悲しき恋　恋のかけら

胸につのるこの想い……それはわたしの大事なもの It's for you


「ねーちゃん、これ何？」
　台所のテーブルの上に置かれたつるつるとした光沢を放つ紙袋を見て、リナは何気なく尋ねる。
「ああ、それね。ゼロスさんって方が、『リナさんに』って置いていったわよ」
　台所から、姉の声が聞こえる。ことこと…と何かを刻む音も聞こえる。
「その紙袋、ファム・ファタルの新作用の袋じゃないの。相当の都会に行って、何時間も待たされないと買えないはずよ。リナも隅におけないわね」
「やっだー、姉ちゃん、そんなんじゃないって」
「ところでリナ」
「（……ぎく）な、なあに？」
「魔族とつきあうのもたいがいにしておきなさいよ。結局泣きを見るのはあんたなんだから」
「あ、あの、ゼロスとは、ぜんぜんそんなんじゃないの。つきあうなんてめっそうもない」
「なら、なぜ都会で最新流行のブランドものなんてあんたにプレゼントするのかしら？」
「あ、あいつ、きまぐれだから。ただそれだけ。じゃ、食事が出来たら呼んでね」
　リナの部屋で、ごそごそと紙袋の中身を取り出してみる。一番大きな包みは、うすい、うすいピンクのドレスだ。肩のところで大きなリボンを結ぶ形になっている。ほっそりとしたウエストから下は、ふわりと広がっている。それから、同じメーカーの、同じ色のマニキュア。ローズクォーツのイヤリング。そして同じ素材の球形のペンダント。
「うわー、素敵だあ…」
　さっそく、今着ているラフな麻のワンピースを脱ぎ捨て、ドレスを身に纏ってみる。鏡の中の少女は、まるで妖精のように、くるっと回転する。鏡の前の小さな椅子に座って、いつもの黄色いイヤリングを外し、ローズクォーツのイヤリングを着ける。そして、ペンダント。最後に、マニキュアの小瓶を開け、左手の小指から順番に塗っていく。
「リナ、ちょっと降りてきて手伝って」
「ごめーん、姉ちゃん、いまマニキュア付けたところだから……」
「そーぉ。じゃ、今日の食事の後かたづけは全部リナね」
「そんなことしたら、マニキュア剥がれちゃうよお」
　喋っている間に、マニキュアは乾いていた。淡い真珠の輝きが、指先を飾る。少女は、改めて鏡の中の自分を見つめる。薄桃色に包まれた自分は、まるで自分ではないみたいだ。ただ、夕暮れの中で、紅茶色の髪と紅い瞳だけが強い光を放っている。悪くない。全然悪くない。
「ゼロスも結構いい趣味してるのね」
　少女は、もう一度鏡の前でくるりと一回転した。
「気に入って頂けましたか？」
　いつの間にか窓辺に腰掛けていた青年が聞く。
「乙女の着替えをのぞくもんじゃないわよ！いったい何時からそこにいたの、このデバガメ神官！！」
「ついさっき、リナさんが鏡の前でくるっとした時からですよ」
「そんならいいけど……でも、どういう風の吹き回し？こんな高価いもの、あたしに贈ったりして……」
「気に入りませんでしたか？」
「ううん、気に入った、気に入った！いまから返せっていっても返さないからね」
「それは嬉しいですね。じゃ、行きましょうか」
「へっ？行くって何処へ？あたしまだ晩ご飯も食べてないのよ」
「それはこちらで用意しますよ」
「それに、姉ちゃんに一言言って行かないとあとでどんなことになるか……」
「お姉さんには会わない方がいいでしょう。話がややこしくなるし」
「そうそう、ゼロス君、人間のふりして家にプレゼント持って来たんだって？」
「はい、そうですが……」
「ばれてたわよ、思いっきり」
「……ははは、さすがはスィーフィード・ナイトですね」
「あんたには関わるなって言われたわ」
「そうでしょうね……でも、それも今夜でお終いです」
「えっ、何か言った？」
「いいえ、何にも……じゃ、僕に掴まってください。空間を飛びますよ」
　ゼロスはリナを軽々と抱き上げた。そして、一瞬の後、部屋に二人の姿は無かった。

「ここは……何処？」
「ゼフィーリアから遠く離れた島国です。」
　さやさやと涼しい風が流れている。風に乗って、気が遠くなるほど長く続く街路樹から、小さな淡い色の花びらが音もなく散っている。
「これは……この樹は桜ね」
「さすが博識のリナさん。何でもご存じですね」
「でも、こんなにたくさん見たのはこれが初めてよ。こんな……こんな弱い風で、儚く散ってしまうのね、この花は」
　リナは、桜の花をまっすぐに見上げる。ゼロスは、彼女の潤んだ瞳と形のよい顎を眺めている。
「それじゃ、ごちそうにしましょうか」
「うん……」
　ゼロスは、自分の神官ローブを桜の基へ敷き、そこに何処からか取り出したバスケットを広げる。
「うわー、スモークサーモンのサンドイッチだあ！それにこっちはターキーね。こっちは薫製ハムにキュウリのサンドイッチだ！どうして、こんなにあたしの好物が分かるわけ？」
「あれだけ長く一緒に旅してたら誰でも分かりますよ」
「食べていいの？」
「もちろん」
　青年が返事するより早く、少女は夢中でサンドイッチをパクついていた。
「そんなに急いで食べると喉に詰まりますよ。ほら、飲み物です」
　ゼロスに手渡されたコップを、勢いよく飲み込む。
「ちょ、ちょっと〜、これお酒じゃない」
「炭酸水で割ってあるからそんなに強くありませんよ。キルシュワッサーって言うんです。」
「桜の実で造るお酒ね。今日は桜づくしってわけか」
　キルシュワッサーを一息に飲み干してしまうと、リナはゆっくり立ち上がる。少し赤らんだ頬を、優しい風が撫でていく。その風が不意に強くなって、桜の花びらをどっと散らせる。リナのドレスの裾が大きく風をはらむ。
「もう、食べないんですか？リナさんらしくありませんよ」
「最後の晩餐はそうがつがつ食べるもんじゃないのよ」
「気付いてたんですか」
「ま、ね。どうせあんたの上司様が言ったんでしょ？『リナ＝インバースを始末してこい』とでも」
「リナさん……僕を滅ぼして下さい」
「……」
「貴女のラグナ＝ブレードなら、僕のアストラル体まで切ることが出来る」
「それは、できないわ」
「どうして……そうしなければ、貴女は死ぬことになるんですよ。僕はゼラスさまの命令に従うことしか出来ないんです」
「だって……好きな人を滅ぼすことなんて……出来るわけ無いじゃない」
「それは……僕も同じです」
　二人は、しばらく見つめ合う。風がいっそう強くなる。桜の花びらで互いの姿が一瞬見えなくなる。そして風が止んだ時、リナはゼロスの腕の中にいた。
「リナさん……」
「気持ちいいのね、こうしてるのって。でも、もう少しわがまま言っていい？」
「何ですか？」
「キス……したいの。」
　言葉もなく、ゼロスはリナの細いおとがいを持ち上げ、優しく唇を重ねた。リナの柔らかな唇に、魔族の体温を持たない唇が触れる。いつまでもこうしていたい。そう思ったのはどちらからだっただろうか。
　やがて、リナの方から唇を離した。
「いつまでもこんなことしてたら、夜が明けちゃうわ。ねえゼロス、どうやってあたしの命を奪うつもりなの？」
　地面にしかれていたはずの法衣は、いつのまにかまたゼロスの肩にある。ゼロスはそこから一本の短剣を取り出した。柄の部分は銀色で、細かな細工が施されている。はめ込まれたルビーは、リナの瞳の色を思わせる。
「てっきり魔族だから、魔力を使って手を下すんだと思っていたわ。」
「この世にたった一人しかいない、大切な人を殺すんですから、特別の準備をしてきました。この宝剣には魔法がかけてあって、刺されても痛みを感じないんです。絶命の瞬間まで、苦痛に苛まれることは無いんです」
「ふーん。あんたにしては上出来じゃん。じゃあ、死んでしまう直前までおしゃべりが出来るって事ね。」
　ゼロスは、リナの肩に手を回す。短剣の鞘を抜く。銀の細い刀身が月明かりに輝く。リナはゼロスの表情を見ようとするが、桜の花びらが逆光のその顔を、覆い隠してしまう。
　ゼロスは、そっと短剣の先をリナの心臓に突き立ててゆく。血がにじみ出し、桜色のドレスは、赤黒く染まっていく。
「ねえ…どうしてさっき、キスしてってお願いしたか分かる？」
「さあ……分からないです」
「あのキスを、ずっと覚えておいて欲しかったからよ。あんたがこのさき、何百年、何千年生きるか知らないけれど、あのキスは呪いのように、祝福のように、あなたの唇にとどまり続けるの。そうでなきゃ、寂しすぎるでしょ？……ほんとにこの短剣、痛みがないのね。あたしの心臓はもう壊れてしまったはずなのに」
そういうリナの唇から、細く血が流れる。顔色は青ざめて人形の様だ。
「あたし、幸せよ。この世で一番好きな人に殺されるんだから。そして、この世で一番好きな人を殺さなくて済むんだから」
「僕は、不幸です。この世で一番愛したひとをこの手で殺さなくてはならないんだから。そして、あなたのいない何千年を生きなければならないのだから」
「我慢しなさい。男の子でしょ」
　リナは儚げに笑う。
「ごめんね、つらい役を押しつけちゃって…好きよ、ゼロス。愛…して……る……」
　リナは眠るように瞳を閉じて、息をひきとった。白い手がぱたりと胸からすべり落ちた。
「リナさん……リナさん」
　魔族は涙を流さない。でも、もし流すことが出来るのなら、それは今だとゼロスは思った。胸が、体が、焦げるようにもどかしく、痛い。
　地面に横たわったリナの身体の上に、桜の花びらがふわりふわりと落ちかかる。ゼロスは、懐から小さなナイフを出して、リナの髪を一房だけ切り取った。それから、彼女の左の耳からそっとローズクォーツのイヤリングを外す。
「これは、僕の『想い出のかけら』です」
　イヤリングを懐にしまった。そして、切り取ったリナの髪を、紙ひもで纏めて括る。
リナの冷たい身体を抱き上げ、魔力をこめた手で、一息にリナが入る大きさの穴をあける。法衣を肩から外すと、リナの上に掛ける。
「リナさん……お休みなさい、よい夢を」
　手のひらに力を込めると、土くれが舞い上がり、リナの上に落ちかかった。リナの顔が見えなくなるまで、ゼロスはその作業を続けた。
再び空間を飛び、ゼフィーリアのリナの実家に戻る。鍵はかかっていない。ゼロスは、台所のテーブルの上に切り取ったリナの髪をそっと置いた。あのスィフィード・ナイトなら、これですべてを察してくれるだろう。

「リナ＝インバースの始末、ご苦労だった。しばらくはそなたに頼む仕事もない。下がって良いぞ」
「ゼラス様、お願いがあります。」
「申して見よ」
「しばらく旅に出て、見聞を広めてみたいと思うのです。長いお休みを頂きたいのですが」
「わかった。そなたのしたいようにせよ」
（リナさん…リナさんと二人きりの旅ですよ）
　ゼロスは、そっと懐のローズクォーツのイヤリングに触れた。
（好きよ…ゼロス）
彼女の最期の言葉が、青年にははっきりと聞こえた。

悲しき恋…恋のかけら
You were mine Crazy for you





すみませんーリナちゃん死なせてしまいました。苦情はばんばん言って下さい。引用した歌詞は、林原めぐみさんが主演しているアニメ「天使な小生意気」の旧ＥＤからです。こんなこと言っていいのか分からないけど、どっちかというとゼロリナって感じの歌詞だったのでつい使ってしまいました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。小説を書き始めて二作目で、既にリナちゃんを死なせるとは私は何を考えているのでしょうか。それはともかく、「天使な小生意気」は面白いアニメでした。林原めぐみさんの声も可愛かったし。この小説の中で、架空のブランドとして既に「ファム・ファタル」という言葉を使ってますね。