純




「リーナさん♪」
「きゃっ……って、いきなり目の前に現れるんじゃないわよ、このへっぽこ神官！」
「そんなこと言って、会えて嬉しいくせに」
「だ、誰が！　用がないならとっとと消えて。こっちは暇じゃないんだから」
「僕だって暇じゃありませんよ。でも、リナさんの所に来るのは特別なんです」
「……何よ」
「リナさんのいらだち・怒り・恥ずかしさ。んー、他では味わえない美味なごちそう……」
「だー、これだから魔族って趣味悪い。もう味わったんなら、消えなさい！」
「いーえ、消えません♪」
「なんで……」
「僕がべたべたくっつくと、」
　ゼロスはリナの身体に後ろから手を回す。
「リナさん、よけいいらいらするみたいですから」
「あーもぉ、うっとおしい！！」

「いつものことだな」
「いつものことですね」
「なあ、なんでゼロスはリナにあんなに構うんだ？」
　旅の途中で、リナは怒鳴り散らし、ゼロスはふよふよと宙に浮いたままリナをからかい続ける。それは、もはや恒例行事となっていた。



僕はアナタのすべてを　命がけでも欲しい
他の言い方はない　胸がジンジンふるえ
寝ても覚めていても
焼け焦がれてしまいそう



そんなある日。
「リナさん」
「なに、またあんたなの。今度は何の用？　……っても用なんてないんでしょうけど」
「これを、貴女に差し上げます」
　大きな白い紙の箱。金の紙で封がしてある。
「こ、これは……この紋章は」
「ジョージ・グッドラックさんのお店で買ってきました。今が旬のモンブランとスイートポテトのケーキです」
　リナは、マントを外すと地面に広げ、その上に座って箱を開けた。甘い匂いが漂った。
「おいしそう！」
「旬ですから。どうぞ召し上がって下さい」
「フォークは……」
「こちらに」
　銀のフォークを懐から取り出す。
「ゼロス、何のつもりか知らないけど、後で返せっていっても返さないからね。いっただっきまーす！」
　リナは、何かどろりとした物体が天辺に飾られたモンブランらしきケーキを夢中で食べ始めた。
「んー美味しい！　んー懐かしい！　あの時は苦労もしたけど、このケーキで報われたもんだったわ」
「リナ……さん」
　アメリアがおずおずと聞く。
「その……脇にのけてある、何かの目玉のような物体は何なんでしょうか」
「ああ、これね。見て分からない？　栗よ、栗」
「くりぃ！？」
　ガウリイとゼルガディスは声を合わせて目を見張った。リナは、そのわりとおぞましく見える物体を口に放り込む。
「あー……リキュールの味が染み渡って……ジョージの奴、腕は落ちてないみたいね」
「さっきから、ジョージ、ジョージって、お前の知り合いか何かか」
　ゼルガディスの質問に、リナはケーキをかきこむ手を止める。
「昔ね、ちょっとした縁のあったケーキ屋さん。キュリアン・タウンってとこで店を開いてるんだけど、とにかく腕は確かでケーキはバカウマ」
　それだけ答えると、答えていた時間さえもったいないという風に、次はスイートポテトに手をのばす。
「バターの香りと……ポテトの得も言われぬコクが……ん、いい仕事してるわ」
　ゼロスは、懐からもう一箱を取り出す。
「リナさん、おかわりありますよ。皆さんも、良かったらいかがですか」
　ガウリイとゼルガディスとアメリアは考え込む。
「あの腐った目玉のようなものがな……」
「でも、ちゃんと栗の匂いがしますし……」
　リナが口いっぱいにスイートポテトを頬ばりながら、ひらひら手を振る。
「安心していいわよ。見た目はグロいけど味は超一流だから」
「じゃあ、いただきましょうか……」
アメリアたちも、目を閉じて“目玉”を口に入れる。
「あ……」
「ほくほくしてて……」
「旨いな」
「でしょ？　あたしは、その栗を守るのに一役買ったのよ。ところで、あんたたちはモンブラン一個ずつにしてね。あたし、まだまだ食べるんだから」
　ゼロスはそんなリナを見つめてにこにこ微笑んでいる。
「リナさん、幸せですか？」
「これ以上ないくらい、幸せよ！」
　ガウリイたちは気づく。ゼロスが微笑みながら胸を掻きむしって押さえていることに。
「お、おい、ゼロス……」
　ガウリイが話しかける。
「お前、確か負の感情を美味しく感じるんだよな」
「ええ、そうです」
「じゃあ、こんな風にリナがめいっぱい幸せを感じていたら……その感情を取り込んだら苦しいんじゃないのか？」
「はい……苦しいです……今にも滅びてしまいそうなくらい」
「え」
　リナが、フォークを止める。
「ゼロス、苦しいの？　あたしが美味しさを感じると」
「いいんです……貴女が喜んで下されば、僕はどうなっても」
「そういえば、ジョージのケーキショップって、美味しいものを食べた人間の、生命溢れる感情で満ちてるわよね。買いに行くの、苦しくなかった？」
「苦しかったです」
「並んだりしなかった？」
「いえ、リナさんの名前を出したら、行列を飛び抜かして買わせてくれましたよ。リナさんとのいい思い出を、たっぷり２時間聞かせてくれました」
「苦しくなかった？」
「苦しかったです」
　アメリアが、怪訝そうにゼロスの顔をのぞき込む。
「あの……ゼロス……さん？　さっきから聞いてると、あなたにとって苦しかったことばかり……」
「いいんです！」
ゼロスは立ち上がった。
「リナさんをからかったり苛々させたりして、その負の感情をいただく時代は終わりました。これからは、リナさんを喜ばせて、その生の感情を受け取り、あえて苦しむ！　これが僕の新しいリナさんの愛し方です」
「愛……」
「愛」
「愛……やっぱり、お前リナが好きだったのか」
「そうです、ゼルガディスさん。リナさんを見ていると、今でもいじめたくてたまらなくなります。怒らせてみたくなります。泣かせてみたくなります。でも、それを耐えていると、なんというか、こう、たまらない高揚感が僕のアストラル体を満たしていく。僕は、愛し方を変えたんです。滅びに近づけば近づくほど、僕の愛は高まるんです！」
　ガウリイが頬を掻く。
「よく分からんが、つまりお前はたちの悪い変態からたちのいい変態へ様変わりしたってことか？」
「変態だなんて。滅びを求めて生きる、これはもともと魔族の性分です。ああ、リナさんの美味しい、美味しいという生命の賛歌が僕を追いつめる！　はあ……こんな素晴らしい快楽に、なぜ僕は気づかずにいたんでしょう？」
　リナが、全てのケーキを食べ終えて、紙ナプキンで口を拭った。ゼロスに向けて満面の笑顔で言う。
「ありがとう、ゼロス。とっても美味しかったわ」
「くうう……！」
　ゼロスは、拳を握りしめ、背筋を反らす。
「リナさんの感謝の気持ち！　素直な感情！　ああ、苦しい、いっそ痛い！　でも、くせになりそうなこの感触……リナさん、僕は空間を渡れるんですから、いつでもキュリアン・タウンに行って、貴女のためにこのケーキを買ってきてあげますよ」
「一つ聞くけど……これ、あんたの奢り？」
「もちろんです」
「サンキュー、ゼロス！　大好きよ！」
　リナはゼロスの首に細い腕をまわして抱きついた。
「だ……『大好き』。一番の、正の感情……」
「ゼ、ゼロス？　ちょっとゼロス！　しっかりしなさいよ」
　ゼロスはリナの腕の中で気を失っていた。


「なんなの？　あれは」
長い黒髪の美女───海王ダルフィンが、宙空に映し出されるゼロスの一連の騒ぎを見てため息をつく。
「別に私がどうこうしたわけではないぞ」
豪奢な金髪の美女───獣王ゼラス＝メタリオムも、自分の部下の姿を見てため息をつく。
「ただ、よくあるんだ、高位魔族には。ぎりぎりまで滅びに近づくことによって得られる逆説的な快楽。それに囚われてしまうことが」
「面白いわねー」
「冗談ではない。あいつのあほらしい遊びのせいで、私の唯一の部下を失うことになってはかなわん。が、しかし……」
「しかし？　ん？」
「確かにダルフィンの言うとおり、面白いな。本格的に滅ぶのはまだ先のようだし、しばらく様子を見て楽しもう」



忙しい方々は　苦笑いするだけ
アナタのなにもかもに
心奪われた瞬間から
頑なを通します　一途なままの僕



「……あ」
「馬鹿ゼロス。やっと起きた」
「ここは……」
「宿屋よ。ガウリイとゼルがあんたを運んだの。全く、人迷惑なんだから……」
　ゼロスは感じる。そういいながら、リナから優しい感情が溢れ出ていることに。
「心配、したんだから」
　ああ。その一言で僕は死ねます。ゼロスは、胸の上で手を組み合わせて、あえてスィーフィードに祈ってみた。効果てきめん、効き目倍増。滅びの予感が、ひたひたと足首まで迫る。
「あのね、ゼロス。あんたが何を考えてるのか知らないけど、自分で自分を苦しめることは止めなさいよ。からかわれるのもいい迷惑だけど、あたしを喜ばせて自分は倒れちゃうなんて、もっと嫌だわ」
「それは、僕が心配だからですか？」
「心配したって、さっき言ったじゃない」
　壁の獣脂ロウソクに照らされるリナの顔は、わずかに赤らんでいる。
「もう一度、言って下さい。僕が心配だって」
「あんたが、心配よ……」
　やさしさ。あわれみ。それは人間には露のように降る至高の救いの手。しかし魔族にとっては……。
「だから、もう、危ない遊びは止めて、普段通りのゼロスに……って、ちょっとゼロス、聞いてる！？」
　ゼロスは、唇にアブナイ微笑みを浮かべたまま、意識を無くしていた。

「……というわけなのよ」
「なるほど、好きとか愛してるの他に、心配だとか言ってもダメなのか」
「……まったく。あれだったら、普通につきまとわれている方が何倍も気が楽だわ。何が楽しくてあんなことやってるんだか」
　ゼルガディスが言う。
「いや、あながちおかしな事とは言えないかもしれん。断崖絶壁をのぞき込んだり、暴れ馬にまたがって振り落とされそうになりながらしがみついたり、というのを好む輩もいるだろう。ゼロスも、さんざんリナにつきまとってからかっているうちに、新しい快楽を覚えたんだろう」
「さすがゼロスだな。なんか、やることがひと味違うな」
「これはチャンスかも知れません」
　アメリアが真剣な顔をして言う。
「ゼロスさん、真人間になれるんじゃないでしょうか」
「まにんげん〜？」
　リナはアメリアの顔をのぞき込む。
「何言ってんのよ。元々あいつは人間じゃないのよ。姿形だって、あたしたちに似せた偽物だし」
「いえ、これは神がゼロスさんに与えたもうた試練です！　私が、生命のすばらしさをゼロスさんに教えてあげます！」
　リナは肩をすくめる。
「どうやって。まさか、ゼロスの耳元で、『人生ってスバラシイ』ってささやく、ってんじゃないでしょうね」
「あれは、私がやるから駄目なんです。リナさん……分かってくれますね」
「はあ……」
「ゼロスさんが改心すれば、もうリナさん、彼にいじめられずにすむんですよ」
　リナは気怠げに「はいはい」と返事して、テーブルの上に突っ伏した。

　風の心地いい、丘の上。いるのは、リナとゼロスだけ。
「リナさん……幸せです。あなたとこうしてここにいるだけで」
「ゼロス、変わったわね。まあ、このあたしをからかわない、ってのは評価できるけど。……耳を貸して」
「はい、リナさん」
　リナは、大丈夫かな……と眉をひそめる。そしてつぶやく。
「人生ってスバラシイ」
「はうっ」
ゼロスは前のめりに倒れた。
「ちょ、ちょっとゼロス、大丈夫？」
「ええ、大丈夫です。そうですよね、人生……って、……すば……らしい」
「生きるって最高」
「いきるって……サイコー」
「元気、元気、元気に生きよう」
「元……気、げんき、げんきにいきよおおおお」
　ゼロスは胸を押さえて倒れる。
「ご、ごめんなさい、ゼロス！　無理させ過ぎちゃったわね」
　ゼロスはぴくぴく引きつりながら言った。
「いえ……リナさんの言葉で滅ぼされるなら本望ですから」
「あたしはあんたを滅ぼしたくないの！」
「ああ……リナさんのその言葉がより僕を追いつめる……甘美です……この上なく」
　木の陰に隠れていた３人が飛び出してくる。
「おい、ゼロス！」
「しっかりしろ」
「す、すみません、ゼロスさん。まさかこんなに苦しむなんて。私が……」
　ゼロスは、弱々しく微笑みながら、アメリアを見つめる。
「貴女でしょう？　僕をまっとうな道につかせようとしたのは」
「ごめんなさい……」
「いえ。謝らないで下さい。リナさんの唇から生の賛歌が聴けるなんて……アブナイ薬のような贅沢です」
「ゼロス……とにかくリナから離れるんだ」
「嫌です、ガウリイさん」
　ゼロスはリナを抱きしめて、きっ、と３人を見た。
「邪魔をしないで下さい」
「はあ？　邪魔？」
「僕は今、至高の甘露を味わっているんです。ああ、リナさんの正の感情……生の賛歌。僕が滅んだとしても、僕は幸せの中にいるはずです」
　ガウリイはくしゃくしゃと金髪をかき混ぜる。
「タチのいい変態、ってのも厄介なものだな」



どけ　どけ　どけ　無関心な奴はどけ
寄ってたかって野暮が　恋の邪魔をする
どけ　そこ　どけ　純情のお通りだ



「さ、リナさん、僕の耳元で、その甘い声でつぶやいて下さい。滅びのささやきを」
「ささやきって……あんたが滅ぶかもしれないのに、そんなことできないわ」
「それは、僕と一緒にいたい、ということですか？」
「ま、まあね。あんたには何かと縁があるし」
「僕のこと、好きですか？」
　リナと３人は息を呑む。
「す……好きとかそういうんじゃなくて、いなくなられると寂しいっていうか」
「今、リナさんの感情を読みましたよ。僕のこと、好きなんじゃないですか！」
「え……そ、そんなこと、ないってば。変なこと言わないで」
「照れてる照れてる。僕のために。ああ……僕に捧げられるリナさんの愛。これこそ滅びの蜜。リナさん、もっと言って下さい、好きだって……」
「嫌いよ。うっとうしい。大嫌い」
「口でいくら言ってもダメですよ。僕は貴女の感情を取り込むことが出来るんだから。リナさん、僕も好きです。愛してます、リナさん！」
　ゼロスは腕の中の愛しい存在をより強く抱きしめた。その腕が、黒い衣が、半透明に透ける。
「ゼロス……いや。消えないで」
「リナさんに好かれて消えるなら、僕は本望なんです」



男と女はいつも　求め合うのが　いいさ
僕の命アナタに　捧げてしまっていいさ



「ゼロス……！」
　リナが透き通ったゼロスの身体をかき抱いたとき、空間から、太陽の金髪を誇る美女が現れた。ゼロスの襟首を掴む。
「面白いと思って見ていたが、少々行き過ぎだな。ゼロス、帰るぞ」
「あらあ……このまま獣神官が滅んでしまえば、海王将軍（うち）のリクスファルトが腹心の部下としては最強の存在になれたのに」
　面白くなさそうに言うのは、いつの間にか現れた黒髪の美女。
「冗談ではない。ダルフィン、帰ろう」
「ええ。じゃあ、リナ＝インバース、その他の皆、迷惑をかけたわね。もうゼロスがアブナイ遊びをしないようにしっかりお仕置きをして置くから〜」
「獣王様、海王様、離して下さい、僕はリナさんの側にぐげ。」
　金髪の美女の肘がゼロスの頭頂部に決まった。そして、魔族たちは空間を越え、リナたちの視界から消えた。


「ゼロス、ちょっと遊びが過ぎるぞ。滅びは我ら魔族の目的だとしても、あのようなくだらない滅び方をされるのは、上司として情けない。お前のお気に入りのあの娘にも、迷惑だと分からないのか？」
　ひざまずいたまま、ゼロスは不敵に笑った。
「我が主、ゼラス＝メタリオム様。それは貴女が本当の愛を知らないだけ……」
「な……っ、愛だと？　馬鹿なことを……」
「真の愛は滅びと共にある。今度は邪魔しないでいただきたい」
　ゼロスは再び空間を渡った。ゼラスは空しく宙に手をさしのべていたが、やがて長い脚を組み替え、ため息をついた。
「本当に滅んでしまえ、あの馬鹿」



男と女の距離は　コブシ二つでいいさ
僕の命アナタに　捧げてしまっていいさ



「リナさん、来ましたよ。愛の賛歌を歌って下さい」
「やだもお！　真剣に迷惑なんだけど、この馬鹿神官！！」






「純」とは吉田拓郎さんの歌です。歌詞で気づかれる方もいらっしゃるかも知れませんが、アニメ「魁！クロマティ高校」のオープニングです。アニメのＯＰにはその２番が使われていたのですが、「１番はラブソングらしい」と聞いて歌詞をチェック。「ゼロリナっぽい……」と思ったのがこの小説を書いた動機です。キュリアン・タウンのジョージのケーキショップの話は、スレイヤーズすぺしゃる２１巻「汝その名はスイートポテト」に収録されています。
モンブランの壁紙を見つけたときにはガッツポーズ。何か最近馬鹿なお話を書いてばかりいるような……。