泉


ぱしゃっ……
水が跳ねる。暗く澄んだ水が、少女の足首を濡らす。
「ん…いい気持ち」
全裸の少女は、そのまま水辺からこの小さな泉の中へ足を進める。腰まで水に浸ると、さすがに冷たい。でも、さっきまでのギリシアの夏の強い太陽で火照った身体を冷やすのには、ちょうど良かった。少女は歩みを止めず、胸まで水に浸る。そして仰向けになって、ふわりと自分の身体を水に浮かべる。栗色の癖のある鮮やかな長い髪が、優しく水面に拡がる。髪に挿した白い小さな花が、さざ波に揺れる。少女が軽く脚をばたつかせると、彼女の身体は木の葉のようにすっと進んだ。見上げると、そこは昏い森。太陽の光は、この泉には届かない。涼しい空気を胸の奥まで吸い込む。森の土の匂いがする。
いつもの遊び場から少し離れただけで、こんなに素敵な場所があったなんて。少女は驚く。それほどに、この水は気持ちいい。
泉の真ん中からは、こんこんと新しい水が湧きだしている。はっきりと透けて見える水底には水の湧き出すのに合わせて白い小石がゆらゆらと踊っている。少女は、足をついて、両手に湧きだしたばかりの水を掬う。そして口をつける。
「冷たい。そして、なんとなく甘い…」
少女は、今までの渇きを癒やすまで、何度も水を掬っては飲み続けた。
その時だった。
「そこで何をしているんですか」
なめらかな、それでいて冷たい声。少女が目を上げると、泉の岸の向こうに、黒いローブを身につけた青年が立っていた。肩までの漆黒の髪を切りそろえ、手には赤い宝石のついた錫杖を持っている。
「なにって、水浴びしているのよ。見て分からない？」
少女は恥ずかしがる様子もなく、裸のままで青年に歩み寄ってきた。華奢な、未成熟な身体。膨らみはじめの乳房が、いかにも初々しい。青年は、目のやり場に困って少し顔を背けながら言った。
「ここは、獣の神、ゼラス様の泉です。他のものが立ち入ることは許されません」
「どうしてよ。ここはこんなに素敵なのに。あたし、友達にも教えてあげようと思ってたのに」
「とんでもないことですね。とにかくお引き取りいただきましょう。さあ、服を着てください」
少女は、空中でさっと手を振る。真っ白な服が、手の先に現れる。少女が服を着るのを見ながら、青年はいう。
「人間じゃなかったんですか…」
「そうよ、あたし、ニンフェット。林檎の精よ」
「林檎の…。だから、そんな紅い瞳をしているんですね」
「ふふっ…あたしによく似合うでしょ？自慢なの、この瞳は」
「そうですね、充分自慢にして良いと思いますよ」
そう言いながら、青年はまた彼女から軽く顔を背ける。水浸しになった白い服は透けて、彼女の身体のラインがはっきりと分かるのだ。しかし、青年はまた知っている。ニンフェットに、人間の娘のような羞恥の感情は無いということを。
「ね、どうしてあたしを見ないの？」
「恥ずかしいから、ですよ」
「あたし、見られて恥ずかしいところなんか無いけどなあ。まあ、胸はもうちょっと大きく生まれたかったと思うけど。それで、この泉は、ゼラス様っていう神様しか使えないの？」
「そのために、ここで僕が番人をしているんです」
「ずっと？ここで？」
「ええ」
「寂しくないの？」
「そんな感情は初めからありません。役目をやりおおせること、それが僕のすべてです」
「ふうん……」
少女はすこし眉をひそめて、青年を見る。でも、その表情はすぐに明るく変わる。
「ねえ、名前聞いてもいいかな」
「ゼロス、といいます」
「変わった名前ね。あたしはね、リナ。林檎の精にふさわしい、可愛い名前でしょ？」
「可愛いのは貴女自身ですよ」
「えっ……」
思いがけない言葉に、リナは少し照れて顔を赤くする。
「ばっかねー、あたしが可愛いのは、あたしが一番よく知ってることよ」
そういって、髪の先をくるんと指に絡ませて、引っ張る。おそらく、動揺したときの癖なのだろう。
「ごめんね、ゼロス。入ってはいけない泉に、勝手に入っちゃって。知らなかったの。ここが神様の地だってことを」
「分かってますよ。貴女に悪気があったとは思えません」
「ねえ、ゼロス、あたし、この泉には入らないから、またここに来ていいかな？」
「えっ…どうして」
「あたし、あんたのこと気に入っちゃった。あんたがここから動けないなら、あたしが外の世界のことを話しに来てあげる。泉にさえ入らなければ、これはルール違反では無いよね？」
「僕なんかのどこを気に入ったんですか」
「うーん…全部、かな。声も素敵だし、そのアメジストみたいな紫の瞳も素敵。髪もさらさらで真っ黒で素敵。あんたって、夜の神様みたいね」
「はあ……」
長い長い孤独にも慣れていたゼロスだが、こう誉められるのには慣れていない。
「あ、もしかして照れてる？」
リナは、無邪気にくすくすと笑った。
「僕は神様なんてがらじゃありませんよ。獣の神に仕える、ただの神官です」
「でも、あんたはまるで夜そのもののよう……」
リナは、白い衣をなびかせるように泉を泳いで、入ってきた岸に上がった。
「それじゃあね、ゼロス！また絶対に来るから。あ、そういえばまた泉に入っちゃった。ごめんね！」
ぐしょ濡れの衣を絞りながら、軽やかに去っていった。

三日後。リナは、三つの林檎を携えてやってきた。ごそごそと茂みが揺れたかと思うと、明るい栗色の髪、髪に挿した白い花、愛らしい顔立ちが現れる。泉に入らないように、ふちをぐるりと回るようにして、リナはゼロスの側へやってきた。両手に林檎を落とさないように気をつけて抱え込んでいる。
「こんにちは、ゼロス。おみやげだよ、林檎。」
林檎はほのかな香りを放っている。下半分は、まだ青い。
「まだ熟れきってはいないけど、これくらいの方があたしは好きなの。ね、かじってみて。あたしの果樹園の中から、一番美味しそうなのを選んできたんだから」
ゼロスは、微笑んで林檎を一つ受け取る。泉の水で洗って、皮ごとかぶりつく。さわやかな果汁が口いっぱいに拡がる。少し酸っぱいが、それが果実の香りをより引き立たせている。
「美味しいですね」
「あたりまえよ。あたしの林檎たちだもの。さ、どんどん食べて。あたしも一つもらうね」
リナは、冷たい泉の水で林檎を洗い、白い真珠のような可愛い歯で囓る。
「うん。思ってた通り。あたしの林檎は美味しい！」
誇らしげにいう彼女は、ゼロスには何か眩しく見えた。この林檎も、彼女も、このギリシアの太陽をいっぱいに浴びているのだ。彼のように、一日中昏い、森の中にいる存在とは違う。二人は芯だけになった林檎を森の中に投げ捨てた。
「これが、今日のおみやげ。あたしのことを知ってもらうのに一番いいと思ったのよね。どう？あたしの林檎、素敵でしょ？」
「素晴らしいです」
「素直でよろしい」
リナは満足げに微笑む。微笑みは、彼女をいっそう明るく、美しく見せる。眩しい、と再びゼロスは思った。
「ねえ、ゼロスはいつからこの泉を守ってるの？」
「うーん、僕にもよく思い出せませんが、千年くらいですかね」
「せんねん〜！？」
「そんなに驚かなくても」
「あ、じゃあ、ゼラス様っていうあんたの神様がよく来てくれるんだ」
「そうしょっちゅうはお越しになりませんよ。数百年に一回、というところでしょうか。特別な式典に出られるための禊ぎに来られるんです」
「……それじゃ、あんた、退屈じゃない？」
「いちいち退屈に感じていたら、体が持ちませんよ。それに、僕はもともと静かな生活が好きなんです。外の世界で、神様たちの色恋沙汰に巻き込まれたりする方が、苦手ですね」
「そうね、あたしたちの神様は、一年中色恋沙汰で明け暮れてるもんね。でも、こんな役目を退屈に思わないなんて、やっぱり、ゼロス、変だよ」
「変ですか」
「うん！変」
きっぱり言い切られてしまって、思わず苦笑いがこぼれる。
「うん、これはあたしの使命よね」
リナは、心に何かを決めた顔でいう。
「使命？」
「あんたを退屈させないように、絶対に訪ねてきてあげる。あたしが偶然ここを見つけたのも、神様の導きだったんだわ」
「あの、だから僕はそんなに退屈じゃないって……」
「そーこーが、変なんだってば。外の世界は楽しいよ。あたし、絶対あんたのその性格、治してあげるんだから。それじゃ、今日は帰るね」
来たときと同じ道を通って、少女は帰っていく。茂みに消える彼女を見送り、ゼロスは自分の中に湧きおこってきた不思議な感情に驚いていた。それは、こんな感情だった。
……帰ってほしくない……

それから、三日もあけずに、リナはゼロスのもとに訪れた。ある日、彼女は白い肩をゼロスに寄せて、こう言った。
「ね、舐めてみて」
「いいですけど……」
ゼロスはとまどいながら、リナのむきだしの肩を舐める。
「塩辛い……」
「今日はね、朝から、アメリアやシルフィール、あ、これあたしの友達のニンフェットたちなんだけどね、と、海に行って来たの。海はまるで蒼い葡萄酒みたいに透き通って綺麗だったわ。」
「海が塩辛いことくらい、僕だって知ってますよ」
「じゃあ、海に行ったこと、あるんだ」
「いいえ、ありません」
「えっ…じゃあ、どうして海がしょっぱいって知ってたの」
「それくらいの知識は、僕にだってあります。というか、知識とも呼べませんけどね。常識です」
「いくら常識っていったって、本物の海を見たことがないんじゃ、つまらないでしょ。ねえ、ここから一時間くらい歩けば、すぐに海だよ。綺麗だよ。行こうよ」
「ダメですよ。僕はここから離れるわけにはいきません。」
「なんでよ。往復しても、ほんの二時間だよ。何百年に一回しか現れない神様を待って、ほんの二時間のお休みも取れないの？」
「それが僕の役目ですから」
「それって、ゼラス…様、その神様、ひどいんじゃないの？ゼロスをこんな昏いところで何百年もひとりぼっちにして」
「だから前にも言ったでしょう。僕は静かな生活が好きなんです。孤独にも慣れています」
「静かな生活が好き…それじゃ、あたしがこうやってしょっちゅうやってくるのも邪魔なの！？」
「リナさんは特別ですよ。貴女が早く来てくれないか、楽しみにしています」
「ほんと？あたし、社交辞令言われるのキライよ。迷惑なら、迷惑でいいんだよ」
「本当に楽しみですよ。貴女は僕を飽きさせない。今では、貴女が来ない日が退屈なくらいです」
「退屈？今、退屈って言った？」
「え…ええ、言いましたが」
「よっしゃ！これで第一段階はクリアね」
「第一段階？」
「あんたに、『退屈』って思わせること。こんな暮らしは、本当は『退屈』なんだよ。それに気付いてくれただけで上出来」
「かないませんねえ、リナさんには」
くすくす笑いながら、ゼロスは思う。リナさんには、それが残酷だってことが分からないんでしょうね。僕が『退屈』を覚えたらどんなに普段の日々が苦痛になるか、なんて……。

秋になると、リナはぱったりと姿を見せなくなった。たぶん、林檎の収穫で忙しいのだろう。リナが作る林檎は、オリンポスの神々に捧げられるという。林檎のニンフェットが育てた林檎。その甘い香りを思い出しながら、ゼロスは日々を過ごした。オリンポスの秋の収穫祭が終われば、リナはまたこの泉にやってくるだろうか？ゼロスは、いつもの茂みががさがさ動くのを楽しみにして、秋の日々を送っていた。

風がひんやりとした冷気を帯びる頃、リナはやってきた。いつものように、茂みを揺らして。手には、金色に輝く小さなボトルをもって。
「ゼロス、ずっと来られなくてごめんね！これ、あたしの林檎で作った林檎酒なの！」
誇らしげにゼロスにボトルを渡す。
「ね、飲んでみて、今すぐ」
瓶の栓を抜き、甘くほろ苦い林檎酒を味わう。喉の奥がカッと熱くなる。
「これは、かなり強いお酒ですね」
「これくらいの強さでないと、神様たちは満足なさらないの。ねえ、もっと飲んで」
「はいはい、分かりましたよ」
ゼロスは、ごくごくと喉を鳴らして、林檎酒を全て飲んだ。酒には強いつもりだったが、少し酔ったようだ。言わないつもりだった本音が出る。
「リナさん、どうして秋には来てくれなかったんですか。寂しかったですよ」
「ふふ、酒の勢いとはいえ、第二段階クリア！」
「第二…段階？」
「『寂しかった』って言ったでしょ？そう、ゼロス、こんな暮らしは寂しいんだよ。それを、平気そうな笑顔で隠しちゃ、ダメよ。秋は来られなくてごめんね。収穫祭で、ちょっと大神ゼウス様に気に入られちゃって、ずっとお酌係をしてたの」
ふと見ると、リナの胸には、幼い彼女には似合わないほど豪華な細工の、ルビーの首飾りがあった。
「この首飾りは、そのお礼だって…直接、ゼウス様があたしの首につけてくれたのよ。へへ、可愛く生まれると、何かとトクね」
「ゼウス様ですか。どんな方でした？」
「そうね、お髭があって、かっこよくって、瞳の優しい神様だったわ。ま、なにかっていうとあたしの髪や肩を触ってくるけど、嫌じゃなかったな」
「僕にも、触らせてくれませんか。貴女の髪や肩に」
「やだ、ゼロス、本当に酔っぱらっちゃったのね。全くしょうがないなあ」
「僕は本気ですよ」
ゼロスは、力強い腕でリナを引き寄せ、その柔らかな栗色の髪を撫でた。そして、白く華奢な肩を抱いた。唇で唇を強引にふさぐ。そのまま、草の上に彼女を押し倒す。
「ゼ、ゼロス……怖いよ」
「リナさんが悪いんですよ、僕をこんなに待たせるから。寂しかったんです、本当に。その寂しさを、いま埋めて下さい」
ゼロスはリナの首筋に顔を埋めた。
「嫌、ゼロス、嫌よ……ゼロス？ゼーロース？」
ゼロスは顔を真っ赤にほてらせて、すうすう眠っていた。リナは拍子抜けして、ゼロスの身体の下から自分の身体を引っぱり出す。
「こ、こいつわ〜」
とりあえず、ゼロスの頭を自分の座った膝の上に乗せる。リナは、自分の服の袖を引き裂いて、泉の冷たい水に浸し、絞って、ゼロスの額に置いた。ゼロスが、意識の無いままつぶやく。
「リナさん……寂し…い」
リナは、指先に栗色の髪を絡ませ、引っ張った。
「ちょっとこいつに意地悪しすぎちゃったかな。うん、反省」
反省の証として、リナはゼロスが目を覚ますまで、額の布を冷たいものに代え続けた。やがて、ゼロスが目を開く。
「うーん……頭が痛い……リナさん！」
「あ、まだ動かない方がいいよ。二日酔いよ。あんな強いお酒、一気飲みさせちゃってごめんね」
「すみません……リナさん、僕はとんでもないことをしようと……」
「あー、そのことならもういい、もういいの。あたしが悪いんだから」
「そんなわけには……っつ」
「とりあえず、酔いをさましてから、難しいことを考えて。今はただ休んで」
「リナさんの膝枕、気持ちいいです」
「うん。さあ、もう少し眠って……」
やがてゼロスが目を覚ますと、そこは柔らかな草で作られた枕の上だった。リナはどこにもいなかった。でも、不思議と寂しさは無かった。リナの優しさに、満たされた気持ちだった。

冬が来た。普段から昏い泉はいっそう暗さを増し、泉には薄く氷が張った。リナは、この一週間ほど姿を見せなかった。ゼロスはいつもの黒いローブの上にマントを羽織り、錫杖を抱くようにして寒さをしのいだ。

今日は冬にしては温かな、小春日和。泉の氷も溶けている。そんな日に、リナは現れた。あちこちがちぎれた服で。泣きながら。内腿に、破瓜の血を流して。
「リナさんっ！！」
ゼロスは、禁じられていることも忘れて、泉をざぶざぶと渡り、リナへ近づいた。リナは、半分意識を失ったような紅い瞳からとめどなく涙を流して、ゼロスにもたれかかった。
「どうしたんですか、リナさん！」
「ごめんね、ここに来ちゃって。何でもないの、何でも……」
「何でもないことはないでしょう。とにかく、身体を洗いましょう。冷たいですが、泉に入って下さい」
「それは禁忌なんじゃなかったの？」
「構いませんから、泉で身体を洗って下さい」
リナは、ゆっくりと冷たい水に浸かり、脚の付け根を洗った。赤い血がゆらりと拡がり、暗い透明な泉を染めた。
リナが泉を上がると、ゼロスは自分のマントを使って、リナの身体を拭き、くるんだ。そして、少しでも身体を温めようと、すっぽりとリナの小さな身体を抱きしめた。
「ごめんね、ゼロス……」
「誰が…誰がこんなことを。許せません。そいつを殺してやります。誰ですか、貴女をこんな目にあわせたのは」
リナは、弱々しい瞳でゼロスを見て、小さく首を振った。ゼロスは激昂する。
「教えて下さい！！」
「……ゼウス様、なの」
「なっ……」
「あのルビーを受け取ってしまったあたしがいけないの。あのルビーは所有者のものであるという証。ゼウス様が、あたしをどうしようとも、文句は言えない……」
「そんな…そんな、リナさん」
「ゼウス様は、あたしを後宮に入れるおつもりだったの。でも、あたしは林檎の世話があるし、嫌だって言ったら、無理矢理……あたし、最後まで抵抗したけど、ゼウス様の瞳に射すくめられると……怖かった、嫌だった、あたし、嫌だったのよぉ！！」
リナはルビーの首飾りに手をかけ、引きちぎろうとした。だが、それはリナの力ではちぎれなかった。
「ゼロス！後ろの留め金を外して！この首飾りを取って！」
「だめです、リナさん。この首飾りには強い魔法がかけられています」
「外れない……のね……」
リナはぐったりと座り込んだ。
「あたし、ゼウス様のものになるの？　そんなのは嫌、そんなのは嫌！」
リナはゼロスを見上げた。
「ゼロス、あたしを抱いて」
「リナさん……」
「あたし、ほんとに好きな人に最初に抱かれたかったなあ。抱かれたかった……」
リナはぽろぽろと涙を流しながら、ゼロスに抱きついた。
「それは僕のこと、と思っていいんですね？」
「当たり前じゃない。あたし、初めて会った時から、あんたのことが好きだったわ」
ゼロスは、痛々しい傷跡をあちこちに残したリナの身体を愛撫した。
「リナさん、僕に身体を委ねて下さい……」
リナはゆっくりと身体の力を抜いた。
「ゼウス様にこのことが知れたら……天罰が下るよ。それでも、あたしは、あんたに抱かれたい……」
そして、二人は溶けあった。

ゼロスが、短い幸福な夢から目を覚ますと、リナはいなかった。ゼロスの傍らに、細くて小さな林檎の樹が立っていた。
「リナさん、リナさん！」
林檎の樹から、不思議な声で言葉が伝わってくる。
（これでいつまでも二人は一緒だよ……）
「リナさん……」
（あんたがここに居続けるように、あたしもここに根を下ろすわ。二人は、いつまでも、どこまでも一緒よ。あんたの神様も、林檎の樹が泉の側にあったって怒ったりしないでしょう？）
「こんな……こんな残酷な」
（残酷なんかじゃないわよ。あたしは幸せよ。秋になったら、あたしはきっと沢山の実をつけるわ。全部食べてくれなきゃいやよ）
「約束します、リナさん……」
ゼロスは、細い樹にもたれかかって、しばらくの間泣いた。それは、ゼロスが生まれて初めて流す涙だった。
（泣かないで、ゼロス……）
冷たい風に、梢が震えた。そして、林檎の樹は、二度とゼロスに話しかけることは無かった。
所有者のなくなったルビーの首飾りが、草むらのなかに投げ捨てられていた。



私は何かリナちゃんに恨みでもあるのか？というくらい、暗い小説を書きまくっていますが、これもその一つです。でも、林檎の精リナちゃんは結構お気に入りなのです。この小説を膨らませて、長編を一つ書いたのですが、そちらも近いうちに投稿させていただきます。それではっ！
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。これを膨らませて書いた長編というのは…ここの長編に納めてある「宮廷画家」という小説です。とにかく救いのない話……ああ、リナちゃんがこんなに好きなのに……。頑張って明るい話も書きますので、見捨てないで下さいねっm(_ _)m (04.03.29)