法結界をはってやがる」
ゼルガディスは悔しそうに言い捨てる。
「ひどいことするわね。シールドを張っていても、結構痛いのよ、ラ・ティルトは」
女はくすくすと笑った。しかし、その間にゼルガディスは相手の間合いにまで近づいていた。
「正体を見せろ、魔族め！」
ゼルガディスが振り上げた剣は、女のヴェールに引っかかった。小さな帽子ごとヴェールが外れ、栗色の豊かな髪が宙に舞い、静かに降りる。アメリアとゼルガディスは息を呑んだ。
「リナ……さん」
「リナ……？」
二人は同時に声をあげた。幾分色の白くなった顔。懐かしい紅い瞳が、二人を見下ろしていた。
「久しぶりね、アメリア、ゼルガディス。二人とも元気そうじゃない。アメリアは髪が伸びたわね。こうしてみると、すこしあんたの姉さんと似てるわ」
「あたしの姉さんのこと……どうして知って……」
「リナ、これはどういうつもりだ」
ゼルガディスが二人の会話を遮った。
「お前は魔族の側に与したとでもいうのか」
リナは、しばらく黙っていた。紅い瞳がわずかに辛そうにゆらめく。あるいはそれは錯覚だっただろうか。
「そうよ。今のあたしは、魔族。人間だった、リナ＝インバースはもういないわ」
リナは黒いドレスに風をはらませながら、地面に降り立った。アメリアが駆け寄る。
「リナさん、嘘でしょう、リナさん！」
「本当よ」
リナはアメリアの腰に付けた短剣をそっと抜いた。ゼルガディスは素早く身構える。しかし、リナは自分の手首にその短剣を滑らせただけだった。短剣をアメリアに返す。
「血が……でてない」
アメリアは呆然と言う。
「だから言ったでしょ、あたしは魔族だって。これで分かってもらえた？」
「嘘です、リナさん、嘘です……」
アメリアの大きな瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。リナはつらそうに眉をひそめる。
「泣かないで、アメリア……あたしまで悲しくなっちゃうじゃない」
それでも、アメリアは体温のないリナの胸にすがって泣き続けた。
「ふふ、人間って温かいのね。久しぶりに思い出したわ」
リナは優しくアメリアの長い黒髪を撫でた。
「アメリア、そいつから離れろ！リナはもう魔族なんだ。このセイルーンを破壊しようとしているんだ」
その声に、アメリアはふと顔を上げた。
「リナさん、なぜセイルーンの尖塔を破壊して回っているんですか？」
「それが、上司から命じられたあたしの仕事だから、よ」
アメリアとゼルガディスは息を呑む。
「上司、仕事……か。お前にはまったく似合わない言葉だな、リナ。好きなときに好きなことを好きなようにやる。それがお前の流儀じゃなかったか？」
「人間の頃とは違うわ。魔族をやっていくのも結構大変なのよ」
「そしてお前は俺たち人間と敵対するのか？」
もう一度、リナは黙った。そして、ゆっくりと口を開いた。
「あたしは好きこのんで人間を殺したりはしない。出来るだけ傷つけないようにしてる。それはあたしの流儀。でも、やっぱり、今のあたしは……人間にとっては、敵ね」
アメリアはふらふらと二三歩さがる。それをゼルガディスが受け止める。
「でも、今日は、もう一つの用事を済ませてから帰るわ」
リナはゆっくりとアメリアを抱いて、ゼルガディスからどかせる。そして、ゼルガディスに近づく。
「アメリア……ちょっとごめんね」
リナは両手でゼルガディスの顔を挟み、動けないゼルガディスにそっとルージュを引いた唇を口づけた。
「な……何をするんだ」
しかし、キスの効果はすぐ現れた。みるみるうちにゼルガディスの岩のような肌が、普通の人間の肌に変わっていく。針金のようだった髪も、グレイの柔らかな髪に変わる。十秒もしないうちに、ゼルガディスは普通の人間の姿に変わっていた。
「ゼルガディスさん……」
アメリアが、おそるおそるゼルガディスの頬に触れる。柔らかく、温かい。
「リナ、どういうことなんだ」
「これは、魔族になるときに条件として付けてもらったあたしの力。キメラをもとの姿に戻す力」
ゼルガディスは瞳を見開いてリナを見た。しかしリナは気にしないで続けた。
「ゼル……アメリアに求婚してあげなさいよ。あたし、ずっとあんたたちのことを見てたのよ。何が近衛隊長よ。一番そばでアメリアを守ってあげたいだけじゃないの。敬語なんて使って、アメリアを突き放すなんて、ほんと悪い意味であんたらしいわ。自分の身体のことで、アメリアとは一緒になれないって思いこんでたんでしょ？でも、今やあなたはごく普通の身体を持つ、アメリアに一番近しい男性。結婚を申し込んでもちっとも不自然じゃないわ。」
「身分が違いすぎる」
出来立ての肌を赤らめながら、ゼルガディスは吐き捨てる。
「ばっかねー、あんた。アメリアが今までどれだけの数の王子様の求婚を断ってきたと思ってるのよ。アメリアを行かず後家にするつもり？」
ゼルガディスはアメリアを振り向く。アメリアは耳まで真っ赤になりながら、リナの言うことを聞いていた。
「ど、どうして私がお見合いを断り続けていたことまで……」
「こういう仕事をしていると、色んな事が耳に入ってくるのよ」
リナは満足げにうなずいた。
「それじゃ、塔も壊したし、ゼルも元に戻したし、若い二人のためにそろそろ魔族は退場しようかしら？」
ゼルガディスはあわてたように言う。
「ま、待てリナ。お前が魔族になったのは、俺をもとに戻すためだったのか？」
「違うわ。さっきの能力は魔族にスカウトされたときに付けてもらったほんのオマケ」
「じゃあ、答えろ。なぜ魔族になったんだ」
「……」
リナは顔をしかめて、栗色の前髪をくしゃくしゃにかき混ぜた。懐かしいしぐさに、二人は胸を突かれる。
「この格好を見ればわかるでしょ、結婚したのよ、魔族と」
「まさか……」
「あー、それ以上はご想像に任せるわ。とにかく言いたいのはそれだけ。じゃあ、お幸せにね」
「待って、リナさん。なぜ魔族と……ゼロスさんと結婚したの」
「あんたたちと同じ……恋をしたからよ」
それだけ言うと、リナの姿はゆらりと揺らめいて、空間の中に消えた。二人がリナの消えた空間を眺めていると、その年一番の雪がそっと舞い降りてきた。
ゼルガディスは、アメリアの肩を抱いて引き寄せ、城の方へ歩き出した。
「ゼルガディスさん」
「アメリア」
次に言う言葉は、もう決まっていた。



すみませんすみませんっ！リナちゃんはゼロスと結婚する事はあるとしても（オイ）魔族になったりはしませんよね。分かってるんです。ただ、魔族リナちゃんをちょっと書いてみたかっただけなんです。あと、素直になれないゼルも書いて見たかっただけです。ほんとにこんな文章を読んでいただき、ありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。魔族リナちゃんが結構好評でした。人間に戻れたゼルは、幸せな生涯を送ったことと思います。