棘のない薔薇


温室の、むせ返るような花いきれの中。ゼロスは、アメリアと花を摘んでいた。アメリアはかがみこんで、マーガレットやポピーをあしらった可愛らしい花束を作っている。ゼロスは、温室の中央にある大きな花壇から、中央の植え込みの紅い薔薇を摘み取っていた。紅い薔薇は花びらもつやつやと美しく、香りも高い。しかし、その茎は堅く、鋭い棘がゼロスの手袋を引き裂いていた。彼に人間と同じ血が流れていたならば、その手袋は血塗れになっていたことだろう。
　自分の花束を仕上げたアメリアは、ゼロスの様子を見てあきれて言う。
「ゼロスさん、手袋ずたずたじゃないですか。大体、その薔薇は手で摘むものじゃないですよ。鋏かなにか使わなきゃ。それに、手で摘むなら……ほら、ここにクリーム色の小さな薔薇がありますよ。これなら棘も柔らかいですし簡単に花束を作れます。」
そう言って、さっそく一輪摘んでみせる。
「ほら、香りも良いし……」
「アメリアさん、ありがとう。でも、僕はあの紅い薔薇がどうしても欲しかったんですよ。手袋なんて大したことじゃないんです」
「ふうん……」
アメリアは、自分の小さな花束をくるくる回しながら言った。
「紅い薔薇、誰かにあげるんですか？」
「それは、秘密です」

ゼロスは、霧に包まれた道を歩いていた。ここが何処なのか、見当もつかない。その時、遠くに人影が現れた。ゼロスはまっすぐその人に向かって行った。
彼女は紅茶色の髪を長く伸ばし、霧の中でも見分けられるルビーのような紅い瞳をしている。ゼロスはほっと息をついて、彼女の元へ駆け寄った。呼び慣れた名前を呼ぶ。
「リナさん」
「ゼロス……あたし、あんたが好きよ」
いきなりの告白に、ゼロスは息を呑んで、彼女を見つめる。
「……それは本当ですか？」
「さあね」
くすくすと笑う。そして、黒いマントを外し、ピンクの上着を取る。
「リナさん？」
彼女はくすくす笑いながら、身体をしならせて服を脱いでゆく。何時しか、彼女は裸になっていた。白い華奢な身体から目をそらすように、ゼロスは言う。
「どういうつもりなんですか」
「あたし、あんたのものになってあげてもいい、っていうことよ」
「リナさん……服を着て下さい」
「どうして？あんたはいつもこうなることを望んでいたじゃないの」
「……」
「あたしを手に入れたがっていた。違うの？」
「リナさん」
ゼロスは、誘われるように右手をリナの肩に伸ばした。すると、異変が起こった。リナの肩が、腕ごと白い砂になって崩れ落ちたのだ。
「なっ……」
慌ててもう一方の肩に触れると、そこも砂となって崩れる。そして、胸も、脚も、さらさらと柔らかな音を立ててくずおれていった。やがて首も、頭も消えて、一山の砂になる。何処からともなく、紅い薔薇のかぐわしい香りがする。声が聞こえる。

『誰が、あんたなんかと』

「う……うああああっ」
ゼロスは目を覚ました。宿屋のベッドの上。息が上がっている。ゼロスは白いシーツを掴んで肩を上下させた。
「あ、あれ？　ごめん、目、覚ましちゃった？」
突然闇から声をかけられ、ゼロスはビクッと身体を震わせた。
「あはは、あんたでもびっくりするのね、なんだか可愛い。いつも気配無くあらわれて、人をびっくりさせる罰よ」
枕元のランプを灯す。リナの姿が浮かび上がった。どこも変わったところのない、いつものリナだ。
「それにしても、なんかうなされてたみたいだけど、悪い夢でも見たの？」
「ええ、悪い夢を見ました。リナさんが、リナさんが……」
「えっ、あたしの夢？」
「ドラゴンに変身して、僕を踏みつぶしちゃう夢でした」
すぱーん。
「痛い〜ひどいですよリナさん」
「まったく、ろくな夢見ないんだから」
スリッパを握りしめ、頬を膨らませてそっぽを向く。その子供っぽい仕草が、ゼロスを安心させた。
「それで、こんな時間に何かご用ですか？　しかも、その様子だと窓から入ってきたみたいですけど」
窓は開け放されて、薄いカーテンが夜風にそよいでいる。
「これを、ベッドの脇に置いておこうと思って来たんだけど……」
ランプに浮かび上がるのはチューリップの花束。ただ、その色は闇のように黒い。
「黒い花って、探してみたらこれしかなかったの。あんたにチューリップは似合わないかと思ったんだけど、色が綺麗だったから。」
「どうしてこれを僕に？」
「昼間の、紅い薔薇のお礼よ。アメリアから聞いたわ。ずいぶん苦労して摘んでたみたいだって。だから、あたしも街中の花屋を回ったのよ。」
「リナさん……ありがとうございます」
ゼロスは、闇色の厚い花びらを撫でた。
「ところで、せっかく来てくれたんですから、もう一つお願いしていいですか？」
「うーん、内容によるなあ……なあに？」
「もっと側に来て下さい」
ゼロスは、そっとリナの肩に触れた。柔らかな、温かな感触。しっかりした手応え。そして、もう一方の肩にも触れる。同じ感触。
「ゼロス？」
ゼロスはそのままリナを抱きしめた。とても愛おしく、美しく、そして消えない存在。
「お願いは……このまま朝まで一緒に眠って下さい」
「うわ、甘えん坊なお願いね。もちろん、変なことはしないんでしょうね」
「約束します。夢見が悪かったので、怖いんです」
「あたしがドラゴンになる夢が？」
「あれは、嘘です。ほんとは、もっと怖い夢でした」
「どんな夢？」
「それは、秘密です」
「んもう、気になるなあ……」
リナは、ゼロスのベッドにそっと身体を滑り込ませた。ゼロスは、その手を握る。
「ゼロス……」
リナは驚いて手を引っ込めようとするが、思ったより強いその力に、ゼロスの想いを感じて力を抜く。
ゼロスはリナの手のひらの感触を、自分の手のひらで感じる。すべすべして、やわらかくて。紅い薔薇のようにかぐわしく誇り高い彼女。でも棘はどこにもない。
再び眠りに落ちようとしたときに、唇に温かな唇を感じた。
「おやすみのキスよ。特別サービスだからね」
ゼロスは、その言葉に応えることも出来ずに眠りに落ちていった。

悪夢は、たぶん、もう、見ない。



出だしのアメリアとゼロスの会話は「若草物語」を意識しました。ところで、果たして魔族は夜眠るのか？夢は見るのか？深く考えると話が成り立たないのでそっとしておいてください……。ちなみに、黒いチューリップの名前は、「Queen of the night」と言うそうです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。実は、これはかなり昔の作品で、こちらに収録するのが恥ずかしくて、置きっぱなしになっていました。でもまあ、これも私の書いたものなので、いさぎよく（？）収録することに。リナちゃんは、棘のないクリーム色の薔薇ではなく、やはり棘も鋭い赤い薔薇ではないでしょうか。