どこへ落ちるの？　どこへ…



「リナさん」
「ゼロス」
「愛して……います」
「たぶん……あたしも」
ゼロスは、今まで押し殺してきた想いのたけを、リナを抱きしめる腕の強さで表す。リナは、苦しいほどのそれを細い身体で受けとめる。
「ゼロス……」
「リナさん、泣いているんですか？」
白い頬に、真珠の涙が零れる。
「嬉しいの。こうやって想いを交わせる日が来るなんて」
涙は、宝石のように光って、落ちていく。
「ずっと、ずっと、好きだった……」
ゼロスはリナの壊れそうな肩を、そっと押した。ベッドに倒れ込んだリナの、甘い香りのする髪が広がる。
「リナさん、僕の想いを貴女にぶつけてもいいですか？」
「もう、決めてるくせに……」
「ええ、もう止められません。貴女の全てを僕のものにしたい」
ゼロスは、リナの薄い夜着を脱がせ、その肌をあらわにした。
「ゼロス、好きよ」
「リナさん、僕は貴女を決して放しません」
二人は深い夜に溺れていった。


誰かを死ぬほど愛する
生涯を二人で過ごす……なぜできないのかな？


目を覚ますと、ゼロスはもういなかった。ベッドの中で、リナは寝返りをうつ。
「せっかちな奴。朝ぐらい一緒にいてくれてもいいのに」
散らかった服をかき集める。そして、ゼロスの残り香でも無いかと、枕に顔をうずめる。けれど、魔族はなんの匂いも残しては行かなかった。
「でも、あたしの思いは伝えたから……そして、あいつの思いも伝わったから」
だから、いつまでも一緒にいる。神様が、あたしの命を奪うまでは。
「ゼロス……好きよ」
リナは、新しい一日に踏みだした。


気がつくと、そこはリナの側ではなかった。暗い、ベルベットのような闇が、彼を覆っている。
（痛い）
彼は肉体的に痛みを感じることはない。彼の身体を縛り上げた、いばらの蔓からは痛みは伝わってこないはずだ。だが、明らかに彼は身体の苦痛を感じていた。彼は、そこから抜け出そうとした。それはかなわなかった。
（行かなくては……リナさんが心配する）
そう、彼は、もうリナの側から離れるつもりはなかった。何が彼らを引き裂こうとも、彼女を抱きしめ続ける覚悟が、彼には出来ていた。
（痛い……）
苦痛は、休むことなく彼を責め立てた。彼は、そこから逃れようとあらゆる力を使った。蔓を焼き切ろうとし、本体の錐にもどって抜け出そうとし、激しい炎の呪を唱えた。彼の必死の声は、目を開けても閉じても変わらないほどの闇へ吸い込まれていった。
（ここは？　なぜ僕はこんなことに？　なぜ……）
苦痛にさいなまれながら、彼は考えた。その時、彼の意識の中に、威厳ある声が響いた。
「ゼロス」
「ゼラス様……！」
「愚かな、哀れな、私の子……お前は、人間の娘と情を交わしたな？」
「はい……そうです、僕は彼女の側にいなくては。僕をここから救い出して下さい」
「それは、私の力を越えたことだ」
ゼロスは目を見開いた。
「ゼラス様にも、僕を救うことは出来ない……？」
「お前は、今や魔族ではない。もちろん、人間でもない。お前は……」
「僕は？」
「囚人だ。闇の牢獄を、どこまでも下層へ運ばれてゆく、哀れな……」
ゼラスの声は消えゆこうとしていた。
「待って下さい！　リナさんと、抱き合うことは罪なのですか？　彼女を手に入れることは、罰に値するのですか？」
「もはやお前は……」
最後の方は聞き取れない。
「ならば……ならば、せめてリナさんの姿を見せて下さい。今彼女が何をして、何を思っているのか見せて下さい」
深い闇の中に、光が生まれた。目を凝らすと、そこにぼんやりとリナの姿が映った。窓から外を見ている彼女の姿が。
「ありがとうございます、ゼラス様……」
その声は、もう彼の主には届いていなかった。


彼の痛みはほどかれない……
どこへ落ちるの？　どこへ……


薄い氷が身体にまといつく死の沼の中で、ゼロスはしびれて感覚の無くなった身体を引きずるように、光を見ていた。リナは仲間たちと森の中を歩いていた。木漏れ日が、彼女の身体を立体的に映し出す。
「綺麗だ……」
ゼロスは、凍えて色を失った唇でつぶやく。
「なんて綺麗なんだろう！」
彼女を手に入れて受ける罰なら、甘んじて受けようと思う。しかし、もう彼女の元には戻れないのだろうか。それが彼の胸を痛ませる。
彼を包んでいた世界が変わった。紅蓮の炎。彼は薄く笑う。どんな苦しみも、彼女の姿さえ見ていれば耐えられる。炎の舌が彼の皮膚を腫れ上がらせた時さえ、彼は微笑みを浮かべていた。


「ゼロス……どうして？　あの夜から、どうして来なくなっちゃったの？　やっとあたしたち、想いが通じ合ったのに……」
リナはそうつぶやいて、宿屋の窓をあけ、涙を流した。
「ゼロス！　会いに来て……」
涙は、止めどなく流れた。


あの娘の涙のかけらを……数え切れないほどの……
大きな星屑を……
どうやって　どうやって……
償えばいいのですか？


リナは目に見えて痩せていった。空を見上げて歩き、窓を見つめて眠った。仲間たちが心配すると、軽く手を振って、微笑んでみせた。仲間たちはため息をつき、自称保護者は、彼女の肩を大きな手で抱き寄せた。


痛みが消えません
大事なあの娘を見失って
この僕にできることといえば、
大きな声で

いかないでね
ひざまずくよ

彼の痛みはほどかれない……
どこへ落ちるの？　どこへ……


尖った石に覆われた道を歩く。光を目指して。足の裏に、刃物のような石が突き刺さる。血にまみれた足を、ゼロスは珍しそうに見た。凄まじい痛みに、僅かに眉根を寄せて。光の中の彼女はまた泣いていた。ゼロスは思う。今、彼女の側に行けたら。その涙を唇で拭ってあげるのに。けれども僕は、もう彼女からは切り離された存在。醜く、惨めで、現実とも幻ともつかない血を流し続ける、魂の牢獄の囚人。彼女に触れることすら出来ない。


僕には眩しすぎるのかな？

僕には……僕には
眩しすぎるのかな


by Yuzuki Okino


真っ暗な中、再びいばらが彼を縛り上げている。苦痛には慣れた。どんな苦痛も、彼女の存在に比べたらちっぽけなものだ。ましてや、彼は一度だけ、彼女を手に入れたのだ。永劫の苦しみよりも、彼女の涙の方が胸に痛い。今より激しい責め苦に苛まれることになっても、どんな手段を使っても、側にいたい。だが、今の彼はあまりにも無力だった。いばらは身体を引き裂き、彼は意識を失った。目を覚ませば、また別の苦痛の中にいる。


涙をありがとう
どんなものよりも　眩しいよ
もう一度笑ってね


彼女の微笑みが。柔らかな栗色の髪が。その華奢な肩が。細い身体が。今も変わらず僕を惹きつけて放さないから。でも、彼女がいなくなったら……たとえば貴女が死んだら。それでもこの責め苦が続いたら。いや、責め苦は構わない。彼女が永遠に失われた痛みに比べたら。でも、いつか、必ずそんな日が来る───

「貴女を愛したことで罰されるのは構わないんです」
長い間出さなかった声は、かすれていた。
「貴女をもう愛せないことが辛いんです」
目の前の風景が変わった。ゼロスは、どこまでも、闇の中を落ちていった。


「ここは……」
苦痛は無い。粗末な宿屋の一室。さし込む月の光が、ベッドの上の、薄いタオルケットに覆われた小さな身体を照らし出している。
「リナさん」
そっと、触れてみる。その頬に。温かい。
「リナさん、起きて下さい」
最初は優しく。そして次第に強く。リナの肩を揺さぶる。
「リナさん！」
ゼロスの絶叫も聞こえなかったように、深く眠り続けるリナ。肩を揺さぶっていた手が、いつの間にかその細い首に掛かる。
「いつか失われてしまうなら、今、僕の手で壊してしまえば」
リナは、苦しそうな顔もせずに眠っている。ゼロスは彼女の首を絞め続ける。月の光だけが、二人を見ている。

「……!!」
気がつくと、そこはいばらの森。
「あれも、一つの罰だったのですね……たちが悪い」
ゼロスは微笑もうとして、もうそれが出来ない自分に気づく。
「リナさん……」
僕には、彼女の名前を呼ぶ資格もない。もう、彼女を映し出す光は見えない。いばらの森は、彼の衣服を、皮膚を容赦なく引き裂いていった。彼は、自分の手で、自分を救う光を永遠に失ってしまったのだ。


そして彼は、迷宮の住人になった。


どうやって……
償えばいいのですか？

彼の痛みはほどかれない……
どこへ落ちるの？　どこへ……







小説というよりも、歌に沿って浮かび上がった妄想をスケッチしたようなものになってしまいました。この歌は、（また）Charaさんの「Family」という曲です。いつものように音楽を聴いていたのに、突然「この歌はすばらしい！」と目覚めてしまって、その思いを叩きつけるように文章をつけてみました。ああ、今でも頭の中にあの曲が回っている。自己満足な作品ですが、読んでいただいてありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。沖野柚姫さまが素敵なイメージイラストを描いてくださいました。心から感謝しています。自分では映像化出来ないものを、このように見せていただくと、「私の描いてる世界はこれなんだ！」と頭の中で世界が拡がっていく感じがします。Charaさんの「Family」という曲は、ベストアルバム「baby×3」で聴きました。